事件の影に
新たな装備を贈られたエリクとマギルスは、その性能を発揮する為に『青』の指導を受ける。
しかし一方で、箱舟より先に『天界』へ向かうウォーリス達の黒い塔に視点が移った。
塔の内部では囚われているアルトリアとリエスティアが、黒い石造に張り付けられながら拘束されている。
二人は月食の穴を通じて以降は互いを固定している石造が離れ、横たわるような姿勢で固定されていた。
生命活動となる呼吸をしながらも魂と人格を失ったリエスティアは、瞼を閉じたまま眠り続けている。
一方でアルトリアの方は、身体に付与された呪印の効果によって能力を使えないまま、眠りにも就かずに白い空間の天井を見上げたままだった。
「――……ちょっと、まだ着かないの?」
「……」
「いい加減、ずっとこの姿勢だと辛いんだけど」
アルトリアは手足だけではなく首や頭すらも固定されている状況に、そうした文句を向けながら横目だけを向ける。
その視界で微かに映っているのは、隣に控え立つ悪魔騎士ザルツヘルムだった。
しかしザルツヘルム以外の者達は周囲に居らず、ただアルトリアの声だけがその場で響き渡る。
更に視線すら向けようとせずに無視し続けるザルツヘルムに対して、アルトリアは暇を持て余すように文句を言い続けていた。
「アンタが掛けた呪印のせいで能力も出せないし、抵抗も出来ない。昨日から御風呂も入れなくて汗が拭えないから汗疹が出てき始めてるし、同じ衣装のままで不衛生な状況なんですけど?」
「……」
「少しくらい話しなさいよ。こっちは暇してるのよ。……はぁ……。淑女の相手もできないなんて、男として最低ね」
自身の状況をそうした愚痴として伝えるアルトリアは、頑なに口を閉じているザルツヘルムに話し掛け続けている。
それでも相手にしようとしないザルツヘルムに対して、アルトリアは呆れるような声でそうした言葉を向けた。
すると次の瞬間、ザルツヘルムの眉が僅かに顰められる。
そして視線を向けぬまま、呟くように言葉を発した。
「……淑女とは、貴方のような女性の事では無い」
「!」
「貴方は私が知る御令嬢の中では、最も淑女から懸け離れた存在だ」
「……やっと喋ったと思ったら、随分と痛烈な批判をしてくれるわね?」
「騎士として、貴方の振る舞いには許し難い部分が多いもので」
「あっそ。なら参考までに、私が淑女じゃない理由を教えてくれるかしら?」
ようやく声を向け始めるザルツヘルムに、アルトリアは皮肉染みた声色でそうした問い掛けを向ける。
するとザルツヘルムは今まで重く閉じていた口を開き、アルトリアが淑女ではないと語る理由を明かした。
「淑女とは、常に慎ましく優美である姿を魅せる女性の事を指します。……今まで見聞きした貴方の行動は、とても淑女とは思えない。まるで理性を欠落させた野獣のようだ」
「その見聞きしたっていう私の話を、聞きたいんだけど?」
「覚えておられぬか? 貴方が九つの歳だった頃、赴いた皇国での出来事を」
「……そういえば、行った記憶はあるわね。くだらない祝宴だったから、すっかり忘れてたけど」
「そこで貴方がした行いも、どうやら忘れられておられるようだ」
「さぁ、何をしたかしら」
「貴方は皇王であるナルヴァニア様に対して、淑女とは程遠い行いをされましたね」
「……あぁ、あの事ね」
アルトリアはザルツヘルムが批判する最初の理由を、自身の記憶から探り出す。
そして改めてその記憶を視るアルトリアは、その時の行動を思い返した。
それは、アルトリアが九歳だった頃。
ルクソード皇国で行われる祝宴に招かれ、初めてランヴァルディアと邂逅した次の日。
当時、帝国皇帝ゴルディオスと皇后クレアと共に女皇ナルヴァニアの御茶会に参加したアルトリアは、帝国皇子ユグナリスと兄セルジアスの二人と共に茶会の席に着く。
