お布施
その日、エリクは一度だけ傭兵団の詰め所へ戻り、背に革袋を担ぎながら共同墓地へ向かう。
そして墓地の入り口の前に立つと、周囲を見ながら教会と思しき建物を探した。
その時にエリクの耳に、子供らしき声が入る。
同時に何かが割れるような音も聞こえ、エリクは墓地の壁向こうにある十字模様が刻まれた建物に回り込みながら向かった。
「――……さっさと金を返せってんだよ!!」
そう怒鳴る男の声も聞こえ、いつも赴く時には静かな墓地が騒がしい事に驚きながらも、エリクは歩く速度を気持ち速めた。
そうして回り込み建物の入り口と思える場所に来ると、エリクはある光景を目にする。
黒い修道着を着た初老の女性が五人の少年少女に守られるように囲まれ、その前には三人の厳つい男達が入り口に屯しながら詰め寄り、木製の扉を叩きながら怒鳴っている光景だった。
「――……シスターさんよぉ。借りたもんは返せって、神様に習わなかったのかぁ?」
「も、もう少し。もう少しだけお待ちを……」
「何度もそう言って、待ってやってんだろうがよぉ!!」
「ひぃっ!」
男の一人がそう怒鳴りながら、教会の扉を蹴り上げる。
足先に鉄板を仕込んでいる靴の蹴りは強く、また教会自体も作りが古い為に、男が蹴った部分は割れ砕かれた。
その男の行動と割れた音に怯える初老の修道女は、身を引かせ身体を震わせる。
シスターを囲む少年少女達も怯えた様子を見せていたが、表情を強張らせながら脅す男達を睨んでいた。
それに気付いた男の一人が、睨む子供達を見る。
その睨む表情を見て眉を顰めながら、男はシスターに告げた。
「ケッ。こんなガキ共が稼ぐ小銭程度じゃ、利息も払えないってのが分からないのかねぇ。シスターさんよ」
「それは……」
「ここに集まるお布施ってのも、随分と少ないみたいだしなぁ?」
「……」
「今日中に借りた分とその利息、合わせて金貨百枚は払ってもらうぜ」
「借りたのは、金貨一枚だけのはずなのに……」
「この契約書、ちゃんと読まなかったかぁ? 一年前に借りて、溜まった利息がそんだけあるんだよ」
「そ、そんな……」
男の一人が契約書らしき紙を取り出し、それをシスターに見せる。
確かにその紙にはシスターが署名したような名が書かれており、男達の要求にシスターは反論できずに顔を伏せるしかなかった。
シスターは苦渋の表情を浮かべながらも顔を上げ、修道着の内側に提げていた鞄から一枚の紙を取り出す。
それは教会とその周辺の土地を預かる権利書であり、それを見た男達は表情をニヤつかせた。
「そうだよ。それをさっさと渡せば、万事解決なんだぜ。婆さん」
「……せめて、この子達の引き取り先が見つかるまで……」
「くどいってんだよ! さっさと渡しな!!」
そう怒鳴りながら男の一人が詰め寄り、シスターから権利書を取り上げようと右手を伸ばす。
しかしシスターを囲んでいた子供の一人で素早く走り、十歳程の少年が男の脛を思いっきり蹴り上げた。
「いっ、てぇ!!」
「あっちいけ!!」
「この、クソガキがッ!!」
膝を蹴られた男は短い悲鳴を上げ、少年は男を追い払おうと精一杯の威勢を上げる。
しかし男は痛みをすぐに引かせ、それ以上に湧き上がる怒りで蹴った少年を右手で殴った。
少年は左腕を上げて防ごうとしたが、男の腕力に完全に負けて転がり倒れる。
殴られた少年にシスターは走り寄り、子供達もそちらへ集まり倒れた少年を庇った。
「や、止めてください! 子供には――……」
「うるせぇな! その土地の権利書をさっさと寄越せ!! このクソガキ共と一緒に、ここから追い出してやる!!」
男は怒鳴りながらそう告げ、シスターが手に持つ権利書を渡すように要求する。
殴られた少年の容態を確認しながらシスターは悲しみの表情を僅かに浮かべ、身体を起こして権利書を男達に手渡そうとした。
その時、男達の後ろから重い足音と声が発せられる。
「――……おい」
