暇を与えず
夜が明けながらも日差しが入り難い樹海を歩く二人は、それからも幾度か魔物や魔獣の強襲を受ける。
しかし気配を読むのに長けるエリクは、高い身体能力から繰り出される拳や足の殴打、そして大剣を振り薙ぎながら苦も無くを魔獣の群れを倒していた。
アリアもまた魔法を用いた攻防で対応し、疲弊しながらも傷一つ無く状況を切り抜け続ける。
最初は生き物を殺す事に対して忌避の表情を浮かべていた彼女だったが、幾度も襲って来る魔物達への対処に少しずつ慣れ始めていた。
しかし幾度目かの戦闘を終えると、改めてエリクの戦い振りについてアリアはこう尋ねる。
「――……エリク。貴方、何でそんなに強いの?」
「ん?」
「素手で魔獣の頭蓋を砕ける人間なんて、聞いたことない。『身体強化』を使ってる感じでも無いし……」
「フィジカルアップ?」
「魔力を身体に取り込んで、身体能力……要するに、身体を強くする魔法よ」
「そんな魔法もあるのか。だが、俺は魔法は使えない」
「だから不思議なのよ。敏捷性の高い魔獣にも普通に追い付いてるし、いったどんな生活してたらそんな強さになれるわけ?」
「……戦い続けたから、としか言えないな」
「まぁ、そうよね。……もしかして……」
「どうした?」
「……ううん、なんでもないわ。血で他の魔物が寄って来る前に、行きましょ」
「ああ」
「……まさかね」
二人はそうした会話をする中で、アリアはエリクを見ながら僅かに考え込む。
しかしそこで抱いた考えは口に出さず、自身の思考に留めながら樹海の先へ進んだ。
そうして樹海の中を移動し始めて、既に三日が経過する。
その頃になるとアリアは太い樹木の根を超えることも一苦労するほど疲弊し、魔物や魔獣と遭遇した際に集中し切れずに迎撃が遅れ始める。
しかし北港町で購入した胸当てと魔石の効力によって、辛うじて物理障壁を張りながら無傷で切り抜けられていた。
逆にエリクは特に様子を変える事も無く、疲弊を色濃くさせ始めるアリアに歩調を合わせる。
そして戦闘においても可能な限り補助に入り、護衛としての役目を果たし続けた。
アリアの疲労が溜まり続けている理由は、樹海の中が安眠できる環境ではない事も含まれている。
現在の季節は春ながらも、巨大な樹海は空に浮かぶ太陽の光を吸収し、更に深く密集している為に樹海の内部には風の流れが感じられない。
その影響で樹海の環境は蒸し暑く、多くの植物から発せられる酸素が濃い為に、移動するアリアには酷い息苦しさを感じさせていた。
それは夜間にも続き、アリアは購入した天幕の中で蒸されるような暑さで快眠が出来ない。
更に夜間でも様々な生き物の鳴き声が響き、いつ魔物や魔獣の襲撃が来るか分からず体調も精神も大きく疲弊させるほどの影響が与えていた。
更に四日目になると、樹海内部にも滴る豪雨が発生する。
購入していた雨合羽を羽織りその雨を防ぎながらも、湿度が上がった為にアリアは更なる熱さに苦しめられることになった。
対して野営に慣れているエリクは、樹海の環境にも既に順応している。
そして目に見えて疲労しながら歩みが遅くなっていくアリアに、エリクは振り返りながら声を掛けた。
「――……そろそろ休むか?」
「……ハァ……ハァ……。さっき、休憩した……ばっかりじゃない。まだ、まだ……」
「顔色が悪いぞ。休むべきだ」
「……『中位なる光の癒し』。……ほら、回復魔法も掛けられるわ。だからまだ、大丈夫よ」
「……分かった」
アリアは息を乱しながらもエリクの後を付いて行き、日中の移動で足を止めない。
そんな彼女を心配するエリクだったが、追って来る帝国兵や襲撃して来る魔物や魔獣の事も考え、まずは落ち着いて休める場所を探そうと考えた。
しかし数時間後、昼下がりの時刻に異変は起こる。
その移動中、今まで疲弊しながらも移動し続けていたアリアの足が止まる。
更に樹木に身を預け、越えようとした根に両膝を着きながら倒れそうになった。
