夢の後
ガルミッシュ帝国のローゼン公爵領にて、ある事件が起こる。
それはローゼン公爵領の中心都市が襲撃を受け、更に数百体にも及ぶ魔導人形に包囲されるという状況。
それ等は転移らしき魔法を使い、都市の内外に出現する事態だった。
更にその襲撃により、帝国の重要人物である皇后クレアと皇子ユグナリス、隣国から皇子の婚約者候補として赴いているオラクル共和王国のリエスティア姫が滞在する別邸が襲撃される。
護衛をしていた騎士や従者達の多くは無力化させられ、別邸は大きく破損し、今回の事件で最も多くの被害を受けていた。
しかし事件自体は一時間にも満たない内に終息し、負傷者はいながらも死者は免れた状態で終わる。
外部に出現した魔導人形達は特に攻撃も無いまま包囲するだけに留まり、再び転移らしき魔法で一体残らず消え失せた。
内部に出現した魔導人形達もまた、別邸以外にはほとんど被害を出さないまま、一体も破壊されずに全て消え失せている。
実質的な被害があったのは、皇后クレアを始めとした重要人物達が滞在していた別邸だけ。
事件が起こった翌日の朝も、ローゼン公爵領地は最大の警戒態勢を整えたまま、司令部に各報告が届けられていた。
「――……結界の復旧は、どうなっている?」
「難航している状態ですが、明日までには直る見込みです」
「そんなに掛かるのか?」
「どうやら結界を破ったように見えたあの攻撃は、結界を発生させていた魔導器を破壊する為の攻撃だったようです」
「それは、どういうことなのだ?」
「魔導技師や魔法師達の話では、結界そのものに攻撃したのではなく、結界を形成していた魔力に膨大な電撃を送り込み、魔導器そのものを破壊したそうです。都市に設置し稼働させていた結界用の魔導器は、全て焼け焦げるように破壊されていました」
「……結界を破ったのではなく、魔導器を壊されたことで結界が解けたのか」
「はい」
司令部に詰めていた都市防衛を担う指揮官を含めた幹部達は、報告する兵士から結界の状況を説明される。
魔力で形成された硬く強力な都市の結界を破るのは、例えどのような兵器を用いても不可能。
仮に可能だとしても、都市の結界を破れる程の威力を持つ攻撃手段を個人や少数だけで行えるはずがない。
しかしその結界が破られた様子を確認し、都市を防衛する兵士達が襲撃者の規模を予想できない程に多いと判断した。
更にその予想を信じ込ませるように、外部と内部に魔導人形達が数百体も送り込まれる。
その時、兵士達は誰もが思っただろう。
都市の守りを固めて、民間人を避難させながら防衛し耐え忍ぶしかないと。
その防衛本能とも言うべき兵士達の心情を突くように、司令部は結界の修復を優先するように指示を飛ばし、更に民間人の避難を徹底させる為に都市部に多くの兵力を配置させるしかなかった。
しかし守りを固める兵士達に対して、外壁の周りに出現した魔導人形達は次々と現れながらも攻め込んで来る様子が無い。
結果として最後まで攻め込まなかった魔導人形達に対して、防衛の為に多くの戦力を幽閉状態にしてしまった事を司令部では悔やむ様子が見えた。
そして次に報告を届けた兵士が、幹部の指揮官達に別の状況を伝える。
「報告します。皇后様達が滞在していた別邸ですが、出入り口などが大きく破壊されている状態の為、皇后様を始めとした方々には本邸へ御案内しました。また第二・第三師団を本邸周りの護衛に付け、本邸周りに簡易ながら結界を張る為に魔導器の準備を行わせています」
「皇后様達に、御怪我は無いのだな?」
「ユグナリス殿下が侵入した襲撃者と立ち合い負傷されていたそうですが、自身で治癒魔法を施したようです。ただ、アルトリア様もまたその襲撃者と交戦状態となった後、意識を失われ続けていると……」
「むぅ……」
「どうなさいますか?」
「……これはもう、我々だけの判断では治められないだろう。――……帝都の皇帝陛下に詳しい状況を伝え、セルジアス様……ローゼン公爵閣下に急ぎ戻って頂かなければ……」
指揮官は事態の深刻さを考え、当主であるローゼン公爵家当主であるセルジアスを呼び戻す事を決める。
幸いにも皇后や隣国の姫君に怪我は無いが、皇位継承権を持つ皇子と皇女が襲われた以上、既に事態は帝国にとって余談を許さぬ大事件となっていた。
指揮官はすぐに当主セルジアスを呼び戻させる連絡を行い、更に帝都にも今回の襲撃事件に関する詳細と被害状況を伝える。
必然としてそれは帝国皇帝ゴルディオスの耳にも情報が入る事になり、帝国ではこの事件によって暗雲を立ち込めかねない状況が生まれつつあった。
一方その頃、皇后クレアを始めとした重要人物達は、報告通り本邸へと避難を終えている。
