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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編

あなたの声に痺れるんです。(続編の続編)~公爵令嬢の護衛は耳元で囁くことをやめない~

 今日も黒を基調とした護衛服を身に纏う。


 短剣や投げ針、薬などを取り付けた革ベルトは、太もも、腕、腰に装着。スムーズに取り出せるよう念入りにチェックは欠かせない。


 俺がセレスティアの護衛の『影』になって三年と数ヵ月が経ち、護衛であると同時に婚約者にもなった。

 八年以上想い続けてきた少女が、姿も見えない自分のことを好きになってくれただなんて、今でも夢のように思う。


 任務に支障が出てしまわないよう、緩む気持ちを抑えながら気を引き締める日々。

 それなのに、セレスティアが二年生に進級して新学期が始まるという前日に、当主様からありえない申し出をされてしまった。


『これから毎朝セレスティアを起こしてくれないか』


 さすがに耳を疑い、『へぁ?』などというおかしな声が漏れてしまった。そして何度も確認をしたが、俺の聞き間違いではなかった。


 信じられない気持ちと、この人頭大丈夫!?

 という言葉は飲み込んだ。影として務める以上、当主様の命令は絶対だ。

 俺は腹を括り、与えられた役目を全うすることにした。


 大概のことはそつなくこなし、何もかもが完璧な公爵令嬢だと思われている彼女は、朝起きるのが苦手である。

 少しだなんてレベルではない。メイドが数人がかりで大声で呼び掛け、体を揺すってもなかなか起きないというレベルである。


 今日も感情を押し込めながらセレスティアの部屋の扉の前までやってきた。

 気を引き締めて、今から朝の務めを果たさねばならない。



 コンコンッ


「お嬢、朝ですよ」


 返事がないのは分かりきっているが、これをしない訳にはいかない。


「入りますからね」


 しばし待った後、再び声を掛けてから中に入る。

 カーテンを全開にすると朝の日差しが差し込んできた。今日もいい天気だ。

 セレスティアのベッドまで日差しが届いていて、普通なら眩しくて起きるはずなのだが、セレスティアは微動だにしない。

 今日も気持ち良さそうに寝ている。


 ベッド脇にはアイマスクがひとつ落ちていて、昨日も被ってから寝たのだろうと伺える。

 俺に寝顔を見られたくないからと装着するようになったようだが、寝ている途中で煩わしくなっていつも外してしまうようだ。


 最初は紙袋を被ってみたようだが、ガサガサと音が気になって眠れなかったと言い、次はタオル、布袋となり、アイマスクになった。


 どれも結局は寝ている途中で外してしまうようだから意味がない。

 朝には全てベッド脇に落ちているので、毎朝セレスティアの寝顔は晒されている。


 透き通った白い肌には金色の長い睫毛の影が落ち、薄紅色の小さな口からはスースーと寝息が聞こえてくる。

 そして────


「っっ……」


 見てはいけないものを見てしまい、すぐに目を逸らした。

 昨日の夜は少し暑くて寝苦しかったからだろうか。無意識に寝巻きのボタンをいくつか外したようで、胸元が無防備に開いていた。


 俺はセレスティアの方を見ないようにしながら片手で肩を揺らす。


「お嬢、朝ですよ。起きてください」


 大きめの声で呼び掛けても、微動だにしない。


