秘密に近付く者
自らの手札である【悪魔】ヴェルフェゴールを呼び寄せたウォーリスは、思わぬ提案をセルジアスに持ち掛ける。
それは【結社】に狙われている自分の娘リエスティアを守護する為に、悪魔を傍に付けたいという提案だった。
予想もしない提案が飛び出した事で、セルジアスを始めとした一同は更に深い驚愕を見せる。
そして返答を迫られたセルジアスは、悪魔に一度だけ視線を流してからウォーリスに話し掛けた。
「……つまり、その悪魔をこの屋敷に置く事を認めろと。そう言われるつもりか?」
「ええ、そう提案しています」
「それが許されるとは、本気で思っていますか?」
「難しいとは思いますが。そちらに提示する妥協案としては、真っ当な提案だとは考えていますよ」
「妥協案……?」
「クラウス=イスカル=フォン=ローゼン殿の生存と、正式に婚姻を許していないリエスティアが帝国皇子の子を懐妊したこと。この事実が知れ渡れば、帝国は私やオラクル共和王国に莫大な負債を抱えることになるでしょう」
「!!」
「それ等の不祥事を全て不問にする代わりに、この悪魔をリエスティアの傍に置く事を許可して頂く。……もし許可して頂けない場合は、言うまでもありませんね?」
「……ッ」
「いや、ここは敢えて言わせて頂こう。――……もし許可を頂けなければ、リエスティアとユグナリス殿の婚姻を絶対に許さず、またクラウス殿の生存を大々的に公表する。そして我々オラクル共和王国を謀ったガルミッシュ帝国の行いを絶対に許さず、同盟の約定を破棄し敵対関係へと発展させる。……それを覚悟しておられるのなら、どうぞこの提案を拒否して頂いても構いませんよ」
ウォーリスは悪魔に関する妥協案を提示する中で、セルジアスに帝国そのものを人質にした脅迫を向ける。
その脅迫はセルジアスの表情を強張らせ、ウォーリスを睨みながらも反論の言葉を口にしなかった。
勿論、その脅迫に対抗できる言葉もセルジアスは考えられる。
元ベルグリンド王国で行っていた帝国の内乱を始め、皇子ユグナリスの誘拐未遂、更に悪魔を用いて父クラウスを始めとした兵士複数を暗殺しようとした事実。
この情報だけでも、ウォーリスの脅迫に対して十分な反論を出来るだろう。
しかしそれは、結局のところ水掛け論になるだけ。
その結末が互いの妥協を許せない破局でしかない以上、ウォーリスは自身が述べた内容を実行するだろう事をセルジアスは理解できた。
しかも現在の共和王国は、少し前までのベルグリンド王国とは内情が異なる。
各国から様々な人材と技術を引き込み、その中には各国の【特級】傭兵が混じっている。
更に魔人まで呼び寄せている共和王国の戦力は、ベルグリンド王国時代とは比べ物にならない。
現状の帝国を遥かに上回る戦力が、共和王国には集まっている可能性が高いのだ。
仮に今まで知り得た情報が全て共和王国が流した嘘であり、ウォーリスの脅迫が虚言の可能性も僅かにあるが、それでも七大聖人を退けたウォーリスや悪魔ヴェルフェゴールだけでも敵対すれば厄介になる。
落ち着いている帝国の状況が再び引っ掻き回され、どのような事態に陥るかもセルジアスには想像が出来ない。
様々な可能性を一瞬で思考に駆け巡らせたセルジアスは、表情を強張らせながらも構える状況を解き、ウォーリスに向き合い答えた。
「……その悪魔が、リエスティア姫の傍に身を置く事を許可します」
「賢明な御判断です」
「ただし、期間を設けさせて頂く。リエスティア姫が出産し終えてから一年間まで。こちらも、それ以上の条件を譲ることは出来ません」
「……良いでしょう。こちらも様々な勝手を行った身だ。快く応じさせて頂きます。――……悪魔、理解したな?」
「はい、御主人様。リエスティア様の護衛を務めさせて頂きます。――……皆様も、どうぞ宜しくお願いします」
セルジアスはウォーリスの妥協案を受け入れ、悪魔ヴェルフェゴールをリエスティア姫の護衛として傍に付く事を認める。
しかし今度は互いに握手を交わす事は無く、セルジアスはウォーリスに対する不信感を明確にさせながら向かい合っていた。
それに反してウォーリスは微笑みながら右手で指を鳴らすと、ヴェルフェゴールは契約者の影に再び戻っていく。
その姿が影の中に消えた後、ウォーリスは一同に視線を向けながら口を開いた。
