埋め雲の兆し
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
そろそろ冬も本格化してきたけれど、みんなは服装の調節とかばっちりかな?
冬は気持ち、天候が変化しやすい時季でもあるからね。十分な用心はしておくに越したことはない。
よし、じゃあ復習の質問だ。どうして天気は西から東へ動いていくのかな?
――オーケー、偏西風が吹いているからだね。
偏西風はどうして吹くんだっけ? ……そうそう、地球の自転と温度差が関係しているんだったね。
我々のいる北半球の上空は、南から北に風が吹いている。そいつが自転によって西へ曲げられていき、西から東への風に変化するというわけだ。しばしば、夕焼けが見られると次の日はいい天気といわれるのも、このためだね。
昔の人は、たとえ原理が分からずとも、経験などからこれらの法則を理解し、生活へ生かしていた。その知恵はいまなお、昔話として形を微妙に変えながら、姿を残しているものも多い。
ちょっと脱線になるけれど、先生の地元に伝わる話、聞いてみないか?
むかしむかし。先生の地元に、木こりの親子が住んでいた。
当時としては、ひとつの仕事で生計を立てられるのは、限られた人のみだった。ゆえに親子も木をこるばかりでなく、猟師をしたり縄をゆって売り物にしたりと、ひとりでいくつもの仕事を掛け持ちしていた。
一説だと、それがあたかもいくつもの「姓」を持った生活をしているようなので、「百姓」の語源となったとか、なんとか。
その親子は山のふもとへ居を構えて、仕事柄、よく天気を気にしていたという話だ。
ある日の昼下がり。
子供が親から言いつけられた仕事を終え、家の前まで戻ってきたときのこと。
ふと空を見ると、昼前までは青一面だった空に、鳥の羽毛を思わせるいくつもの「すじ雲」が走っていた。
現代では「巻雲」と呼ばれることもある、高度10000メートルほどにできる雲。多くの場合、天候にはさほど影響を与えないといわれている。
それがいま、子供の目の前ですじ雲が、西から東へ。どんどんとその身体を伸ばしていくんだ。
誰かが雲の上から「はけ」をあてがい、その毛先でもって、新しく雲を塗り足しているかのよう。子供の目で見てもはっきり分かるほどに、その動きは大きく、そして速かった。
やがて親も帰ってきて、子が雲について話そうとするも、すでに察している様子。
そのうえで、「今日はもう一仕事できたから、ついてこい」とのたまってくる。
背負子を子供にも負わせながら、親は西の空の先を指さす。子供がその先を追うと、まだ陽は高くにあるというのに、地平線にはうっすらと紅色がかかっていたんだ。
しかもそれは、地平線全体を染めながら版図を広げていく、いつも通りの夕焼けとは違う。父の指したほんの一点のみの紅で、そこから傷口よりにじみ出る血のごとき、ゆるやかな広がりを見せつつあったんだ。
家の中にあった薪より、親が選別したいくつかを背負子へ乗せて、二人はいつも入る山へ登っていった。
若年のためか、子供には親よりいくつか、ひとりで立ち入るのを禁じられた区域があったらしい。そこには親の手で配されたと思しきしめ縄があり、子供もよく言いつけを守っていたそうだ。
そのうちの一角。親子の家から見た、山の反対側。特に長く厳重に張られた縄を、親はまず自分がくぐり、子供にもそれを促した。
縄より手前は、むき出しの地面が続く山肌だった。それが縄を越えていくらも歩かないうちに、うずまった石畳がちらほらと顔を見せ始める。
やがてそれらは、あいだなく敷き詰められた床となり、その先には根上がりの下を入り口とする洞窟が口を開けていた。
入り口から恐る恐るのぞいてみる子供だったけれど、外の光はほんのわずか入ったところで途切れ、それより先は文字通りの真っ暗闇だ。
「今回はひとまず、俺の服の裾でも握っていろ。実際には真っすぐ進むだけだが、前後も分からぬと怖いからな」
そう告げる親は、子供が服をつかんだのを確かめると、明かりひとつも用意しないまま、ずんずんと中へ入っていった。
明かりをつけてはならない、とのことだ。これから向かうところと、そこにあるものは、人の作った光を「ことに」嫌うからだ、と父親は話してくれたようだ。
なかば親の歩幅に引きずられる形で歩く子供だが、やがてじわじわと違和感を覚え始める。
まず、この続く暗闇の一本道だ。
上ったり、下ったりという感覚がなく、曲がった様子もない。すでに山肌を突き抜けてしまってもおかしくないほど歩いたのに、一向に光が差してこないんだ。
そして、穴深くといえば陽の光の届かぬ地。湿り気なども手伝って冷えるのが普通だろう。それもいまは冬だというのに、こうして歩を進めていると、穴の奥からどんどんと熱気が吹き付けてくるんだ。
己の前髪が、あおられて逆立つのを感じる。手の届くほどしか先にいないはずの、父の背中さえ見えないいま、確かな現実は自分だけ。その現実の中に、自らの髪があるんだ。まやかしの類とは思えなかった。
垂れ落ちる汗が、もう何度、履いた足袋のうえで跳ねたか、分からなくなるころ。
闇一色の視界へ、ようやく別の色が灯ってきた。
だいだい色の点。爪の先ほどの大きさだったが、引き続き親についていくうちに、それがどんどんでかくなっていくことで、子供の心細さはみるみる薄れていく。
ようやく、その光が足元にまで来たとき、ついのぞこうとした子供は、親に腕で制される。
「それはやめろ」と親が注意するより早く、子供の前髪の一部に火が灯ってしまい、あわてて叩き消すはめになった。
こいつが、先ほどから漂ってきた熱気の正体と悟り、ごくりと子供は生唾をのむ。
親の指示に従い、背負子を下ろした子供は、積んだ薪のうち一本を手に取る。
そうして腰を下ろしたまま、少し距離を取っただいだい色の明かりへ向けて、転がしていく。
じかに投じるような真似はできない。先ほどの髪でさえああなのだから、もし薪を真上へ持ってきたら、たちまち薪が炭と化し、腕さえ焦げ付く恐れがあると、父親は語った。
こうして遠めの位置から、そっと転がしていくことが安全なやり方なのだ、とも。
――もし外れたらどうなるのか?
転がしながら不安に思う子供だったけれど、その心配はすぐに消えた。
親と交互に転がしていく薪たちは、この闇の中だと、漏れ出す明かりによって輪郭しか分からない。ほとんど明かりめがけて転がすも、一本あきらかに明かりを外れる向きで転がっていくものがあった。
それが、明かりの横あたりまでくると、とたんに糸で引っ張られたように穴へと軌道を変え、その裂け目の中へ飛び込んでいくんだ。
すぐに灰となってしまうといわれた薪たちだったが、何本も放っていくうち、しだいしだいに漏れ出ていた明かりを塞いでいく。
二人の薪が切れるときには、ちょうど明かりも完全に埋まってしまい、再び周りは闇へ閉ざされた。熱気もまたウソのように引っ込み、最初に子供が想像していたような冬の冷え込みが、入り口側からどんどんと入り込んで来た。
帰りも、父親の後にくっついて、子供は外へ出る。
まだ外の陽は高かったものの、西の空ににじんでいた紅はすっかり、なりを潜めていたらしい。
翌日。真夏へ戻ったかと思う猛暑が、彼らの住まう地を襲った。
一部では、あまりの熱さに葉が燃え、山火事を起こしてしまったというが、幸いにも人死には一人も出なかったらしいのさ。




