34 西へ
考えるな。
なにも。
ただ最速で、アヴィに。
「……オーッ……リオーッ!」
間違えるはずもない、エイルリル・トーレアノンの声。
どこから?姿はない。
朝日に輝く王都の姿は、もう、はっきりと見えてはいる。が、遠い。
ああ、これが伝声の魔法か。
『狩人』であるリルの探知範囲は俺の比較にならないくらい広い。
彼女には俺の魔力がすでに捉えられているのだろう。
「リオーッ!軍用大門前だーっ!リオーッ!」
見えた。
そして、すぐに、顔が、目が合う。
悄然とした面持ちの、緑銀の麗人。
足元に無造作に放られているのは国宝『竜殺し』。聖紫龍シグリスの角から作られた『竜特効』の槍。
「頼む。王女殿下を」
頷き、『竜殺し』を握る。
魔力が、ごっそりと引き抜かれる感触。
「よかった。まだ近くにいてくれて」
「ああ、まだヤルソンにいた」
「……全然近くないな」
持ち上げた『竜殺し』を亜空庫にしまう。問題ない。
「長城を行け。左側を空ける。あの衛兵が立つ通用口から上がれる。テルマルクさんっ!」
「はい!」
天に向けたテルマルクの右手から間を置かずに打ち出される三発の火球。高い。そしてデカい。
「戻ったら黙って去ったことの弁明をしてもらうぞっ!ちょ、ちょっと泣いたんだからなっ!」
駆け出した俺の背中にリルの声。
敬礼する衛兵たちの間を抜け、階段を駆け上り歩廊に出るところで再び三連発の火球。
西へ。
ただ最速で、アヴィに。
最初に『金眼』が現れたのは41年前。
その後28年前、17年前ときて直近が3年前だ。
この国の人々は、『金眼』が次に現れるまでには10年程度の間隔は空くものだと思い込んでいた。そう、思いたかった。
俺も、だ。
五、六年経って、今よりずっと強くなって、できれば上級冒険者とかになっていて、そんな俺になってここに戻って来ようと。
城塞都市を渡り歩き、国中を旅しながら、いつか来る『金眼』の出現の時を待とうと。
そんな都合のいい未来を夢想していた。
別に手柄を立ててアヴィとどうこうなんて思っちゃいない。それは諦めた未来だ。
だけど俺はアヴィはもちろん、リルにもミルにも王妃殿下にも泣いて欲しくない。
ギヌ軍団長やエイダン大隊長、ついでに一応マカ・フェリにだって生きていて欲しい。いや、やっぱりフェリはどうでもいい。
何様?どこから目線?ってハナシなのは重々承知だ。
だけど俺なら殺せる。
届く。
狩れる。
……いや、まあ、五、六年あれば、ね?そのくらい強くなれているんじゃないかなぁ、ってね?
見たこともない相手に勝てるだなんて断言できるはずもないのだけれど、それでも『金眼』の呪毒に抵抗できるのは強い。……抵抗、できるよね?そこは『超順応』を信じるしかない。
相手は強靭な皮と鱗に守られ、物理にも魔法にも耐性が高い竜種。
殺し切るには近接攻撃での大ダメージが必要だ。
それができるだけの強さを数年の猶予の間に身につけようと思っていたんだけどね、こんなに早く戦うことになるなんて思わなかったよ。
力の足りないところは『竜殺し』に埋めてもらおう。
テルマルクの火球が合図だったのだろう、長城を行く隊列は整然と右に寄り、俺の走る道を作ってくれている。
リルが用意してくれた道だ。
……いや、どうやって軍にこの話を飲ませたのか謎なんだけど、確かに俺が一人で走るのが最速ではある。長距離ならば『大速』よりも速い。疲れない眠らないだから。一緒に旅をしてきたリルにはそれがわかっている。
彼女は俺が必ず戻って来ると信じて、武器も、道も、全て準備して待っていてくれた。
その信頼に応える。
全力で、走る。
泣き腫らした目をした王妃殿下を馬車に乗せた輜重部隊らしき車列の脇をすり抜け、先導するピンクの熊柄軍旗のカヌーズ・エイダンの隊に追いつく。俺に気づいたカヌーズが何やら部下に合図をし、俺に木箱が渡される。解呪薬だ。木箱を亜空庫にしまい、走り続ける。
やがて見えてきた大きな背中は軍団長であるエイ・ダ・ギヌのものだ。
精鋭部隊なのだろう、『大速』を駆る小隊を率いたギヌに並び、目礼をして抜き去る。
「リオどのーっ!」
振り返るとギヌが軍服の胸から何やら引きちぎり俺に向かい投げつけた。凄まじい速度で。
「痛えっ!!」
ふざけるな。
穴が開くわ。
これは……階級章的な、ナニカ?
