忌むべき名に
『大樹事変』から一年が経過した各国は復旧を続け、落ち着きを取り戻し始めている。
その一国に含まれているガルミッシュ帝国についても、その間の出来事を書き記そう。
帝国もまた天災が各領に降り注ぎ、その被害を受ける。
しかし復旧中だった帝都再建用の資材が被災地に届くよう皇帝代理である皇后クレアから指示され、各領地の復興は滞りも無く進んでいた。
特に北方領地に関してはゼーレマン侯爵家が、南領地はガゼル伯爵家が中心となって暴動の鎮圧と復興を担うことで落ち着きを取り戻す。
それを支援する形でローゼン公爵家は各施設に用いられる良質な魔石を供給し、港以外の各町や都市の復旧は一年の間で終えることが出来た。
それ等の成果は全て皇帝代理の判断と指示によって行われながらも、その指揮は補佐役を務めるローゼン公セルジアスの手腕による功績が最も大きい。
資材の流用や各領で起きた動乱の鎮静化に関する的確で効率的な方法は、様々な復興作業を経験した彼の偉業として、後の帝国史の歴史に語られる程だった。
しかし歴史書の語られない裏側では、彼を支えた人物の影もある。
それは彼と共に行動していたウォーリスであり、特に暴徒鎮圧に関する対策方法は彼の助言を聞いたセルジアスの判断によって実行に移されていた。
常人とは比較できぬ程の高い知能を持ち臨機応変な判断能力を持つセルジアスに対して、同等以上の能力を有するウォーリスもまた政治面で頼もしい存在と言える。
それは帝国の悩みでもあった人材面の不足を補い、セルジアスには足りない能力を満たす働きとなっていた。
そして帝国の状況が落ち着いた後、皇帝代理である皇后クレアとセルジアスが相談した結果、帝国においてウォーリスとカリーナにはある役目が与えられる事になる。
「――……ウォーリス殿。貴方には、私の相談役を兼ねた従者となって頂く」
「!」
「カリーナ殿には、皇帝代理の御傍で侍女として働いて頂きます。よろしいですか?」
「わ、私が……皇后様の……!?」
皇后クレアとセルジアスが居る執務室に招かれた二人は、思わぬ役割を伝えられる。
それを聞き驚きながらも訝し気な様子を浮かべるウォーリスは、敢えてセルジアスに問い掛けた。
「それが贖罪になるなら従おう。……だが、そちらはそれでいいのか? ローゼン公」
「……と、仰いますと?」
「私を従者としてではなく、奴隷契約を結んだ上で犯罪奴隷として扱えるようにすればいい」
「ウォーリス様……!!」
「大罪人である私と君が並び立つ立場だと見られてしまうのは、そちらには望ましくないはず。帝国貴族達にも必ず反感が生まれるだろう」
「無論、それは私達も理解しています」
「ならば私に奴隷契約を施し、犯罪奴隷という扱いにした方がいい。言動の制限も必要だろう」
「それでは貴方の能力を活かしきれない。必要な時に必要な意見を述べ動ける人材として、貴方を活用したいのです」
「……君達の権力基盤に、亀裂が入るぞ」
「ええ、それも考えています。……なので、一つ。提案があります」
「提案?」
「貴方には、再び身分を偽って頂く」
「!」
「ウォーリス=フロイス=フォン=ゲルガルドは表向き、誰も知らぬ場所で数百年の刑期で投獄しているという事になって頂きます。その代わりとして、実際の貴方には帝都襲撃で死んだ帝国貴族の身分と名を与え、その者になって今後は公に行動して頂きたい」
「……まさか、他国や他の帝国貴族達を騙すつもりか? それこそ暴かれれば君達の支持が失われ、咎められる事態になる」
「幸い、貴方が帝国へ赴く時には別の名を名乗っていたので、ウォーリスとして実際に見た者は帝国貴族達の中でも圧倒的に少ない。少し工夫すれば、貴方の正体が暴かれる事は無いでしょう」
「……そう上手くはいかないと思うが」
「ええ。なので貴方には、正体が暴かれぬように最善を尽くして頂きたい。私や皇后様……そして次の皇帝となるユグナリスの為に、自分を殺しその身を粉にして帝国に献身して頂きます」
「……!!」
「こちらで幾人か候補となる者の名を用意しました。ただどれも分家筋となる身分の為、家名こそ持てますが領地を与える事は出来ません。あくまで貴方は、私達を補佐する管理官の一人として帝国に仕えて頂きます。無論、相応の給金も支給させて頂きますよ」
「……承知した」
「カリーナ殿も同様です。一時とはいえ、貴方は帝国貴族達に姿を見られた事がある。貴方にも別の身分を与え、少し見た目を変えて頂くことになりますが。よろしいですか?」
「は、はい! ……でも、あの……」
セルジアスはその提案をウォーリスに言い渡し、カリーナにも同意を求める。
すると彼女は動揺した面持ちのまま、何かを口籠る様子を見せた。
それに対して、セルジアスは率直に問い掛ける。
「何か?」
「……私もウォーリス様も……顔を変える手術をするんですか……?」
「そこまでしろとは言いません。髪型を変えて色を染めて頂く程度で十分です。必要ならば、偽装魔法を施す装飾品も用意します」
「で、でも……」