更に本邸の周囲には合計で千名を超える兵士達が守護し、皇后クレア達を襲撃者の手から守るべく最大限の警戒がされ続けていた。
本邸も多くの魔導人形達に囲まれた状況だったが、別邸と違い襲われてはいない。
それ故に被害も無く、家令や従者達に負傷者も無い状態で留まれたことで、全員が平常を装いながらいつも通りの働きを行っていた。
しかし本邸内の状況もまた、それぞれが暗い顔を見せながら不安と焦燥を見せている。
その原因の一つが、襲撃後から意識を失った状態で発見されたアルトリアにあった。
「――……まだ、アルトリアさんは御目覚めに……?」
「はい」
「そうですか……」
複数の騎士を連れてアルトリアの部屋に訪れたのは、心配そうな表情を浮かべた皇后クレア。
それを迎えたのは老執事バリスであり、今もアルトリアが寝台の中で目覚めない事を伝えた。
そしてクレアは目を伏せながら唇を噛み締め、懺悔を述べるように呟く。
「……あの時、私がアルトリアさんを止めていれば……」
「あまり、お気になさいませんように。アルトリア様の脈拍は正常ですし、瞳孔も動いています。すぐに御目覚めになるでしょう」
「そうだと、良いのだけれど……」
「それより、リエスティア姫はどうしていらっしゃいますかな?」
「……今は落ち着いています。ユグナリスも、あの子の傍で宥めていますから」
「そうですか」
バリスは微笑みながら話すと、クレアも微笑しながら微笑み返す。
そして少し顔を伏せた後、改めてバリスにとある事を話し始めた。
「……バリス様。一つ、御願いがあるのですが……」
「なんでしょうか?」
「……今回の襲撃をどのように御考えになっているか、貴方の意見を御聞きしたいのです」
「……」
「今回の襲撃は、とても高性能な魔導人形が数百体も用いられていたと聞きます。多くの者は、魔導人形を用いるホルツヴァーグ魔導国が今回の襲撃を目論んだと考えるでしょう」
「……皇后様は、そうは御考えになっていないのですね?」
「はい。……私達の前に現れた襲撃者は、どうやらあの子を……リエスティアさんを狙っていた様子でした。しかも、あの子にとって明かされていない皇族名も知っていた」
「……つまり?」
「……私は今回の襲撃が、何かしらあの子に……いいえ。あの兄妹に何か関係しているのではないかと、そう思うのです」
クレアは自身の知る状況を鑑みて、今回の襲撃にウォーリスとリエスティアに関する出来事が関わっているのではないかと察する。
それを聞いたバリスは少し悩む様子を見せながら、自身の考えを伝えた。
「……私は今回の襲撃に、確かに単純ならざる思惑があるとは思います。……しかし、幾つか不審な点がある」
「不審な点?」
「今回の襲撃は、こちらの人員を殺める事を目的にしていなかった。しかし襲撃者はリエスティア様の前に姿を現し、気を失っているアルトリア様を攫いもせずに見過ごしている。……まるで、その二人の様子見をしたかったかのように」
「様子見……。リエスティアさんと、アルトリアさんを?」
「はい。……皇后様。リエスティア様の前に襲撃者が現れた際、何か奇妙な事や行動をしませんでしたか?」
「奇妙……。……そういえば、一つだけ奇妙な事が……」
「それは?」
「おそらく襲撃者は、リエスティアさんや近くに居る私達に向けて何か魔法を使おうとしたように見えました」
「ほぉ、魔法を?」
「はい。ただ、それから数秒程しても何も起こらず。その後に、襲撃者はこう呟いたのです。『――……クロエオベール。貴方、まさか』と……」
「!」
「私には、それ以上の事は分かりませんが。……ただ少なくとも、襲撃者が彼女を知っていたのは、間違いありません」
クレアはその時の状況を話し、襲撃者が思わず呟いた一言を教える。
それを聞いたバリスは僅かに思案し、首を横へ僅かに揺らして切り替えるように話し伝えた。
「……今は、深く考えないようにしましょう。それに、皇后様も御休みになられた方がよろしいかと思われます」
「しかし……」
「貴方が疲労で御倒れになれば、更に帝国の一大事が増えてしまいます。そうなれば、周囲の動揺も大きくなってしまうでしょう」
「……分かりました。お気遣い、ありがとうございます」
クレアはそう言いながら軽く頭を下げ、自身も休む為に与えられた部屋に向かう。
騎士達はそれに追従し、バリスを除いた全員がアルトリアの部屋から離れた。
バリスは扉を開いて部屋の中に赴き、寝台で眠るアルトリアを守りながら身の回りの世話をする。
そして夕刻を迎える時間になった頃、ようやくアルトリアが青い瞳を薄く開けて目を覚ました。




