若き日の対面
十九歳のクラウスは兄ゴルディオスに代わってガルミッシュ帝国を去り、皇族同士の内乱が起き始めるルクソード皇国へ赴く。
そして同行者であるメディアと皇都で別れ、ハルバニカ公爵家と合流するに至った。
そしてハルバニカ公爵家当主ゾルフシスと会い、病に伏せて倒れながらも意識を戻した皇王エラクと面会する。
そこで正式な書状を受け取り、ハルバニカ公爵家の後ろ盾を得て皇王候補者の一人として名を連ねることになった。
ガルミッシュの姓を剥奪されていたクラウスはゾルフシスの息子ダニアスの養子となることで、母方の姓を得る。
こうして『クラウス=イスカル=フォン=ハルバニカ』という身分を持ったクラウスを、ゾルフシスは大々的に皇国内で伝え広めた。
これにより他の皇族候補者達を擁する各皇国貴族達は、巨大な焦りを生じさせる。
皇国最大の派閥を持つハルバニカ公爵家が皇王の後継者争いに参加しないと考えていたからこそ、野心を燃やし皇族達を擁していた各皇国貴族達が権力を得ようと躍起になっていた。
しかしハルバニカ公爵家がクラウスという皇族候補者を立てた事で、情勢が一気に傾いてしまう。
味方側に傾いていた各貴族達はハルバニカ公爵家の方に傾きを戻し、擁立していた後継者を支持する勢いが衰えてしまったのだ。
これに対して各皇族を擁立していた皇国貴族達は、クラウスが懸念していた通りの事を考える。
それは候補者となったクラウスを排除し、ハルバニカ公爵家が擁立できそうな他の皇族達も排除するという、暗殺を用いた手段だった。
ハルバニカ公爵家はその情報を得て、ゾルフシスからクラウスへ注意を呼び掛ける。
それを聞いたクラウスが真っ先に懸念したのは、故郷の帝国に残る兄ゴルディオスとその婚約者として赴いていたクレアの事だった。
『――……暗殺の話が本当なら、帝国に居る兄上やクレアにも暗殺の手が及ぶ可能性があるということですか?』
『その可能性は十分にあり得るだろう』
『そんな事はさせない……! 御爺様。至急、ガルミッシュ帝国の皇帝や皇后に警告を!』
『無論、そのつもりだ。だがいずれにしても、お前が殺されては元も子も無くなる。まずは自分の身を案じなさい』
『……』
『皇族であるお前を候補者として我々が擁したことを伝えた今、情勢は公爵家に大きく傾いている。後は皇王陛下が快復し次第、正式な場で次期皇王として皇太子の立場に置く事を発表させる。そうなれば他の皇族達を擁する各貴族達の勢いは完全に失われ、内乱も起きずに交渉で何とか収まるだろう』
『……そう上手く行くでしょうか?』
『その為に、私達はお前を擁したのだ。……このまま内乱が起きてしまえば、皇国は様々な面で夥しい損害を受ける。その争いが十数年にも及べば、取り返しのつかない状態となるだろう。そうなれば、皇国そのものが瓦解してしまうかもしれん』
『そうでしょうね』
『それをさせない為にも、各貴族達とは矛を交えず交渉だけで事を収める。しかしそれを成功させる背景として、公爵家の武力が必要となるのだ。相手にはこちらが備えている事を敢えて教え、争いでは勝利できぬと思わせ戦意と意欲を失くさせる。それこそが、武力を最も有効に扱える方法だ』
『……確かに、御爺様の言う通りでしょう。……だが候補者を暗殺してまで権力を得たいと考える連中が、その程度で怖気づくと俺は思えない』
『クラウス……』
『……失礼を申しました。少し気を落ち着ける為に、訓練場で汗を流したいのですが?』
『……分かった。護衛を伴っていけ』
『はい』
皇城の宰相室にてそうした話を交えていたゾルフシスとクラウスは、そうして別れる。
宰相室から出たクラウスは護衛となる三名の従者を伴い、皇城に設けられた訓練場へ訪れた。
そこで準備運動がてらに基礎トレーニングを行い、更に四百メートルほどある運動場を数十周ほど走る。
更に疲労を浮かべ全身から汗を流し始めた頃に、練習用の棒槍で槍術の基礎的な動きを行おうとしていた。
その時、訓練場に一人の人物が訪れた事をクラウスや従者達は気付く。
その人物は身形の整えられた十二歳頃の少年であり、皇城内で務めをしている者だとクラウスには理解できた。
その少年は訓練場に足を踏み入れ、クラウスの方へ歩み寄る。
従者達は警戒を向けながらクラウスの近くに集まると、ニ十歩ほど離れた位置で少年は立ち止まり、頭を下げながら一礼を向けて話し掛けた。
『――……貴方が、クラウス=イスカル=フォン=ガルミッシュ様でしょうか?』
『……君は?』
『申し遅れました。私はナルヴァニア=フォン=ルクソード様の従卒を務めております、ザルツヘルムと申します』
『ナルヴァニア……。確か、皇王エラク陛下の妹君?』
『はい。……実はナルヴァニア様から、個人的にクラウス殿下に御会いしたいという願いを伝えるよう申し付けられ、御尋ねさせて頂きました』
『……何故、ナルヴァニア殿が私に御会いしたいのか。理由を聞いても?』