「あ?」
「……うぉ!?」
「な、なんだ!?」
権利書を受け取ろうとした男が後ろから声を掛けられた事に気付き、更にもう一人が後ろを振り向く。
そして驚きの声が発せられると、三人の男達は全員が後ろを振り向いた。
そこには体長二メートル近い巨漢の大男が立っており、逞しい腕や身体を始め、顔や腕などに無数にある傷で歴戦の猛者である事が素人目でも理解できた。
大男は鋭い視線で男達を見下ろし、尋ねるように聞く。
「ここが、『きょうかい』という場所か?」
「あ、あぁ!? なんだ、お前……!?」
「ここが教会だったら、なんだってんだよ!?」
「ここはもうすぐ、借金の形で俺等のモンになるんだ!! 部外者は引っ込んでろ!!」
突如として現れた大男に驚きながらも、男達は怒鳴りながらそう告げる。
それを聞いているのかいないのか、大男は男達から視線を外して奥にいるシスターと子供達に目を向け、そちらにも尋ねた。
「おい」
「は、は……?」
「『おふせ』というのは、どうやるんだ?」
「え……?」
「『おふせ』をする為に、来た」
そう言いながら大男は三人の男達を無視するように進み、入り口を潜りシスターの前に立つ。
更に厳つい大男の登場で更に怯えるシスターと警戒を強めた子供達だったが、その大男が背中に担ぐ革袋からあるモノを取り出し、それをシスターの前に置いた。
「これが、おふせだ」
「え、え……? ……えぇ!?」
「!?」
「お、お金だ!」
「いっぱいだ!」
シスターは大男が取り出した革袋の中を見て、戸惑いながらも中身を見る。
その中には大量の金貨が入っており、シスターは思わず驚愕と動揺の悲鳴を上げた。
周囲に立っていた子供達も大量の金貨を見ると、思わず驚きの声を上げる。
殴られた少年も痛みを我慢しながら起き上がると、大男が差し出した革袋にある大量の金貨を見て驚いた。
「な、なんで……!?」
「おふせだ」
「お、お布施……?」
「ああ」
「これを、全部……?」
「ダメなのか?」
「い、いえ! あ、あの……。少しお待ちを……!!」
首を傾げるエリクに、シスターは声を震わせ慌てながら革袋の金貨を数える。
それを子供達も手伝うように革袋の中にある金貨を摘み、それぞれが十個ずつ並べながら数えた。
借金取りの男達は、突如として教会に大量の寄付をする大男に呆然としながら口を開けている。
そして数分後、シスターは子供達と協力して並べた金貨の数を告げた。
「……き……金貨が全部で、二百十八枚……。これを全部、寄付……ですか?」
「ああ」
平然とした表情でそう話す大男に、シスターは呆然とした数秒後に涙を溢れさせる。
そして嗚咽を漏らしながら、大男の背後で呆然としていた借金取りの男達に話し掛けた。
「……しゃ、借金。金貨百枚、返せます……!」
「え、えぇ……?」
シスターが振り絞る声に、男達は呆然としながら顔を見合わせる。
そして大男が振り返り男達の方を見ると、その鋭い眼光と巨体から漂わせる歴戦の風格に怯えた男達は、無言で頷きながら契約書をシスターに渡し、代わりに金貨百枚が入った袋を受け取った。
エリクはこの十七年間、仕事で得た個人報酬をひたすら溜め込んでいる。
人並みの娯楽や食事に一切の興味を示さなかったエリクは、個人的に金を使う機会が無かった。
しかも食事や武具の調達すらワーグナーや傭兵団に任せてしまい、自分自身で金銭を使用しないエリクは、こうして金貨や銀貨を大量に部屋の隅に重ね続けている。
それがどれ程の富であるかをエリク自身も理解しておらず、またそうした管理を求めなくなったワーグナーのせいもあって、金銭に関してエリクは無頓着となっていた。
こうしたエリクの無知と欲を満たせない節制が、教会の借金を返済できるだけの資金を布施る事を成功させる。
そして借金取りの男達が去った後、シスターと子供達に泣きながら感謝され、エリクは状況が分からず困惑した。




