支える者 (閑話その二十九)
一年ぶりに帝都へと戻った皇子ユグナリスは、そのまま帝国騎士達に城へと導かれた。
帝都の城内はユグナリスの知る風景と大きな変化は見えなかったが、城内に勤める人間の顔ぶれは増えている。
新宰相のセルジアスが用意した人材がそれぞれに登用され、和平締結や交流都市建設計画の為に忙しく働く姿が各所で見えていた。
久方振りに家とも言える城へ戻れたユグナリスだったが、そうした周囲の状況変化やログウェルとの野外生活の影響で、疎外感に近い居心地の悪さを宿らせる。
そして自分の部屋へ久し振りに入ると、先導していた騎士に待つように告げられ、大人しくベットに腰掛けた。
そして掃除が行き届いている自分の部屋を見渡しながら、小さく呟く。
「……俺も、爺達と一緒に行きたかったな……」
溜息を吐き出すユグナリスは、そう呟きながら少し前の出来事を思い出す。
王国との和平が決まった後、ユグナリスの下に王国の姫君が婚約者として訪れる事が伝わった。
初めて聞く話に困惑気味の表情を見せるユグナリスだったが、更に状況は変化する。
共に居たログウェルにも報せが届き、黒獣傭兵団と共に大陸南部へ赴き、前ローゼン公爵クラウスの行方を探るよう依頼が成された。
ログウェルはそれを了承し、傭兵団と共に南部へと向かってしまう。
ユグナリスは同行しようと食い下がったが、ログウェルに微笑まれ吹き飛ばされながら言い渡された。
『ほっほっほ。儂が言うた訓練を怠るで無いぞ。もし戻った時に鈍っておるようなら、更にきつい訓練をするから覚悟せい』
そう言い残したログウェルは大陸南部へと立ち、ユグナリスは召集に応じて帝都へと戻る。
始めこそ帝都に戻る事に僅かな期待を秘めていたが、実際に戻って見れば依然として人々の対応は冷たく、両親である皇帝や皇后と再会の場も設けられず、気持ちが沈みかけていた。
そうした気持ちをユグナリスは払う為に顔を振り、両手で両頬を叩く。
いい音が鳴った部屋の中で、ユグナリスは立ち上がり瞳を閉じて深く短い呼吸を繰り返した。
これはログウェルに教えられた訓練の一つ。
短い時間で呼吸に必要な酸素と魔力を取り込み、血液と共に体内を循環させる技法。
これは『身体強化』と呼ばれる魔法の技術であり、これを行う事で人間の肉体は高い耐久力と身体能力を発揮する。
しかし他の魔法同様、魔法を使用する際に人間の体内に取り込まれた魔力は身体的にも精神的にも大きな疲弊を齎す為、長時間の強化は施せない。
そして体外に魔力を放出できる攻撃魔法と違い、『身体強化』で使用する魔力は体内は長く残留し続ける。
そのせいで肉体と精神の疲労と負担は高く、普通の魔法を使うよりも遥かに難易度の高い技術とされていた。
その為、人間が使う『身体強化』は欠陥技術であるとも言われ、ほとんどの魔法師達はこれを使わない。
あのアリアでさえ肉体への負荷が大きい為に、余程の事が無い限りは使わないのだ。
しかしユグナリスは、戦いながら六時間以上の『身体強化』を持続させる事が出来ている。
ログウェルとの訓練で自己回復魔法を気絶するまで掛けていた影響なのか、過酷な訓練を受けた事により肉体が『進化』を始めているのか、今のユグナリスは本人さえ自覚しない中で『次の段階』へと進む準備を整えられていた。
そうして部屋で待つこと数十分後。
扉をノックする音が鳴った為、ユグナリスは瞳を開け訓練を止めると、扉へ声と意識を向けた。
「どうぞ」
「――……やぁ、ユグナリス」
「セルジ……いえ、ローゼン公」
扉を開けてユグナリスを訊ねたのは、ローゼン公爵セルジアス。
そして後ろに控えていた近侍の女性が御湯と手拭を持ち、部屋にある机に置いた。
更に別の近侍が赤い騎士礼服を持ち込み、それをベットの上へと丁寧に置く。
それを見たユグナリスは、セルジアスに顔を向けた。
「これは?」
「君の礼服だよ。昔の服だと少し大きすぎるようだし、背も伸びたようだからね。新調させておいた」
「それは、ありがとうございます」