『残念ながら、至極個人的な理由ということしか私も聞き及んでおりません』
『……つまり、私の後ろ盾をしているハルバニカ公爵家を通さず、ただ個人として御会いしたいと。そういう事か?』
『はい』
訪れたザルツヘルムという少年はそう伝え、ナルヴァニアが内密に面会を求めている事を知る。
それを聞いたクラウスは訝し気に思いながらも、ハルバニカ公爵家の神輿でしかない自身の現状を持て余し、その願いを承諾した。
『――……今から会えばいいのか?』
『可能であれば。不都合であれば、また別の日に改めていただいても構いません』
『分かった。ならば、今から会おう』
クラウスがナルヴァニアの申し入れを受諾すると、周囲に居た護衛の従者達が表情を険しくさせる。
そして一人の従者がクラウスへ顔と身体を向け、抑えるように言葉を掛けた。
『クラウス様。ゾルフシス様の意向も無く、勝手な事は……!』
『ナルヴァニア殿の話は、帝国に来ているクレアからよく聞いていた。淑女の見本であり、御優しい方だったとな。是非一度、御会いしてみたい』
『ですから、そのような勝手は御止めください。せめて、閣下の許可を頂いてから……』
『それほど御爺様の意向が気になるのなら、お前達が確認してくればいい。俺はそのまま行くがな。――……それとも、私を抑えつけ束縛し行動を制限するのなら、私は帝国のような気紛れを起さないとも限らんぞ?』
『……!!』
クラウスはそう述べて従者達を脅迫し、引き剥がすように護衛の従者達から離れる。
そして水を浴び汗と共に拭い終えた後、上着を羽織りながら少年ザルツヘルムに歩み寄り、改めてナルヴァニアとの面会を承諾した。
『ナルヴァニア殿の下へ、案内を頼もうか』
『はい。こちらでございます』
二人はそう述べながら話し、身嗜みを整えたクラウスを少年ザルツヘルムは先導しながら歩き始める。
クラウスの護衛を任されている従者達は二人をそのまま行かせるわけにはいかず、仕方なく二人の後を追う形で同行することになった。
そして前を歩く少年ザルツヘルムを気にしながら、クラウスの横を歩く従者が問い掛ける。
『――……クラウス様、何故あのような申し入れを受けたのです?』
『さっきも言っただろう。淑女の見本と呼ばれる程の方だ。一度は会ってみて損は無い』
『罠である可能性を御考えにならないのですか?』
『本当に罠なら、このような人前で堂々と誘うまい。それに、根拠も無く憶測のみで淑女の誘いを断るのは、紳士として失礼に値する』
『……この事は、後ほど閣下にも御伝えしますよ』
『構わないぞ。このような些事で俺への束縛を強めるのなら、御爺様の器量も底が知れるだけのことだ』
『……!!』
クラウスは自身を擁する立場に居るハルバニカ公爵家やゾルフシスを恐れぬ様子を見せ、逆にその器量を推し量る言葉を向ける。
その無礼にも思える言葉に思わず口を閉ざすしかなかった従者は、表情を渋らせ一歩分だけ下がりながらクラウスの後を付いて来た。
そうした中で、皇城内の庭園へ続く道に少年ザルツヘルムはクラウス達を導く。
時期は夏の終わり頃である為か、庭園には涼しい風が穏やかに吹いている。
それに則した花々が植え飾られる庭園はそうした匂いが流れる風と共にクラウスの花を霞め、不思議と気持ちを落ち着けた。
その庭園を歩いていると、様々な色合いの雛菊が咲いた一画へとクラウス達は訪れる。
そして薄紅色の雛菊が咲いている近くに設けられた東屋に座る一人の人物をクラウスは目にした。
日の光で僅かに白く栄えて輝く黒い髪を後ろに結い束ね、身に纏う服も黒に彩られた衣装を身に纏う妙齢の女性。
その女性は東屋に設けられた椅子に座り、周囲に咲く薄紅色の雛菊を青い瞳で見つめていた。
その姿は美しくも近寄り難い雰囲気があり、クラウスは僅かに目を見開く。
そして先導する少年ザルツヘルムはその女性に歩み寄り、跪きながら伝えた。
『――……ナルヴァニア様。クラウス殿下を御連れしました』
『……そうですか。ありがとう、ザルツヘルム』
ナルヴァニアと呼ばれた女性はザルツヘルムを労い感謝を伝えると、その青い瞳をクラウスに向ける。
そして口元を微笑ませながらも何処か寂しそうにも見える表情を見せ、先にクラウスから自己紹介を行った。
『クラウス=イスカル=フォン=ハルバニカです。……貴方が私を御呼びになった、ナルヴァニア殿ですか?』
『ええ。そういえば、こうして御話するのは初めてでしたね。……私が、ナルヴァニア=フォン=ルクソードです』
椅子から腰を上げたナルヴァニアは、優美な動作で挨拶を行う。
その動作は一つ一つが魅せるに足る礼儀が備えらえ、まさに淑女の見本と呼ばれるに相応しい事をクラウスに悟らせた。
こうしてルクソード皇国で起きる内乱が生じようとする中、若い日のクラウスとナルヴァニアは対面する。
それは同時に、現在に繋がる一筋の道を築く出会いでもあった。




