6 大裂谷4
谷底生活も二ヶ月を過ぎた。はずだ。髪の伸び具合的に。
遂に谷の北端、終点が見えてきた。
ん?毒ガスメロンの件?
がっつり死にかけましたが?
完全に失った意識を取り戻せたのは、地中から突き出してきた鋭い根の先端で腹に大穴開けられた痛みのおかげで。
物凄い勢いでなんかイロイロ吸われてる感じがしたので慌てて龍印の推定ミスリル短剣で切り離して逃れたという。
じわじわ吸われる系だったらヤバかったと思う。寝たまま干からびて。
まあ、それでもチートがなんとかしたかもしれないけどね。
どうやらあの毒ガスメロン、魔力を帯びたものが触れると途端に落下する仕組みになっているようで、そうやって倒れた獲物を根で突き刺して美味しくいただくという……あれ?植物というより魔物寄り?
改めて幹の周囲を探索してみると、ありました、竜人装備一式。メロンの誘惑に抗えなかった竜人兵の末路。
迂闊に手を伸ばす前に周辺の確認くらいしろよ、という。これだけ危険な目にあっておきながら、危機管理意識が低すぎると思います、俺。
いや、でも、メロン様……だし。しょうがないじゃん?
あ、食べたよ。ほら、あるじゃん?凄く臭いけど高級なフルーツ。超絶臭いけど耐えればワンチャンいけるかと。
……臭いのままの味でした。
毒ガスメロンの大樹を境に中型の魔物の姿が増えてきた。
人面タスマニアデビルも数匹倒したし、デカくて角の生えたカエルっぽいのとか、デカくて全身に棘のような毛が生えた蜘蛛っぽいのとかも結構な数倒した。
もれなく毒持ち。そして臭い。勘弁して欲しい。
ただ、まぁ、強くはなった。と、思う。
この辺りの魔物相手では、魔力を喰っても悶絶するほど腹の底が痛むことはなくなった。
そして毒ガスメロンの犠牲者の遺した竜人装備に3本目の黒鋼の槍があったのだけれど、これが2メートルほどの長さで取り回しやすく、今のところの主武装となっている。
試しに毒も使ってみた。槍の穂先に塗って。
魔物の体液は、相性とかもありそうなんだけど効果はいまいちな感じ。サンプル数も少なくて検証不足だけど。
毒ガスメロンの果肉は……劇的に効く。凶悪過ぎる。
隠形で気配を消し、こっそり近づいて『黒鋼の槍3rd毒ガスメロンの果肉を添えて』でプスッ。
ほぼ、一撃。いや、俺、強くない?無双?
で、谷が終わるところまで辿り着いたわけだが。
これはないだろう。
山に突入するように上の開口部が閉じてまんま洞窟になってしまっているんですが。
どうしよう……これ、進むべき?
もしかして、この先、隠された財宝とか古代の地下都市とかあったりする?しないよねぇ?
ただ……なぜあの大昔の竜人部隊がこの谷へとやってきたのか……その答えがこの先にあるかもしれない。
ならば
「危険を冒してこその冒険者……って?いやいや、ないない」
命は一つ。リスク管理大事。
チートのおかげで何度も命拾いしているけど、どこで死んでいてもおかしくなかったからね。
それじゃあ南に戻るか、っていうと……火竜?火竜かぁ……どうだろう?勝てる?殺れる?
