盤上外の情報
同盟都市建設の責任者として赴いていた帝国宰相セルジアスと共和国大臣アルフレッドと称するウォーリスは、互いの内側を見定めるように盤上遊戯に向かい合う。
互いに一手一手を進めながら駒を動かし、陣形を整える。
その時点で互いに盤上遊戯について深く熟知している事を理解し合うと、息を合わせるかのように布陣を終えた。
セルジアスは守備を重点に置いた防御型の布陣を敷き、ウォーリスは各駒を全面に押し上げた攻撃型の布陣を敷いている。
真逆の意味を持つ布陣で改めて視線を衝突させると、ウォーリスは微笑みながら告げた。
『――……では。お手並みを拝見させて頂きますよ』
『いつでも』
ウォーリスはそう述べて右側に布陣している黒歩兵を進め、セルジアスの敷いた布陣を突き崩しに掛かる。
それを受け立つセルジアスは対応し、互いに五秒にも満たない思考時間で駒を動かした。
その攻防は一進一退を続け、ウォーリスの攻めをセルジアス上手く回避しながら防御し続ける。
一方で更に明らかな隙を作るウォーリス側の布陣を見たセルジアスは、僅かに眉を顰めた。
しかしウォーリスは逆に微笑み、挑発的な言葉を向ける。
『――……攻めるなら、今が機会ですよ?』
『……確かに、そうでしょうね。……ただ、その挑発には乗りたくありませんね』
隙を作り敢えて攻めさせようと挑発するウォーリスの思惑を嫌い、セルジアスは攻め込まずに自陣の白駒を動かし手を回す。
それを確認したウォーリスは微笑んでいた口を戻し、冷静な面持ちを見せながら呟いた。
『……与えられた勝機は、要りませんか?』
『そうですね。機会とは、自分自身で生み出すモノだと考えていますので』
『なるほど。……セルジアス殿。私は貴方に対する評価を、少し改めなければいけないようだ』
『……どういう意味か、御聞きしても?』
『貴方はもっと冷酷で、どのような手段を用いても勝利を手にする御方だと、勝手ながら想像していました』
『なるほど。……それで、改めるというのは?』
『……貴方も、クラウス殿と同じく甘いようだ』
『!』
セルジアスはその言葉を聞き目を見開いた瞬間、ウォーリスは黒女王を大きく動かし白駒の布陣に踏み込む。
それに対応するセルジアスは黒女王を逃がさない為に、白騎士を囮にしながら逃げ道を塞いだ。
更に大駒となる黒戦車や黒僧侶を動かし白駒の布陣に踏み込んだウォーリスと、新たな攻めに対応するセルジアスの攻防が幾度も続く。
それが数分程の時間で四十手以上が進んだ後、黒女王を始めとした大きな機動力を持つ大駒を奪う事にセルジアスは成功する。
しかし大きく白駒の陣形は乱され、白王の守りを担っていた駒達も多くが削り取られていた。
ウォーリス側には既に黒歩兵と黒騎士の二齣だけが残るのみであり、守りの居ない裸の黒王が盤上に佇むのみ。
対してセルジアスはその倍の数の白歩兵を残し、大駒となる白女王と白戦車と白僧侶を一体ずつ残している。
黒駒の攻勢を耐えたセルジアスは一息を漏らした後、改めて盤上から視線を逸らしウォーリスを見ながら話し掛けた。
『――……これで、終わりでしょうか?』
『……そうですね。この状況から逆転は、些か難しい』
『負けを認めますか?』
『ええ。――……見事です、セルジアス殿。噂通りの腕前でした』
『貴方もです。今まで戦ったどの相手よりも、強かったですよ』
凡そ三十分に渡る盤上遊戯は終わり、白駒を握ったセルジアスが勝利を掴む。
セルジアスの言う通り、ウォーリスの腕前は一流を称しても過言では無い腕前を持っている。
盤上遊戯では妹アルトリアにすら苦戦を経験した事が無いセルジアスだったが、数多の手段で守備を固めた布陣を削り剥がされた事に驚きを抱いていた。
そうして互いに一息を漏らした後、ウォーリスは微笑みながら呟く。
『――……こうして盤上遊戯で私を敗北させたのは、貴方で三人目だ』
『三人目……? と言うと、貴方に盤上遊戯で勝った相手は他にもいらっしゃるのですか?』
『ええ。一人は、私の父親です』
『!』
『私の家系は、代々に渡り盤上遊戯で競い遊ぶ習慣がありました。私は父親から盤上遊戯を学び、子供の頃に唯一の遊びとしていた。その時にはまだ未熟な腕だったので、負けていましたね』
『……』
セルジアスはそれを聞き、ウォーリスの述べる父親がゲルガルド伯爵家に生まれたナルヴァニアの息子だと悟る。
自身をアルフレッドと称している為に、それを知るセルジアスに対して敢えてそうした言い方でウォーリスが伝えている事を察した。
それを察しながら、セルジアスは続けて問い掛ける。
『では、二人目は?』
『妹です』
『!』
『妹は幼く歳は少し離れていましたが、盤上遊戯の強さは私の比では無かった。まるで未来でも視えているかのように、盤上で私や父を圧倒していましたよ』
『……まさか』
ウォーリスの言葉から妹の話が出た時、それがリエスティアの事だとセルジアスは瞬時に悟る。
しかし今現在のリエスティアは聡明さはあれど、ウォーリスが伝える程の深い思慮や面持ちが無い事を認識しておらず意外性を感じていた。
それを見抜くかのように、ウォーリスは微笑みながら話を続ける。
『意外ですか?』
『……ええ。少し』
『でしょうね。……今と昔の妹では、そうした部分がかなり異なりますから』
『……!』
『妹は身体が弱い反面、それ以外の事に関しては特質した才能と能力を持っていました。……もし身体も丈夫であれば、私の家を継ぐに足る資格を持つのは妹だったでしょう』
『……女性の当主ですか。確かに実力主義の帝国ならば、女性でもそうした立場になる事は可能でしょう』
『ええ。……もし妹が資格さえ有していれば。家のみならず、別の地位にもなれたかもしれない。私達の父親は、そう考えていました』
『……!!』
その言葉を聞き思わず目を見開き驚きを浮かべたセルジアスに対して、ウォーリスは微笑みを向けながら椅子から腰を上げる。
そして再びその口を開き、驚くべき言葉を向けた。
『セルジアス殿。貴方はとても優秀な御方だ。……だがクラウス殿と同じ甘さを持つ限り、それが災いとなって返って来ることでしょう』
『……貴方は父を……クラウス=イスカル=フォン=ローゼンと面識が?』
『いいえ。ただ、祖母が随分と御世話になったと聞いています』
『!?』
『祖母はクラウス殿に感謝しておりました。……では、これにて失礼を。また明日からよろしくお願いします』
ウォーリスはそう述べた後、帝国側の仮設拠点から離れる。
それを聞いたセルジアスは驚きを浮かべたまま席を立たず、ただ膝に置いていた両拳を握り締めて動揺する心を落ち着けるのに精一杯だった。
こうして両国の兄達は、盤上遊戯を通じて互いの内面に触れ合う。
その内容は盤上遊戯に限ったモノではなく、ウォーリスという人物に対する不穏さを改めてセルジアスに実感させる経験となった。




