検問所
ガルミッシュ帝国の北方領内、北港町。
帝都から馬車で五日の道程に位置するこの港は、主に北の国と南の国からの輸入品を輸送している中規模の港町。
そこに向かうアリアとエリクは、その途上に位置する街道に設置された検問所について歩きながら話していた。
「――……君が出した手紙で、陸を歩くのは危険なのか」
「そう。それに帝国領内は各地に検問所が設置されていて、陸路だと何回も検問所を通らなきゃいけないの。そこを私が何度も通ったら、お父様やお兄様が手を回してる兵士達に捕まっちゃうかも」
「……だがこの先には、検問所があるだろう?」
「あるけど大丈夫。私達が通る検問所は、僻地の農村や村の道に続いたものだから」
「……それが検問所を通過するのに、どう関係するんだ?」
「つまりね。私達が通る道は、そういう農村や村から出てきた田舎者だけが通る道なの。そんな僻地から公爵令嬢の私が来るはずないし、粗野で乱暴そうな男と一緒に通るなんて検問所の兵士は思わないでしょ?」
「それは、そうなのか? しかし君は、見目が美しい。見た目でバレるんじゃないか?」
「あら、褒め言葉ありがとう。ふふん、言ったわよね? 私は帝国の魔法学園で最高の成績だって」
「?」
「それに、貴方用に途中の村で買った、この大きな黒布を……」
裁縫道具を鞄から出したアリアは歩みを止め、休息を兼ねて黒布を縫い合わせる。
その光景をエリクは眺めながらも、アリアの自信に満ちた理由を知ったのは、実際に検問所を通る時だった。
「――……待て。身分をあらためさせてもらう、顔を見せろ」
黒い大布を縫い合わせた外套を頭まで纏うエリクは、立ち止まり自身の顔を見せる。
そして同じ外套を身に纏っていたアリアは、覆い隠していた自身の顔を晒した。
しかし晒したアリアは金髪碧眼ではなく、茶焦げの黒色に変色していることにエリクは驚く。
するとアリアは臆する様子を見せずに、兵士に話し掛けた。
「私はアリス、こちらは私の父エリオです。私達は親子で、コゼット村から来ました」
「!?」
穏やかに淀み無く話すアリアは、エリクとの関係を親子だと偽る為に、魔法で瞳と髪を黒く染めたらしい。
そうした話を聞いた検問所の兵士は、エリクの方を見ながら訝しい視線を浮かべ、それからアリアにも視線を向けながら話した。
「コゼット村か、随分と遠い場所から来たな」
「はい。父は元帝国兵士で、腕に覚えがありまして。私はそんな父に付いて行き旅をしながら、傭兵稼業を生業にしようかと思い仕事を探しに来ました。無ければ北港町に来る定期船で、南港町に向かおうと思います」
「確かに父親の方は強そうだが……。君のような娘が傭兵稼業を生業に出来るとは思えないな」
「私、帝国の魔法学園に通っていました。これがその証明になりますよね?」
「……確かにこれは、魔法学園の卒業者に送られる銀の首飾り。意匠も間違いなく本物、彫られている名前も『アリス』だな」
「はい。それに魔法の腕も、その首飾りに誓って保証を致しますよ」
「なるほど。君は魔法学園を卒業できる程の、優秀な魔法使いというわけか」
「はい。得意魔法は水と光系統の魔法です」
「光魔法の使い手なのか。……分かった、君達の通行を許可しよう。そして、君に依頼がある」
「依頼ですか?」
「実は、今の北港町には魔法使いが不足していてな。つい先月、魔物と魔獣の被害に遭ったばかりなんだ」
「まあ、そうなんですか?」
「怪我人の大半は港町まで運ばれたのだが、回復魔法を使える唯一の者がその討伐で死んでしまった。だから医者の手でも対応が追い付いていないせいか、まだ完治できず苦しむ者も多いようだ。彼等の回復を手伝ってほしい」
「勿論です。魔法学園を卒業し資格を得た身として、助力をさせて頂きます」
「ありがとう。それでは依頼発行の証明書を発行するので、少し待ってほしい。この先にある北港町に着いたらマウルという医者を尋ねてくれ、町の者達に聞けば分かるはずだ。依頼の報酬は、マウル医師や患者が支払ってくれるはずだ」
「分かりました」
兵士の依頼を聞き話し終えたアリアは兵士の名印が書かれた依頼書を受け取り、エリクを連れて検問所を通過する。
そこからかなりの距離を歩いた後、黒髪と黒い瞳のままのアリアにエリクは尋ねるように聞いた。
「……さっきのは、どういうことなんだ?」
「やっぱり知らないのね。この首飾りを持つ魔法学園の卒業者は、帝国領内では検問所を始めとした、国が関わる施設への入場や通行を認められてるの。この認識票を持っているということは、予備役の軍属扱いになるのよ」
