37 アーヴィルエール・トア・シグルヴァード
『……リーどーのー……リオ・ハドリー殿ーっ』
囁くような声が耳元で聞こえ、ビクリと跳ね起きた。
居眠りしてた?いや、居眠りというか、失神、だな。
『……ハドリー殿、起きてくださいーっ……右足、注意してくださいーっ』
これは……伝声の魔法?右足?
「うニャ!?」
右足の先から2メートルもない距離に赤黒い大百足。5メートルを超えそうな軀には何本もの矢が刺さっている。
『……すみませーん、止められなくてー』
言葉に続いてト、トンッと新たに2本の矢が大百足の背板に突き立つが、なるほどこの程度の攻撃ではその歩みを止めるには至らないというわけか。いやでもどこから射ってんのか見てないけど連射でこれはいい腕だな。
「ん……っとぉ」
腕が、槍が、重たい。
無理やり持ち上げた『竜殺し』を重力任せに大百足の頭にただ落とす。おお、サックリ両断。『竜特効』って言うけど、この程度の魔物なら特効とか関係なくサクサクいけちゃいそうだな。いい槍なんだよな、ピカピカ眩しいけど。恥ずかしいけど。
どうにか上体を起こし、改めて周囲を見回してみると、そこら中に矢で射抜かれた虫系魔物の死骸が。
『……ハドリー殿、聞こえてますかー?聞こえているなら左手を、あ、ありがとうございます、よかったです。周囲はギヌ軍団長の指揮のもと3部隊が展開して警戒をしているのですが、申し訳ありません、この暗さですのでどうしても抜かれてしまうところがありまして。特に虫系ですね。というか臭いの所為か虫系以外はあまり近寄って来ないのですが。あ、こんな場所ですのでお返事はお控えください。あまりその、声で魔物を集めたくはありませんので。自分の位置は9時の方向、そう、あ、見えましたか?』
意識して暗視能力を上げる。暗い髪色のどことなく東洋風に見える若い男。いや俺の方が若いんだろうけど。って、こっちに近寄って来てる?いや、ダメだって、こっち来ちゃ!毒ガスメロンの毒がまだっ!
『あ、もしかして毒を気にしてますか?大丈夫です、自分、『鑑定』持ちの『狩人』なんで。これ、『キキルビータ』の実の毒ですよね?』
『鑑定』持ちの『狩人』とかマジかよ。冒険者だったらドラフト1位間違いなしだよ。血で血を洗う争奪戦が展開されちゃうよ。で、キキルビータってナニ?
『えーっと、このくらいの大きさの、外側はえらく良い匂いがする果物みたいなやつですよね?幹が太い広葉樹っぽい……ですよね?まぁ、あれ、トレント亜種なんですけどね。はい、魔物。強力な毒ですが四半時くらいで毒性無くなりますので、もう粗方消えてますね。あ、申し遅れましたが、自分はハーダル・ソールリーク、はい、スバン・ソールリークの息子です。解呪薬の素材、ええ、金瞳を提供していただきました事、本当にありがとうございました。自分もそうですが姉も、ミルヴァも救われたと聞き及んでおります。もう、感謝の言葉もありません。あぁ、その際に父と、あと最近では妹が、その、大変ご迷惑をお掛けしたのではないかと……申し訳ありません。え?あ、毒ですか?はい、もうそろそろ大丈夫かとは思いますが、ちょっとその、これ以上はまだ近づけないですね。すみません、主にその、悪臭の問題で、ですね。あ、ちょっとこれ、ウチの父の臭いに似てますね。父を煮詰めた感じですかね』
いきなり毒ガスメロンの正体が判明してしかもトレントの類だったり、このエリート弓兵さんが『炎槍』のオッサンの息子だったり、てことはスバンとミルヴァが助けようとしてたのこの人?もう現場に出てんの?ブラック過ぎない?って、情報が多すぎるな。整理しきれなくてちょっとアタマがぼんやりしてきた。『超順応』でアタマ良くなったりしないのかな?……しないみたいだな。なんかホントにぼんやり?あれ?これ、眠たくなってる?ここで?このタイミングで?ずっと眠りたくても眠れなかったのにふざけんなよ俺は「あーっと、ハドリー殿?無理して立たれると、あーっ!」眠らな
「……知らない天、じゃなくて、知ってるお姫様だな」
うん。俺、仰向けで寝ないからね。基本、横向き。身体を丸めて。その辺りに、なんというか我ながら猫感があるというか。
で、目を覚ましてみると、どうやらベットに寝ていたようで、ベッドサイドにはぼんやり顔のお姫様がいたわけだ。
「……リオ君っ!」
起動に時間がかかったな。目を開けたまま寝てた?