「お嬢、遅刻しちゃいますよ」


 もっと大きな声で呼び掛け、かなり強めに揺らしても起きない。いつものことだけど、本当にすごいな。

 数度繰り返してから、時間が押してきたので仕方なく最終手段にでる。やめてと何度も言われているけど、それは無理な話だ。


 俺はセレスティアの耳元にそっと近づく。


「──ティア起きて。朝だよ」


「っっ、ひゃあっ!」


 セレスティアは瞬時に覚醒し、勢いよく飛び起きた。そして俺が囁きかけた右耳を押さえ、顔を真っ赤にしてぷるぷる震えている。


「おはようございます、お嬢」


「……おっ、おはようクレイ。あのね、耳元はやめて欲しいの」


 うつむき加減で涙目でそう言われてもなぁ。仕方のないことだからそろそろ諦めてほしい。


「なかなか起きないお嬢が悪いんですよ。遅刻したくなければ諦めてください」

「むー……」


 そんな可愛く膨れられても困る。

 セレスティアは何か言いたげに俺の顔をじっと見るが、俺はまともに顔を見ることができないので視線を逸らす。


「さぁ、早く着替えないといけませんよ。外で待っていますね」

「……分かったわ」


 少し暗い声の返事を聞き、俺はさっさと部屋から退出した。セレスティアは制服に着替えないといけないからだ。

 扉の外でドアの横にもたれ掛かり、しばし脱力する。


 さすがに今日はもうダメかと思った。

 扉の外で呼吸を整え心が落ち着いた頃、準備を終えたセレスティアが部屋から出てきた。


 背中まである金色の髪はしっかりと櫛でとかされてさらさらに。白地に金の縁取りの制服をきっちりと着こなし、ワインレッドのリボンも少しの歪みもなく綺麗に結ばれている。


 顔を真っ赤にしながら急いで着替えたとは思えないほど、一分の隙もない完璧な令嬢へと変貌した。いつもながら感心する。


「では、朝食に行ってください」


 そう呼び掛けると、セレスティアは気まずそうにうつむいた。


「ねぇクレイ。……見た?」


 何をとは言わないが、何のことなのかはすぐに分かった。


「そうですね。ほんの一瞬だけです、だから大丈夫ですよ」

「……そう」


 一言だけそう言うと、セレスティアは朝食に向かった。



 学園へ向かう馬車の中ではいつもの様子に戻り、たわいもない会話をする。


「ねぇクレイ。今日の放課後は町に行くでしょう。あのね、できれば護衛ではなくて婚約者として一緒にいてほしいの」

「それはつまり、姿を現して一緒に出掛けるということですか?」



「……ダメかしら?」


 セレスティアは膝の上に置いた手をぎゅっと握る。瑠璃色の瞳は不安そうに揺れ、少しうつむいてしまった。今日は朝からうつむかせてばかりだ。


「駄目なわけありませんよ。どこに行きましょうか」


 笑顔と共にそう答えると、セレスティアはパッと前を向いて、顔を綻ばせた。


「あのね、あなたと行ってみたいお店があるの。そこにはね──」


 嬉しそうに声を弾ませ、クラスメートから聞いた町の情報を話しだした。

 そういえば、婚約者になったのに護衛として姿を消してしか外で一緒に過ごしたことがない。

 隙を見せて暗殺者や襲撃者をわざと誘き寄せ、始末するという理由もあるけど。


 贈り物をしたこともないし……俺、最低な婚約者だな。


 いつも一緒にいられることが幸せすぎて、セレスティアが俺に何か望んでいないか聞いたこともなかった。今さらだけど聞くことにする。


「ねぇティア。俺にして欲しいことってある?

