黒の娘
父親から新たな肉体となるべく実験と鍛錬を施されるウォーリスは、それに耐え抜きながら確かな実力を身に着けていく。
その裏側でそれぞれがゲルガルドを討つべく準備を進める中、付き従っていた侍女カリーナはウォーリスと関係を持つに至り、その結果として彼の子供を身籠る事になった。
それを知ったウォーリスは、驚愕と共に怯えるような内面を動揺として現す。
愛する男性の子を懐妊したことを知ったカリーナだったが、そうしたウォーリスの様子に気付き、女医が去った納屋の中で心配そうに問い掛けた。
『――……ウォーリス様、どうしたのですか……?』
『……すまない、カリーナ。私のせいだ』
『何を、謝っておられるのです?』
『……御腹の子についてだよ。……君の事を考えるなら、中絶はすぐに行った方がいい』
『!?』
『麻酔は、私が用意しておく。実験室にあったはずだ。傷については安心してくれ。私が治癒と回復の魔法で、君を癒せるから……』
『ウォーリス様、何を言って……!?』
そうした言葉を告げ始めるウォーリスに、カリーナは驚きながら身体に触れる。
しかし触れたウォーリスの身体は震えており、更に顔を上げて見せた表情は苦悩する表情を浮かべていた。
『……このまま子供が生まれれば、ゲルガルドは私と同じような実験をするだろう』
『!』
『しかもそれを、今度は私の肉体で……父親であるはずの私の肉体で、それを行うかもしれない。……それを私は、どうしても許す事が出来ない……!!』
『……ウォーリス様……』
『私は強くなった。だが強くなったからこそ、奴の恐ろしさも理解できるようになってきた。……あの男は、とんでもない化物だ。例え今の私が挑んでも、指も届かずに仕留められてしまうだろう。……だったら、私達の子供を救うには……もう、この方法しか……っ!!』
幼少期に受けた実験の記憶を思い出すウォーリスは、それがゲルガルドの手によって自分の子供にも施されてしまう可能性を考える。
あの地獄のような実験を自分の子供が味わい、しかも自分自身の肉体を利用される事を想像した結果、ウォーリスには自分の子を中絶させるという判断しか出来なくなっていた。
改めてウォーリスが生まれて来る子供の未来について考えるが故に怯えている事を認識したカリーナは、その両頬に自身の両掌を重ねる。
そして包み込むようにウォーリスの身体を引き寄せながら抱き締め、落ち着かせるように穏やかな声を言葉を発した。
『……落ち着いてください、ウォーリス様』
『カリーナ……。……だが……っ』
『ウォーリス様は、とても御優しい方です。でも、その方法は……ウォーリス様の為にも御止めください』
『!!』
『自分の子を殺めてしまえば、ウォーリス様は御自分を決して許さなくなってしまう。ずっと、御自分を責め続けてしまう。だから、それは御止めください……』
『……だが、でも……。……どうすれば……っ!!』
『一緒に考えましょう。ジェイク様やザルツヘルム様、そしてウォーリス様の御母上も、きっと協力してくれます。……そして、私も御傍に居ますから……』
『……うっ、ぅう……っ!!』
抱き締めながら頭を撫でるカリーナの言葉で、動揺するウォーリスを涙を溢れさせながら徐々に気持ちを落ち着けていく。
そうして子供の中絶という判断を取り止めたウォーリスは、秘かにジェイクやザルツヘルムにカリーナの状態を事態を伝えながら子供についての意見を聞き、出産後にどう対応すべきかを検討した。
しかし女医を呼んだ時点で、屋敷の執事達を通してその報告が当主であるゲルガルドの耳にも届いているのは間違いない。
それを察しカリーナの懐妊について隠し通せない事を承知しているウォーリスは、夜に行われる鍛錬で姿を現したゲルガルドに自らその報告を行った。
『――……カリーナが、私の子を妊娠しました』
『ほぉ、そうか。それはめでたい事だ』