「……とりあえず、ちょっと洞窟進んでみようかな、っと」
俺は黒鋼の槍3rdを構え陰魔装を発動、巨大な洞窟に足を踏み入れる。
谷から続く魔輝岩の層の弱い光が、外光の届かない洞窟の奥まで微かに照らしている。
これなら見えないこともない。先に敵を視認できさえすれば、今の俺の強さならばどうにでも
視られた
悪寒 戦慄 絶望
逃げた。震える脚で、毛を逆立てながら、脇目も振らず、ただ、逃げた。
あれは駄目だ。あの気配は
「ひぃっ!!」
気配が背を撫でた。近い。駄目だ。嫌だ。
アレは『悪』だ。アレが『悪』なんだ。
『悪』が
「うああぁっ!!」
洞窟を抜けて、空気が変わる。日差しが頬に当たる。自分が泣いていることが、わかる。
背中の気配は薄れた。脚は止めない。遠くへ。少しでも、遠くへ。
疲れ切って、岩陰に倒れ込んだのは翌日の昼。
「ばっかみてぇ」
右手に黒鋼の槍3rdを握りっぱなしだった。捨てるなりしまうなりしろよ、っていう。
指が固まって掌が広げられない。ビビった。盛大にビビり散らした。
身体も心も、全て壊されると思った。壊されて、捕らえられる、永遠に。そう、感じた。
姿は見ていない。見たら終わっていたと思う。
俺、強くなんかないじゃん。
……アレが、竜人たちが探していたもの?まさか、ね。いや、もう、やめよう。考えたくない。
まだ安全な場所まで逃げ切れたかどうかも……いや谷底に安全な場所なんてねえよ。
「あなたと私では身分が違うのよっ!」
母のヒステリックな叫びがリビングに響く。
不貞腐れた顔で部屋を出て行く父。玄関のドアを激しく閉める音。
俺のことなど見えていないかのように振る舞う二人。
ああ、夢だな。
両親の、最後の記憶。
毒ガスメロンの大樹の上で目を覚ます。
臭い。
枝の間から下を窺うと、見たことのない猿っぽい魔物が根に絡まれてヒクついていた。
寝入る時にはメロンの芳香に包まれて良い夢が見られるかと思っていたのに、猿野郎のせいで最低な目覚めだ。
……なんかトナンに似てるな。いい気味。
厭な夢を見せやがって。
「身分て」
まぁ、この世界では普通に身分制度が存在するわけだが。そして制度以外にも様々な差別がある。
現状、俺より下は奴隷くらいかな。
もう、うんざりだ。
どうすればいい?
上級冒険者になればいい。
3級以上の冒険者は、ギルドの存在する国であればどこに行っても貴族相当の身分が保証される。
3級で士爵、2級で男爵、1級なら子爵様だ。
士爵なんて大したことない?臣従せずに身分だけ与えられるなんて最高じゃないか。
俺は成るよ、上級冒険者に。今の俺なら届くはずだ。
屁みたいな連中に下に見られるのは本当にうんざりなんだよ。
偉くなって美人の嫁さんを貰うのだ。
あ、婿養子はナシで。貴族とかイイとこのお嬢さんもお断りです。
フツーで。美人なフツーの娘さんでお願いします。
正直、恋愛とかは諦めてます。「ねこまじり」だし。
でもほら、偉くなってお金持ってたらさ、なんかこう、あるじゃん?
それもこれも、この谷を出られたなら、なんだけど。
火竜。
俺の大裂谷での苦難はコイツから始まった。
振り返ると……だいたい臭かった。臭いと痛いばっかだったな、この三ヶ月。
許せないよなぁ。
竜種と戦うなんて、谷底に落ちる前の俺には冗談にもならない、そんな日が来ることなんてあり得ない、って話だった。
下級冒険者はもちろん、中級でもソロで竜種を倒そうなんて冒険者はちょっといないだろう。
俺は倒すよ。上級冒険者を目指すのならば、ここで逃げるのはナシだ。
それにね、嗤いながらブレスをはいたコイツを許せないんだよ。
まぁ、現実的な話をすれば、俺の隠形が火竜に通用するかどうかがわからない以上は、できるだけ良い形で戦闘を開始するしかないんだよね。
隠形でこっそり通り抜けようとして、後ろからブレスを放たれて戦闘開始なんてことになったら、さすがに厳しい。
地力はコイツの方が上なんだから。
隠形が通用するようなら、最悪一発かましてから逃げる、ってのもありなわけで。逃げるつもりはないけどね。
なんにせよ、勝つために、ブッ殺すために、まずは一発ブチかましてやろう。
そのためにコイツの糞に埋れて待ち構えていたのだから。
「くっせぇえんだよぉっ!!」
毒ガスメロンの果肉をたっぷり塗りつけた黒鋼の長槍を亜空庫から取り出し、火竜の緩みかけたケツの穴にブチ込む。
「ギャ■ー■■ッ!!」
「ざまぁ!ちぃっ!?」
痛みに悲鳴を上げながら強靭な尾を叩きつける火竜。
間一髪躱すも衝撃で吹き飛ばされる。汚ねぇアレやコレや諸共に。
なんかもう、酷い絵面。
「グガ■■ーッ!」
のたうち回りながら血走った眼で自分に傷を与えた相手を探すクソ火竜は……見えてない?隠形、通用してる?
ならばと2本目の長槍を構え一気に距離を詰め、って
「目が合ってんじゃねぇかあぁっ!!」
突き出した槍は前足の爪で弾かれる。器用かよ!