「君は帝国の皇子だ。身嗜みは、ちゃんとしないとね」
「……それで、私はどういう理由でここに……?」
「一時間後、君はベルグリンド王国から訪れているリエスティア姫君に面会してもらう。その為に身を清め、身嗜みを整える物を用意した」
「……」
薄々と察しながらも、ユグナリスは帝都に戻された理由を聞いて眉を顰める。
和平の花嫁として選ばれた王国の姫君を改めて婚約者へと娶らされる事を聞いたユグナリスは、表情を沈めながらも敢えて内に篭る考えを口に出した。
「……ローゼン公。俺は……私は王国の姫君と婚姻は結べません。いえ、する資格は無い」
「それは、何故かな?」
「私の軽率な行動で、婚約者であるアルトリアを激怒させ帝国から離した挙句、父上や前ローゼン公爵に要らぬ苦労を与え、そして内乱の口実も与えてしまった。そんな私が王国の姫君と婚約し、和平を築く橋渡しを担う立場に置かれるのは、相応しくない」
「そうだね、確かにその通りだ。……ユグナリス。君は自分の処遇に関して、どうすべきだと考えているんだい?」
「ガルミッシュ帝国皇位継承権と皇子の位を剥奪し、一国民や一兵士として扱って頂ければと。そして次の皇位継承権を、セルジアス=ライン=フォン=ローゼン殿に譲渡する事が正しいと考えます」
「……」
「私には、父のような威厳も、ローゼン公爵のような高い政治能力と判断能力はありません。……ガルミッシュ帝国は、母国ルクソード皇国と同じく実力主義の社会です。最も実力がある者が国を従え民の上に立つべきだと、私は考えます」
ユグナリスは今まで考えていた事をセルジアスに明かす。
アリアの失踪から続く帝国の変化は、大きな騒動を巻き起こした。
その責任を感じるユグナリスは、皇子としての身分を棄てるべきだと考えている。
しかしアリアのように国から逃げ出す事は残る矜恃が許さず、再び皇子として表舞台に立つ事が求められた際に辞するべきだと、この一年を通して考え続けていた。
そしてユグナリスなりに、こうも考えている。
もしアリアを連れ戻せていたのなら、新たなガルミッシュ帝国の皇帝をアルトリア=ユースシス=フォン=ローゼンに引き渡すべきだと。
ユグナリスはアリアの間近に居たからこそ、自分には無い彼女の凄味を感じていた。
その劣等感から反発心を強めてもいたユグナリスだが、アリアの実力を認めていたのも本心である。
しかし現実にアリアを連れ戻せず、王国の姫君を娶り和平の橋渡し役を担うという重責を皇子として背負う事を察したユグナリスは、正式に皇子の立場を辞退したいと申し出た。
それを静かに聞いていたセルジアスは、軽く手を上げて控えていた近侍を部屋から退出させる。
そして二人で対面する形となると、セルジアスは小さな溜息を漏らした。
「……そういう事は、ちゃんと考えられているようだね。ユグナリス」
「はい」
「それで? 私を皇位継承者にした後は、王国の姫君を娶れと。そう言っているのかい?」
「ローゼン公は独身ですし、問題は無いのでは……?」
「そうだけどね。……残念ながら、君の要望通りに皇位を継ぐ気は、私には無いよ」
「でも、貴方は俺に継ぐ皇位継承権の持ち主だと……」
「私が皇帝になってはいけないんだ。理由は分かるかい?」
「い、いえ……」
「そうか。……ユグナリス。どうして君の父であるゴルディオス陛下が皇帝に就く事となったか、知っているかい?」
「え? それは、父上は帝国の皇族に生まれた、長男だから……」
「実はね、元々帝国の皇帝に選ばれそうだったのは、ゴルディオス陛下の実弟。私やアルトリアの父だったらしい」
「!?」
唐突な話を聞かされるユグナリスは、驚きで瞳を大きく見開く。
それを見るセルジアスは口元を微笑ませながら、自分達の父親である兄弟の昔話を聞かせた。
「弟だった父上は、兄であるゴルディオス陛下より優れた面を晒していた。勉学や体術、凡そ国を率いる皇族に必要な素質を、若い頃から認められていたらしい」
「……」