そこでナルヴァニアと初めて対面しながらも、アルトリアの機嫌は見るからに不機嫌だった。
毛嫌いしているユグナリスと横に並ぶ形となり、ただでさえ御茶会の参加に乗り気ではないアルトリアの機嫌は非常に悪い。
それでも兄セルジアスに宥められながら出席したアルトリアを、その時に護衛騎士としてナルヴァニアの傍に控えていたザルツヘルムは見ていた。
皇帝夫婦はナルヴァニアに対して礼節を踏まえた挨拶を行い、それに続くように少年セルジアスも淀みの無い礼を行う。
皇子ユグナリスは拙い礼を行いながらも、特に周囲に強い違和感を抱かせるような事は無かった。
しかし一人だけ、ナルヴァニアに対して礼を向けなかった者が居る。
それは下げない頭の代わりに鋭い視線を向けたままの、少女アルトリアだった。
それに対して訝し気な視線を向けるナルヴァニアやザルツヘルムに対して、隣に立つセルジアスが礼を促す。
『アルトリア。皇王様に挨拶を』
『……この女性、本当に皇王なの?』
『!?』
礼を向けないアルトリアはそうした言葉を口にし、皇帝夫婦やセルジアスの表情を蒼白とさせる。
それを訂正させようと周囲が促す前に、青い瞳を視線を厳しくさせたナルヴァニアが口元を隠していた扇子を閉じ、少女アルトリアに対して低い声を向けた。
『――……アルトリアと言ったか。何故、私が皇王では無いと思う?』
『なんとなく』
『……なんとなく?』
『ナルヴァニア陛下。妹の無礼を御許しください。……アルトリア、すぐに訂正と謝罪を――……』
『良い』
『!?』
アルトリアの無礼を謝罪させようとする兄セルジアスに代わり、ナルヴァニアがそれを制止させる。
すると閉じた扇子を再び広げたナルヴァニアは、口元を隠したままアルトリアに声を向けた。
『再び尋ねよう。私が皇王では無いと考える理由、もう少し詳しく言ってみよ』
『……貴方には、圧が無い』
『圧?』
『国の頂点、あるいは群衆の頂点に立つような人間の圧力を感じない。少なくとも、伯父様や御父様のような圧力を感じない。それが理由よ』
『ア、アルトリア……』
無遠慮にそう理由を伝えるアルトリアの言葉に、皇帝夫婦を始め兄セルジアスが表情の焦燥感を色濃くさせる。
すると口元を隠したままのナルヴァニアはアルトリアに鋭い視線を向けた後、瞼を閉じてからゴルディオスの方へ青い瞳を向け直した。
『どうやら、この娘は父親に似たらしいな。ゴルディオス』
『……弟に代わり、私からも謝罪を』
『良い。……クラウスは息災か?』
『はい』
『面白い娘に育てたものだ。……アルトリア。お前の成長を、楽しみにしておこう』
『……?』
無礼な言動を向け続けていた少女に対して、ナルヴァニアはその事を不問とする。
逆にアルトリアに対して期待するような言葉を向けたナルヴァニアに、周囲のガルミッシュ皇族一同は困惑を浮かべた。
それから恙無く御茶会は進み、ナルヴァニアは不機嫌な様子も無いまま一時間程で一同を解散させる。
無難な顔合わせと短い雑談のみで終わった御茶会は、当時のアルトリアにとって記憶にすら残り難い出来事としか把握していなかった。
その出来事を思い出したアルトリアは、改めてナルヴァニアの護衛騎士がザルツヘルムが同一人物だと思い出す。
するとアルトリアは、その事について問い返した。
「――……思い出した。アンタ、あの時に傍に居た騎士だったのね」
「ええ。……あの時。ナルヴァニア様に対して無礼な物言いをする貴方を、私は貴族の淑女とは程遠いと思いました」
「けど、私の勘は当たってたみたいね。……あの時の彼女は、皇王としての意思があまりに希薄だった。その理由が、実はルクソード皇族では無かったっていうオチね」
「……」
