7 エイルリル・トーレアノン
「魔物かっ!?」
女冒険者はその若さに見合わぬ熟練の所作で短弓に矢をつがえた。
緑がかった銀髪は短めに整えられ、引き締まった肢体は斥候職らしき軽装で包まれている。
「いっ、一体どこから現れたっ?……くっ!」
深いエメラルドグリーンの瞳が、瞠られ、動揺に揺れる。
弓を引き絞る動きに、形の良いであろう彼女の乳が胸当てに押し付けられ、歪む。
シャツの胸元から覗く白い谷間に流れる汗が艶かしい。
「エイルリルさんっ!なっ……これはっ!?」
「ひいっ!やだっ、なにアレ凄い……」
パーティメンバーと思しき、やはり年若い男女の冒険者がエイルリルと呼ばれた弓使いの後方から駆け寄るが、彼女の鋭い声に足を止める。
「迂闊に近寄るなっ!あの見た目だ、土系統の魔物かもしれない。魔力も相当なものだ。クラム、あの魔物を知っているか?」
「い、いえ……僕には見当も」
「ね、ねぇ、あの、あの股間の」
「だ、駄目だ!見るな、シニス!見ちゃいけないっ!!」
「……ゴブリンのようなハラマセ、なのか?どう思うクラム?」
「ゴブリンの変異体とか……ですか?」
「ね、ねぇ、よく見ると尻尾が」
「よく見ちゃいけないぃいっ!!シニスは下がってっ!」
「ああ、獣のような耳もあるな……万が一、新種のハラマセであれば被害者が出る前にここで防がなければならない。二人はギルドに報告を急げ。わたしが殿を務める」
「ぼ、僕も一緒にっ!も、もしエイルリルさんがあのバケモノに」
「シニスを一人にするつもりかい?大丈夫さ、わたしの放つ矢はそんなに軽くは、ないっ!」
風の魔力を纏った矢が放たれる。躱す。
「なっ!わたしの矢を簡単に……もしや、伝承に語られる……悪魔?」
「いや人間だが」
「「「喋った!?」」」
ようやく辿り着いた大裂谷の南端は、断ち切られたような垂直の崖を流れ落ちる滝になっていた。
ふざけんなよ。
そして見渡す限りの大森林。
身体強化に任せて無理やり崖を降り、というか落ち、いろいろ折れたり裂けたりした身体をチートな回復力で治した俺は、ざっくり北東方向を目指して進んで来たというわけだ。
で、今ここ。どこ?
そんで眼の前で繰り広げられる小芝居に困惑していたら、美人の弓持ちお姉さんに殺されかけたと。
「す、すまなかった。とても人には見えなかったので……」
失礼だなオイ。美人だから許すが。
「その姿の事情は……訊いても良いのだろうか?」
「姿?ん?」
改めて自分の体を見回すと、なんというか、泥まみれ通り越して泥人形みたいな有様だった。
「え?もしかして顔も?」
「辛うじて目と口は開いているが……敢えてそうしているわけではないのだな?」
「それどんな趣味?……ええと、ここから南西の方角かな?ずっと湿地帯が続いててさ、もう泥沼の中を歩いてる感じだったから……それでかな?洗うもなにも、泥水ばかりで飲み水にも困ったからなぁ」
そこら中にうんざりするほど水があるのに飲めないという。谷底と違って普通に果実とか生ってたからなんとか水分補給できたけど。あと亜空庫にしまっておいた火竜の生肉とかで。
「南の『泥濘の密林』か?あんな危険な森に!?それにあの森の魔物は」
「ああ、なんか芋虫っぽい魔物がいてさ、こう、泥を吐くんだよ、結構な勢いで。そんでその泥がまたいつまでもこびりついて落ちなくて……ん?……どうした?」
じわりと距離を取る美人さん。ほんとアウトドアが似合わないくらいに白い肌してるな。
「それは泥ではなくて排泄物だ」
そっかー。またクソマミレかー。
あれ?臭い汚いは谷を脱出しても終わってない?終わらない?
「それと……こんなことを訊ねて良いのかわからないのだが……ずっとその、は、裸、なのか?」
「ん?んー、そうか、かれこれ半年近く全裸なのか……」
「……そう、なのか」
すっ、と目を逸らし、さらに一歩、距離を取られた。
「……あ!いや!これは」
「あぁ、立ち入ったことを、すまない。いろいろと訊ねたいことはあるのだけれど、先ずは川だな。その、泥?は落とした方が良いだろう。案内する」
あれ?好んで全裸の変態認定された?
