帰還者
アルトリアとエリク達が消息を絶ってから、三年の月日が経過する。
その過ぎ去りし時間は、人間大陸の各国家では情勢が大きく変化を齎していた。
特にその情勢が大きく変わったのは、『赤』の七大聖人を有する四大国家の一つだったルクソード皇国。
約二年前、ルクソード皇国の第二十二代目の皇王シルエスカ=リーゼット=フォン=ルクソードが退任する事が発表される。
しかしその発表の間を置かずに、ルクソード皇国の体制は大きく変革していった。
皇国の貴族制度が廃止され、皇都が存在する大陸内の各都市を首都とした地方地域が『市』と呼ばれるようになる。
その『市』を治める代表者が立てられ、『市長』という立場から各市を治める事になった。
また貴族制度の廃止に伴い、特権制度も消える。
これにより各地方の『市』に住む民には貴族階級からの支配を離れ、また民の代表者が参加する民生議会の制度設立によって各市の治政を行う事となった。
こうした形で貴族制度から共和制度に変化したルクソード皇国は、それにより事実上の解体を迎えて国名を変える。
各市の市長達を束ね統括する元皇都を治める最初の『議長』には元宰相職にあったアスラント=ハルバニカが就き、それに倣う形で『アスラント同盟国』という国名が付けられた。
この『同盟国』と名付けられた理由は、元皇国領の各市と合わせ、各国と結んだ共和同盟の条約にも由来している。
その条約を結んだ国の中には、同盟関係であるマシラ共和国、そして傘下国であるガルミッシュ帝国なども含まれていた。
そうした国の変化が起きている反面、元皇王であるシルエスカの行方を知る者は少ない。
彼女の行方を知るのは、その旅立ちを見送った元夫役のダニアス=ハルバニカだけだった。
「――……本当に、行ってしまうのですね。シルエスカ」
「ああ。……しかし、お前が議長になるものだと思っていたがな」
「私は一応、貴方の夫でしたから。そんな私が議長になってしまえば、結局はルクソード皇族に連なる者の統治国だと言われてしまうでしょう。それに、これからが大変なんです。そういう意味では、私が暇になる事は暫く無さそうですよ」
「確かにな。……ダニアス。この国を、そして民を頼んだぞ」
「御任せください。……貴方も、旅に疲れたらいつでも戻って来てください。ここは貴方の故郷でもあるのですから」
「……そうだな。……では、行って来る」
「いってらっしゃい」
数十年の付き合いがあるシルエスカの旅立ちを、ダニアスは皇都で見送る。
そうしてアスラント同盟国にはルクソード皇族は居なくなり、『赤』の血筋に縛られる事は無くなった。
こうして四大国家の一つが消失し、新たな体制と指導者の下で国が築かれる。
そして新たな指導者が立つという意味では、逆にフラムブルグ宗教国家で一人の女性が教皇の座に就こうとしていた。
それは三年前の出来事を通じて枢機卿となった、修道士ファルネ。
彼女もまたこの月日の経過によって、枢機卿から改めて教皇へ推し上げられていた。
「――……まさか私が、本当に教皇を務めることになるとは……」
就任の儀が行われる直前、ファルネは教皇用の礼服を身に着けたまま思い悩むような姿を見せる。
数年前には一辺境国の寂れた教会を任されていただけに過ぎなかった修道士が、一気に本国の枢機卿や教皇の立場に置かれたのだ。
それはファルネであっても困惑する事態であり、その内心は自信よりも不安に満たされている。
しかし彼女が自分の立場から逃げる事を考えないのは、自らの教義とする神への信仰心と、託された者としての意識が確かに存在しているからでもあった。
するとファルネが待機する部屋の扉を軽く叩き、ある者達が尋ねて来る。
「――……シスター! 準備、出来ましたって!」
「馬鹿、もうシスターじゃないって何度も言ってるでしょ!」
「先生が来るの、皆が待ってますよ」
「いっぱい人が来てるよ、凄いね!」
部屋に来たのは、ファルネが育て鍛えた孤児院の子供達。
彼等も成長し大人らしい青年や女性の容姿となりながら、全員が神官の礼服を身に付けていた。
黒獣傭兵団の冤罪から始まる様々な事件に巻き込まれながらも、彼等は厳しくも優しく育ててくれたファルネを慕いながら付いて来ている。
