舌戦交渉
アリアを助ける為に樹海の部族同士で行われる決闘に参加する事になったエリクは、センチネル部族の族長ラカムから娘パールを妻に娶らされる。
それによって行われた宴で婚儀を終えてしまったエリクは、その状況を理解しないままアリアの眠る天幕に戻った。
二人の婚儀が終わった夜、目覚めたアリアに対してエリクは食事を与える。
宴で出された肉を薄く切って差し出していたエリクだったが、入り口側に視線を向けながら声を発した。
「――……何の用だ?」
「え? ――……貴方は……?」
薄く切られた肉を頬張っていたアリアは、エリクの声に僅かな驚きを浮かべる。
すると族長の娘パールが天幕の入り口から姿を現し、室内に入って来た。
室内は照明の光に照らされ、三人の表情をそれぞれ照らしている。
そして睨みながら見て来るパールに対して、エリクは警戒を抱きながら声を向けた。
「何か用か?」
「……」
「……そうか、俺の話す言葉は分からないのか」
用を尋ねるエリクだったが、相手が自分達とは異なる言語しか喋っていない事を思い出す。
そうした意思疎通が出来ない二人の間を仲介するように、上体を起こしていたアリアが肉を飲み込んでからパールに声を掛けた。
「『――……ええっと、これで通じる?』」
「『!』」
「アリア、こいつ等の言葉を話せるのか?」
「ううん、これも魔法よ。言語自体は喋れるわけじゃないけど、言葉なんてのは相手に自分の思考を伝える為の機能みたいなものだから。魔法で私の言語を思考に置き換えて、相手の言語野に同調させてるの。この子が聞けば、ちゃんと伝わってるはずよ。勿論、私が聞けば翻訳された声として聴こえるけどね」
「……そ、そうか。凄いな」
「はいはい、分かってないのね。とにかく、通訳は私がしてあげるから」
魔法による通訳が可能だと伝えたアリアは、改めてパールに視線を向ける。
そして座った姿勢のままで、嫌悪した表情を浮かべて訪れたパールに問い掛けた。
「『何か用があるのかって、彼は聞いてるわよ。通訳は私がしてあげる』」
「『……その男と再戦したい。外に出て、私と戦うように伝えろ』」
「『えぇ……。なんでまた?』」
「『……今夜、その男の子供を孕むように父に言われた。それが嫌だからだ』」
「ブッ!!」
パールの話を聞いて驚愕するアリアは、思わず口と鼻から息を噴き出す。
その様子に驚くエリクは、咽る様子から落ち着こうとするアリアに問い掛けた。
「どうしたんだ?」
「……こ、こっちがどうなってるか聞きたいわよ! エリク、アンタこの子に何したのっ!?」
「コイツは、この村に来る前に襲って来た。族長の娘だと言っていた」
「……襲って来た時に、何かしたの?」
「いや、捕まえただけだが」
不可解な表情を浮かべるエリクの話を聞いたアリアは、息を整え落ち着きを取り戻す。
すると再びパールの方へ顔を向け、エリクが把握していない事情を聞き出した。
「『どうして貴方の父親は、彼の子供を孕めなんてとんでもない事を言い出したの?』」
「『……私は、その男に負けた。女の勇士が負けた時、相手が男の勇士ならばその女を得る資格を与えられる。婚儀を済ませたから男の子供を孕み、強く育てろと族長の父に命じられた。それが部族の掟だ……』」
「『……ええっと、婚儀っていつしたの?』」
「『昼にやった』」
「エリク。貴方、昼間にこの子と結婚式をしたらしいけど、本当?」
「結婚式? いや、村の者達と集まって食事をしただけだ」
二人の話を交互に聞いたアリアは、脳内で情報を整理する。
そして自分が見知らぬ間にエリクが行わされていた事態を理解し、改めてそれを彼に伝えた。
「……エリク。貴方、ここの族長に嵌められたわね」
「嵌められた?」
「そもそも外部の人間が、樹海に棲む部族同士の決闘に割り込めるような緩い掟があるはず無いもの。だからここの族長は、本当にエリクを部族の一員として決闘に出させようとしてるのよ」
「……それは、どういうことだ?」
「貴方とこの子は、昼間に結婚して夫婦になったの。そして部族の一員に加わって、決闘に出ることになってるみたいよ」
「……は?」
アリアの説明でようやく状況を飲み込めたエリクが、呆然とした表情を見せる。
するとアリアは再びパールに顔を向け、呆れた表情と声色で話し掛けた。
「『彼、貴方と結婚したなんて理解してないわよ』」
「『なに……!? ……だがその男は、アタシを欲していると……父が……』」
「『彼は貴方達の言葉も文化も理解できてないし、貴方を欲してもいない。そういうわけだから、貴方の父親……族長をここに連れてきて。今すぐね』」
「『え?』」
「『いいから、連れてきなさい。私が族長と話を着けてあげるから。……貴方が彼の子供を孕みたくないなら、貴方の父親を今すぐ連れて来るの! いい?』」
「『あ、ああ……』」
アリアの苛立つ表情と声色に気圧される形で、パールは応じるまま天幕を出て行く。
すると十数分後に再びパールは戻り、族長である父親と共に訪れた。
その族長に対して座り待っていたアリアが、腕を組みながら鋭い眼光を向けて話し掛ける。
「『――……やってくれたわね、族長さん』」
「『……勇士エリオの連れの方、我等の言葉を話せるのか?』」
「『ええ、そういえば自己紹介がまだだったわね。私はアリス、このエリオを雇っている雇用主よ。……困るのよね、雇用主の私を無視して勝手にエリオとその子を結婚させるなんて』」