「……ふぅ。なんとか落とせたかな?」
澄んだ水を見るのは10日ぶりくらいだろうか。
川の水の冷たさにも身体が慣れ切ったあたりで、ようやく泥とか泥?とか、まぁ、諸々の汚れを落とせたようだ。
少し下流で魚が腹を見せて浮かんでいるのは気にしないようにしよう。
「石鹸でも持っていれば良かったのだが、生憎な」
「あー、いえ。助かりました。人に戻れた気がするっす」
「ふふっ……わたしにも人に見えるようになったよ。矢を躱してくれて本当に良かった」
男前な口調のショートカットが似合うお姉さん、エイルリル・トーレアノン。23歳。意外と年上だった。まぁ、あのナイスバディは10代ってことはないだろうと思っていたけど。胸当て外してくんねぇかな。
真職の『狩人』は特殊職で、パーティの斥候役としては俺の『盗賊』のライバルになる。嘘です。圧倒的に『狩人』の方が人気です。
『狩人』は魔力の感知と操作に優れ、風の属性を持つ。魔力を風魔法に乗せ薄く拡散させることで索敵を行い、同時に自分や、優れた者はパーティ全体の存在までを敵から探知しづらくする。また、矢に魔力を纏わせコントロールすることで命中率や威力を上げる。森の中とかだとマジ無双。
ついでに離れて警戒中の二人は、長身痩躯に砂色の癖毛で『戦士』二重持ちのクラム19歳と、小柄で栗色のおさげの『魔術士』二重持ちのシニス18歳。お付き合いされているそうです。顔的にモブっぽい二人です。
「それで……いろいろと訊ねたい、って話でしたけど……」
視線を遠くへ遣り周囲の警戒をするエイルリルさん。その端正な横顔を眺めながら先刻彼女が口にした台詞を持ち出す。いや横から見るとホント睫毛長いな。そして頬にほんのりと赤みがさした白磁の肌。マジ美人さんだわ。
「あ、あぁ、そうだな、とりあえず……その下半身はずっと、なんというか、その状態のままなのかな?」
下半身?元気ですが?いや元気じゃ不味いのか。うわ俺ずっとこの状態だった?臨戦状態だよマジで。事案。すでに犯罪が成立してしまっている?治まらないんだけどコレ。どうにかなるのコレ?なんて言えばイイ?
「ふっ……それは貴女があまりにも美しく魅力的だから……では答えになりませんか?」
「いや全裸で股間をその状態にしてのその台詞は相手に恐怖しか与えないぞ?射るぞ?」
「ゴメンナサイ抜く余裕すらない生活が続いて溜まり過ぎたところに半年振りに接した女性があまりに美人だったのでこの有様に。このままでは治まる気配がなさそうなので地味顔で地味ボディなシニスさんとチェンジでお願いします」
「失礼すぎるな君は」
チェンジしたのはクラム。まぁ、妥当。ついでに着ていたシャツを借りた。クラムは俺より頭ひとつ背が高い。ヒョロだけど。おかげで彼シャツ状態。暴れん坊も隠せたぜ。
肌着にベストというヒョロい身体には絶妙に似合わないコーディネイトになってしまったクラムだが、奇遇なことに俺と同じ槍使い。
斥候役はエイルリルさんと被り、槍はクラムと被ると。このパーティに俺の居場所はないな。
うん、ガチの変態だと認識されている時点でそもそもそれはないのだけれども。
「森を抜けるまでは油断はできない。わたしが先頭。殿はクラム。後方警戒を頼む。間にシニスとリオ。シニスはリオの安全を最優先に」
「いや、俺も戦えますよ?」
「武器も持たずにか?悪いが予備の武器を渡すほどの信頼は無いぞ」
変態だから?まぁ、出していいなら出しちゃうけど。
「「「!?」」」
黒鋼の槍シリーズはさすがに見た目の圧が強すぎるので久し振りに安物の短槍を出してみたんだけどね。
「どこから……『亜空庫』か!?君は、『盗賊』なのか?いや、でもその長さの物を『亜空庫』に?……その魔力量を考えればあり得るのか……しかし」
彼女たちも根掘り葉掘り訊くのも悪いと思って遠慮してたんだと思うけどね、俺も自分から「僕『盗賊』でーす」とは言いづらいからねぇ。「ねこまじり」のことも何も言われないから甘えちゃったけど。
「ごめんなさい。俺、『盗賊』持ちなんです」
「え?いや、何を謝るところがあるのかわからないが……あまり自分の話をしたくなさそうだったし、事情は人それぞれだから踏み込まないつもりだったが……では、あの突然現れたように見えたのは『陰魔装』だったのか?」
「そうっすね。隠れたまま近づくのもアレなんで、はい」
「わたしの不注意で見逃したのかと思ったが……ああ、ここで話すようなことではないな。後で改めて話そう。では配置はそのままで。行くぞ」
「ねえねえ、リオくん、だったよね?そんなにエイルリルさんのお尻ばっかり見てたらさすがに視線に気づかれると思うんだけど。穴が空きそうだよ」
すぐ横を歩いていたシニスが小声で話しかけてくる。邪魔をしないで欲しい。今の俺には、あの扇情的に揺れる見事な尻を眺めるよりも大事なことなどないというのに。
いや違う。そうじゃなかった。
最初はエイルリルさんの歩法に驚いて、同じ斥候職として技を盗めないかと思ったんだ。
なにせ音がしない。普通の人族よりも聴力が優れているはずの俺の耳でも足音が拾えない。
そして足跡。薄い。情報が読み取れない。
注視していると踏み込んだブーツが持ち上がると同時に足跡が掠れて判別できなくなっていく。風魔法か?
