悲しき怯え
父親を討つ為に自ら取り入ることを選んだウォーリスは、侍女カリーナの助命を得ながら辛うじて取り入る事に成功する。
そして一定の自由を許され、更に身を呈して自分を庇い合おうとしたウォーリスとカリーナの間には、死を境とした愛の関係が確かに芽生えた。
その出来事から一年が過ぎ、ウォーリスは十八歳となる。
『聖人』に進化している肉体であるが故に見た目の年齢こそ十二歳前後ながら、ウォーリスの状況は劇的な変化を迎えていた。
まず暮らしている場所は庭園が見える離れの納屋である事に変わりは無いが、ウォーリスは屋敷への出入りが自由に許されるようになる。
ただ屋敷に訪れるのは、食事時や父親に呼ばれた際などの限られた間だけであり、屋敷で寝泊まりをする事は無い。
一方で奴隷であるカリーナは、屋敷の雑事や給仕の仕事が大きく変わり、ウォーリス付きの侍女となる。
それ故に屋敷での仕事が大幅に削られ、食事などは以前と変わらず他の侍女達と共に行いながらも、寝泊まりはウォーリスが暮らす納屋でするようになった。
しかしカリーナの奴隷契約の権利自体は、今も契約主である父親が所持している。
その為に今も尚ゲルガルド伯爵家に縛られた生活を強いられていたが、カリーナの表情は以前と変わらずウォーリスを照らし続けていた。
そんなカリーナの笑顔に救われるウォーリスだったが、こうした暮らしをしてからある日課が続けられる。
決められた夜の時間に起きるウォーリスを、カリーナは毛布を羽織りながら納屋の外まで出向いて笑顔で見送っていた。
『――……ウォーリス様、今日もいつもの時間まで?』
『ああ、行って来るよ』
『いってらっしゃませ。――……どうか、御気を付けて……』
背中を見せながら庭園の方角へ向かうウォーリスを、カリーナは笑顔で見送る。
しかしその背中が見えなくなると、心配そうな顔を色濃くさせながらウォーリスの無事を祈るように手を重ね合わせた。
そんなウォーリスが向かった先は、庭園に隠されている地下の実験室。
そしていつもの地下階段と実験体の詰まった試験管の通路を通ると、そこには脳髄だけであるアルフレッド以外に、あのゲルガルドが不敵な笑みを向けながら待っていた。
『――……来たか、ウォーリス』
『御待たせしてしまい、申し訳ありません』
『構わん。――……さぁ、始めるぞ。実験を兼ねた、その肉体の鍛錬を』
『はい』
影を宿す笑みを浮かべながらそう述べるゲルガルドに、ウォーリスは従順となりながら言われるがままの鍛錬を課せられる。
この一年間、次の肉体を鍛え育てる必要のあるゲルガルドは、地下の実験室に設けられた大規模な空間を使ってウォーリスに尋常ではない鍛錬を施していた。
身体技術と魔法訓練を始め、ゲルガルドが得ている細胞から培養し生み出した魔物や魔獣との戦闘。
更には魔獣同士を組み合わせた合成魔獣、そして捕えている奴隷などの人間を材料とした合成魔人を使い、ゲルガルドは容赦なくウォーリスに襲わせ殺し合わせた。
ウォーリスは身に着けた戦闘技術でそれ等の実験体と相対し、生き残る為に必死になって戦う。
それこそが『聖人』を鍛える上で最高の材料となる事を知るゲルガルドは、ウォーリスの技量を計りながら常に格上と戦うように仕向けていた。
更に実験として、『聖人』化している創造神の血筋がどのような能力を得るかも観察し続けている。
そして度重なる実験の情報から収集した結果を得ながら、真下の地下闘技場で戦うウォーリスを見下ろすゲルガルドはアルフレッドと話を交えていた。
『――……なるほど。創造神の血族が聖人となる場合、魔力属性の適正は全て得られるようだ。もし私があの肉体に移れば、今の肉体では出来ない魔法もほぼ全て行使できるようになるだろう』
『制約と誓約、ですね』
『そうだ。肉体側に魔力の適正が無ければ、その属性を用いた魔力行使は行えない。……時が経つにつれて血筋の質が落ち続けていたが、ウォーリスの肉体があればしばらくその問題も改善できるだろう』
『では代替品として用意されていた、異母弟の方は?』
『処分しても問題は無いだろう。だが、ウォーリスの肉体は未成熟のまま。何が起こるか分からない今は、肉体を移し終えるまで処分は保留だな』
『それならば、早急にウォーリス様の肉体に変えてはどうでしょうか?』
『いいや、少なくとも見た目が成人になるまでは待つ。子供のままでは動き難い。……あの秘術にも、危険があるからな。すぐにはウォーリスの肉体に移るつもりは無い』
『承りました』
『……さぁ、ウォーリス。私の肉体として、ちゃんと成長して見せろよ』
ゲルガルドは期待と歓喜を込めた影のある笑みを浮かべ、複数体の合成魔獣達と戦うウォーリスを見下ろす。
それを同じ場所で眺め見るアルフレッドもまた、別の意味でウォーリスが成長する姿を期待しながら見守り続けていた。
実験と鍛錬によって夥しい傷を負う事も少なくないウォーリスだったが、全ての魔力属性に適正が在る為、自身に治癒と回復の魔法を施しながら傷を塞ぐ事も出来る。
更にゲルガルドの知識によって様々な魔法の訓練も施され、生命力を用いた身体能力の向上と戦闘技術も学ぶようになっていった。
この一年間を毎日のように繰り返したウォーリスの実力は、身体能力や魔法技術において七大聖人と遜色ない能力となっている。