 欲しいものとかない?」


 そう問いかけると、セレスティアは目を輝かせ、頬を染めた。


「えっと……あのね。二人きりの時は今みたいに、いつでもティアって呼んで欲しいの」

「え、それだけ?」

「ええ」

「……」



 どうしよう。俺の婚約者が可愛すぎる。

 我慢の限界を迎えた俺は、馬車の中でセレスティアを抱き寄せた。


「分かったよ、ティア」

「~~っっ、だから耳元で言うのはやめてって何度言えば分かるの!」

「あはは、ごめんね」


 腕の中でぷるぷると震えているけど、今のはしょうがないよ。もちろんわざとだけど。


 馬車が学園に到着すると、俺は姿を消してセレスティアの後ろに控える。


 護衛中はしょうがないから『お嬢』と呼んでもいいそうだ。そうじゃないと気を引き締められないと言ったら、渋々了承してくれた。




「ティアおっはよー!」


 教室に入るとすぐ、ミラーシェン侯爵令嬢が赤いポニーテールを揺らしながらやってきて、セレスティアに抱きついた。


「おはよう、イザベラ」


 彼女はセレスティアの親友で、俺が出会った時にはすでにセレスティアと交流があった。

 貴族令嬢とは思えないほどに快活で、突拍子もない行動で教師を困らせている場面も何度か目撃している。

 おっとりとしたセレスティアとは正反対の性格だが、二人はとても仲が良い。


「あ、カレンちゃんおっはよー!」

「おはよう」


 少し後から、ルーチェス男爵令嬢も教室に入った。


「おはようございます」


 彼女は今学期から転入してきた聖女の力を持つ人物だ。

 日が経つにつれて、聖魔力も大きくなってきたようで、近々聖女認定の儀が執り行われ、正式に聖女としての地位に就くそうだ。


 それと同時に、彼女には専属護衛が付けられることになる。小柄な女性が担当する予定だ。

 姿は見えなくても、四六時中男性といるのは気が引けるという要望から、隠密集団で唯一の女性が選ばれた。


 三人はしばらく立ち話をしていたが、授業が始まる前に各自自分の席へと戻った。


「おはようございます」

「……おはようございます」


 セレスティアは隣の席の魔術師団長子息に挨拶をした。

 肩まである銀髪に端正な顔立ちである彼は、ルーチェスさん曰く『攻略対象』らしい。


 彼女の知識の中にある恋愛小説とその派生である乙女ゲームの中では、彼には婚約者がいたそうだが、この世界での彼にはそんな存在はいない。

 理由は分かっている。セレスティアがつい最近までフリーだったからだ。

 セレスティアが当主様から受け取っていた大量の釣書の中に、彼のものもあったそうだから。


 セレスティアは釣書を見た後、当主様の部屋を訪れて、『せめて逞しい人が良いので、騎士団長かライル王子の護衛の後妻になりたいです』と申し出たそうだ。

 つまり、『皆ひょろひょろでタイプじゃないの』と、まとめて済ませられ、婚約の申し込みを断られた内の一人である。さすがに同情する。


「おはようございます」

「おうっ、はよーっす!」


 セレスティアは前の席の騎士団長子息にも挨拶をした。

 焦げ茶色の髪をさっぱりと短く刈り上げた、体格の良い男だ。

 こちらもルーチェスさん曰く『攻略対象』とのこと。そしてこちらにも婚約者はいない。

 俺が思うに、セレスティアに想いを寄せていたからなのではないかと思われる。


 彼は第二王子の親友だから、王子を応援するためにセレスティアへの想いは秘めて過ごし、だけど諦めることもできずに婚約者を作ることもしなかったのだろう。

 彼がセレスティアを見る目には、いつも明らかに熱が込もっていた。間近で見続けてきた俺には分かる。


 つまり、セレスティアは知らなかったとはいえ、自分に想いを寄せていた男の父親の後妻になろうとしていたということだ。なんて残酷な。さすがに同情する。


 騎士団長子息は逞しい身体つきだが、セレスティアの恋愛対象にはならなかったようだ。


『落ち着いた髪色で逞しい身体つきで自分を守ってくれる人』という、セレスティアのタイプに一致する男が間近に存在したのに、好きにならなかったの? と聞いてみたところ、『優しいけれど、声が大きくて早口でがさつな性格がタイプじゃないの』とのことだ。


 同情したと同時に、心底ホッとした。

 俺はセレスティアに好ましいと思ってもらえる話し口調と性格で良かった。


 セレスティアは、たとえ俺の見た目が好みでなくても婚約を受け入れてくれたそうだ。

 好みでない金髪や銀髪だったとしても、醜くても背が自分より低くても。

『逞しい身体つきで自分を守ってくれる』という理想だけは譲れなかったようだが、それは護衛という役目を務めている時点で満たされている。鍛えていないと務まらない役目だから。