「……これで、皆様が懸念しておられる幾つかの不安は解消されますかな?」
「!」
「悪魔の所在と、悪魔の証明。貴方達はこの悪魔が何者の契約で存在し、現在は何をしているのかを最も気にしておられた。その全てを、今この場で解決されたことでしょう」
「……ッ」
「改めて御約束しますが、この悪魔が皆様に危害を加える事はありません。また何かしらの術を用いて何者にも作用させる事はありません。ただリエスティアの護衛として、あの子に危害が加わると判断した場合には、何者であっても対処する事になるでしょう。その部分を、どうぞ御承知いただきます」
「……ッ」
「突然の訪問ながら、皆さんには長く時間を頂きました。……私は、御借りしている部屋に戻るとしましょう」
ウォーリスは微笑みながら丁寧な礼を述べ、その後に扉側へ歩み出しながら一同に背を向ける。
そして家令が立ち尽くす扉まで赴き、自ら扉を開けようとした。
その最中に一度だけ動きを止めると、ウォーリスは顔を向けずに警戒している一同に伝える。
「そうだ、言い忘れていました。……明日にでも、リエスティアと面会したいのですが。宜しいですかな? セルジアス殿」
「……分かりました」
「ありがとうございます。その時に、この悪魔を傍に付けることになりますので。……それでは」
ウォーリスはそれだけ伝えると、客間の扉を開ける。
そして部屋から出て行こうとする時、セルジアスは家令に視線を向けて付いて行くように無言のまま命じた。
その命令を視線のみで応えた家令は、ウォーリスの後に続いて客間を出て行く。
そして部屋から出て廊下側の扉が開けられる音を聞くと、セルジアスは一筋の汗を額から流しながら口を開いた。
「……まさか、こんな事になるとは……」
後悔にも似たその言葉は、セルジアスが初めて人前で見せた弱音だったかもしれない。
様々な要因があったとはいえ、あのウォーリスを自ら連れて領地の屋敷に戻ったのはセルジアスの判断だった。
それがこのような事態を招いたのではと苦悩し、自分自身の選択を悔いる様子を見せる。
誰もがその弱音に何も言えない中で、たった一人だけセルジアスに向けて微笑みを向けながら言葉を掛ける者が居た。
「……セルジアス、よくやった」
「え……?」
それは口元を微笑ませながら息子に顔を向ける、父クラウスの声。
顔を伏せながら悔いていたセルジアスは父クラウスに顔を向けると、その言葉の答えをクラウスは告げた。
「ウォーリス=フロイス=フォン=ゲルガルド。奴は我々に全てを明かしたように見せて、重要な部分を隠し続けていた」
「重要な部分を、隠す……?」
「奴はわざわざ契約している悪魔を我々の前に晒し、自分が契約主である事を見せつけた。何故だと思う?」
「……いえ。私には……」
「さっき、奴自身が言っただろう? 我々の懸念を取り除く為だと」
「えっ」
「そう、奴はこちらの懸念を取り除いた。悪魔の存在を明かし、その所在を明確にさせた。……だがそれによって、我々が何をしないだろうと向こうは考えたと思う?」
「……!」
「奴は、悪魔の行動を探ろうとしていた俺が共和王国に潜入する話を聞いていたはず。……つまり悪魔の所在と黒幕が知れた今、奴は私が共和王国に潜入するはずが無いと考えた」
「……!!」
「逆を言えば、奴は共和王国を探られたくないのだ。だから悪魔の所在を明らかにし、この場で姿を見せた。……奴にとって探られたくない何かが、今の共和王国には存在する」
「……父上、まさか貴方は……!!」
「セルジアス。やはり俺は、今すぐ共和王国に行く。――……奴が隠している何かを探し当て、持ち帰ってやろう」
クラウスは悪い笑みを見せながら、ウォーリスが回避しようとした真意を推察する。
それを聞いたセルジアスは、改めて父クラウスが制約の無い盤上で輝く存在なのだと理解し、生涯を賭けても越えられない壁になるだろうという思いを抱きながら悔しさを含んだ微笑みを浮かべた。
こうしてウォーリスの妥協案に応じてしまったセルジアスだったが、同時に一つの可能性をクラウスに見出される事になる。
それはウォーリスが踏み入られたくないオラクル共和王国に存在する、ある一つの希望を照らすことに繋がった。