更に実験体となっている魔物や魔獣、人間などの命も自らの意思で殺し続けた行為は、彼の精神も強靭な成長を見せ始めていた。
しかし彼がそんな過酷な実験に遭い続けながらも屈する事無く耐えながら生き延び続けられた理由は、至極単純な思考。
それは最愛の女性を守るという理由と、それと相反するように抱き続ける父親への憎悪によって支えられていた。
『愛情』と『憎悪』という相反する感情によって精神の均等を保つウォーリスは、それ以外の事でも状況を動かしている。
屋敷の方で暮らす異母弟ジェイクと配達人に化けているザルツヘルムを秘かに通じ合わせ、連絡を取り合せていた。
更に二人を介して母親にも現状を伝え、何とか『赤』のシルエスカ以外の七大聖人に連絡を取ろうと試みていた事もある。
そして当時の『青』だった七大聖人と母親が、『結社』を通じて連絡が取れたという情報が届く。
ウォーリスは『青』に救援を求めるべきかを考えながら秘かに実験室に赴き、友であるアルフレッドにも尋ねた事があった。
しかしその返答は、躊躇われるような口調と共に否定される。
『――……青の七大聖人に伝えるのは、御止めになった方がよろしいかと』
『駄目なのか?』
『以前に、ゲルガルド様から御聞きした事があります。彼と青の七大聖人は、どうやら古くからの知り合いのようです』
『!?』
『そしてゲルガルド様が新たな肉体に憑依する秘術も、その青の一族が作り出した魔法だったと聞いています』
『……秘術の情報を共有し合う程に、あの男との関係が深いという事か』
『恐らく。もし我々の目的が知られた場合、ゲルガルド様にもそれが知られる危険性が生まれるでしょう。仮に打倒するのに協力したとしても、青は魔法や魔導技術に秀でた研究者でもあります。貴方や御母上の血筋が特殊であるが故に、それが知られた場合に別の意味で厄介な事になるかもしれません』
『……ならば、青の協力は望めない。それを前提として、別の利用価値を見つけよう。母上には、青と接触を持ち続けながら魔法技術と魔導技術を利用できないか考えるよう、伝えておこう』
アルフレッドの助言を得て危険がある事を理解したウォーリスは、ゲルガルドに関する助力を『青』から得ない事として決める。
しかし『青』の持つ魔法技術と魔導技術がゲルガルド討伐に役立つならと考え、母親に連絡を取り合わせながら皇国でそれ等の実験が出来るよう準備を行わせ始めた。
丁度この時期、ルクソード皇国で起きていた内乱は終了している。
しかも内乱で勝利した貴族派閥の筆頭であるハルバニカ公爵家当主の帝国宰相ゾルフシスは、困難な状況に見舞われていた。
各派閥の皇族達を討ち倒したクラウス皇子は、後援していた各皇国貴族達が居る前で自ら皇位継承権を放棄して皇国を出てしまう。
その為に皇位継承権を持つ皇族が皇国から全て消えてしまい、ハルバニカ公爵家は既に亡き皇族の血を引く南方の一族を探し始めている状況だった。
奇しくもウォーリスが提案した部族への状況が功を成した形となり、更に皇族ながらも皇位継承権を持たないナルヴァニアの存在が活かされ始める。
ナルヴァニアはこの時期、決裂して去ったクラウス皇子に失望した各貴族達から唯一の皇族として期待を抱かれ始めていた。
しかもクラウス皇子の一件もあって戦後に忙しくするハルバニカ公爵家や、皇王エラクや『赤』のシルエスカもまたナルヴァニアの血に関して秘密にしたままにしている。
思わぬ形で次期皇王の立場が手の届く環境が見え始めたナルヴァニアは、息子の状況を知っていた事もあり、ここで自らも大きく動き出す。
クラウス皇子の離反から始まるハルバニカ公爵家から離れた皇国貴族達の求心力を纏め、自ら次の皇王になるべく基盤を築き始めたのだ。
『――……私が皇王になる事で、あの子の力になれるのならば……。……例え蔑まれようとも、私は偽りの女皇となりましょう』
そう決意して自ら皇王になる道を歩み始めたナルヴァニアは、ウォーリスの助言を得て『青』と通じながら『結社』を利用し、急速に権力を得始める。
ハルバニカ公爵家やシルエスカもそれを止められず、その二年後に女皇ナルヴァニアが皇国の頂点に君臨する事になった。
そうしてゲルガルド伯爵家を中心にそれぞれの情勢が大きく変化していく中で、ある一つの知らせがカリーナの口からウォーリスに伝えられる。
『――……今、なんて……?』
『その、もしかしたらですけど……。……でも、最近……身体の様子が変で……』
『……念の為に、医者に診て貰おう。君は動き回ったりしないように。いいね?』
『は、はい!』
ウォーリスは冷静な面持ちながらも内心に動揺を浮かべながら、屋敷の執事達を通じて領内の女医を呼ぶ。
そして訪れた女医がカリーナを検査した結果、確信に近い診断が二人にも伝えられた。
『――……御懐妊です。おめでとうございます』
『ウォーリス様……!』
『……』
その言葉を女医から聞いた時、カリーナは喜ぶような笑みをウォーリスに向ける。
しかし相反するように、ウォーリスは動揺した面持ちを浮かべながら僅かに両拳を握り締めていた。
その時、ウォーリスの思考は定まらぬ感情となっている。
それは喜びと言えるような感情ではなく、生死を賭けた戦闘とは異なる恐怖と怯えを抱かせているようだった。