なにせ質量が違う。槍を弾かれただけで、俺の身体は硬い岩場を転がり、跳ね、なおも転がる。ズタボロ。
盗賊の紙装甲っぷりに泣けてくる。
大口を開けた火竜は、マジで半泣き状態でなんとか立ち上がり槍を構えた俺に向かって、いや向かってないな、微妙にずれてる、完全には俺を捕捉できていないっ!ならっ!
「いただきやがれぇっ!!」
亜空庫から取り出した毒ガスメロンを、喉の奥まで届けと全力で投擲した。外した。あ、頭頂部の角に当たった。
「ギィ■■ッ!?」
うわぁ、目に……効くよねぇ。
すまないねぇ。ドッジボールとか小学生ぶりだし。リーダー気取りのイケメン坊ちゃんの息の根を止めてやろうとブン投げたら隣にいたクラスのアイドルの膨らみかけの胸にクリティカルヒットで変態呼ばわりをされて投げるの禁止になって以来なもので。長いよ。
「ォオ■■ーッ!!」
直立し、天に向かって吠えるその姿は、不細工な顔が見えないだけに魔物の頂点に立つ竜種としての威容を示している。
顔面毒濡れだけど。
しかし、デカい。3階建くらい?ティラノサウルスにゴツい腕つけて4階級くらいウェイトアップしたような体型だけど、サイズが違う。なぜ動ける?魔力?生物のデザインとしてあり得ないんだけど。
こんなのとタイマン張るなんて頭おかしい?いやいや、俺には強力な味方が付いている。メロンは友達。
再び取り出した毒ガスメロンを両手で構える。気分はスリーポイントシュート。火竜の顎門がリングにしか見えねえ。
「落とす気がしな、あ」
外した。スリーポイントとか打ったことないし。ボールに触ることなく終わったクラスマッチ。もういいよ。思い出すなよ。
「ゴフ■■ッ!」
鼻に。御愁傷様。結果オーライ?
火竜の足元がおぼつかなくなってきた。毒が効いている。勝てる。殺れる。
倒れかけるも四肢を踏ん張り持ち堪えてはいるが、醜い頭部が槍が届く距離まで下がってきた。
顔面は毒果肉塗れ、爛れた眼球は視力を失っているだろう。ヤツの持っている探知能力が不明なだけに油断はできないが詰めるなら今だ。
駆け出そうとしたその時、火竜の喉が大きく膨らんだ。それは見た。知ってる。
ブレスの予備動作。射線を読んで火球を避けるだけ
「うっそぉだろぉおおっ!!」
火球じゃねえよ!火炎放射器じゃねえかっ!!
半ば倒れ込みながらも辺り一面に炎を吐き散らす。
「ニャぐうっ」
咄嗟に伏せた俺の上を炎が横切る。背中が焼けた。激痛。それよりも、この髪の燃える臭い。
燃えたのは後頭部。マジかよ、次も生えてくる保証なんてないんだぞ。後頭部ハゲなんて斬新な髪型になったらどうしてくれんだよお!
「ギ■ッ……グゥ……ゴガ■■ッ……」
ブレスが断続的になってきた。連発あるのか?知らねえ。知るかよ。頭髪の仇は取らせてもらう。
突貫。
火竜の頭が俺に向く。視えてる?感じてるのか?でもね、もう
「グギ■ッ……ガ■■ッ……」
届いた。魔力を全力で通した長槍を喉に突き込むとゴリッと頸椎に食い込んで止まった。そして間髪入れずに爛れた眼球に黒鋼の槍3rdを捩り込んだ。当然メロン果肉塗布済み。
即座に距離を取り岩陰に潜み様子を窺う。手元に残る武器は短剣と安物の短槍だけ。これで斃せなければ毒ガスメロンの弾幕しかないな。あ……死んだ?
用心のため一旦上流側に離れ、小川で汚れを落としながら傷の回復を待つ。
岩場を転がされたおかげで全身が裂傷と擦過傷だらけだ。なんだかもう出血は止まっているんだけどね。
焼けた背中の方はまだ激しく痛んでいる。見えないけど酷いことになってんだろうな。尻尾もまた焦げてるし。
火竜は動かない。終わったな。勝っちゃったな。
俺が勝ったんだか毒ガスメロンが勝ったんだかわからない感じだけど。
「ふっ、ぐぅううっ」
腹の底を激痛が襲う。これまで斃した魔物とは桁が違う大量の魔力がもたらす痛み。そうか。勝ったのは、俺だ。