蒼白の青年
青年ははるかの気配を感じて振り返り、深淵な純黒の瞳をまっすぐに向けた。
「キミはだれ?」
声変わりした直後の熟し切れない青年臭い声にどぎまぎしながら応えた。
「・・はるか。井尾 はるか。あなたは?」
「瀬戸 ヒロム。この街の新聞配達員」
(この人、ずっと誰とも喋ることがなかったんだろうな。言葉がぎこちない)
「ここで雨宿りしていいかな?」
ヒロムは目を逸らし黙って頷いた。
そしてはるかの方にゆっくりと向かい、隣で黙って雨が止むのを待った。
空を仰いで動かない彼の横顔が肌の白さと相まってダフネ神の彫刻のようで、はるかはその姿をずっと見惚れていた。
暫くしてヒロムが重たい口を開けた。
「・・この雨止んだら連れて行ってあげる」
「どこに?」
「・・この街で一番美しいところ」
はるかはヒロムに連れられ、この村で唯一建っている電波塔に上った。
アンテナの前のペンキが剥がれ赤錆かかった鉄筋に肩を並べて座り、山の彼方へ沈みゆく夕日を眺めた。
通り雨の後の濡れた匂いを風が運び、夕暮れの爽やかな空気が漂っていた。
橙の夕日に目を輝かせているはるかをちらと見て話しかけた。
「雨は空に舞った工場の粉塵を消し去ってくれる。この風景は私にとって数少ない安らぎだ」
「安らぎかぁ・・本当はこんなにきれいな村だったのね」
ヒロムは輝いたままの目を向けられ、目を逸らした。
はるかは脚を揺らして、まだそっちを向いて固まっている彼に話しかけた。
「ヒロムくんってどこに住んでいるの?」
「今はこの村の新聞屋で部屋を貸してもらっている。それ以外は知らない・・親のことも・・どこから来たかも」
また表情が曇り、鞄から翅にきらきらとした光の粉がかかったプラスチックの妖精の人形を取り出した。
「ほんとうに覚えてない。気がついたらひとりで新聞を配っていた。始めからこの鞄に入っていたこの人形のように」
「もしかしたらこの人形、ヒロムくんのお母さんが入れたかもしれないよ」
「そうなのか」
すると何かを思い出したかのように立ち上がり、はるかの手を引き黙って走りだした。
はるかは途中何回もつまづきそうになりながら意外と足の速い彼に頑張って歩調を合わせた。
「ちょっと、急にどこに行くの」
「観てほしいところがある。着いてきてくれ!」
振り向いたその眼は輝いていた。
そこはさっきの廃墟にほど近い水音が微かに聞こえる洞窟だった。
彼は鞄からガスランプを取出し辺りを照らした。
はるかは辺りを見回して感嘆の息を漏らした。
ランプの明かりに照らされ、夜の海のようにきらきらと輝く鉱石のクラスターが果てしなく続いていた。
「これは奇夜石。世界でここでしか見つかっていない宝石質の鉱物」
「奇夜石かぁ・・」
クラスターをよく見ると息が止まってしまいそうな程深淵なロイヤルブルーの結晶の中にところどころ青白い光が流星のように走っていた。
ふとヒロムの方を見るとランプに照らされた瞳の色が奇夜石のそれに似ていた。
(不思議な人だな・・この世界の人じゃないみたい)
それと同時に彼女の心の片隅で胸を締め付けられるような感情がぼんやりと湧きあがっていた。
「懐かしいな・・」
思わず放ったはるかの呟きを耳にしたヒロムは目をぎょろつかせた。
「懐かしい・・とは」
「貴方に会ったこともずっと昔に見た夢のように今、目にしているもの全部がなぜか懐かしいの。・・本当に初めて会ったのにおかしいね」
そう言って力なく笑った。
「・・そうか」
ヒロムはクラスターの一番透き通った部分を折り、爪で削りはじめた。
澄んだ水のように透明だが石灰質の奇夜石は簡単にほろほろと削れ、十円玉くらいの楕円形のルースが完成した。
それをはるかに手渡した。
「持ってなさい。また思い出すかもしれないから。きっとそれは素敵な記憶なのだろう」
「・・ありがとう」
はるかは貰ったばかりの奇夜石を愛おしそうに掌で転がした。
シングルカットされたそれはランプの灯で溶けるように反射した。
「この石には心から望めばまた戻ってこれるという云われがある。その記憶が戻ればいいな」
はるかは思いの外親切な彼に頬を紅くして俯いた。
そして彼女はある決心をした。
「一緒にこの街を出よう。わたし、ヒロムくんともっと仲良くなりたいの」
「何だって・・仲良くなりたい?・・この私と?」
ヒロムは思いもしなかったことを言われたのでさっきまでの冷静さが嘘のように動揺した。
「貴方の寂しそうな目、放っておけないわ。たぶん貴方はずっと孤独だったから笑顔を忘れているのよ。だから外に出ればきっと笑えるはず」
「こんな私を?冷たくされるのでは?」
「そんなことない。わたしの友達も紹介してあげる。みんな歓迎してくれるから」
真剣な眼差しでこっちを見つめる彼女を見て溜息を漏らした。
「わかった。新聞屋の主人に別れの挨拶するから明日、日が昇ったらこの洞窟の前で会おう」
はるかは子供のようにはしゃいだ。
「よかった、約束だよ」
二人は約束の指切りをして洞窟を出た。
外はすっかり夜になっていた。
「今頃キミの友達が探しているだろう。この道をまっすぐ進みなさい。森から抜けられるから」
彼が指差す方に明かりがちらほら浮かんでいた。
はるかは別れ惜しそうに彼の方を見た。
「早く行きなさい。友達が心配している」
「きっと、約束だよ」
はるかはヒロムの氷のように冷めきった頬にキスをした。
「じゃあまた明日ね」
手を振って笑顔で去るはるかを呆然と見届けるヒロムの頬に涙が一筋伝った。