失われない能力
記憶を失いながらも目覚めた少女は、記憶を失う前の仲間が残した手紙を受け取る。
そこに書かれた内容は簡素な一文だけであり、少女は意味が分からず不可解な表情を浮かべていた。
しかしその青い瞳からは、一筋の涙が流れ出る。
それに気付いたのは少女本人ではなく、手紙を渡したダニアスだった。
「――……大丈夫ですか?」
「え?」
「いえ、泣いておられるようなので……」
「え……? ……あっ、本当だ……」
ダニアスに指摘され、少女は初めて自分が涙を流している事に気付く。
自身でも泣いている理由が分からず、身に付けた服の袖で涙を拭いながら手紙を封筒に戻した。
そして手紙を返すように手を動かすと、それを拒否するようにダニアスは首を横に振る。
「それは、貴方に御渡しします」
「私に?」
「はい」
「……分かったわ。……それで、私はそのアルトリアって人間で、なんとか帝国とやらの出身なのよね?」
「はい。ただ貴方の御父君は、ハルバニカ公爵家の血を持つ方です。ハルバニカ公爵家の一員である私と貴方は、親戚関係にあります」
「そうなの?」
「はい。なので、貴方を保護する私達に気遣う必要はありません。ここを御自分の家と思い、自由に使って頂けて構いませんよ」
「そう、なの……。……ここ、かなり大きい家ね」
「はい。ハルバニカ公爵家で管理している、別荘地です」
「別荘……。……もしかして、貴族か何かなの?」
「そうですね。ハルバニカ公爵家は、ルクソード皇国の中では屈指の貴族家と言えるでしょうか」
「そう……。……じゃあ、面倒を掛けてもある程度は賄ってもらえるってわけね?」
「はい。そもそも親類だからというだけでなく、貴方はこの皇国を救った英雄の一人です。不当な要求を行うつもりはありません」
「英雄……? 何かしたの?」
「ある事件で、皇国民の多くが被害を受けました。それを救済したのが、貴方と貴方の仲間達です」
「!」
「故に我々にとって、貴方は救国の英雄に等しい。その貴方を保護する事に関して、ハルバニカ公爵家は全面的に支援させていただく所存です」
椅子に腰掛けながら頭を下げるダニアスは、アルトリアに対して真情を伝える。
それが自身の事であると上手く飲み込めない中で、アルトリアは考える表情を浮かべながら呟いた。
「……それで。英雄なんて呼ばれてる私を、これからどうするの?」
「いえ。我々からは、貴方に対して何かを要求する事はありません」
「えっ」
「皇国は今、第二十二代皇王に就任したシルエスカが取り仕切っています。その皇王シルエスカ陛下の御言葉として、貴方に関して皇国側は何かしらの制約を施すつもりが無い事を御伝えします」
「……何も、しなくていいの?」
「はい。記憶を失い様々に不自由を抱いているであろう貴方に、何かを強要するつもりはありません。これは皇王陛下が伝えた言葉に含まれる、同じ理由です」
「……じゃあ、私はどうすれば……」
「もし不都合でなければ。貴方の仲間が戻って来るまで、この別荘地で御過ごしになられても大丈夫です。貴方の仲間達も、それを望んでいました」
「……その仲間っていうのは、どのくらいで戻って来るの?」
「彼等の話では、凡そ三年間から四年間ほど掛かるかもしれません」
「そんなに……?」
「彼等が取り組んでいる問題は、それほどの時間を要する程に困難なのです」
「何なのよ、その問題って……」
語られるだけで不在の仲間に対する不信感を持つアルトリアは、不可解な表情を見せながら尋ねる。
それを受け、少し考えた様子を見せながらダニアスは事実を伝えた。
「貴方達は皇国を救ってくれました。しかしその情報が他国にも伝わり、貴方達の戦力と能力を知った者達が、貴方を狙っている」
「!」
「貴方を奪おうとする者達や、危険と判断して殺めようとする者達。様々な勢力が陰謀を巡らせ、旅をする貴方達を追跡していました。一時期は賞金にも懸けられていましたが、今は皇国側で撤回をさせています」
