【完結】虐殺者の称号を持つ戦士が元公爵令嬢に雇われました

南国編 二章：マシラの闘士

喪失の代価

　激突するアリアとゴズヴァールの戦いは、二人の衝突により勝敗を決する。

　そして全身を大きく負傷したエリクが目を覚ました時、その身体は地面に投げ出され倒れていた。

「……俺(おれ)、は……」

　身体中の節々に重い痛みを感じつつも、エリクは思い出すように視線を周囲に送る。

　空はまだ青く、日も高い。

　腕を動かそうとしても、痛みで上手く動かせない。

　辛うじて動くのは、首と顔のみ。

　エリクは朦朧とした意識の中で首を横へ動かし、傍にあるモノを見る。

　それは、自分と同じように倒れているアリアの姿だった。

「……アリ、ア……」

　自分と同じように地面へ倒れているのがアリアだと察したエリクは、金色の髪が乱れても整えられた顔を見る。

　目を閉じているが、その顔は間違いなく自分の知るアリアだと理解できた

　しかしアリアの姿は、まるで眠っているようにも見えてしまう。

「……アリア……？」

　エリクは呻くような声を漏らし、アリアに話し掛ける。

　しかし呼び掛けても返答は無く、よく見ればアリアの鼻と口から赤い血が流れていた。

　エリクはそれに気付き、朦朧とした意識を徐々に覚醒させる。

「アリア……？」

　全身の痛みに耐えながら、エリクは体を起こし始める。

　そして腕と背筋に力を込めて上半身を起こし、エリクはアリアの体全体を見渡した。

　そこでエリクが見たのは、胸から赤い血を大量に流すアリアの姿。

　心臓の部分の肉が抉られ血溜まりの上に横たわるアリアは、目を閉じてまま倒れていた。

「……アリ、ア……？」

　それを見た瞬間、エリクは朦朧とした意識が蒼白し、目の前の光景を無意識に拒絶する。

　その光景を否定するように自身の痛みすら否定して腕を動かし、エリクはアリアへ手を伸ばした。

　アリアの金色の髪を触り、顔に手を伸ばす。

　しかし頬に触れても、アリアに反応は無かった。

　無意識に手を伸ばしたエリクだったが、今度は意識的にアリアの息を確認しようと考える。

　アリアの鼻と口の上に軽く手を向け、息をしているのかを確認した。

　しかし僅かな望みは潰え、アリアが息をしていないことを察してしまう。

「……アリア、起きろ……」

　エリクは初めて、アリアに起きろと言う。

　今までの旅でアリアに起きるよう一度も声を掛けなかったエリクが、初めてアリアの肩を揺らして起きるよう頼んだ。

　しかしそれでも、いつものように眠そうな表情でアリアが目覚めない。

　負傷しながら血が流れる自分の身体に別の悪寒を強めたエリクは、表情を強張らせた。

「……ッ!!」

　エリクは反応が無いアリアを見ながら痛みを無視して起き上がり、地面に倒れるアリアを見る。

　その時にはエリクの意識は朦朧とはしておらず、はっきりとした意識の中で目の前の現実を察した。

　アリアが死んだという、現実を。

「……アリア……」

　死んだアリアを見ながら、エリクは今までに無い喪失感と虚無感に襲われている。

　そしてエリクの中に思い出されるのは、一年にも満たないアリアとの旅の記憶だった。

　初めて森の中で出会い、道中や街で笑って話す金髪碧眼の少女。

　喜怒哀楽の様々な表情を見せて、分け隔ての無い言葉で話し掛ける姿。

　文字を教え、数字の計算を教え、物事の知識を自分に教え導く光景の数々。

　自分より遥かに小さく華奢な体で、誰よりも強い意志と力ある瞳を宿した少女。

　エリクにとって、アリアとはそういう少女だった。

　そしてアリアが自分の何かを満たしてくれていたことを、エリクは今になってようやく自覚する。

　それを自覚したエリクは、自分の瞳から何かが溢れて出てくることを理解した。