 セレスティアに対して気まずそうに接する二人の男を横目に見つつ、優越感でいっぱいになってしまうのは仕方のないことだ。


 始業ベルが鳴り、教師と共に一人の男子生徒が教室に入った。遠い異国からの留学生らしい。


「リュウガ国からキマした、ソウビ・リュウジュとモウシます。ヨロしくおねガイしマス」


 黒髪を後ろで一纏めにした糸目の男が、辿々しくもこの国の言葉で挨拶をする。

 一見気弱そうに見えるが、ただ者ではなさそうだ。この男はルーチェスさんが言っていた人物で間違いない。


 姿は見えないが少し気配を感じるので、近くには彼の護衛もいると思われる。

 俺たち『影』が使う隠形魔法とは違う方法で姿を消しているのだろう。



 昼休みになり、セレスティアとミラーシェンさん、ルーチェスさんの三人は中庭へと向かった。敷物を敷いた上に座り、昼食を取る。

 俺も姿を消しながら、木の実や薬草の入った硬いパンをかじる。


「びっくりしましたぁ……もうすぐだとは思っていましたが、まさか今日だなんて思いもしませんでした……」

「やっぱり、彼がそうなのね」

「カレンちゃんから聞いていた人物がまさか本当に来るなんて思わなかったよー」


 三人はため息を吐く。

 やはり、彼はルーチェスさんが言っていた、『遠い異国の皇子で、攻略対象の一人』で間違いなさそうだ。


 それにしても、皇子に王子、婚約者持ちの令息が攻略対象だなんてすごい物語だ。

 恋愛関係に至るのは相手が婚約を解消してからだと言うが、令息たちの婚約者である『悪役令嬢』たちは全て過激で執念深く、『ヒロイン』の命を狙ってくるような者たちばかりだとか。


 年若い令嬢が嫉妬で人を殺そうとする物語って何だろうな。あまりの人気ぶりでゲームとやらになったほどらしいが、理解できない。


「ゲームの中だと、これから本格的に物語が始まり、私に次々とトラブルが起こるんです。変な人が襲ってきたりして……怖いです……」


 ルーチェスさんは青い顔をして小刻みに震えている。


「大丈夫よ。カレンちゃんにはもうすぐ護衛が付くのだから。それに学園の中ではいつも私達と一緒だから襲われる心配はないわ。もし襲ってきても私が──」


 セレスティアが余計なことを言おうとしているので、とっさに手で口をふさいで止めた。


「──ダメだよ、ティア。それ以上言ったら」

「~~っっ」


 セレスティアは声にならない声をあげた。涙目で真っ赤になっている。

 他の人には聞こえない小声で耳打ちをしたから、つい唇が耳に触れてしまったけど、よくあることだから仕方がない。


「ティアったら、まーたクレイディルさんに何かされたの?」

「ドキドキしますね……!」


 俺の存在を知っている二人は、彼女の急な反応にも慣れているので、微笑ましそうに見ている。


「うぅ……」


 セレスティアは恥ずかしさが限界を超えたようで、膝を抱えて顔をうずめた。





  * * *






 セレスティアが俺と一緒に町に出掛けたいと言っていた放課後になった。

 制服と護衛服姿では目立つので、一度家に戻って着替えてから行く予定だ。


 馬車に乗り込む前に、セレスティアはお手洗いに向かった。女性用のお手洗いにまでは付いていけないので、俺は扉から離れたところで待機する。


 セレスティアは町に行ったらカフェデートとやらをしたいらしい。

 一緒に紅茶を飲んだりケーキを食べるだなんて、毎日家でしていることじゃないの? と言ったら、女子の憧れなんだと力説された。


『あなたと一緒にいつもと違う場所でお茶をしたいの』だなんて頬を染めながら言われてしまい、納得してしまった。

 思い出したらつい口元が緩んでしまう。俺の婚約者は可愛すぎる。


 そして気も緩んでしまったようだ。ほんの少しの異変にも気付けるよう、気を張っていないといけなかったのに。

 セレスティアの気配を感じられなくなり、慌てて扉を開けて中に入る。


 しんと静まりかえった手洗い場には開け放たれた窓と水が出たままの蛇口。そして床に落ちた一枚のハンカチが残されていた。

 そこにはセレスティアの姿はない。


「──っっ」


 急いで窓に駆け寄り外を見渡すと、特別棟の角を曲がる人影が見えた。

 窓から飛び出て急いで追いかける。角を曲がり、特別棟の中へ。今は使われていない教室の中に人の気配を感じ、扉の隙間からそっと中を伺う。


 中には中年の男が二人、セレスティアは眠らされているようで床に横たわっている。

 無事を確認し、少しだけ落ち着きを取り戻した。男たちの目的を探るために慎重にいかないといけない。


 男の一人が下卑た笑みを浮かべ、彼女のスカートに手を忍ばせようとした。


 ふっざけんな!


