絶望なる旅路
寺の敷地を少し歩くと今にも崩れそうな本堂を中心に薄汚れた屋台が無秩序に広がっていた。
その間を埋め尽くすようにボロを着た落伍者があちこちで徘徊している。
男が喧嘩して、女は羞恥もなく奔放にしている。
屋台には首のない鶏が提灯のように吊り下げられ、溝を浚ったようなスープが振る舞われた。
男たちが群がる小さな舞台には全裸の女が恍惚の表情で藁の籠に詰まった三十センチくらいの蛇を呑んでいた。
忌々しい光景にロビーニャはすっかり怖気づいていた。
「なんだか怖いわ」
「ここは最果てと呼ばれる警察さえ入らない、世間から見放された奴らが住む土地だ。まさかこんなに酷いところとは思わなかったよ」
「それにしても酷い臭いだ。鼻がもげてしまいそうだ」
酒と垢が混じった醜悪な匂いが街全体に充満しており、ヒロムは眉を顰め鼻を抑えた。
道端で酒を呑んでいる連中のひとりがヒロムたちを指差した。
「おい、見慣れないガキがいるぞ」
「ちょっとからかってやようか」
彼等は汚らしい粘着質な笑みを満面に浮かべた。
「そこのお嬢ちゃん、俺たちのために唄ってくれよ」
無精髭を生やした男がロビーニャに話しかけた。
ロビーニャはおどおどしながら応えた。
「恥ずかしいわ・・でも、ママから教えてもらった唄なら唄えるわ」
それを聴いた男たちは豪快に笑った。
「ママだって。やっぱりいいとこのお嬢ちゃんは違うな」
涙目になったロビーニャは勇気を振り絞り、小鳥のような声で歌を唄った。
日本語とは似ても似つかぬが陽気な旋律が口から零れた。
思う以上に心弾む歌声に男たちはざわついた。
ハカセは腕を組み頷き、にっこり笑った。
「イヴァンカポルカだね。うまいなぁ・・ということは彼女の技師は北欧人だったんだ」
それを聴いたヒロムはハカセの方を向いた。
「え?あの昔話で出てくるメンテロイドの技師って今も存在するのか?」
「そりゃ量産できるようになってから数は少なくなったけど・・ロビーニャちゃんはきっと愛をこめて手作りされたんだろうね」
ロビーニャの歌声に合わせて酔っぱらいたちは炎の周りを囲い上機嫌に躍った。
その様子を二人は眺めた。
「不思議だ・・歌でこんなに幸せな気分になるなんて初めてだ」
「唄って不思議だよね。悲しいことなんかすっかり忘れてくれる。ボクも踊りに混ぜてもらおう」
ハカセも男たちと混じって楽しく踊った。
やがて火が消え住民全員が路上で寝ているので三人はケヤキの下で寝ることにした。
零れ落ちそうなくらいの満天の星を眺めハカセとヒロムは寝そべりながら話した。
「ロビーニャちゃんが無事に陽子ちゃんのところに帰るまで何があっても守るよ」
「じゃあ・・その後はどうするんだ?キミはひとりになってしまう」
「人間に紛れて暮らしてゆく。仲良くしてくれた友達や先生に会えたようにまたいっぱい友達をつくりたいから」
「カミサマになるかもしれないんだぞ。怖くないのか?」
「そりゃあカミサマになるのは怖いよ。だけどまだ生きていたい・・」
「・・そうだな。私も・・実は会う約束をしたまま離れてしまった友達がいる」
ヒロムはふと、はるかのことを思い出し、締め付けられる胸をぎゅっと押さえた。
「そりゃあ生きなきゃだめだよ。どっちがカミサマになっても今日のことは忘れないでいようね」
「・・そうだな」
二人は顔を見合わせて指切りをした。
すると近くで物音がした。
「おいっお前ら!」
今までの話を聴いていた住民の男が彼等に近づいてきた。
「カミサマだって?こいつらメンテロイドだったのか!」
男が騒ぐと住人が次々と目を覚まし、こっちにやって来た。
「出て行け!殺人マシンめ」
そして口々に聞くに堪えない罵詈雑言が飛んできた。
ついに彼等目がけて石まで投げる者も出てきた。
「あれ?ロビーニャちゃんがいない」
ハカセはロビーニャがいないことに気づき辺りを見回した。
少女の叫び声と共に男の驚いた声が聴こえた。
「こいつ、なにもないぞ!」
二人が人ごみを掻き分け駆けつけるとロビーニャは服を破かれて上半身が裸になった状態で泣いていた。
「ロビーニャちゃんになんてことをするんだ!」
ハカセは怒りに任せそこらに落ちていた掌大の石で男の頭を殴り、額から血が一筋流れだした。
我に返ったハカセはわなわなと震えた。
周りには異様な沈黙が。
住人の一人が顔を青ざめて口を開いた。