そんな彼等の呼び掛けに応えるように微笑みを浮かべたファルネは、腰掛けていた椅子から立ち上がりながら歩み始めた。
そして破壊されながらも再建された大聖堂の祭壇にて、多くの神官や信者達に囲まれながらファルネは教皇の錫杖と冠を受け取る。
すると神の像に儀礼の祈りを捧げ、その傍に在る祭壇に置かれたミネルヴァの遺した右手と聖紋を見た。
命を賭して自分達を救ったミネルヴァから後を託された者として、ファルネは強い意志を宿す瞳を浮かべ振り返りながら信者達に声を向ける。
「――……皆様、今日は御集り頂き感謝致します。こうして私が教皇に立つ事になったのも、また神の御導きでありましょう」
「おぉ……」
「それでも私は、神に仕える者として未熟の身だと考えます。……本来この場に立つのに最も相応しかったのは、我等が神の為に全てを捧げた恩師ミネルヴァでありますから」
「……ぅうっ、ミネルヴァ様……」
教皇として初めて言葉を発するファルネは、信者達にそう告げる。
それを聞き改めてミネルヴァを慕っていた信者達は彼女の死を悲しみ、涙と漏れるような嗚咽が周囲から聞こえてきた。
しかしファルネは、伏せ気味だった顔を上げて信者達に改めて告げる。
「私は恩師ミネルヴァの意思と、神に仕える者としての矜持を果たす為に、この場に立つ事を決意しました。……きっと私では至らぬ事もありましょう。それでも神に導かれた自分の役割を務め、その生涯を我等が神への信仰で満たす事を、御許しください」
そう述べながら頭を軽く下げたファルネに、多くの信者達が拍手で迎える。
『黄』の聖紋から輝きを受け、ミネルヴァの意思を継いだ事が証明されているファルネを慕う者達が多い現在の宗教国家では、彼女を教皇とすることに反対する者は居なくなっていた。
この三年間で、邪神を崇拝していた邪教徒は排除されている。
そして再び『繋がりの神』を信仰する各宗派のまとめ役として、教皇ファルネがフラムブルグ宗教国家の代表者となった。
それに伴い、宗教国家も新生されたアスラント同盟国の条約に参加する。
条約に参加する意図としてはルクソード皇族の居なくなった同盟国における布教活動も含まれていたが、主に旧教皇派閥によって秘匿され続けていた回復・治癒系統の魔法を伝え広め、多くの人々に救いの手を伸ばせるよう各国へ神官達を派遣する為の配慮だった。
こうして大国の二つに大きな変化が訪れていた頃、とある場所に集まる者達がいる。
それは人間大陸の上空に見え浮かぶ、天界の白い大陸。
そこには一隻の箱舟と共に訪れた者達が、再び巨大な神殿と向かい合いながら白い大地へ足を踏み入れていた。
「――……これでようやく、救出の準備が整った。今から迎えに行くからな、リエスティア。……ついでに、アルトリアも」
箱舟から先陣を切って降りたのは、長く伸びた赤髪を後ろに纏めた青年ユグナリス。
そしてその全身は魔鋼製の赤い装備で身を包み、更にその左手には顔を全て覆える赤い防護面が握られていた。
更にその後ろから、色合いこそ違いながらも同じ魔鋼の装備と防護面を身に着けた二人が出て来る。
そして黒い防護面の前部分を開けた人物が、前に立つユグナリスに呼び掛けた。
「――……おい、皇子。その虚無の世界とかいう場所に、マジで行くのかよ」
「当たり前です、その為に来たんですよ。ほら、急ぎましょう! 青殿が待ってます!」
「あっ、おい! ……どんだけ危険な場所かもよく分かってねぇのに、まったく無茶な皇子だぜ。なぁ、ドルフよ」
「――……それに付き合うつもりの俺達も、どうかしてると思うぜ。スネイクさんよ」
「そりゃそうだな」
黒い装備を身に着けた元特級傭兵のスネイクとドルフは、そう言いながら神殿へ走るユグナリスの後を追う。
彼等は武玄によって齎された『虚無』の情報を聞き、その中に閉じ込められたと思しきアルトリア達やリエスティアの為に必要な装備を今まで揃えながら準備していた。
『虚無』の世界に入る為に必要なのは、魔鋼で作られ全身を覆える装備。
ゲルガルドが有する遺跡から落下した不発の魔鋼から材料を得たユグナリス達は、ある人物達の協力を得ながらこの三年間で装備を作っていた。
そしてようやく完成した魔鋼の装備を用いて、リエスティア達を『虚無』から救出する作戦を開始する。