 怒りのまま扉を勢いよく開けて、左腕のホルダーから小型ナイフを二本取り出す。


 トス トスッ


 躊躇うことなく放ち、二人の額を突き刺した。


 驚きで目を見開いたまま倒れた男たちの持ち物を探り、セレスティアに使ったであろう薬を見つける。

 これなら手持ちの解毒薬を飲ませたらすぐ目を覚ますはず。


 腰に取り付けたケースから解毒薬を取りだしたが、セレスティアは眠っているから自分で飲むことはできない。

 つまりは、飲む手助けをしないといけないという訳で…………今からすることは仕方のないことだ。





  * * *




「……ん」


 セレスティアは腕の中でもぞもぞと動きだし、うっすらと目を開けた。


「お嬢、大丈夫ですか? 痛いところはありませんか?」


 見た感じはどこも怪我はしていなさそうだけど。


「クレイ……?」


 ぼーっとしたまま俺の顔を見て、その後周りを見た。

 薄暗く埃っぽい部屋で近くには二人の男が倒れている。すぐに状況を理解したようだ。


「……あのね、手を洗っていたら後ろに気配を感じたの。気付くのが遅れて口を押さえられて、それから意識が遠のいてしまって……ごめんなさい。一人になった時はもっと気を引き締めないといけなかったのに」


 セレスティアは眉尻を下げてしゅんと項垂れた。


「俺が悪いんです。幅広く気配を察知できるよう気を引き締めて、迅速に対処しなければいけなかったのに。浮かれてしまい気付くのが遅れてしまいました」


 深く頭を下げる。もう本当に護衛失格だ。さすがに専属から外されても仕方がない。


「浮かれて……? どういうこと?」


 セレスティアは首を傾げた。


「話は後にしましょう。事後処理をしないといけませんので」

「……分かったわ」


 近くに男たちが倒れているこんな場所で、これ以上居続けたくはない。

 俺はセレスティアの兄であるロナウド様がいる生徒会室に行き、彼女を託した。

 ここには彼の護衛も第一王子の護衛もいるから安全だ。


 当主様と連絡を取り、特別棟の空き教室に転がしてある男たちを片付ける。

 全て処理し終えた頃にはすっかり夕方になってしまった。生徒会室にセレスティアを迎えに行き、ちょうど仕事を終えたロナウド様も同じ馬車で公爵邸へと帰る。


 到着すると、俺は一人で当主様の部屋へ向かった。


「申し訳ありませんでした。如何なる処罰も受ける覚悟はできています」

「何、すぐに対処して事を収めたんだ。問題はない」

「護衛を外される覚悟はできています。もちろんそれ以上の処罰もです」


 そう伝えると、当主様は頬杖をつきながら目を細めた。


「そう言われてもね。ここにはもう君以上の実力を持った者はいないって知っているだろう。君に対処できないことは誰にも出来ないから。それにね、君を専属から外してしまったらティアが泣いてしまうんだよ。私はあの子が悲しむことはできない。同じく君を処罰するのもあの子が悲しむからダメだ。どちらにせよ王子を処罰なんてしたら私の首が飛んでしまうから無理だ。話は以上、下がっていい」


「……はい。失礼します」


 影にとって当主様の命令は絶対だ。

 俺は退室し、その足でセレスティアの部屋へと向かう。足取りはとてつもなく重い。



 コンコンッ


「お嬢、入っても大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫よ」


 部屋に入ると、部屋着のワンピースに着替えたセレスティアは椅子に座っていた。テーブル横にはすぐにお茶が淹れられる用意がされたワゴンが置かれていた。


「お茶を淹れてもらえるかしら。もちろんあなたの分もよ」

「かしこまりました」


 促されるまま、いつものように紅茶を淹れる。そしてセレスティアの前の席に座った。

 二人で静かに紅茶を飲み、一息ついた。そして、セレスティアは話し出した。


「いつもありがとう。ねぇクレイ、話の続きがしたいの。クレイは『浮かれてしまった』って言っていたわよね。それって、その……私と出掛けるのを楽しみにしてくれていたってことかしら」


「もちろんそうですよ。だけどそのせいでお嬢を危険な目に遭わせてしまいました。頭に血が上って冷静な判断ができず、口を割らす前にあの男たちを始末してしまいました。依頼人の手がかりが残っていたから何とかなりましたが……」