「儂が着くまでの全権を委任するっ!殿下をっ、頼んだっ!!」
馬鹿じゃなかろうか。
軍人でもない16歳の小僧に全権委任。
わかるけどね。
これはアヴィに対しての命令権を渡されたということだ。
わざわざ俺に渡したということは、もう、猶予がない、ということだ。
俺はイェルヘインを知らない。
知らなくてもここがゴールであることは明白だ。
火災の跡から立ち上る煙。
崩れた城壁。
青い石が敷き詰められた街路に散らばる瓦礫と人だったものの残骸。
そして、倒れかけた尖塔の隣に蹲る巨大な影。
その漆黒の鱗の表面を霜のように薄らと白く覆うのは氷の結晶か?
ならばアヴィはまだ
「オイオイ、リオなのか?マジで?」
マカ・フェリ。猫獣人のポンコツ百卒長。
「イヤイヤ参ったぜマジで。お前らとの模擬戦から逃げ出して姫さんの護衛に手ェ挙げたらコレだよ。部隊の男連中と順番に娼館に遊びに行くことにしてよぉ、ホラ、オレってイイ上司だから、オレが最後でいいって言って、そんで、さぁオレの番、ってなったらコレだぜ?見たコトないくらいキレイな毛並みの黒猫ちゃんの尻にやっとこさ顔をグベッ」
尻に顔を?いやそうじゃなくて
「必要な情報がゼロだ殺す。少しは役に立つ話をしろマジ殺す。あとアヴィが無事じゃなかったら殺す。……殺す」
「殺意高すぎんだろっ!最後の何!?……ったく、いきなり殴りやがってこの小僧……姫さんは無事だ。そんで今は姫さんの魔法だけでなんとかクソ竜の動きを抑えてる」
「……どういうことだ?」
フェリは歩廊が崩れ落ちた長城の一部を指差して言う。
「最初から話す。『金眼』は未明にあの辺りから城壁を乗り越えて都市に侵入。その時点で城壁上の弩砲の3割が失われた。侵入直後から残りの弩砲と都市守備隊の魔法で市民を避難させるための遅滞戦闘を開始。『金眼』を公共施設地域に誘導、避難経路を確保。黒猫ちゃんの尻を諦めたオレも部隊を率いて救助と避難誘導。大半の市民は無事に都市から脱出できたはずだ」
尻を諦める?それ普通に使う言葉?
「弩砲は半数以上やられちまって守備隊はほぼ全壊だ。オレの隊も途中から戦闘に加わったけどよ、マァ、アレだ。半壊ってトコだな。逝っちまったのは四人、か。人の命を数字で扱うのは嫌いなんだけどな、相手を考えれば少ない方、なんだろうな。ただ、守備隊の方もそうなんだが、呪いを受けちまったやつが多すぎてな。動けない。そういう意味で全壊と半壊なんだよ。オマエのおかげで王都に戻れば薬があるのが救いだな、って持ってきてくれたのか。イヤイヤ助かるな。感謝するぜ」
胸壁に隠れながら俺を先導するフェリの話はやはり重たい。
いつもどこかふざけたようなフェリの顔が、今日ばかりは……いや、まあ、顔は猫だもんなぁ……今日もガッツリ猫だな。
「止めたんだぜ?姫さんを危険にさらすなんて冗談じゃない。お願いだから退避してください、って皆で言ったさ。けどよ、情けないハナシだが結局クソ竜を止められるのは姫さんの魔法だけなんだよな」
猫が振り返る。表情はよくわからない。猫だから。
「ホントに攻撃が効かねえんだよ。弓も弩も魔法も。表面を引っ掻いてるだけだ。3年前に追っ払った時にはギヌ軍団長の投げた槍が上手いこと左目に刺さったらしくてよぉ。たまたまだぜ?ヤツの目なんて見れないだろ?見ないで投げてんのが偶然あの金色の目玉に刺さってくれたんだよ。そんなの真似できねえし。マァ、呪毒の範囲外から槍を投げて届く、ってのがそもそも真似できねえんだけどな」
うん。あの竜人なら、ナニをやれても不思議はないな。
「それがよ、もう、無いんだってよ、そん時の傷」
「……え?ってことは、目を見たのか?呪竜の目を?」
「弩砲を撃つときにな、遠目に見ちまったってよ。結果ソイツも呪いにやられて動けなくなってんだけどな。槍が刺さったハズの目玉がたった3年で元どおりってどういうコトだよ……そんなコトあるか?」
目玉か。俺なら一晩かからないな。飯食ってる間に治ってそう。だからまあ、あるんじゃない?