「やっぱり殺人マシーンだ・・早くこいつらを壊せ!」
住人はヒロムたち目がけて襲いかかってきた。
「早く出よう。この際警察が待っていようとここで壊されるわけにいかない」
ヒロムは二人を両脇に抱え、死に物狂いで門まで走った。
そして門から出た三人は黙って待ち伏せていた警官に掴まった。
再び護送車に揺られ三人は絶望にふけていた。
ロビーニャはずっと泣いていた。
二度と脱走できないように一緒に乗せられた監視役の警官が彼女の泣き声にヒステリを起こした。
「ああうるさい!鉄屑は黙っていろ!」
「鉄屑とはなんだ!僕たちも人の心を持っているんだ!」
ハカセはあまりの言い草に憤った。
警官は軽蔑した目で彼らを見て鼻で嗤った。
「メンテロイド?思い上がるなよ。お前たちは妙に賢いからとりあえず人権を認められた鉄屑じゃないか」
「なんだと!二度と口をきけなくしてやろうか」
それを見ていたヒロムは怒り狂い拳を振り上げるハカセを羽交い絞めにした。
「やめろよ。悲しいけど彼の言うことは間違ってはいない・・私達は人間ではない」
ハカセは遣る瀬無くなりヒロムの胸で大泣きした。
「またうるさいのが増えた。ノイローゼになりそうだ」
警官はその場で耳を塞ぎ寝転んだ。
二人が泣き疲れ静かになった車の中で、退屈と長距離の移動ですっかり眠ってしまった監視役を見てヒロムはロビーニャに小声で話しかけた。
「いい考えがある。キミの知能チップを私に預けてくれないか?」
ロビーニャは眠たい目を擦り体を起こした。
「どうするの?」
「この妖精のおもちゃの中に埋め込む。そうすればキミは自由になれるだろう?」
彼女は不安そうに躊躇った。
「なんだか怖いわ」
四肢が動く妖精の人形を確かめて納得したハカセは言った。
「君がこの世界で生きていくにはもうこれしかないんだ。さもないと永遠に陽子ちゃんに会えないよ。僕たちはロビーニャちゃんを救いたいんだ」
「・・わかったわ。二人を信じるわ」
ハカセはロビーニャの頭部をこじ開け、思考チップを探した。
思いの外、複雑な構造でなかなか見つからない思考チップに苛々していた。
「女の子の頭を割るなんてつらいよ。早く見つかってくれないかなぁ」
ぐったりしている彼女の姿に見ないように目を逸らした。
監視役を監視していたヒロムは何やら聴こえてくる小さな鼓動に耳を澄ました。
「もしや、ここじゃないのか?」
鼓動を繰り返すロビーニャの心臓を手探りで探し、一番激しく動くところに手を当てた。
「ここだよ。思考チップは彼女の心臓のところなんだ」
ハカセはヒロムの言われたところをこじ開けた。
「あった・・!思考チップだ!」
薄い桃色の半導体が生まれたての小鳥のように小刻みに動いていた。
それを細心の注意を払って人形に埋め込むと人形は目を開け、光の粉を帯びた翅を羽ばたかせた。
「ありがとう。これで陽子ちゃんのところに帰れるわ」
光の粉が舞う妖精を眺めハカセは涙ぐんだ。
「よかった・・本当によかった」
その様子に微笑んで小さな唇でハカセの頬にキスをした。
ハカセは顔を真っ赤にして照れた。
「よせやい、恥ずかしい」
隣でヒロムはからかうように彼に肘をついた。
「本当は嬉しくてしかないくせに。ロビーニャちゃん、私たちのことは気にしないで陽子ちゃんのところに帰るんだ」
「ヒロムさんもありがとう」
ハカセは窓の金網を小さくこじ開け、出口を作った。
ロビーニャは金網をくぐる前に振り向いた。
「二人とも・・また会えるかしら?」
ハカセは手でそっと彼女の背中を押した。
「きっと会えるさ。だから陽子ちゃんのところに帰りなよ」
真夜中の静けさにきんと冷えた風だけがそよぎ
金色の髪が風を受けロビーニャは夜空に羽ばたいた
月が透けて見える翅は七色の粉を振り撒き星のように輝いた
「達者でね」
二人はロビーニャが遠くの空で消えるまで手を振った。
ハカセは思考チップを失ったロビーニャの豊かな金髪を撫で、目を覚ました監視役に淋しそうに話しかけた。
「ロビーニャちゃんが・・壊れました」
「なに、そうか。寿命だったのか」
監視役は動かなくなったロビーニャをひょいと持ち上げ車窓から勢いよく投げ捨てた。
地面に叩きつけられた体は首がもぎ取れ、無残にも四肢があちこちに散らばった。
あまりに非情な光景に二人は背筋が凍る思いがした。
そしてこれからもっと残酷なことが起こるだろう予感が脳裏に重くのしかかった。