宴の準備
ゲルガルド伯爵家の次期当主に選ばれたウォーリスは、娘であるリエスティアと共に四歳になる帝国皇子ユグナリスの誕生日祝宴に赴く事が決まる。
三ヶ月後の為に早急にその準備が進められ、ウォーリスとリエスティアには祝宴用の装束が用意された。
そして帝国貴族達が集う帝都の祝宴に恥じぬよう、最低限の礼儀作法を執事や侍女から学ばせられる。
しかし容量も良く聖人として類稀なる身体能力を有するウォーリスは、元々母親から受けていた教育もあって三日の内に学ぶ必要が無いと判断された。
逆に礼儀作法について最も苦言を呈されたのは、他でもない娘リエスティアの方である。
彼女が生まれてから四年間、そうした貴族らしい礼儀作法を学ぶ機会が無いことが原因だと周囲から思われているようだが、それに疑問を持ったのは実父であるウォーリスの方だった。
そこで教育を終えて戻って来た娘の部屋で待っていたウォーリスは、訝し気な視線を向けながら問い掛ける。
『――……下手な演技でもしているのか?』
『演技じゃないですよ。本当に下手なんです、こういうのは』
『……』
『疑ってますか? ……私の場合、むしろこういう貴族の方が慣れていないんです。何より、身体も貧弱そのものですから』
『……貧弱?』
『御母様は気付いていましたよ。だから私の身体も、よく気遣ってくれていました。……でも御父様は、私の事を警戒していてもそういう事には気付いてくれませんでしたから』
『……ッ』
寝台に腰掛けながら靴擦れで赤く腫れた足に軟膏を塗るリエスティアは、父親に対する皮肉染みた言葉を向ける。
それを聞いたウォーリスは思わず顔を歪めながらも、今まで自分の娘に対して父親らしい感情や行動をしていなかったのを自覚していた。
故に反論しないウォーリスに、リエスティアは微笑みと声を向ける。
『御父様にとって、今の私は娘ではない。そう思えない。それは仕方ありません。……でも御父様と御母様の娘は、確かに実在します』
『……どういうことだ?』
『私の中にいるんです。……生まれ育つはずだった貴方の娘、その魂が』
『!?』
『今は私が表層にいるので、彼女の成長は止まっています。でも私自身の精神が肉体から消えれば、貴方の娘が表層に出て来るはずです』
『……その身体の中に、二つの魂が存在するのか?』
『厳密に言えば、少し違います。……【黒】である私の魂は、そもそもこの肉体には宿っていません。大元となる魂は、輪廻の向こうに存在します』
『!』
『私は輪廻を介して、この肉体となった子の精神に憑依しているだけの存在です。……私が憑依した影響で髪や目が黒くなっていますが、肉体そのものは貴方達の遺伝子を継いでいる子供であり、本来の魂も確かに存在するんですよ』
『……!!』
そう告げる『黒』の言葉に、ウォーリスは驚愕の色を濃くした表情を浮かべる。
更に脳裏に過ったある可能性を、ウォーリスは表情を険しくしながら問い掛けた。
『……お前の精神を消せば、娘の……リエスティアの魂は、その肉体の主導権を得るのか?』
『はい、その通りです』
『……なら、今ここでお前の精神を消せば。私は愛すべき娘を取り戻せるという事だな?』
『はい。……でも、今それを選んでもいいのか。少し考えてみてください』
『命乞いのつもりか?』
『今この状況で私を消しても、無意味だという事です。……私の精神を消すのなら、この先にもっと良い機会が訪れます』
『!』
『それまで、少し待っていてください。……疲れたので、そろそろ寝ますね』
『……ああ』
再び予言染みた言葉を伝える『黒』は、自ら脱ぎ終えた練習用の装束を整え戻すと、寝間着に着替えながらそう伝える。
ウォーリスは理解し難い表情を浮かべながらも、それに応じるように部屋を出て行った。
翌日、ウォーリスは自ら娘リエスティアの教育に参加し始める。
その時に担当していた教育係に対して、ウォーリスはこう言いながら役割を交代させた。
『子供の教育は、親がやるものだ』
皮肉ながらも愛すべき母親と憎悪すべき父親から教育を受けたウォーリスは、自分の娘に対して自ら教育を施す事を選ぶ。
そこには母親の慈悲深き愛情こそ無かったが、父親としての厳しく礼儀作法を教え、それでも虚弱だと述べる娘の身体を気遣った対応をして見せた。