その救出隊員に選ばれたのはユグナリスの他に、元特級傭兵のスネイクとドルフ、そして先に到着していた狼獣族エアハルトだった。
「――……エアハルト殿!」
「……チッ、遅いぞ」
「すいません。母上とシエスティナに報告に行っていたので」
「フンッ」
大階段を登り終え開けられたままの大扉前に立っていたエアハルトに、ユグナリスは声を向ける。
そして扉の先へと歩み始め、エアハルトの隣に並びながら会話を始めた。
「エアハルト殿も捜索に協力してくれて、本当に助かります。貴方の嗅覚は、本当に頼りになるから」
「……貴様の為じゃない。そこを勘違いするな」
「分かってます。それでも、本当に有難いです」
「フンッ」
「――……来たか」
そう言いながら進んでいた二人は、神殿の中に様々な魔導装置を持ち込んでいる『青』を発見する。
するとユグナリス達に追い付いたスネイクやドルフも見ながら、『青』は彼等に改めて大まかな作戦を伝えた。
「一通り、『虚無』の環境や時間的なズレの確認は終えている。……これより、魔導装置を使って時空間を形成する。そこに【虚無】の出入り口を作り、お前達が入った後に時空間を消失させる」
「……」
「消失させた後、その装備に接続した命綱を使って捜索を開始する。呼吸は魔鋼の魔力を用いて生成できるが、命綱が届かぬ場所まで探しに行くなよ。お前達まで戻って来れなくなると思え。こちらで十分毎に命綱を引いて戻すが、お主達からすれば六時間ほど時間が経過しているはずだ。それを踏まえ、『虚無』の環境に耐えられる聖人や魔人を選抜したが、決して油断はせぬようにな」
「分かりました」
『青』の説明を聞いた一同の中で、ユグナリスが覚悟のある青い瞳と声を向ける。
それに応えるように頷いた後、『青』は魔導装置を起動させようと操作盤を押そうとした。
「では、時空間を――……っ!!」
「な、なんだっ!?」
すると次の瞬間、彼等の前方に突如として眩い閃光が出現する。
突如として出現した光に驚きを浮かべる一同の中で、スネイクが『青』に呼び掛けながら聞いた。
「おい!、まさかコレが『虚無』ってやつかよっ!!」
「いや、違う! これは――……っ!?」
目の前に出現したのは意図して作り出した『虚無』への入り口ではないと知り、全員が警戒しながら身構える。
そして薄く開く瞼越しに光の中を見つめ、ユグナリスは『生命の火』に取り込んでいる精神武装で赤い剣を作り出した。
すると次の瞬間、光の中から音が響く。
それが複数人数の足音だと気付いたユグナリスは、光の中に見える人物達の姿を目撃した。
「……アレは……」
「!」
「……間違いない。あれは……リエスティアッ!!」
「――……うるさいのよ、この馬鹿皇子ッ!!」
「ウゲッ!!」
ユグナリスは精神武装を再び『生命の火』に戻し、眩い光の中へ駆けていく。
そしてリエスティアを抱える人物に近付くと、その真横から出て来た人物が懐かしい罵倒を浴びせながらユグナリスの脇腹を蹴飛ばした。
すると光が消失していくと、その中から出て来た人物達の全貌が見える。
それは消息不明だったアルトリアとエリク、そしてリエスティアを抱えたケイルと、半透明の青馬を伴うマギルスだった。
「――……戻って、来れたのか?」
「そう、みたいだな」
「なんだ、結構あっさりだね!」
「帰ってきて早々、この馬鹿の顔を一番に見るなんて最悪だわ」
「……リ、リエスティア……!」
現れた彼等はそうした会話を行う中、アルトリアは蹴飛ばした馬鹿皇子を見下ろしながら嫌悪の表情を浮かべる。
それでも立ち上がろうと蠢きながらリエスティアを得ようとするユグナリスに、唖然としていた他の者達は苦笑を浮かべながら歩み寄った。
『青』もまたそうして現れた彼等に対して、嘆息と笑みが籠る声を漏らす。
「……無事だとは思っていたが、まさか自力で戻って来るとはな。……流石と言わざるを得んか……」
アルトリア達の帰還を目撃した『青』達は、一気に賑わう場の中で神殿の外に歩み始める。
そして箱舟に備えた通信器を用いて、各国の関係者達に行方不明者が発見された事を伝えた。
こうして三年間も行方不明となっていた彼等は、無事な姿を見せて人間大陸に帰還する。
それを知らされた者達の多くは、喜びを抱きながら彼等を迎えたのだった。