 本当は半殺しにして、依頼人の情報を吐かせ、その後は指示に従って後処理をしないといけなかったのに、それが出来なかった。

 男たちの所持品の中に依頼人とやり取りをした形跡が残っていたから、ティアを拐って当主様を誘きだそうと企んでいた者を突き止めることはできた。

 今回は運が良かっただけだ。


「前にも言いましたが、俺はやっぱり護衛失格です。お嬢の専属から外れるべきだと思うのですが、当主様には却下されてしまいました」


「そんなの当たり前でしょ」


 セレスティアは立ち上がり、机に両手を置いて前のめりになる。その顔には怒りというより悲しみが浮かんでいる。


「あなた以外なんて嫌に決まっているでしょ。それに……」


 何かを言いかけて口ごもった次の瞬間、ポロポロと涙をこぼしだした。


「ちょっ、お嬢……」


 慌てて側に寄り、ポケットから取り出したハンカチで涙を拭う。


「うぅっ……どうして二人きりなのに『お嬢』って言うのよ。ティアって呼んで欲しいって言ったじゃない。クレイのばか!」

「うっ」


 ばかと言われてしまい、頭をガツンと殴られたような衝撃に眩んでしまった。よろりとなりながらも何とか立ち直る。


「しかし、やはり護衛でいる間はきちんと気を引き締められる関係でいた方が良いのではないかと……」


「良くない。せっかく耳元以外でティアって呼んでもらえるようになったのに、そんなのは嫌なの。あなたはいつも私を大切にしてくれるけれど、それは愛情じゃなくて恩を感じているだけなんじゃないかって思ってしまうの。昔、私があなたを助けた恩をずっと持ち続けているだけで、本当は異性として意識してもらえていないのかなって……」


 そう言って、またポロポロと涙をこぼす。


 俺は心臓を握り潰されたような気分だ。まさかずっと想い続けてきた気持ちがちゃんと伝わっていなかっただなんて。

 俺の気持ちは愛情じゃない、異性として意識していない。そんな風に思われていたことがショックで、強い感情を抑えられなくなった。


「そんな訳ないでしょ! 俺がどれだけ我慢していると思ってるのさ。毎朝無防備なティアを襲ってしまわないように、どれだけ必死で耐えていることか……! 君の身がまだ清いのは俺の理性が限界を越えても働き続けているおかげなんだからねっ!」


 勢いのままそう言い放つと、セレスティアはポカンとなった。涙も引っ込んだようだ。

 しまった。つい正直に言い過ぎてしまった。



「……それ本当?」

「本当だよ」

「それじゃ、いつも私に欲情していたの?」

「よくっ……そうだよ」

「襲いたいって思っていたの?」

「……そうだよ」

「ムラムラってなっても我慢していたの?」

「っっそうだよ」


 そうだけどさ、確認をとるのはやめてもらえるかな。



「…………そう。そうなのね……良かった」


 セレスティアは何とも嬉しそうに涙目で微笑んだので、俺はもちろん我慢の限界を超えた。

 プツンと切れてしまったけど、もう仕方ない。


「……ねぇ、ティア。俺の気持ちが信じられなくて不安に思っていたのなら、全て包み隠さずにぶつけてもいいんだよ? でもどうなっても知らないからね」


 強く抱きしめながら、耳元でそっと告げる。腕の中の少女はぷるぷると震えだした。


「~~っっごめんなさい。信じるので許してください……あとね、耳元で囁くのはやめて欲しいの」


 顔を真っ赤にして見上げながら抗議されても、もう聞いてあげない。


「嫌だよ、ティア。ちなみに今日さ、眠っている君に解毒薬を飲ませたんだ。どうやって飲ませたか分かる?」


 本当は黙っているつもりだったけど。もう良いや。


「えっ? 薬?……あの、もしかして、その……」

「もしかして何? ちゃんと言って欲しいな」

「~~っっ、囁かないでぇ」

「嫌だよ」

「うぅぅ……」



 ちょっと意地悪しすぎたようだ。だけど仕方ないと思う。しっかりと愛を伝えるために、俺はこれからもずっと君に囁き続ける。


 やめてと言われても、もう無理だから。





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― 新着の感想 ―
[一言] クレームです。 甘々過ぎて胸焼けしました。どうしてくれますか? (笑) 影って良い響きですよね。格好良い! 面白かったです。
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