老騎士の本
メディアとログウェルが引き起こす計画が実行される以前、時は五十年ほど前に遡る。
丁度その頃、ログウェルは二代目だった『緑』の七大聖人バリスから聖紋を継承し、ルクソード皇国において皇族であるシルエスカと随行するハルバニカ公爵家の長男ダニアスに訓練を施し戻って来たところだった。
幾日か公爵家の屋敷に賓客として持て成されたログウェルだったが、まだ公爵当主となったばかりの若きゾルフシスに対して旅立ちを告げる。
『――……もう旅立ってしまわれるのか? ログウェル殿』
『はい』
『……亡きバリス殿から聖紋を継承した貴方ならば、この皇国に仕えてくれるやもと思っていたのですが』
『それはバリス殿の想い故。儂は儂の想いによって、旅を続けるつもりです』
『そうですか……。……シルエスカ姫と共に、我が息子を強く育てて頂きありがとうございました』
『いえいえ。この十年で聖人へ至れたのも、御子息の努力があればこそです』
執務室において別れの挨拶を交わす二人は、そうして右手で握手を交わす。
すると次の瞬間、手袋に隠れたログウェルの右手に浮かぶ『緑』の聖紋が輝き始めた。
『!?』
『こ、これは……』
ゾルフシスも聖紋を持つログウェル自身も驚愕を浮かべ、光が輝く聖紋を見る。
そして数秒ほど発光を見せた後、風を纏う緑色の球体がログウェルの右手から出て来た。
するとその球体が人型へ変化し始め、ある人物へ変化する。
それは『緑』の聖紋を継承する際に、ログウェルと戦い死んだはずのバリスだった。
『バ、バリス殿……なのですか……!?』
驚愕を浮かべるゾルフシスはその場に現れたバリスに驚愕し、動揺しながら問い掛ける。
するとバリスは落ち着いた面持ちで瞳を開き、ゾルフシスに微笑みながら声を向けた。
『――……これはこれは。大きくなられましたな、ゾルフシス様』
『この声……それにその口調は間違いない、バリス殿……! ……しかし、どうして……!?』
自身の記憶にある故人と瓜二つの光景を見せられ、ゾルフシスは困惑を浮かべる。
するとバリスは自身の右手に宿る『緑』の聖紋を見せながら、同じ驚愕し隣に立つログウェルに声を向けた。
『貴方も御元気そうですな。ログウェル殿』
『バリス殿……これは……?』
『これは、私達が持った聖紋の能力です』
『!』
『私も緑を継いだ時に知ったのですが。どうやら緑の聖紋には、歴代の継承者である人格と記憶を持つ精神体を、複製できるようですな』
『複製……。……ということは、貴方は本物のバリス殿ではない……?』
『そうですな。本物の私は、既に輪廻へ赴いているでしょう。しかし聖紋の記憶する人格が仮初の精神体を顕現させ、本体から分離し活動することも出来ます。初代であるガリウス殿のように』
『!?』
複製されたバリスの精神体は、この場において『緑』の七大聖人が持つ能力を明かす。
そして二代目と同じように初代に対しても同じ事が出来ると知り、ログウェルは驚きを持ちながら声を向けた。
『……その言い方、もしや初代ガリウスも……?』
『はい。今はルクソード様と共に、魔大陸へ赴いています』
『!?』
『ルクソード様が皇国を建国後、自ら皇国を出た時に。私と同じようにガリウス殿が自らの意思によって精神体を顕現させ、ルクソード様に追従して行きました』
『……だとすれば、ルクソード殿もガリウス殿も……?』
『まだ魔大陸に居られるようですな』
『!』
『ただこの能力は、互いの記憶が共有されぬという制限もあるようです。故に私自身も、ガリウス殿の近況やルクソード様の状況を把握できてはおりません。だからこそ、こうした能力の説明や情報交換も口頭で行う必要があるわけですが』
バリスは『緑』の聖紋に関する能力を教え、改めてログウェルを驚愕させる。
しかしそれを聞きながら腑に落ちぬ様子を見せるゾルフシスは、訝し気に問い掛けた。
『……しかし、どうして今になって顕現を……。継承させる前に、ログウェル殿に教えても良かったのでは……?』
『このような特殊な能力ですから。実際に目にしない限り、誰もが信じ難いでしょう。見て触れも出来るのでは、生きていると思われても仕方ありませんから』
『それは、そうですが……』
『この機会で私が顕現した理由も、聖紋に宿る私自身の意思によってです』
『えっ』
『私はこの皇国に、ルクソード様が戻られる事を願っています。……だからこそガリウス殿と同じように、私自身の精神体が顕現できたのでしょう』
『……!!』
バリスがガリウスと同じように精神体で姿を見せた理由を明かすと、改めてゾルフシスに頭を下げる。
そして自らの顕現する程の願いを、頼むように聞かせた。
『ゾルフシス様。この公爵家の下で皇国に身を置く許可を、頂けますか?』