不器用な対応を見せる父親に対して、娘であるリエスティアは微笑みを返す。
奇しくもその時が、初めてウォーリスとリエスティアが親子として初めて接する機会となった。
そんな親子を別室の窓から眺め見るのは、厳しい視線を浮かべる異母弟の母親エカテリーナ。
彼女は当主の座を奪い、兄妹にしか見えぬような戯れを見せる二人の様子を確認しながら、憎々しい声で呟いた。
『――……成長の遅い化物と、その娘など……。……息子の為にも、あの二人には消えてもらうわ……』
エカテリーナは憎悪の感情を抱きながら、その場を退くように窓から離れる。
しかし敵意と憎悪が交じり合ったエカテリーナの視線を察知していたウォーリスは、それを危惧するように窓の向こう側を見据えながら呟いた。
『……道中も、気を付けねばならないな。従者は出来るだけ、信頼できる者に任せた方が良さそうだ』
そう考えるウォーリスは、後日に現当主へもう一つの頼み事を自ら伝える。
ゲルガルドはそれに対して少し考える様子を見せながらも、その頼みを受け入れた。
『確かに、お前の肉体を守らせるのならば適任だな。……奴を祝宴に連れて行く為に、義体を出すことを許可しよう』
『ありがとうございます。……それと継母についてですが、どうやら私に敵意を持っているようです』
『分かっている。だが逆に、あの女が自ら失態を犯してくれるのならば有難い。処分する名分が作り易くなるからな』
『では、このまま放置しておくという事で?』
『そうだな。……だが何かあれば、証拠は確実に掴んでおけよ』
『承知しました』
ゲルガルドから伴う従者と継母への対応について、了承が得られる。
するとウォーリスは即座に動き、異母弟ジェイクに母親の動向に注意を払うよう伝えるよう夜間の部屋に忍び込んだ。
『――……兄上……!?』
『ジェイク。お前の母親だが、余計な事をしないように注意をしておいてくれ』
『えっ』
『どうやら、後継者に選ばれた私の排除を目論んでいるようだ』
『そんな、母上が……!?』
『父上はそれを理由に、お前達を処分するかもしれない。……気を付けてくれ』
『……分かりました。母上に、そのような凶行は犯させません』
『頼む』
それだけを伝えたウォーリスは、侵入した扉を僅かに開けながら再び消えるようにその部屋を去る。
ジェイクはそれを聞いた後、何とか母親を宥めて父親の凶行が早まらぬように試みた。
更に後日、ウォーリスは再びあの庭園へと訪れる。
そして隠された地下の実験室に赴き、久方振りに鍛錬以外で友アルフレッドに話し掛けた。
『――……こうして話すのは、久し振りだな。アルフレッド』
『御久し振りです、ウォーリス様。今日はどのような御用ですか?』
『君に頼みたい事がある。今度、帝都で行われる祝宴に出る事になった。そこで君に、従者として同行して欲しい』
『従者ですか。……ゲルガルド様の許可は?』
『得ている。君の義体を出しても構わないそうだ』
『そうですか。では――……』
二人はそうした会話を行った後、アルフレッドの脳髄が収められた試験管の周囲に青い光が灯る。
それが一つの道筋となって壁まで伝わり、そこに収められていた黒い金属に包まれた扉が開かれた。
その中から、裸体の肌を晒した茶髪の青年が垣間見える。
そして青年は瞼を開き、緑色の瞳を見せながら開けられた扉の縁に手を掛けて起き上がった。
するとその青年は、ウォーリスを見ながら口元を微笑ませて話し掛ける。
『――……この義体で外に出るのも、久し振りです』
『動きに問題は?』
『ありません。人形と同じように、自由に動かせます』
『……その姿は、肉体を持っていた頃の君と同じなのか?』
『いいえ。元の姿は、骨に皮が張り付いたような身体でしたよ』
『そうか。……それじゃあ、従者役を頼むよ。アルフレッド』
『承りました。ウォーリス様』
大元である脳髄を通して青年姿の義体を操るアルフレッドは、普通の人間と変わらぬ様子で微笑む。
そして歩み寄ったウォーリスと握手を交わし、祝宴へ同行する従者となる事を承諾した。
それから二ヶ月が経ち、半月後には帝都で祝宴が開かれる日となる。
こうしてウォーリスは娘リエスティアと従者アルフレッドを伴い、世話役の侍女達を同行させながら初めてゲルガルド伯爵領から出たのだった。