　それが自分の頬を伝い傷のある顎に届くと、そのまま地面へ落ちいく。

　ここまで一度として泣いた事の無いエリクが、涙を流してアリアの死を悲しんでいた。

　そして身体中の痛みより重く圧し掛かる喪失感と虚無感が涙として表れ、エリクに暗い感情を生み起こす。

　そうした中で、エリクは背後からの声を聞く。

「――……死んだか」

「……」

「貴様を庇い、障壁を幾重にも張ったようだが。障壁を突破した俺の角が突き刺さり、心臓に達したようだな」

「……」

　声のする方へ、エリクは振り返って視線を向ける。

　そこには、人の姿を模した牛のような獣がいた。

　牛の頭から飛び出す二本の角があり、その一つに赤い血液が付着している。

　それを見たエリクは、喪失感と虚無感の中で薄暗く発生した感情に火が灯った。

　それを知らずに、牛の姿をした者は話を続ける。

「お前も、その女と共に送ってやる」

　牛の顔をした巨体が体を動かし、エリクの背後まで歩み寄った。

　そして両手の拳を握り締め、それをエリクに向けて向けて振り上げる。

「死ね、侵入者」

　そして牛の顔をした巨体が、振り上げた右腕から右拳を振り下ろす。

　凄まじい威力を秘めたその拳が、エリクの頭上に振り下ろされた。

　そして次の瞬間、凄まじい轟音がその場に響く。

　エリクとアリアが居た場所の地面に亀裂が生じ、まるで地震でも起きたように王宮を揺らした。

　拳を振り落とした本人も、それを見ていた少年闘士マギルスも、エリクの死は間違いないと思う。

　しかしその確信は、次の光景で否定された。

「……なに？」

「……」

　エリクは左手を頭上に掲げ、振り下ろされたゴズヴァールの拳の鉄槌を受け止めている。

　ゴズヴァールがそれを怪訝に思うより早く、野生の勘とも言うべき感覚が危険を察した。

　ゴズヴァールの巨体が一瞬でエリクから遠ざかり、その身を退かせる。

　そして驚愕の瞳を向けながら、満身創痍のエリクを再び確認した。

「……これは、魔力……!?」

　この時、エリクは身体中から魔力を発している。

　本来は空気中に溶け込み、魔法や魔術で発現しないと視認できない魔力が、視認できるほどに濃縮された状態でエリクから放たれていた。

　その魔力の色は、赤と黒が交じり合う色。

　まるで螺旋を描くように紡ぎ纏う魔力がエリクの周囲を纏っている光景を目にしたゴズヴァールは、その正体をようやく見極めようとしていた。

「やはり貴様も、魔人か」

「……お前が……」

「しかも、このドス黒く重い魔力は……」

「……お前が、アリアを殺したのか」

「やはり貴様は危険だ。この場で殺す」

「――……お前がァアアアアアアアアアア!!」

「!!」

　赤が混じるドス黒い魔力を放つエリクが立ち上がり、ゴズヴァールに対して咆哮を向ける。

　そして凄まじい速さで駆け出し、右手を振り上げてゴズヴァールに襲い掛かった。

　ゴズヴァールはそれを回避し、左拳を握ってエリクに撃ち当てる。

　飛ばされながら壁へ激突したエリクだったが、狂気にも似た怒りの表情を向けてめり込んだ壁から飛び出し、再びゴズヴァールへ凄まじい速さで走り向かった。

　今のエリクは、人間とは程遠い姿を見せ始めている。

　眼球が赤色に変貌し、更に筋力が体内の魔力で増強されたのか、明らかに人間離れした脚力と耐久を示す。

　腕と足が一回り太くなり、傷を塞ぎながら体が膨張したように膨れ上がった。

「……そうか、魔の血が覚醒させたか」

「ガアアアアアアアッッ!!」

「暗きに墜ちた魔が。俺が殺してくれるわッ!!」

　変貌し激情に任せるエリクをそう言い、ゴズヴァールは牛鬼の姿で立ち阻む。

　こうしてアリアの死によって、エリクが魔人としての覚醒を始めたのだった。