幼いわたし
香水臭い厚化粧の女が必死にはるかの祖母に話しかけていた。
(・・ママがかえってきた)
はるかは祖母が怒っているのでただごとではないと思い、扉の向こうに隠れて二人の会話を聴いていた。
「これで大金が入るチャンスなのよ。分け前はあげるからさ」
「はるちゃんの気持ちになったことがあるかい?わたしは許しませんよ。こんなお金いらないよ」
(あたし、おばあちゃんからはなれちゃうんだ!)
言い知れない恐怖に駆られ家を飛び出した。
これで捕まったらなにかよくないことが起こる気がしたのだ。
何度転んだのだろう。赤いワンピースはあちこち破れ、抱えていたキキもすっかり汚れて傷だらけになっていた。
気が付けば山奥の深いところまで来てしまった。
すっかり夜になり野犬の遠吠えが木霊した。
見たことのない夜の光景と帰るところがない恐怖に胸が押し潰されそうになっていた。
大泣きしながら夜の道を暫く進むと、どこからか青く光るものを見つけた。
急斜面を滑り落ちたことも気にしないくらい宛ら吸い込まれるようにその光のところまで歩いていくとそこは洞窟の入り口だった。
中を見ると月明かりに照らされた大量の鉱石が青い光を放っていた。
まるで誘うように黴臭い風が彼女の髪を靡かせた。
はるかはキキをぎゅっと抱きしめ、大きく深呼吸してから奥に入ることにした。
・・私、やっぱりあの洞窟に入ったことがあったんだ
幼い自分を背後で見ていた現在のはるかは洞窟に入った途端、足元が大きな落とし穴になり暗闇に落ちた。
もう一度目を覚ますと母親の嬉しそうな顔が見えた。
「はるか、見つけたわ。もう離さないから」
はるかは嫌がっていたが、母親に無理矢理手を引かれ黒い車に乗せられた。
窓ガラスを叩き何度もいやだと叫んだが聴いてもらえる訳もなく、住み慣れた景色が遠ざかっていった。
あれから何時間が経ったのだろう。はるかの母親がハンドルを切りながら上機嫌で話しかけた。
「もうすぐ着くわ。屋敷の御主人にも坊ちゃんにも気に入られるようにするんだよ」
はるかは何を言っているのか全く分からずまた泣き出した。
「涙を見せるな!」
母親の異常な癇癪に涙が止まり身動きが取れなくなった。
車が着いた先は立派な庭が広がる洋風の屋敷だった。
マボガニーの重い扉が開くと石膏の彫刻が真ん中にどっしりと構えている緋の絨毯が敷き詰められた部屋が広がった。
そこで顎髭を蓄えた男の隣で背広を着た少年がにっこりとはるかのほうに向かって来て手を伸ばした。
「やあ、はるかちゃん。僕は貴志。これからは僕が君のことをずっと守ってあげる」
・・はるかは終着駅である宵待駅の手前まで夢を見た。
車窓から漏れる朝日に長い睫毛は光っていた。
「終点、宵待駅。宵待駅」
はるかは無人改札を抜け、幼い頃の自分の意識が重なったままふらふらと歩いた。
(確か・・この道をずっと行けば村の行事で友達と行った公民館があったはず
・・おばあちゃんと遊んだ公園の滑り台もあのときのままだ。
よく採りに行った椿の花も・・一面に広がる田圃の匂いも
・・何もかも変わってない)
目的の公民館に着いたはるかは奥の部屋の放送室まで進んだ。
偶々それを見た近所の老婆が引き留めた。
「ちょっと、お姉さん何してるのよ」
(・・よくこのマイクでいたずらしたな。あのとき仲良くしてくれた友達の顔まで覚えてるわ)
意識が少女の頃のままのはるかには老婆の声も届かず、軽く息を吸い込みマイクで話した。
「宵待村の瀬戸 ヒロムさん。瀬戸 ヒロムさん・・貴方の友達が待っています。至急、約束の場所に来てください」
はるかの落ち着いた女性らしい声が村中に響き渡った。
それを聴いた地元の農家がそれを聴いて妻に話しかけた。
「瀬戸さんて誰だい?この村におったかの?」
畑仕事の休憩におにぎりを食べていた彼女は怪訝な顔で応えた。
「知らんわ。またいたずらでしょ」
「最近の若い者は大人げねぇことするなぁ」
「これだから生きるのがやめられないだ。ほんと面白れぇな」
互いの顔を見合わせにっこり笑った。
「・・はるか!来てくれたんだ」
そよ風に乗ってヒロムの耳にもはるかの声が届き、歓喜の声を漏らして走り出した。
「ちょっとどこ行くのよ。待ってよ」
マリ子は急に走り出す彼を引き留めた。
「どこって、決まってるじゃないか。奇夜石の洞窟だ!」
急にアラームが鳴りだしたのでマリ子は腕時計を見て叫んだ。
「おおっと、あたいはこれから仕事の時間だ。二人がいちゃいちゃしてるとこみたかったのに残念だなぁ・・まぁ行ってらっしゃい」
「大人をからかうでない。行ってくる」
ヒロムは一目散に走り去った。
その場に置き去りになったマリ子は初めて見た彼の期待に満ちた目にふと一抹の不安が浮かんだ。




