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陸の孤島で僕と彼女は、そのうち恋をする

作者: 遥風 かずら


 彼女が先に家を出た直後。


 ついさっきまで髪を乾かし、少し湿った状態で出て来たことに気付く。彼女から香って来たのは柑橘系シャンプーの香り。無意識に僕の鼻腔をくすぐり出す。


「……何か気になることでも?」

「な、何でも無いよ。何か湿ってるな……と」


 シャンプーの香りに誘われたなんて言えない。

 ちょうど時季が梅雨時なので上手く誤魔化せればいいけど。


「分かります! ずっと梅雨続きでしたもんね。でも、その方が静電気を気にしなくていいので助かるんですよ。了くんはどう思いますか?」


 歩き慣れた商店街と、見慣れたいつもの光景。だけど僕の前を歩く彼女の姿は、今でも見慣れない。

 どう見ても彼女は、違う世界に生きている人だからだ。


 彼女が本来いるべき場所は大勢の人がいる場所であり、そこに相応しい人と言えるから。

 すれ違う人もまばらなこの地域で、僕と一緒に歩いているだけでも勿体ない……。


 いわゆる下町にあたるこの町は、都市部に住んでいる者の自虐として"陸の孤島"と呼んでいる。陸の孤島には二つの意味があり、一つは直線距離ではそう遠く無いのに中心部に向けての公共交通機関が遠いこと。


 ベッドタウンと言えば聞こえはいいものの、通学や会社勤めの通勤者にはかなりの時間ロスで大変な場所だ。そしてもう一つはここから郊外に出るルートが極端に少なく、災害等で寸断されるとアクセスが難しい地域であること。


 孤島から通学していることに、()()違和感が無いと認めている。でも居候である溝呂木(こおろぎ)あゆかは、ここじゃあまりに貴重な存在。


「――くん。了くん、私の話を聞いてましたか?」

「もっ、もちろん!」

「本当ですか? じゃあ聞かせてもらいますからね!」


 やばい。何にも聞いて無いし、答えの用意も出来てない。

 溝呂木さんは真っすぐな人で僕のようにひねくれものでも無い人だ。


 誤魔化しなんて出来るはずが――


「人の話を聞いて無いのに適当なことを言うなんて最低ですね! 見損ないました。明日にでも出て行くことを考えます!」なんてことを言い出しそうで怖い。


 溝呂木さんが僕の家に居候をしているのは、防音完備の空き部屋を借りてピアノ配信をしているからだ。彼女は登録者数が数十万人を超す知る人ぞ知る配信者。


 そんな彼女と僕の違いは――

 僕は高校に通う平凡な二年生で、溝呂木さんは二つ上のお姉さん。


 動画をよく見ていた時、僕はたまたま作業用ゲーム音楽を聴いていた。彼女を知るきっかけは、ストリートピアノがオススメに出て来るようになっただけのことだった。


 その後、追っかけファンのようにちょくちょく聴きに行ってただけで、共通点と呼べるものは無いに等しい。


 画面越しから見ていた時から実際に出会うまで、お互いを共有出来るものはそれまで何も無かった。


 それが劇的に変わったのは、間近で聴いてあまりに雰囲気に呑まれ意識を失いかけたこと。それがきっかけで声をかけられて仲良くなれた。


「ちょっと、君、大丈夫?」

「は、はひぃ」


 その時冗談半分で「防音完備の空き部屋があるし、うちで弾いて欲しいな」なんてことを言い出したことで、さらに距離が近くなり今では同居人に。


 配信者とリスナーの関係が、ごく身近に出来た程度の距離に過ぎない。

 

 それが今では買い物に出かけたり、通学途中まで話し相手をしてくれたり……ちょっとだけ勘違いするようになった。


「こ、答えは……あのー」

「答えは?」

「ごめんなさいっっ!! 全然聞いて無かったです。いや、本当に……何というか」


 僕の正直な答えに彼女をぷくっと頬を膨らませる。それはほんの一瞬のことで、「本気で怒ることはしないです」といった口パクをさせながら優しい笑顔を見せてくれた。


「仕方ない子ですね。まぁ、でも、了くんらしいといえばらしいですけどね」

「え? 僕らしい……? どういうのが僕らしいですか?」


 自分のことを客観的に見たことが無い。自分のことなのにだ。

 それなのに彼女の方が僕のことをよく知っていて、僕は自分のことをまだよく分かっていない。

 