「……じゃあ私が記憶を失ったのも、そいつ等のせいなの?」
「いえ、それとは無関係の現象に巻き込まれたそうです。しかしそれ等の追跡を逃れる為の順路で進んでいたという話でしたので、その追跡者達のせいとも言えるかもしれません」
「……そう」
「貴方の仲間達はそうした者達の目論見に対処する為に、それぞれが別れて皇国から旅立ちました。……なので、彼等が戻ると言った三年から四年という時間も、定かに決まった時間ではありません」
「……」
「このまま彼等が戻るのを待つか。それとも、それ以外の選択肢を持つか。それは、貴方自身の選択となるでしょう。……私達は強要は致しません。その部分はどうか、御安心ください」
ダニアスはそう話しながら微笑み、アルトリアの今後に関する事を話す。
記憶を失い、更に自分を付け狙う者達が存在する事も教えられ、そうした中で仲間と呼ばれる者達が不在であると知ったアルトリアは、不安にも似た微妙な面持ちを抱いていた。
そうした中で、ダニアスは思い出すようにある事も伝える。
「……そういえば、これも御伝えした方が宜しいのかもしれませんね」
「まだ何かあるの……?」
「実は、貴方の故郷であるガルミッシュ帝国から迎えの使者が訪れています」
「迎え……?」
「帝国皇子であるユグナリス殿下と、ログウェルという老騎士の二人です。彼等は帝国皇帝の依頼により、貴方をガルミッシュ帝国まで戻す為に訪れています」
「……そいつ等も、私を狙ってる勢力の一つってワケね」
「はい。ただ彼等の理由は、貴方というよりも貴方の能力でしょうか」
「能力……?」
「ある人物の傷を癒して欲しいとのことです。ユグナリス殿下の、婚約者候補の女性だそうですが」
「……なるほどね」
「今の貴方は目覚めたばかりで、記憶を失っておられる。以前の貴方のように、回復魔法を使えるはずがないと諦めさせようとしているのですが、諦める様子が無く――……」
「治せるわよ」
「……え?」
ダニアスが話している途中で、アルトリアはそう話しながら口元を微笑ませる。
それに驚き目を見開いたダニアスは、アルトリアが胸の位置に翳した左手の中に小さな白い光が発生している事に気付いた。
それが魔力を操作し発生させている現象だと気付き、ダニアスは驚きながら問い掛ける。
「……貴方は、記憶を失っているのでは……!?」
「そうね。……でも、こういう事が出来るのは知ってる」
「!」
「多分、死んでなければどんな傷も治せるわよ。……まぁ、死んでても肉体だけなら直せるでしょうけどね」
「……!!」
「その皇子とやらに言っておいて。アンタの国にまで行く気は無いけど、その治療したい相手を連れて来るなら治してあげてもいいわ、とね」
アルトリアはそう話しながら腰を捻り、足を動かしダニアスに背を向ける。
そして寝巻姿のままで寝台から降りて立ち上がると、両手の中に生み出した白い光を自身の肉体に浴びせた。
それによってアルトリアの肉体が白い輝きに満たされ、ダニアスの視界を僅かに照らす。
それは五秒にも満たない時間で終わり、光を遮っていた手を下げたダニアスはしっかりとした立ち姿を見せるアルトリアを見た。
「……!」
「んー、本当に一年くらい眠ってたみたいね。大分、身体全体が衰えてたわ」
「あ、貴方は……その力は、いったい……?」
驚くダニアスに対して、アルトリアは自身でも不思議そうな表情を見せながら自身の力を誇るように微笑む。
それはダニアスの知る魔法とは根本的に違う、別種の能力である事だけは窺えた。
こうして目覚めたアリアは自身の事情を把握し、更に記憶を失いながらも衰える様子を見せない力を行使する。
それは彼女が『化物』と呼ばれていた幼い頃から使っていた、能力の片鱗でもあった。