起こしかけた上体に飛び込むように抱きついてきたアヴィを受け止める。水色のシンプルなドレスにシグルヴァードの伝統文様の刺繍で飾られたボレロが可愛い。
昨日、イェルヘインで別れた時の、埃に塗れ、血の気を失った白い顔に比べれば、確かに血色は戻ってはいる。ただ、あの疲労困憊の時よりも、さらに憔悴しているようにも見えるのだけれど……。
「……良かった、3日も眠ったままで……うぐっ、ちょっと、くさ……いえ、本当に良かったです」
え?3日も経ってんの?というか3日も寝てた?……眠れるようになったのか、俺。
「あの」
「うん?」
「泣きぶぁふ……あーーー」
……
……
……
「ぐひ……すびば、せん……やー、ちょっと、なにか、もー」
「心配を、かけたみたいだな、って、全然現状を把握できてないんだけど……どうなってる?」
胸元にしがみつきグリグリと押し付けてくる可愛い生き物の頭を撫でる。泣くだけ泣いて、ようやく落ち着いたようだ。
「はい。 心配、しました。たくさん。でも、よかった。帰って来てくれて、よかった。よかった、です。うー……あの、ちょっと、ヨシヨシ中断してもらっていいですか?あ、中断、中断ですから」
そう言って体を起こし、居住まいを正したアヴィ。泣き過ぎて目が赤くとろとろになっている。もちろん、可愛い。
「全てのシグルヴァード王国民にとっての悲願であった『金眼』討伐を成し遂げていただいたこと、王族として、心よりお礼申し上げます。本当に、本当に、ありがとうございます。あの、その、かっこよすぎる、です」
そうか。
きちんと殺せたわけだ。
夢とかじゃなないんだ。
「あの、それで、先ほどの……あ、ヨシヨシ再開お願いします。えへ。その、現状、ですよね?あ、尻尾とか?」
再び俺の胸元にしがみつき、上目遣いに見上げるその姿が愛おしい。もちろんヨシヨシは再開する。
「いや、尻尾も気になるんだけど、って見たの?いつ?……ああ、まあ、うん、それより俺が意識を失ってからの流れを先ずは知りたいかな……というか、その前から、か」
俺と『偽・金眼』の追走劇のその道筋は、『偽』が引っこ抜きブン投げる木やら岩やらのおかげで、長城の上からでも一目瞭然であったらしい。
激しく蛇行する様を長城から観測しながら、先行するギヌ軍団長率いる精鋭部隊に進路を指示。遅れて到着した部隊も次々と送り込み魔物を駆逐しながら支援ルートを構築。最終的には国軍の5分の1近い人員を黒森に投入することになったらしい。2割だよ。僅か一晩の話とは思えないな。おかげで二体の呪竜の死骸を両方とも引き上げることができたと。素材として貴重そうだもんな。
で、俺の話だが、気を失った俺にはあまりの臭さにしばらくは誰も近づくことができず、水魔法使いと『浄化』持ちの到着によりようやく搬送が可能な状態になったらしい。アヴィは言葉を濁していたが、運べるようになったとはいうものの俺の放つ臭気は激烈で、搬送に係わった者のなかには昏倒し入院を余儀なくされたケースすらあるようだ。うん、申し訳ない。
そして、国軍の皆さんの涙ぐましい努力と犠牲の上にイェルヘインの手前の城塞都市であるこのリングリアに到着した悪臭漂う俺の身体は、ここで待機をしていたウィールヴァーサ王妃殿下によって風呂で洗われ、って、いや、待って?
「なんで俺、王妃様に洗われてんの?」
「その……お母様が『わたくしはリオちゃんのママですからっ!』って……その……』
ママだから、ナニ?