『……一つ、その事について御聞きしたい事があります。よろしいでしょうか?』
『なんだ、言ってみろ』
『私の時と同じように、その子にも地下室での実験をなさるのでしょうか?』
『……なるほど、我が子が心配か? ウォーリスよ』
『……ッ』
『確かに創造神の血を引く肉体ならば、お前と同じように権能を使えるか実験するのも手だが。……だが既に、お前を通して一度は実験を終えている。結論として、やはり血族であっても創造神本人にしか権能は扱えない可能性が高い』
『……創造神、本人?』
『そういえば、お前には教えていなかったな。……お前に流れる血の祖先、つまり創造神。奴の肉体は、今でもこの世に生まれ続けている』
『!?』
『その肉体は【黒】の七大聖人などと呼ばれ、現人神として人間大陸の中で生まれ変わり、常に人の世に存在しているのだ。……まぁ、今は何処に居るかも分からないがな』
『……では、その【黒】は創造神の権能が……?』
『使えるという話だ。だが【黒】は特殊な制約によって、創造神の権能がほとんど使えなくなっているらしい。その制約を解除すれば、ある程度の権能が使えるという話だ』
『……父上は、その創造神を捕えようとした事は?』
『あるさ、何度もな。だが奴を追っているのは、私一人では無いらしい。しかも【黒】は転移魔法を得意としながらあらゆる魔力効果を受け付けぬ為に、捕まえるどころか捕捉する事すら困難だ』
ゲルガルドは創造神の『器』である『黒』の七大聖人について教えると、ウォーリスは厳しい表情を浮かべる。
それが自分に流れる血の祖先であるという感慨深さを持ちながらも、神と呼ばれるような存在が実在している人間と言われた事による内心の動揺が浮き出そうになるのを抑えていた。
そんなウォーリスが、顔を伏せたまま畏まる姿勢で再び問い掛ける。
『では、その【黒】を捕える事は不可能なのですね』
『いや、そういうわけでもない』
『!』
『【黒】は生まれてから成人するまでの期間、ほぼ自分の能力を使えないと聞く。その間にそれらしき子供を発見し拘束しておけば、捕える事は可能だ。……だがこの世に、そのような容姿の人間も珍しくはない。特定するのは、ほぼ不可能だ』
『その【黒】には、何か特徴などはあるのでしょうか?』
『奴はどんな血筋であれ、必ず黒髪と黒い瞳を持つ娘として生まれると聞く。例え両親が全く異なる髪と瞳を持っていてもな』
『では仮に、未成熟な【黒】を捕える事ができれば。父上がその権能を使わせる事が可能なのでしょうか?』
『それは、実際に捕えてみねば分からぬ事だ。……だが【黒】の肉体だけ捕えても、私の血が混じらねば私が権能は使えないとは思うがな』
『!』
『……無駄話が過ぎたな。懐妊したというお前の子供については、勝手に対応して構わん。必要だと思った時には、私が指示する。……さぁ、今日の鍛錬を始めるぞ』
『創造神』と『黒』に纏わる情報をゲルガルドから聞いたウォーリスは、辛うじて自身の子供が同じ実験に遭う可能性は低い事を知る。
それに安堵しながら自らは過酷な鍛錬を施される日々が続き、それから再び年月が経った。
ウォーリスが二十歳となった年、妊娠九ヶ月目に至っていたカリーナがついに臨月を迎える。
そして予めカリーナを移動させていた病院にて、担当する女医と出産の介助役となるよう雇われた治癒魔法師がその場に立ち合う事になった。
しかしその出産において、一つの混乱が生じる。
それは出産の過程がある程度まで進む中、治癒魔法で出産を抑え痛みを緩和させていたはずのカリーナが、突如として悲痛な絶叫を上げた状況から端を発した。
『――……出血が酷くなってる!? 治癒魔法を止めないでっ!!』
『は、はい! ……えっ、そんな……!?』
『どうしたのっ!?』
『ま、魔法が発動しなくなってる……!?』
『なんですってっ!?』
『魔石の魔力が切れた……!? いや、でも魔石は取り替えたばかりのはずなのに……!?』
