狭き希望へ
悪魔化した合成魔獣の大群に襲われるガルミッシュ帝国の帝都は、まさに地獄と呼ぶべき光景を広げ始める。
それを見下ろしながら微笑むウォーリスは、再びアルトリアに脅迫を迫った。
一方その頃、帝城内の会場に留まる者達は、そこで繰り広げられる凄まじい戦いを目にしている。
帝国皇子ユグナリスと狼獣族エアハルトは互いに魔力と生命力を纏った姿で、悪魔騎士ザルツヘルムと対峙していた。
「――……クッ!!」
「チッ!!」
しかし二対一という構図でザルツヘルムに対峙しながらも、二人の状勢は厳しい様相を見せている。
ザルツヘルムを挟む形で左右から攻撃を加えている二人だが、ユグナリスは炎を纏った剣戟の近接戦しかできず、瘴気に対抗できないエアハルトは雷撃の斬撃を中距離から放っていた。
その為に接近するユグナリスとエアハルトの雷撃は相互に行動を邪魔し合い、互いの長所を活かせず足を引っ張る形となっている。
「邪魔だぞ、小僧ッ!!」
「でも近付かなければ、俺の剣がッ!!」
「――……こりゃ、駄目じゃな」
言い合いながら影から飛び出す下級悪魔に対応する二人を見て、壇上から見る老騎士ログウェルは小さな鼻息を漏らす。
そしてログウェルの視線はザルツヘルムに向かい、改めてその力量を確認した。
身の内に潜む下級悪魔を影から出現させるザルツヘルムは、二人を相手に器用な立ち回りを見せている。
剣術と身体能力が格段に優れているユグナリスに対する戦術として、影から襲撃する下級悪魔を用いた数で圧倒し、瘴気を祓える炎を纏った剣の動きを封じていた。
しかし電撃以外で瘴気を吹き飛ばすしかないエアハルトには容赦無く接近しながら瘴気の剣を突き放ち、影から出現する下級悪魔に攻撃を集中させないように努めている。
手段こそ邪道ながらも、戦術的な立ち回りと技量はザルツヘルムが圧倒していた。
逆に戦術的な意義も連携も無いまま同じ相手を敵にするユグナリスとエアハルトでは、とても仕留めるところまで追い詰められない。
その結果を推測するログウェルは、近くに立つセルジアスに聞こえる声量で話し掛けた。
「このままでは、二人は負けてしまいますかな」
「!」
「互いに能力は優れておるのに、まったく息を合わせる気が無い。……まぁ、二人の性格的にはしょうがないかもしれませんが」
「……ログウェル殿。貴方ならば、あの悪魔騎士に勝てますか?」
「さて、どうでしょうな」
「!?」
「おそらく悪魔騎士の命を完全に絶つには、従わせておる下級悪魔達を全て殺すしかない。……しかしあの様子、恐らく万単位の下級悪魔をあの身に潜ませていると考えるべきでしょう。問題は勝つ事よりも、悪魔騎士を殺しきれるかどうかですな」
「……万を超える悪魔を従えるなんて、そんな事が可能なんですか……!?」
「常人であれば不可能でしょうな。……しかし悪魔達に屈せず従える程の強靭な精神力を持ち合わせておれば、それも可能かもしれません」
「……何か、対抗策は?」
「あの下級悪魔達は、どうやら影を伝いながらしか出現できぬ様子。ならば影を全て消す程の光で会場を覆い、悪魔騎士本人を浄化できれば、倒す目はあるかもしれません」
「……しかし、会場全体を照らせる光となると……」
「日のある時間ならばともかく、今は夜ですからな。影のある場所に逃げ込まれると、とても倒しきれませんのぉ。……それに万が一の為にも、儂は壇上から離れん方が良いと考えます」
ログウェルはそう言いながら、ザルツヘルム達に向けていた視線を横に流す。
その視線を追うセルジアスは、その先に奴隷紋と自爆術式が身体に刻まれている侍女の姿を見た。
セルジアスは侍女を見ながら、ログウェルに問い掛ける。
「ログウェル殿。あの侍女を、どうするおつもりで?」
「その対応を考えるのに、困っておるところです」
「……侍女を殺せば、自爆術式を防げると考えられますか?」
「どうでしょうな。あの手の術式は術者が発動させる方法以外にも、被術者の命が絶えた場合に発動する事が多い。迂闊に殺さぬ方がよろしいでしょう」
「そうですか。……しかし何故、敵は早々に侍女を自爆させないのでしょう? 帝国勢力を殺し、リエスティア姫を手に入れる事が目的ならば、もっと早い段階で自爆させてもよかったはずだ」
「同意見ですのぉ。……逆に言えば、この状況でも我々を殺さない理由があるということかもしれませぬ」
「殺さない理由……?」
「例えば、我々を人質として利用するとか」
「!」
「敵の狙いは、リエスティア姫だけではありません。……アルトリア嬢に対する人質として、我々は今も生かされている。そう考えるべきでしょう」
「アルトリアへの……!?」
「ザルツヘルムの言葉を信じるならば、首謀者のウォーリスはアルトリア嬢と対峙しておるはず。……家族と帝都に居る者達の命を人質として、懐柔策を用いておるのかもしれません」
「……ッ」
この状況ならがも今回の出来事を推察するログウェルは、自分達がアルトリアに対する足枷として今も活かされている事を察する。