エリクはそれに気付いて跳び寄り、倒れそうになるアリアを抱えて支える。
「――……アリア!」
「ハァ……ハァ……」
「……これは、熱か」
息を乱して呼び掛けても反応できないアリアは、大量の汗を掻きながら青褪めた表情を浮かべている。
その額に左手を付けたエリクは高い熱を感じ、アリアが発熱している事に気付いた。
それからエリクは彼女の荷物を自分の胸に提げ、自身の両腕でアリアの身体を抱き上げる。
すると耳を澄ませながら樹海の中の音を聞き取り、ある方角から聞こえる水音に気付いた。
水音の方角に走り出すエリクは、樹木の根を軽く跳び越えながら進む。
そして十数分後、巨大な滝が流れる小さな湖畔のある岩場を発見し、そこで野営の準備を始めた。
天幕を設置して敷き布を敷いたエリクは、その上にアリアを寝かせる。
そして雨合羽や重たい防具を脱がせると、暖かい布を華奢な身体に覆わせた。
そして発熱から来る脱水症状を確認し、エリクは水筒に入れた飲み水をアリアの口に少しずつ流し入れる。
そして雨が止んだ夜になると、焚火を起こす為に周囲から集めた濡れ枝を布で拭き取りながら乾かし、焚火の準備を行う。
焚火が点くのを確認し天幕の入り口に腰を下ろすと、いつも通り夜間の見張りを始めた。
そして夜が更けた頃、発熱で苦しむ声を呟いていたアリアが意識を戻す。
「――……エリク……?」
「起きたか?」
「……私、どうして……?」
「熱を出して倒れた。熱が下がるまでは、休め」
「……ダメよ。早く、樹海を抜けないと……」
「このまま移動すれば、君が死ぬ」
「……っ」
「今の君を守りながら、樹海を抜けるのは難しい。移動は、君が体調を戻してからだ」
「……それって、護衛としての要求?」
「ああ」
「……分かった、休む。……ごめんね、足手纏いで……」
「?」
「……私、浮かれてたんだと思う。……誰にも負けたこと、一度も無くて。子供の頃から、才女だとか持て囃されて……。でも、実際に旅に出たら、凄くきつくて……。でも、この程度でヘタレたらダメだって……。頑張らないといけないって、そう思って……」
「……」
「今の私、足手纏いよね……。エリク一人だったら、こんな樹海……すぐに抜けられるのに……」
「……君が一緒じゃなければ、俺はここまで来れなかった」
「……ぅ……うぅ……ッ」
熱で苦しみ弱気を見せるアリアの弱音に、エリクは天幕の中に入りながら本音で答える。
その一言を聞いたアリアは閉じている瞼から幾粒かの涙を零し、少しの間だけ押し殺しながらすすり泣く声を浮かべた。
それからエリクの足裾を弱々しく右手の指で摘まむアリアは、静かな寝息を見せながら眠る。
エリクはその様子を確認すると、天幕の中で座りながら瞼を閉じて自身も休んだ。
樹海に入ってから五日目の早朝、アリアが発熱した日の夜を越えた明け方。
瞼を閉じていたエリクは突如として両目を開け、中腰で天幕を出ながら素早く立ち上がる。
そして外に置いていた黒い大剣を持つと、周囲に発生している霧の先へ視線を向けながら声を発した。
「――……誰だ?」
霧の奥で何者かの気配を認識したエリクは、警戒を抱きながら相手に呼び掛ける。
すると霧の中から一人分の人影が姿を現した。
エリクはその人影に歩み寄り、相手の鮮明な姿を視認する。
そこに居たのは、民族装束を身に着けた短い黒髪の褐色女性。
褐色の両頬には赤い塗料で模様が描かれ、右手に槍と思しき石の刃を着けた棒を持っていた。
相手が武器を持っている事を理解したエリクは、大剣を構えて呟く。
「追っ手か」
「……」
追っ手の可能性を考えたエリクは、その表情を鋭く変える。
すると褐色女性も手に持つ槍を振り構え、互いに武器の矛を向け合った。
そして互いが示し合わせたように、地面を蹴り上げて襲い掛かる。
衰弱しているアリアを守る為に、エリクは槍使いの褐色女性と戦い始めたのだった。