彼女の足の動きから目が離せない。離せなかった。ハズなのだが。
気づくと視線が尻まで上がっていたのだ。なぜ!?
「これは歩法を読ませないための罠……なのか?」
「リオくんがエロエロなだけだよ」
そうかな?そうだな。
「……リオくんさぁ、『盗賊』持ちってこと、気にしてる?」
「そりゃあ……ねぇ。ずっとそういう扱いをされてきたし。しかも、ねこまじり、ってね」
「ああ、人種のことならアタシもクラムも気にしないよ?この国にそういう差別的な空気があるのは知ってるけどさぁ。とくに大河のあっち側、国の中部とか東部はね。こっちの西部地域でも田舎に行くほど差別がある、って聞くけど、このレスタス侯爵領で、ねこまじり?そんな言い方するような人、あんまりいないと思うよ?そもそも侯爵様の身内にも獣人種の血を半分引く御方がいらっしゃるし。アタシもクラムもここが地元だもの、珍しいね、って思うくらいだよ?」
「……エイルリルさん、も?」
「彼女はもっと、っていうか全然気にしてないんじゃないかなぁ?シグルヴァード王国の出身だもの」
「ああ、ええと、この国、セロナルス王国の西がサンダハル王国で……その北にあるんだっけ?」
賜職の儀の前までは、まだ何かしら使い道があると思われていたのだろう。周辺の国家については孤児院で叩き込まれている。子供とはいえ、工作機関での教育と考えれば当然か。
「この国からはサンダハルを通らないと行けないけどね。シグルヴァード王国は王族がエルフだし、国民も半分くらい亜人種らしいからハーフもそれなりにいるんじゃないかなぁ?リオくんのことも全然フツーだと思ってんじゃない?」
シグルヴァードといえば、院長婆アはその名を口にする度に、醜い顔をさらに醜く歪めて「最低の国だよっ」と吐き捨てていたが。なるほど「最高の国」かもしれないな。
「真職のこともね、ギルドの基本理念で職による差別ははっきり禁止されてるんだからそんな扱いおかしいよ。だいたいさぁ、お互い相手を殺せる武器とか魔術とか持ってんのにさぁ、亜空庫くらいでなに言ってんの?って」
シニスは地味顔なのに良い娘だな。モブいのに。
「なんかムカつく顔してるわね……それでさぁ、ちょっとそのぉ、訊きたいんだけどぉ……」
「ん?ナニ?」
俺の「失われた6ヶ月」のことか?火竜との激闘を語る時が来たのか?
「さっき裸の時に見ちゃったんだけどさぁ、ほら、リオくんのアレ、す、凄かったじゃない?お、おっきくて、さぁ」
そっち?そっちのナニ?丸出しだったからな。なんならエイルリルさんの尻を眺めてたせいで今も暴れ気味だけどな。
「あ、あれってそのぉ、リオくんが特別おっきいのかな?それともあれがそのぉ、フツーなのかな?とか」
おっと。
これは。
センシティブな案件だぞ、と。
クラムの様子を窺うと真面目に後方警戒を続けながらもチラチラとこちらを気にしているようだ。
それはそうだろう、自分の彼女が年下男子とナニやらヒソヒソ話をしているのだから。
しかしなぁ。
ってことは、やっぱりそういうことなんだよなぁ。
クラムのやつ、身体はヒョロリと長いくせに、アッチはそうでもない、ってことだよなぁ。
いや、俺も普通だよ?小さくはないと思うけど、そんなにだよ?……いや、なんかちょっと大きくなってる?ずっと全裸だったから?謎の超順応?いやそれはおいといて、だ。
「いや、俺のはフツーじゃないぞ。なんていうか、病気、かな?」
「……あ、そうなんだ……だよね?やっぱりフツーじゃないよね?あのぉ……お大事にぃ……」
クラム、シャツの借りは返したぜ。
言えないけどな。