「……で、アヴィはなんでそんなに赤面してるの?」
「え?やー、あのー、えとー」
「……『わたくしもリオ君の姉ですからっ!』とか言って参加……」
「なぜそれをっ!?」
したのかよ。
ああ俺よ、なぜ目を覚ませなかったのか。
あんなに眠ることができなくて辛かったのに。
よりによって、アヴィと王妃殿下との混浴タイムを寝たまま過ごしてしまうだなんて。
しどろもどろになりながら、言い訳じみた状況説明を続けるアヴィを見下ろす。ちらりと見える尖った耳の先が真っ赤だ。「じゃあ、お返しに今度は俺が二人を洗ってあげないとな」とか言ってみたい気もするが、普通に打ち首案件だな、と思い自重する。
「あ、あの、お母様も、その、『凄い』って、褒めてたです、よ?」
ナニがだよ。
「それで、その、リオ君の尻尾が」
風呂で見たのか。
尻尾も見られたということは、まあ、だいたいアレもコレも見られたということだな。
「ああ、半分くらいになってた?」
「……はい」
「……そっかあ」
『超順応』由来の回復力でも、欠損しちゃうとダメか。てことは、腕とか脚とかも、そうなんだろうな。
これは肝に銘じておかないとな。
どうせ治ると思って油断しがちだからね。いや、痛いんだからさ、怪我してもいいなんて思ってはいないんだけど。
それにしても……この先、尻尾は短いままか。寂しいな。
「いやでもお姫様がさ、眠っているとはいえ男と風呂に入っちゃダメだろ。よく王妃様が、って王妃様も俺なんかと風呂に入っちゃダメだと思うんだけど……アヴィがそんなコトするのを許したよな?」
「あー、それはー」
おや?アヴィさんの煌めくアメジストの瞳からハイライトが消えてます……が?
「わたくしが王都を離れている間にわたくしに何も一言も別れの言葉も言わないままにまるで逃げるようにこの国をそしてわたくしの元を去ろうとされたリオ・ハドリー様の後押しをしたお母様が今更わたくしを許すだの許さないだの言えるとでも?」
「すみませんでしたーっ!」
バレてたか。そりゃ、怒るよな。
「……いえ、意地悪な言い方をしてしまいました。リオ君が悪い訳ではないので。黙って去られたことは辛いですが「うっ」そもそもわたくしとリオ君の間には何も約束などありませんでしたし特別な関係性などないと言われればそれまでの話でしたし「ぐっ」だけど今は」
「……ん」
「キ、キスとか、し、しちゃいましたから、その、す、少しは、特別な関係性もその、あるのではないかと、その……」
「……うん」
「だから……だから、もう、黙っていなくなったり、しないで……」
「うん。しない。しないよ」
「ま、また泣き、ぶぁーーせん。泣かない、れす。らいじょうぶ。もう、はい、うん。あの……お母様に、聞きました。わたくしの事を……わたくしが何者であるか、です、ね。わたくしの抱える、時間の問題を。したくないですけど、理解もしました。今はまだ、わかるとは言えませんが、考えずに済む問題でもないですよね。ただ、わたくしがまだ精神的に幼いと、情緒が子供のそれであると言われれば、確かにそうなのだろうとは思います。だけどわたくしの気持ちは、心は、むー、なにかなー、うまく伝えられないけど、その」
泣き腫らした目で、だけど真っ直ぐに俺を見つめて。
「リオ君は、きっと、もうすぐこの国から、いなくなっちゃいますよね?」
「……うん」
「えと、あー、ぐぅ……ぐす、ごべんなさい、その、いつか戻って、違う、そうじゃなくて……ふぅ」
アヴィが起き上がり、ふわりと柔らかな紫に光る銀髪が俺の手から離れて行ってしまう。
「冬至祭りの日、一緒に過ごしていただけませんか」
そう言った彼女の姿が、あまりにも可憐でそして儚く見えて、なぜだか変に動揺してしまった俺は声を詰まらせ無様に何度も頷くことしかできなかった。
そうして俺は、水色のドレスの裾をふわりと翻し病室のドアへ向かうアヴィの姿に、ただただ見蕩れているだけで、今日ここに、いや、おそらくは今日までずっとここにいてくれたことへの礼すら言葉に出せなかった。
振り返り、今まで見たことがないような、どこか大人びた微笑みを俺に向け、病室を出て行くアヴィ。その後ろを、俺のベッドの下から這い出したままの四つん這いの姿で追いかける侍女アルヴァ・ソールリーク。
え?