それを聞いたセルジアスは苦々しい表情を浮かべ、血の繋がる兄として無力な自分の状況を悔やむ様子を見せた。
そんな二人の会話を傍で聞いていた女勇士パールが、何か考えた後にログウェルに話し掛ける。
「――……おい、爺さん」
「!」
「さっき言っていた転移とか言う神業で、ここに居る全員は逃げられないのか?」
「……儂の場合、ちと転移魔法が苦手でのぉ。一人程度ならば苦も無いが、これだけ多いと老骨に響く」
「だったら、私一人でいい。会場の外に飛ばせ」
「!」
唐突に頼むパールの言葉に、セルジアスやログウェルが驚きを浮かべる。
この状況でそうした言葉を向ける意図を想像するセルジアスは、苦々しい表情を見せながらパールに声を向けた。
「……パール殿。貴方は確かに、今回の事態に巻き込まれた客人だ。申し訳ないと思っています」
「ん?」
「無関係な貴方だけでも、逃がしてあげたいが。転移魔法の優先度は、やはり皇帝陛下達から――……」
「……逃げる気は無いぞ」
「えっ」
向けられている言葉にどのような想像が含まれているか察したパールは、不機嫌な面持ちで否定する。
それを聞いたセルジアスは困惑を浮かべたが、パールは改めて自分の目的を伝えた。
「考えがある。その為にも、ガゼルの屋敷に戻りたい」
「……まさか、アレを……?」
「そこの椅子女には、神業が効かないんだろう? だがアイツだったら、私以外にも一人や二人は乗せられる」
「……しかし、帝城の外がどうなっているか分かりません。危険です」
「私は勇士だ。勇士として、盟約を結んだ盟友を守る」
「!」
「それに、大事な友が今も戦っているはずだ。何も出来ずにここに立っているくらいなら、危険でも助けになりたい」
パールの真剣な表情と言葉を見据えるセルジアスは、その表情に僅かな感慨を浮かべる。
そして僅かに悩む様子を見せた後、小さな溜息を漏らしながらパールに返答を伝えた。
「……分かりました。パール殿、御願いします」
「ああ」
「ログウェル殿。彼女を外に……貴族街の東地区に転移させてください。ガゼル子爵家の別邸があります」
「良いのですかな?」
「はい。リエスティア姫を渡さずに会場から連れ出せるとしたら、もうこの手段しかありません。……彼女と子供さえ脱出できれば、ユグナリスも共で逃げてくれるはずです」
「……御若い二人の決意、承りましょう」
ログウェルは二人の言葉に応じ、転移魔法を実行する為に帯びた長剣で壇上の床に魔法陣を刻み始める。
そしてセルジアスは背広の腰部分に隠していた赤く短い短槍を取り出し、赤槍を伸ばした後にパールへ差し出した。
「パール殿。この槍を使ってください」
「……いいのか? お前の武器だろ」
「今の私がこの槍を持っていても、意味はありません。……それに貴方の身を守る為には、武器が必要だ」
「……分かった。後で返す」
「ええ、御願いします」
セルジアスの差し出す赤槍をパールは受け取り、その握り心地を確認する。
そしてログウェルは一分も経たずに魔法陣を描き終えると、パールに転移方法を伝えた。
「勇士のお嬢さん。魔法陣の上に乗りなされ」
「ああ。――……これでいいか?」
「では、飛ばすぞい。――……ふんっ!!」
「……!!」
魔法陣の上に乗ったパールに対して、ログウェルは抜いていた剣を鞘に戻しながら身を屈める。
そして両手を魔法陣に乗せながら力を込めると、魔法陣が白い光を放ちながらパールの周囲を纏った。
それに気付いた周囲の者達は驚きを浮かべ、光に包まれるパールを見る。
そして次の瞬間に、光に包まれていたパールは壇上から姿を消した。
突如として消えたパールに、壇上の下に居る帝国貴族達は転移魔法だと察しながらも、その意図を掴めずにいる。
ガルミッシュ皇族である皇帝や皇后、そして帝国宰相ならばいざ知らず、全く別の女性を転移させるという状況に、僅かな動揺がそれぞれに浮かんでいた。
そうした動揺を代表するように、ゼーレマン卿が壇上の下から問い掛ける。
「ローゼン公。これはいったい……?」
「この状況を打開する為の、一手を打ちました」
「!」
「成功するかは分かりません。……ログウェル殿。念の為、皇帝陛下や皇后様を帝国外に転移できる準備を。出来れば、皇国に転移できれば最善ですが……」
「やってみましょう」
「ありがとうございます」
セルジアスはそうした説明を行い、動揺を浮かべる帝国貴族達を宥める。
そしてログウェルにそうした頼み事を伝えると、改めて帝城側に通じる破壊された壁の奥に在る通路を見た。
「……音や振動が止まっている。……彼女の方は、無事だろうか……」
セルジアスは眉を顰めながらそうした言葉を呟き、その通路を通って帝城内に向かった女性を思い出す。
それはログウェル以外にも転移が使える、残る全員が脱出する上で稀有な存在だった。
こうして会場内の状況も動き、全員がウォーリスの策略に抗おうとする。
それは彼等にとって一筋の光となる希望でもあったが、同時にその周囲には悪魔の暗闇によって狭くさせられていた。