「あれだけの犠牲を払って追い返しても、たったの3年で傷も無くなって戻って来やがって。どうすりゃいいんだよ」
だからここで殺し切るしかないってことだろ。
黒森から遠い街道寄りの城壁の陰。
フェリの隊や都市守備隊に加えて、衛兵やおそらくは民間の警備隊など様々な制服の者たちの疲れ果てた姿があった。
動けない者、もう動かない者、苦痛に身をよじりながら呻く者にそれを抱きしめる者、埃と血と吐瀉物の臭いの中を彼らを避けながら進む。
時折フェリが木箱から薬を渡していくのが呪毒を受けた者たちだろう。渡そうとして、箱に戻す。フェリの表情が歪む。猫の顔なのにそれとわかるほど、歪む。間に合わなかった者たち。
ムカつく。怒りで吐きそうだ。
必ず、殺し切る。
階段を上り、歩廊に出る。
そこに、埃に塗れたアヴィがいた。
灰かぶり姫。今は赤みを失い紙のように白い頬に残る涙の跡。
孤児院の子供たちと遊ぶために、と俺に見せてくれた簡素なドレスも埃と血に汚れ、その足元には……手足をあらぬ方向へ投げ出しピクリとも動かない血塗れのアルヴァ・ソールリークの姿があった。
アヴィが無事で立っているということは、アルヴァも最低限の仕事はしたということか。
握り締めたアヴィの小さな拳が震える。
「まだっ!飲めますっ!わたくしがっ、わたくしが戦わないとっ、あう」
「姫様っ!」
ふらつくアヴィを猫獣人の女兵士が慌てて支える。俺に似た毛色の……もしかして
「お前の母親とかじゃないからな。俺の妹だ」
ズンッ
揺れる
膝をつきかけたアヴィをフェリ妹が抱き起こす。其処此処から小さな悲鳴と何かが壊れる音。
胸壁の狭間から覗くと、呪竜の背が大きくうねる様が見える。
「早く、飲ませて、アレが、動いちゃう、お願い、お願いらから、飲まへて」
「ダメですっ!飲み過ぎです!これ以上は」
あれ?
「アヴィ、酔っ払ってる?」
「オイオイ魔力回復薬の副作用くらい知って、って、そうか、リオは冒険者だもんな……金貨10枚は下らない特級薬なんて見ることは無いか」
金貨10枚て……前世換算100万超え?
「上級薬までは1本飲んだら半日くらいの間は追加で何本飲んだところで再度回復することはないけどな、特急薬は飲めば飲むだけ回復するんだよ。いや、多少は回復率は落ちていくけどな、理屈の上では10本くらいはいけることになってる」
10本……1000万……。
「ただ副作用がアレだ。酩酊する。それに……場合によっては後遺症が」
「ダメ。ゼッタイ。アヴィ!!」
アヴィの視線が彷徨い、そしてなんとか俺の姿を見つけた。
揺れる眼球。表情が無い。
これは、ダメだろ。
「リオ、くん?なんで……」
「よく頑張ったな」
「あ……う……」
「もう、十分だ」
「え、え?」
「総員撤退だ」
「え?」
アヴィの表情が、驚き、緩み、戸惑い、固くなる。
「駄目、です」
「……」
「たくさん、犠牲が出ました」
「……ああ」
「こんなことは、もう、繰り返してはならない、です」
そんな顔もできるんだな。
「わたくしが最高戦力です。引けません。本隊到着までは、わたくしが、アレを……リオくん、それ、は」
「エイ・ダ・ギヌ軍団長より全権を委任された。繰り返すが、総員撤退、だ」
ギヌから投げつけられた例の階級章的ナニカを見せて告げる。
驚きに目を見開くアヴィが可愛い。汚れてても可愛い。その後ろでフェリ兄妹が宇宙猫。
「リオ、オマエそれホントに……軍団長から?」
「ああ、だから……百卒長はもちろん、王女殿下であっても命令には従ってもらう」
「でもっ!まだ本隊がっ」
詰め寄る王女殿下が、近い。
チューしたい。勇気がない。
「本体は到着しているよ。俺だ」
『竜殺し』を呼び出し、握る。
悲しくなるくらい、光る。
この恥ずかしい槍を平気で振るえるメンタルが欲しい。
なぜ『超順応』が仕事をしないのか。
いや、まあ、恥ずかしくなくなるのも問題ではあるが。
「俺が最高戦力だ」
あ、無理。
カッコつけ過ぎた。
「「ブフォ」」
猫兄妹が噴きやがった。ツラい。
アヴィがウルウルした瞳で見つめてくるのも、逆にツラい。
「ま、まぁ、アレだ、アルヴァの遺体もこんなところに置いていけないだろ。早くスバンのもとに」
「アノ……」
妹猫が恐る恐る、といった感じで上目遣いに話しかけてくる。
なんか可愛いな。兄と違って可愛い猫だな。
「アノ、それ、生きてます、デス」
……
「アノ、寝てる、だけデス」
……
……よく見れば、革鎧の下で薄い胸が微妙に動いてはいる、のか?
スカスカ過ぎて鎧が微動だにしていなかったからわからなかったが……え?
「……すぴー……」
鼻ちょうちん、だと?
……
……
「げ、ぎゃ、プ、ガッ、ぐ、げっ、ピュ、ぐは」
「アノ!やめっ!ストンピングはっ!やめてっ!ホントに死ぬデスッ!」