「人間は印象的な容姿をした者や、慣れ親しんだ者以外の姿を覚えている事は稀ですからね。そういう意味では、貴方達の身分を偽るのは難しくはない。……ただウォーリス殿に関しては、共和王国に関わる人間との接触は控えて頂きます。貴方は共和王国で有名ですからね」
「……ウォーリス様……」
そう述べるセルジアスの言葉に、カリーナは不安気な瞳をウォーリスに向ける。
すると彼は静かに頷き、目の前に居る二人の意図を察しながら伝えた。
「これは、我々に対する配慮なのだろう」
「えっ」
「皇族である彼等の傍に居れば、必然としてその傍に居るリエスティアやシエスティナにも会える機会がある」
「……あっ」
「この条件は、君や私にとって損はない。……これも、貴方の采配ですか? 皇后様」
自分達の厚遇に動揺するカリーナに、ウォーリスは教え諭す。
そしてこの役割を提案したであろう皇后クレアに視線と声を向けると、その問い掛けに彼女は答えた。
「――……確かに、そういう意図もあります。……けれどそれ以上に、これはシエスティナの為でもあります」
「!」
「生まれてすぐ両親と離れ離れに過ごしたあの子は、心の内でとても寂しかっています。……これからはあの子にも、皇族として必要な教養を施すことになるでしょう。だからこそ、周りに家族と呼べる者が多く居れば安心してくれるはずです。……あの子の家族として、貴方達にも努めて頂きますよ」
「……はいっ」
「承知しました。その役目、謹んで御受けします」
皇后クレアはそう述べ、彼等に対する処遇が孫シエスティナの為であると明かす。
それを聞き入れた二人は首を前へ傾け、応じる声を向けた。
そうした経緯で現在、ウォーリスとカリーナは別の身分を与えられ従者と侍女として皇族の傍に仕えている。
以前と同じく再び身分を偽ることになっている二人だったが、それでも自分の娘と孫を傍で見守りながら家族として接する時間も設けられるようになるのは喜ばしい事だった。
しかしそれでも、ある懸念がセルジアスやクレアの中には存在する。
それは彼等が家族と呼ぶべき者の一人であり、次期皇帝となる者の状況だった。
「――……ログウェル……ッ」
あの『大樹事変』が終わった後、帝国に生きて帰還した者達がいる。
それは帝国皇子ユグナリスとリエスティア、そしてシエスティナとマギルスの四人だった。
しかしユグナリスは異様な落ち込み様を見せ、ローゼン公爵家の屋敷に戻ってから借りる部屋で引き籠り続けている。
その原因は、今回の『大樹事変』を引き起こした老騎士ログウェルの死であり、その遺体や遺品すら持ち帰れなかった事が原因だった。
そんなユグナリスの傍に居るのは、最愛の女性であるリエスティア。
彼女はケイルの気功術によって受けた傷をほぼ癒され、無事な様子で寝台に籠るユグナリスに寄り添っていた。
「ユグナリス様……」
「ログウェル……なんで……っ」
「あの方は、御自分の意思を貫きたかったんだと思います。最後は、一人の騎士として……」
「そんなの……俺は……。……どんな形でも……生きてて欲しかった……っ」
「……」
「俺達の結婚式にも、出て欲しかったのに……。……ちゃんと俺が、父上の思いを……皇帝を継ぐ姿を、見届けて欲しかった……っ!!」
「……そうですね……」
「あの人は、俺を……ただの皇子じゃなくて、一人の人間として……俺の努力を、初めて認めてくれた人だった……。……だから俺も、ログウェルを本当に……っ」
「……分かっています。……きっと、ログウェル様も……」
「う、うぅ……っ!!」
ログウェルの死はユグナリスの心に傷を残し、その悲しみを今でも色濃く残している。
それを癒す為に傍に居続けるリエスティアは、彼が立ち直るまで支え続けていた。
そうした一方で、帰還したシエスティナの傍には常にマギルスが居続ける。
彼は友達としてシエスティナの遊び役となり、また少女が持つ不安の聞き役にもなっていた。
「――……お父さん、元気になるかな?」
「うん。大丈夫だよ、きっと」
「そうかな?」
「楽しい事ばかりじゃなくて、悲しくて辛いことも生きてる中であるって。ケイルお姉さんが言ってた」
「え?」
「だったらきっと、悲しいことの次は楽しいことがあるよ。そうすれば、お父さんも元気になるんじゃない?」
「……そうかな?」
「そうだよ、きっと。それに、誰かが元気ないと皆が悲しい感じになっちゃうじゃん。だから僕達は元気だよって笑えば、皆も笑ってくれるようになるよ」
「……うん!」
マギルスはそう話し、自分が過去に受けたケイルの言葉を伝える。
それは彼なりの励ましであり、それを聞いたシエスティナも父親が立ち直るのを待ち、自身も明るく振る舞う事で家族を支えていた。
しかしそれに反して、『大樹事変』を起こした老騎士ログウェルについての悪評が人間大陸の人々に広まっている。
同時に彼が今まで築いた数々の名声は地に堕ち、彼をモチーフにした『老騎士の冒険譚』の絵本や書物は破り捨てられ、燃やされるという光景が各地で見られた。
必然としてその事態は、帝国内でも出版されていた『老騎士の冒険譚』を廃刊へ至らせる。
そして忌むべき存在として扱われるようになった老騎士の名は、二度と称賛される形で人々の口から聞こえる事は無くなった。