「『これは決闘を行う為に必要な条件。そうしなければ、勇士エリオが我が一族の代表として決闘に出られない』」
「『そこまではまだ良いわ、納得もしてあげる。でも、その子にエリオの子供を産むように強要してるのはどうして?』」
「『勇士となった部族の女は、自分より強き男に負けた時、その男の妻となる。そういう掟だ』」
「『妻になる必要はあっても、すぐに子供を作る必要はないでしょ。しかも決闘に出す為に結婚させた男と今すぐとか、おかしいでしょ?』」
「『これは異な事を言う。女とは強い男の子供を孕み育てる為の存在だろう』」
「『違うわよ』」
ラカムと会話を交える中、その口から出た言葉にアリアは額に青筋を浮かべる。
そして一段と低い声を見せるアリアは、族長ラカムと舌戦を交えた。
「『女ってのはね、強い男の子供を産む為にいるんじゃない。自分を愛して、自分が愛した相手の為に生きて、その過程で子供が生まれるの。子供を産む為だけに存在するんじゃないわ』」
「『何を言う。強い男の子供を残していく事こそ、女の役目だ』」
「『随分と傲慢な考え方をした未開人ね、未発達で知性の欠片も感じさせない人間が答えそうな言葉だわ』」
「『……なんだと?』」
アリアが侮蔑するような言葉を向けた瞬間、今まで侮りを向けていたラカムの表情が変化する。
それは自分を侮辱する敵対者に向ける顔だったが、それでもアリアは態度を変えずに突き刺すような言葉を続けた。
「『人間ってのはね、反りが合わせなきゃ付き合ってられないのよ。身分の違い、立場の違い、環境や思想諸々。色んな事を含めて全ての反りを合わせていかないと、いつか関係が破綻するわ。ましてや男と女の夫婦ともなれば、それを乗り越える為に特別なものが要るのよ』」
「『そんなもの、子を残す事に関係なかろう』」
「『あるわ。例えばそのパールって女の子、エリオを好きになるどころか更に嫌いになってるじゃない。……無理もないわ。昨日今日会ったばかりの男に負けて悔しさが残ってる中で、その男の子供を生めなんて他人に強制されたら、嫌で嫌でたまらないでしょうよ』」
「『それがどうした。例え憎まれようと、強い子を産ませるのが親として、そして部族の長としての務めだ』」
「『最低な考え方ね。貴方みたいな親がいると、その子が不憫でしょうがないわ。仮にその子がエリオの子供を孕んで産んだ後、強く育てるなんて不可能でしょうよ』」
「『なんだと……!!』」
「『男と女。その間に生まれた子供に一番必要なのは、両親の愛情よ。強い子供ってのはね、両親からの愛を貰いながら自分で強く育っていくのよ。アンタみたいなのが居るから、子供がどんどん弱くなるんだわ』」
「『フンッ、愛だと? そんなもの、強い子を生み育てるのに必要ない』」
「『子供を育てる上で、愛は絶対に必要よ。愛が無ければどれだけ強い種の子供を残せても、その子は大事な部分が欠落した状態で育つわ。そんな子供が強く育つなんてありえないし、そんな人間が生まれる場所が栄えるはずがない。力に固執し続けた代償として、いつか弱まり滅ぶだけよ』」
「『小娘の戯言だ。我等はそうして生きてきた』」
「『あら、そう。今まさに外来人に部族の命運を賭けた決闘を託さなければならない状況こそが、貴方の考え方が間違っている証拠じゃないのかしら?』」
「『……ッ』」
舌戦において放たれたアリアの言葉に対して、最初にラカムが口を詰まらせる。
その図星を更に突き掘るように、アリアは言葉を族長の喉元に差し向けた。
「『貴方は自分達の部族が弱く、近い将来に滅ぶ事を予期した。だから外来人を利用して、娘を差し出してまで一族に取り入れた。そして自分の娘にエリオの子供を生ませて、彼の強さに縋ろうとしてる。違うかしら?』」
「『……グ……ッ』」
「『そんな貴方に、こちらから言える妥協案は一つだけ。……決闘が終わるまでは、エリオと貴方の娘が夫婦で良いわ。でも子作りはしないし、決闘が終わったら二人は夫婦じゃなくなる。そして私とエリオは樹海から出て行くわよ』」
「『……我が娘との婚儀を無かったことにしろと、そんなことを認めると思うか?』」
「『私達の文化には、夫婦が別れる離婚という文化がある。そっちの文化はある程度は尊重してあげる。なら貴方達も、私達の文化に妥協しなさい。……受け入れられないなら、私達は今すぐ樹海から出て行くわ。決闘は貴方達で勝手にやって、そして部族全員で滅びの道を進みなさい』」
「『……ッ』」
「『あぁ、それと言い忘れていたわ。薬をありがとう。……でも、随分と用意が良いのね?』」
「『!』」
「『まるで始めから私が受けてた毒の種類を知ってた上で、その薬を用意していたみたいよね。……エリクは騙せても、私は騙されないわよ』」
「『……ッ』」
「『さっきもそうだけど、私みたいな小娘なら気付かないとでも思ったの? ……彼に言ってしまおうかしら。私に毒を打ち込んだ悪い虫が、誰だったのかを』」
「『……分かった、お前の言う通りにしよう』」
「『よろしい、交渉成立ね』」
舌戦を制し妥協案を呑ませたアリアは、勝ち誇るように満足した笑みを浮かべる。
するとラカムは僅かに憤る様子を見せながらも静かに立ち上がり、そのまま天幕から出て行った。
そんな二人の会話を理解できていないエリクは、不可思議な表情を浮かべる。
しかし会話の内容を理解できた族長の娘は、アリアに驚愕に近い羨望の視線を向けていた。