クローバー王国婚約破棄物語
クローバー王国。
その日、王宮ではパーティが開かれていた。王太子フェルナン18歳の誕生日祝いである。
その会場であるセレモニーホールに主役である王子はいなかったが、その前からでは流れる音楽に合わせて踊る者、並べられた食事に舌鼓を打つ者、近隣の領主と商談をする者と、王太子を祝福する多くの来客でにぎわっている。その数は国でも主だった貴族や大商人に限られるが、200人を超えるだろう。
当然、国王や王妃、弟妹たる王子王女など、その家族もいた。
みんな、王太子の登場を笑顔で待っていた。
ばん、と、パーティ会場に、入り口の大きな扉が開く音がした。
大きな音に驚き、楽曲は鳴りやみ、歓談の声は途切れ、食器が立てていた音すら聞こえなくなる。
場が、一瞬で静まり返った。
何が、と思う人々が見たのは、怒りに顔をゆがませる王太子の姿。
目は吊り上がり、口は固く閉じられている。身だしなみはちゃんと整っているものの、王家特有の優雅さは感じられない。
どちらかと言えば、戦場で敵に相対した歴戦の将を思わせる鬼気を纏っていた。
王太子フェルナンは聴衆を前に、怒りに声を震わせながらも、ホール全体に通る大きな声ではっきりと宣言する。
「私、王太子フェルナン=クローバーは」
ごくり、と、誰かがつばを飲み込む音がした。
「現時点を以って婚約者であるアデーリ公爵の娘コリーナとの婚約を破棄する!!」
「「「な、なんだってーー!!??」」」
フェルナンの発言を聞いて、集まった者たちは驚きの声を上げた。
「待て、フェルナンよ」
大騒ぎになったセレモニーホール。
そこにいる誰もが冷静さを失い、王太子の真意を図れずに混乱している。
そんななか、父にして国王である、ロータスの声が響いた。
人々は王の言葉に口を閉ざし、事の成り行きを見守る。
「お前は、自分の言っている言葉の意味を分かっているのか?」
「もちろんです、父上。いえ、陛下。
もしもこの後の説明において納得いただけないようであれば、場を混乱させた罪の償いのため、この首を捧げます」
王は息子の行動を咎めるが、子は父に自身の行動への確信をもってそれを反す。
命を捧げると、それだけのことであるとフェルナンは言うのだ。
「ならば良い。その説明は、この場で出来る事か?」
「ええ。何があったのか、皆様にそれを聞いていただく為にも、我が無念を知ってもらう為にも、この場でお話しさせて下さい」
騒ぎはすでに起きてしまった。
場はすでに誕生日のお祝いという雰囲気ではなく、突然の婚約破棄劇という緊張感漂うものになっている。これで王家の権威に傷がついてしまった。
――ならばフェルナンにすべて話させた方が、まだ傷は小さくて済む。
国王ロータスはそのように判断した。
「あれは、先刻の事です――
フェルナンは、他の者よりも1刻遅れて参上することが決まっていた。
そのため、パーティが始まったぐらいの時間は湯浴みをしており、身を綺麗にしていたのだ。
「殿下、コーヒー牛乳です」
「うむ、よく冷えているな。美味い」
湯浴み後には火照った体を冷ますコーヒー牛乳。フェルナンは腰に手を当てそれを飲み干し、大いに満足した。
「デニス、プリンを持て」
「は……それが……」
これから自身の誕生日パーティであるが、主役であるフェルナンに食事の時間はない。
かといってお腹いっぱいにするのも問題があるため、フェルナンは少量で高カロリーなプリンを用意させていた。
させて、いたのだ。
「どうしたデニス。湯浴み後にはプリンと、用意するよう言っておいたであろうが」
御付きの侍従であるデニスにフェルナンはプリンを持って来いというが、デニスの表情は優れず、言葉を濁している。
一瞬、プリンを用意できなかったのかと思ったが、それは無いと言いきれた。
朝一番で搾りたての牛乳、生みたての卵が納品されたことをフェルナン自身が確認している。きちんと王家御用達の牧場に命じて納めさせた品であるため、不備など無いはずだ。
それに、だ。
老練の侍従であるデニスがこのように言いよどむという事は、何かがあったという証拠。フェルナンに視線が鋭くなる。
「何があったか申せ、じい」
じい、と、名前ではなく、昔、幼かったころの様にデニスに呼び掛ける。
デニスはそんな主、赤子の頃から見守ってきた王太子へ、真実を口にする。
――我が侍従デニスが言うには、コリーナは厨房にふらりと現れると、そこにあったプリンを全て食い尽くしたというのです。
厨房の者にも確認しました。間違いなく、犯人はコリーナであると。周囲の者の証言からもそれを裏付ける証拠は挙がっております」
王太子の説明に、周囲から「そんな」「まさか」という声が上がった。
それも当然だ。
食べようと思っていたプリンを勝手に食べる。
それはもはや宣戦布告であり、やってしまえば戦争なのだ。どちらか片方が死ぬまで戦い続けるしかなくなる。
「待て、フェルナンよ。
今、全てのと言ったのか?」
再び王の「待て」が入る。
しかし先ほどの「待て」と違い、今度は声に焦りが見えた。
「その通りです、陛下。
陛下のプリンも、妃殿下のプリンも、我が弟妹達へのプリンも! みな! みな! あの女が食い尽くしたのです!!」
「あぁっ……」
あまりの惨状に、王妃は目の前が暗くなるのを感じ、倒れそうになった。それを慌てて近くにいた近衛が支える。
幼い王子や王女もまた、楽しみにしていたプリンがもうないと知り、目に涙をたたえ、泣き声を上げるなどしていた。
そう。
王家の者が楽しみにしていたプリンは、すでにどこにも無いのだから――。
「陛下。これにて私からの説明を終えさせていただきます。
婚約破棄、承認していただけますでしょうか?」
国王は目の前の絶望に耐え、すぐにでも「是」と答えたくなる衝動を押し付け、被告であるコリーナの方を見た。
「コリーナ。何か申し開きはあるか」
最後に、この最低最悪な犯罪行為を行ったコリーナの言葉を聞かずに終わるのは、片手落ちだからである。
犯罪者にも、申し開きをする権利があると法で定められているため、声を掛けなければいけなかったからだ。
それに、ほんの僅かだが冤罪の可能性がある。
「も、申し訳ありませんでした!
あの時見た滑らかな輝きを持つプリン、口にしたときの至福。どうしても、どうしても止まらなかったんです……っ!!」
普段から表情を取り繕うように教育されてきたコリーナであったが、さすがに自分の罪の重さは分かっている。
それが、許されざる罪である事も。
ポロポロと大粒の涙をこぼし、化粧が崩れるほどに濡れた顔。
次期王妃としての威厳は保てず、地に膝をつき手で体を支えねば倒れてしまうほど、悲嘆に暮れていた。
それはまさしく、大罪人の姿のそれだった。
「有罪!!
二人の婚約、クローバー王国国王、ロータスの名のもとに承認する!!」
こうして二人は婚約破棄と、相成ったのである。