「けれど二十年以上前に、母国ルクソード皇国で皇族同士の後継者争いが勃発した。そして私や君の曽祖父に当たる皇国貴族ハルバニカ公爵家が、まだ皇子だったゴルディオス陛下の方を呼び寄せたんだ」
「え……!?」
「ルクソード皇国は実力のある大貴族達が礎となり、国を成り立たせていた。だから彼等が求めたのは優秀な皇王ではなく、『上』に置けるだけの国の皇王だったんだよ」
「……!?」
「実際、実力のある王に権力が集中する体制は、国として好ましく無い。だから父上も、ハルバニカ公爵家がゴルディオス陛下の方を求めた理由を理解していた。……しかしゴルディオス陛下が皇国へ赴けば、帝国に送られ恋仲となっていたクレア様と引き裂かれてしまう。下手をすれば、二人が候補者同士として相打つ立場にもなっただろう」
「!!」
「だから弟である父上が、兄であるゴルディオス陛下を皇王後継者として送る代わりに、後継者争いに参加したんだよ」
「は、初耳です……」
「私も、ゴルディオス陛下とクレア様に聞かされたんだ。父上からは一度も聞いていない」
「!」
「そして父上は後継者争いに勝ち残ったけれど、ハルバニカ公爵家や先皇エラクと対立。そしてガルミッシュ帝国へ舞い戻って、ローゼン公爵家を興したんだ」
「……」
「父上は優秀だった。しかし、皇国は優秀な皇王を求めていなかった。彼等が求めたのは、あくまで自分達の『上』に座れる人間。父上のように『下』まで支配する力量を持つ人間が立てば、衝突は免れない。それは彼等自身の矜持さえ傷付け、新たな争いを生み出す事となる」
「……つまり、優秀な人間ほど『上』に立つべきではないと、そう言っているんですか?」
「そうだよ。国の上に立つ人間は、ある程度の裁量は求められる。けれど優秀な人間ほど、自分自身の正しさや判断した事を間違いだと認め難い。そんな人間が国を率いれば、国や民を道連れにして滅びの道を辿るだろう」
「!」
「私もね、自分を誰よりも優秀な人間だと考えているし、実際にそれを行動で示してきた。けれどその自信が、いつしか歪みとなってしまうかもしれない。だからこそ、私のような人間を『下』に置いて『上』に立つ者を支えるべきなんだと、そう考えている」
「……」
「ユグナリス。私は幼い頃から、君を『下』から支えられるように育てられた。アルトリアもそうだ」
「え……!?」
「私達はね、君を『皇帝』に置く事に何の異論も無い。むしろ君のように平凡な考え方が出来る人間こそ、『上』に居るべきだと考えている」
「……でも、俺は……」
「そうだね、君は間違いを犯した。そして多くの人間から失望された。それでも反省せず暴走するようなら、私達が育てられた意味や甲斐は失われるだろう。君の言う通り、私が次期皇帝になるという案も妥当なものになる。……だが君は、自分が行った事を反省している。それが見えるだけでも、まだ皇帝となる資格は持っているよ」
「!!」
「前にも言っただろう? 君自身が犯した失態は、君自身の今後の行動で取り返すしかない。……君が皇子を辞めるという事は、その失態を取り戻す機会すら失うという意味になるんだ」
「……ッ」
「ゴルディオス陛下やクレア様が君に会いに来ないのも、君が信頼を取り戻し、この国の皇子として相応しい後継者だと信じているからだ。……その信頼を、君自身が投げ出すつもりかい?」
「……」
そう訊ねるセルジアスの言葉に、ユグナリスは表情を険しくさせて口を噤む。
十数秒の沈黙後、顔を上げて表情を引き締め直したユグナリスは御湯が注がれた陶器へ歩み寄った。
「――……準備をします。一時間後でしたね?」
「ああ。手伝いは必要かい?」
「いえ。これくらいは、自分で出来ますから」
「そうか。じゃあ、準備が出来たら近侍の者を呼ぶといい。私も一緒に同行し、案内しよう」
手拭を少し冷めた湯に浸けて身体を拭い始めたユグナリスを確認し、セルジアスは部屋を出て行く。
婚約者であるアリアとの不和から始まった出来事を経て、帝国と王国の和平となる姫リエスティアの婚姻へと至るユグナリスは、再び帝国皇子としての矜持を身に付けた。