「最初の頃のことを覚えてます?」

「あの時は恥ずかしさよりも、ご迷惑をおかけしまして~」

「そうそう、それ。それがいかにも君という素直な男の子ってことなんです」


 ――あぁ、そうか。自分ってそう思われてるんだな。

 ピアノを聴いていて意識を失いかけたら、危ない人認定されてもおかしくない。


 それなのに、隠すことなく正直に打ち明けたものだから今があるけど……。

 多分、それが僕らしいということなんだ。


 こうして商店街に一緒に買い物をしに歩いているだけなのに、緊張がずっと続いている。

 年下の僕に対し、そういう感情にはならないと分かっていても何となく、何か期待する自分が。


「と、登録者数はあれからどのくらい増えてますか?」

「んー……最近はストリート行くよりも部屋ピアノが多いので、登録よりも視聴回数が増えたくらいですね。リクエストされながら弾いてるので、大変だけど楽しいですよ」


 そう、防音完備の部屋に居候している彼女は、ストリートに行くことがめっきり減った。その理由を聞くことは無いけど、もしかして僕に気を遣っているのだろうか……と気になったりする。


「了くん、何か気になってたりします?」

「ストリートピアノに次はいつ行くのかな、なんて」

「ん~、特には考えて無いですよ。了くんは外で聴きたいんでしたっけ?」

「それはまぁ。でも、間近で聴くことが出来ているので、満足してて……そのあゆかさんが近くにいて……嬉しいし」


 やばい、つい本音が。気持ちが分かられたらどうしよう……。


「間近にリスナーが、それも専属リスナーがいて私も嬉しいんですよ。ストリートはストリートで、沢山の人たちがそれぞれ違う感情を持って聴いてくれる。それも嬉しい。ただ、今は部屋ピアノからの音色をリクエストしてくれて、聴いてくれる人がいる。その時を大事にしたい……そんな感じです」


 そうか、僕のように高校に通って帰宅して、たまに外に出るだけの単純な生活パターンなんかじゃなくて、ピアノを弾くあゆかさんに僕とは違う思いがあるんだ。


 そう考えたら簡単に聞いていいものじゃなかったのかも。


「なるほど……でもこの辺りって、あの、何も無いっていうか……その。それが影響して出て行きたくなくなったのかなと心配に」

「あー、"陸の孤島"でしたっけ?」

「そ、そうです」

 

 地元のことをそういうとまさに自虐的だけど、事実、どこかへ出て行こうとしても不便なわけで。


「案外と好きなんですよ。インドア派ですからね、私」

「そうなんですか? え、でも……」

「ストピは見られながら弾くので緊張感あるじゃないですか。良くも悪くもって感じで。なので、そうした喧騒の中から離れることも大事なことなんですよ。不便は不便だけど、その状況の中で芽生えるものもあると思うんですよね」

「……芽生える」

「そうそう。了くんも、芽生えてませんか? 今、この時に!」


 もしかしなくても僕の気持ちが見透かされているような、そんな気がする。

 

「は、はい。その通りで……」

「私もきっかけはごく小さいものだったんですけど、居候させてもらったうえに自由にピアノを弾かせてもらってたりしているうちに、僅かながらに芽生えて来た自覚があるんですよ」

「あゆかさんも芽生えを……?」

「まぁ、今すぐのことじゃないです」

「……そ、ですよね」


 好きという気持ちを共有している……そうかと思っていたら、彼女からしたらそれはまだ芽生えの時。

 彼女はピアニストで、僕はまだ高校生だ。


 お互いの"好き"が一致しない限り、いつまで経ってもリスナーと配信者の関係のまま。でも、それでも。


「私だって、気にならなければ居候をお願いすることはありませんでしたよ? だから、了くん」

「はい」

「そのうち、知らない間に始まるんじゃないかなって思いますよ」

「……そのうち」

「そう、そのうち始まります。きっと」


 気持ちを打ち明けたわけじゃない。

 それでも、僕と彼女との恋は、そのうち始まる――



お読みいただきありがとうございました。

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