『治癒魔法を早くっ!! 痛みで気を失わないようにさせないと……っ!!』
治癒魔法を施しながら出産の痛みや出血を和らげる方法が用いられる事が多い中、カリーナの出産において思わぬ事故が生じてしまう。
それは雇い入れた魔法師が途中で治癒魔法を施せなくなり、抑えられていた出血や痛みが一気に激化してしまうという事態だった。
辛うじて女医達の判断と適切な対応で出産を終えながらも、初産のカリーナは多量の出血によって激しく消耗し衰弱してしまう。
そして母子共に危険な状態を乗り越える為の治療活動が行われた際、その報告が父親となったウォーリスにも女医から伝えられた。
『――……どういう事なんだ、いったい?』
『……申し訳ありません』
『謝罪よりも、理由を聞かせてくれ。……どうして治癒魔法を掛けないまま、分娩を?』
『掛けない……と言うよりも、掛けられなくなったようです』
『どういう事だ……?』
『分娩中、突如として治癒魔法が発動しなくなったそうです。その為、治癒魔法がないまま分娩作業を進めるしかありませんでした』
『……』
『た、ただ。その後も、奇妙な事が……』
『……なんだ?』
『出産を終えた後に、出血の酷かったカリーナさんに再び治癒魔法を行った結果。治癒魔法は無事に掛かり、出産の際に傷付いた部分は無事に治りました。……ただ……』
『ただ、なんだ?』
『……御出産になった御子様が、傍に居る場合。どうも魔法が使えないようなのです』
『なに?』
『それに気付いたのも、かなり後の状況で。出産した御子様を分娩室内から離した後で、治癒魔法の処置も遅れてしまいまして……。……本当に、申し訳ありません』
大量出血の影響で意識を取り戻していないカリーナの容態を知るウォーリスは、威圧的な表情と雰囲気を醸し出し女医を問い詰める。
それに応じる形で怯える女医から、出産した子供に魔法を無効化する奇妙な能力がある事を聞いた。
ウォーリスはそれを聞いた当初、魔法師と女医側の言い訳だと真っ先に疑う。
そして自らが試す為に、女医に案内させて出産した自身の子供がいる病室へと訪れた。
『――……この子か』
『はい、女の子です……』
『……先程の話が本当なら、貴方達に落ち度は無いという事で納得しよう。……だが、もし嘘だったら。……その時は、相応の報いを受けて貰う』
『ヒ……ッ!!』
ウォーリスは憤怒の眼光を向けながら睨むと、幾万回と死線を潜り抜けた僅かな殺気が女医に纏いながら腰を床に落とさせる。
そして右手を伸ばしたウォーリスは、自ら試すように我が子に治癒魔法を試そうとした。
しかし次の瞬間、ウォーリスはその話が本当であった事を知る。
右手に纏わせていた治癒魔法の光が突如として分散すると、再び魔力を集めながら魔法を構成しようとした。
しかし幾度として魔力を集めても、それが魔法という形になる事はない。
女医の言う通りの結果になった事を確認したウォーリスは、訝し気な目を向けながら籠の中に居る我が子を見下ろした。
『……本当に魔法が発動しない。……いや、魔力そのものが収束しない。この子の傍では、魔法が使えないのか――……ッ!?』
そうした言葉を呟いた瞬間、ウォーリスの記憶が蘇る。
それはゲルガルドが述べていた『黒』の七大聖人の能力についてであり、魔力の効果を受け付けぬという話がウォーリスの脳裏を過った。
『まさか、この子が……!?』
『――……あぅー……』
『!』
そうして我が子を見下ろすウォーリスの青い瞳に、再びその思考を確信に導く光景が飛び込む。
それは瞼を開けた我が子の瞳であり、薄く生える黒い黒髪と同じ黒い瞳が自分を見つめる様子だった。
周囲の魔力効果を打ち消し、両親とは異なる黒い瞳を持って生まれた幼子。
その事実を知ったウォーリスは、自分の子供が『黒』の七大聖人が生まれ変わった存在なのだと誰よりも早く気付いたのだった。