「君は確か、その卒業式というのが行われる前に逃げてきたんじゃなかったか?」
「卒業式は馬鹿皇子の。私は魔法学園在学中に、全部の課題を終わらせて卒業資格を一年前に得ていたの。だから前もって首飾りを貰っていたのよ。当の馬鹿皇子は、課題を何一つ終わらせることなく、お情けのコネ卒業だけどね」
「そ、そうか。凄いな」
「それで話を戻すけど、魔法学園の卒業者の私とその父親だと思われた貴方は、通行を認められたというワケ。でも魔法学園を卒業する魔法使いは優秀だから、帝国領内の何処でも求められてるのよね。さっきみたいな依頼は、使える魔法によって依頼が来たりもするのよ」
「……丁度、それを必要とする時期に来れたおかげで通してくれたということなのか?」
「偶然じゃないわよ。私はそういう情報をちゃんと知ってたから、北港町を第二の脱出順路にしてたの。回復魔法の使い手が少ない場所に、偶然にも通行する回復魔法の使い手がいるなら、兵士達が頼むのは当たり前でしょ?」
「そうか。……さっき、首飾りを見せて君が違うのがバレなかったのは?」
「この髪や瞳の色を変えるのと同じよ。こうして闇属性の魔法で幻影を首飾りに貼り付けて、こうして文字を変えるの。……ほら、偽名が私の本名に戻ったでしょ?」
銀の首飾りにアリアの人差し指が流れ通ると、刻まれた名前が変化する。
それを凝視するエリクは、少し悩みながら素直に話した。
「……すまん、読めない」
「え? ああ、そうか。エリクは王国出身だから、帝国語は読めないのね」
「いや。俺は王国語も読めないし、書けない」
「え?」
「俺は、そういうことを出来ない」
エリクが文字が書けないことを聞いたアリアは、怪訝な表情を浮かべながら思わず立ち止まる。
それに対して不思議そうに足を止めるエリクに対して、アリアは問い掛けた。
「エリク。貴方、言葉は誰かに習ったの?」
「いや。周りが喋る話を聞いて、理解できた言葉は覚えた」
「じゃあ、もしかして。私が言ってる事で言葉の意味とか、ほとんど分からないの?」
「ああ。長い言葉だと聞き辛くて分からない、難しい言葉もよく分からない」
「……」
「それがどうしたんだ?」
立ち止まったアリアの顔を見下ろすエリクは、不思議そうに尋ねる。
すると彼女は僅かに頬を膨らませ、エリクの傍に寄ってこう伝えた。
「私が文字も言葉も教えるわ」
「え?」
「ちゃんと文字を覚えて喋って書けるように、そして意味を理解できるようになりなさい」
「ど、どうして?」
「これから先、私が傍から離れて貴方一人で行動する事もあるでしょ? さっきみたいな事態になった時、ちゃんと乗り越えられる知識は増やさないと」
「いや、俺は別に……」
「そうしないと、私が困るの! 町に着いたら宿屋を取って、貴方に文字を教える。せめて自分の名前くらいは書けるようにね」
「……分かった。文字が必要なら、しょうがない」
「よろしい。さぁ、あと少しで港町よ。行きましょう!」
再び歩き出して先頭を歩くアリアは、何かを怒りながら進む。
エリクその理由がよく分からず、頭を掻きながら後を追うように歩いた。
この時のアリアは、彼が物事を学べない環境で暮らしていたことを理解する。
それを理由に、今までも周囲や貴族達から悪口を言われても理解できなかったのだと考えた。
やたら高尚な言い回し振りながら相手の弱点や腹を探り、そして貶したがる貴族達は多い。
しかし何を言っても動じないエリクを見れば、苛立ちを持つ者が出て来るのも当たり前だろう。
エリクは言わば理解できる言葉を辛うじて汲み取りながら、それに従い続けただけに過ぎない。
しかし平民の傭兵に武勲を独占された事が罪に陥れられた原因だと、今のアリアは想像した。
そうして事の経緯を理解したアリアは、小声で呟きながら悪態と悪い笑みを零す。
「何が王国の英雄よ、ただ単に使い回されてただけじゃない。……だったら、私がエリクを帝国騎士団にも負けない立派な戦士に……。そうすれば王国の奴等が切り捨てた事を悔しがって……。ふふ……フフフフ……ッ」
「……何を笑っているんだ?」
「こっちの話。さぁ、行くわよ!」
「あ、ああ」
小声で呟きながら含み笑いをするアリアに、エリクは邪念を感じながら付いて行く。
ただ逃げるだけの旅に刺激を求めたアリアは、エリクという磨ける対象を見つけた事で、自身の悪い癖を見せ始めていた。