『も、勿論です! こちらからお願いしたいほどだ! ……ただ、しかし……バリス殿は、十五年前に亡くなられた事になっておりまして……』
『では、公爵家の執事として仮の身分を御与え下さい』
『いや、それでも知る者が見れば……貴方だと知られるのでは……?』
『聖人が身分を偽り歴史の中に溶け込む事は、よくあることです。仮に私と同じ聖人で気付く者が居たとしても、それを察する者ばかりでしょう』
『……分かりました。しかし、ただの執事などにしておくには貴方は惜し過ぎる。表向きは執事として、その実では皇国と皇族を支える公爵家の武力を率いる者として、御仕えして頂きたい』
『承りました、ゾルフシス様。……いえ、既に公爵家当主となられたのですね。それでは、旦那様と御呼びさせて頂きます』
精神体として実体化したバリスは、そうしてハルバニカ公爵家当主ゾルフシスの意向により、その身分と素性を偽り老執事として雇われる。
それを傍で見届けるログウェルは、改めて二人に別れ挨拶を向けた。
『どうやら一件落着のようですな。ではこの皇国は、バリス殿に御任せしましょう。公爵殿、儂はこれにて失礼を』
『あっ、御待ち下さい』
『?』
『ログウェル殿は、どちらかに行かれる御予定が?』
『周辺諸国を見て回ろうかと。宗教国家との戦争状態で、あちこち荒れておると聞きますからの』
『であれば。一つ依頼として行って頂きたい場所があるのですが』
『依頼ですか?』
『実は、我が娘の嫁ぎ先であるガルミッシュ帝国にて、不穏の空気があるという知らせがありまして。隣国が軍備を整えつつあると』
『ほぉ。ガルミッシュ帝国と言うと、確か皇国の植民国でしたか?』
『はい。帝国の皇族も、ルクソード皇族に連なる血縁者でありますから』
『なるほど、政略的な結婚ですか』
『はい。だからこそ、私は娘が平穏に暮らせる国であることを願ってはおります。ただ、その帝国でも戦争が起きることに、第二子を宿した娘が不安と恐怖を持っているようで。父親としては、娘や御腹の孫の身を案じております』
『ふむ。……あぁ、思い出した。確か帝国の隣に在るのは、ベルグリンド王国でしたかな?』
『そうです。どうやら戦争状態の宗教国家から疎遠となった後、宗教体制が廃れ貴族制度が強く幅を広めたようです。その堅持力を強める為に、帝国へ侵略戦争を仕掛けるつもりかと』
『ふむ。……して、依頼の内容は?』
『貴方が帝国貴族家の一員に加わって頂き、その戦争を止めて頂きたい』
『儂が、帝国貴族に?』
『それと同時に、皇国から貴方に関する情報を帝国と王国に流します。そして貴方自身の存在が、王国に対する抑止力となってもらえれば』
『儂が七大聖人として帝国に属すると、公表するのですかな?』
『いえ。一部の帝国皇族や貴族達には貴方の素性は御伝えしますが、七大聖人である事は明かしません。ただ貴方の武名を持って、帝国の不安となる戦争を止めて頂きたい。――……【剣鬼】ログウェル』
ゾルフシスはそうして跪き、ログウェルに帝国への助力を願う。
それを聞き考えるログウェルは、微笑むバリスを見ながら答えを決めた。
『……いいでしょう。行きましょう』
『ありがとうございます』
『ただ一つ、お願いが』
『何でしょうか?』
『儂の名を広めるという手段ですがな。子供でも読み易い本にして頂きたい』
『本、ですか?』
『儂は子供の頃、ある本を読みましてな。流浪の騎士が世界を旅するという内容で、それに影響された儂は旅をしてみたいと思ったのですよ。……あっ、本の監修は儂自身にさせてください』
『……分かりました。貴方の名が栄えるよう、立派な本を作らせて頂きます。それと、貴族名として姓ですが。希望の姓はございますか?』
『ふむ。では、先代のバリス殿に習い。ログウェル=バリス=フォン=ガリウスでお願いしますのぉ』
ゾルフシスの頼みを聞き入れたログウェルは、ある一つの条件を伝える。
それは自身が世界を旅し見聞きし体験した話を絵本にし、人々に広めるという願いだった。
そして当時のハルバニカ公爵家が事業とする出版物において、皇国や帝国にある題名の本が広まる。
『老騎士の冒険譚』という題名で書かれたその本の主人公は、ログウェル=バリス=フォン=ガリウス。
ある国を出自とする伯爵の若き騎士が世界の冒険を紡ぎながら各巻毎に老いる物語は、後に子供でも読み易い絵本、そして派生する小説などでも広められた。
それを読んだ後の世代の子供達や若者は、絵物語として語られるその老騎士が実在する人物なのだと巻末で知る。
そして老騎士という存在は様々な者達に憧れを与え、言わば信仰心と呼べる力へとなった。
しかしその信仰心がログウェルという対象に集まる事で、世界に異変を起こし始める。
それが自身の持つ権能の影響だとログウェルが知ったのは、帝国に迎えられてから数年後の事だった。