「アンタ、その頃から……いや。彼女が皇王になろうとしている時から、皇族の血は継いでいないって知ってたの?」
「……知っていました」
「なら……。……ルクソード血族ではない者が皇王になるなんて、茨のような道だったはず。……それを止められる位置に、アンタは居たんでしょ?」
「……」
「彼女の最後は、私も聞いてる。……アンタが止めてれば、あんな処刑で死なずに済んだんじゃない?」
「……貴方は、何も分かっていない」
責めるように問いを向けるアルトリアに対して、ザルツヘルムは僅かな怒気を含めた言葉を呟く。
今まで無表情だったザルツヘルムの僅かな変化に気付いたアルトリアは、再び挑発染みた言葉を向けながら問い掛けた。
「は? 何がよ」
「ナルヴァニア様は、全てを承知して終わりを迎えられた。……愛する家族を守るという、ただ一つの想いだけで」
「……!」
「ナルヴァニア様は、皇王の権力や立場などに興味は無く、自身の栄誉や富を何も求めなかった。……ただナルヴァニア様が求めたのは、愛する家族の夢を叶えるという、ただその一点だけ」
「息子……ウォーリスに、自分から協力してたってこと?」
「その通りです。その為に、ナルヴァニア様は様々な事を受け入れていた」
「……まさか、妊娠していたランヴァルディアの妻を殺したって話は……」
「アレもまた、ウォーリス様の為です」
「!?」
「ランヴァルディアは頭脳明晰であり、生物学について皇国の誰よりも詳しい技術力と知識を得ていた。……しかし良心的なランヴァルディアでは、合成魔獣と合成魔人の製造実験を行えない。そこで限りなく精神を追い込み、復讐という糧を与えて自ら堕ちるよう導く必要があった」
「……まさか、あの合成魔獣達をランヴァルディアに造らせる為だけに……!?」
「それが、ウォーリス様の計画でした。……例え事が公になったとしても、その罪は総責任者である御自身や私、そしてランヴァルディアに着せられるように。そして、ウォーリス様の関与を隠す為に」
「……!!」
「貴方が思っている以上に、ウォーリス様の思惑は様々な出来事に干渉している。……そういえば、マシラ共和国の変事にも貴方は関わっていましたね」
「……えっ」
「何故、マシラ王ウルクルスがあのような事件を起こしたのか。……その理由は、愛する者の死がどのような理由だったか知った為。では誰が、その話をマシラ王の耳に届くように仕向けたと思いますか?」
「……まさか、アレも……!?」
「マシラ一族の秘術は、輪廻の先に在る死者の魂に干渉し得る能力。その秘術の情報を得る為に、ウォーリス様はマシラ王を自暴自棄にさせ、その報酬として秘術が記された構築式の写しを貰っています」
「!?」
「他にも、フラムブルグ宗教国家の上層部を支配し、七大聖人が受け継ぐ聖紋に細工を施し、七大聖人を操れるかという実験も行っていたと聞きます。……しかしその暗示が解かれていた為に、ミネルヴァは敵対してしまったようですが」
「……そんな事まで……!」
「貴方はナルヴァニア様の事も……そしてウォーリス様の事も、何も分かっていない。……全てを見誤っている限り、ウォーリス様は貴方を敵とすら認識されないのでしょうね」
「……ッ!!」
そうした言葉を向けるザルツヘルムは、それ以降は何も喋らずに二人の監視を続ける。
逆にアルトリアは記憶に有る事件に全てウォーリスが関わっていた事を知り、渋い表情を浮かべた。
こうして拘束されたままのアルトリアは、ザルツヘルムから今まで関わって来た事件の黒幕を改めて聞かされる。
それは『ゲルガルド』という家を基点とし、更にそれ等の圧力を全て受け継いだウォーリスによって、人間大陸が掌握されていた事を否応なく感じさせられてしまった。




