メンテロイドの住む街
今は遠い未来(年号で言えば清常元年)の、四方が深山に囲まれて一日に数本通る電車でしか立ち入ることができない宵待村。
嘗てこの村一帯に日本有数の発電所が建っていたが数十年前に廃業し、錆びついたプラントがあちこちに残されている。
一部の設備は役目を変えてまだ現役で動いているらしく、街中に張り巡らされたパイプから轟々とうなり声があちこちで聞こえ、絶えず灰色の煙を漏らす煙突が聳え立ちさらに陰鬱な雰囲気を醸し出していた。
その施設の煉瓦造りの高い塀の上で、漆黒のトレンチコートを身に纏い大袈裟な革の鞄を肩に掛けた蒼白の青年がこの街で一番高い塔を眺めていた。
塔を巻くようにある螺旋階段を緑のつなぎを着た作業員が上り下りを繰り返していた。
「ここは故郷か、墓場か」
鉄錆の匂いでいっぱいになった、筋が通った立派な鷲鼻の奥から息を思いっきり吐き散らかした新聞少年は佇む。
艶やかな前髪に隠れたその眼は憂いで曇っていた。
それも彼には身寄りも心許す友達もなく天涯孤独で、しかも現在に至るまでの記憶がないのだ。
日々の食い扶持を繋ぐため今は新聞屋で住み込みで働き、金持ちの趣向としてしか使われなくなった新聞を宵待村で唯一栄えている地域―奇夜地区で配り歩いている。
発電所が廃業した後、物好きの大富豪がこの土地を買い取り、人気がないのは淋しいからと人間の心を持つ人型ロボットであるメンテロイドを世界にある殆どを買占めこの地に放った。
そして遂にはこの工場で量産することに成功し、一時は村の人口の殆どがメンテロイドが占める事態になった。
暫くは物珍しさにこのメンテロイドの街を一目見ようと日本に留まらず世界中から観光客がこの村に押し寄せた。
だが、これも長くは続かず一年も経たないうちに彼等は他に興味が移り、再びこの街は過疎地になった。
そんな歴史も一炊の夢のように、この村で今もひっそりとメンテロイドが造られている。
今日の夕刊を配り終えた彼は新聞屋に帰ることにした。
晩飯のビーフシチューのことを考えながら煉瓦塀の上を器用に歩いていると子供の泣き声が聞こえた。
ふと目を遣ると大人に腕を引っ張られている男の子が同い年くらいの女の子に向かって叫んでいた。
女の子のすぐ後ろには深緑の護送車が止まっていた。
「いやだぁ!タクトをつれていかないで」
「また買ってあげるからタクトのことは忘れな」
母親は眉間に皺を寄せて大泣きしている子供を押さえている。
そう言っているうちに作業服の男が泣きながら抵抗する女の子の腕を掴み、護送車に乗せてどこかに連れて行った。
彼は一連の様子を同情した目で眺めていた。
「・・保障期限が来たのか。可哀想に大切な家族だったろうに」
いつの頃からか、メンテロイドが長生きすると全人類を支配する知恵を持つカミサマになると言われるようになった。
それに怯えた政府はメンテロイドに保障期間を設け、製造から三年を過ぎるとどんな理由があろうとも例外なく処分する法律をつくった。
三年の命・・それを越えたメンテロイドは破壊され、また新しい姿となりまた人間の生活に溶け込んでゆく。
初めは反対する者もいたが、時間が慣れを呼びいつしか来世に憧れを持つ思想家さえ現れるようになった。
次の日、宵待村の広大な針葉樹林の遊歩道を女二人と男一人の連れが歩いている。
お昼なのに薄暗い遊歩道はやはり彼ら以外通るものはなく、遠くで鳴く野鳥の声が響いていた。
重たいリュックを背に駅から長い距離を歩いたので互いに話す余裕もなく黙々とこの石と苔だらけの道を進んでいった。
すると宵町村の拓けた街が微かに見えたところで痩せ形の女が立ち止まり、少しこけた頬に止まった子虫を掃って目を細めて道の先を眺めた。
「もう少しで着くのね・・5キロも歩いた甲斐があったわ」
男は彼女の隣で止まり、彼女の顔をちらと覗き応えた。
「よかったね、はるか。君がずっと行きたいって言ってた奇夜地区ってこの道の先だよね」
「そう、これも貴志君が連れてってくれたおかげだよ。ありがとう」
純粋な彼女の笑顔を間近で見て照れ笑いをした。
彼女の名前は井尾 はるか。
母親が堂本財閥の会長の家で住み込みの女中をしており、その繋がりで出会った会長の一人息子である堂本 貴志とは幼馴染である。
貴志は高校の卒業旅行にと彼女が予てからの望みだった宵待村に彼女の唯一の親友と一緒に旅費すべてを自分持ちで連れて行ったのだ。
実は彼は幼いころからはるかに想いを寄せている。
互いの両親も仲が良く、周りは必ず時期が来れば結婚すると思っているくらいだ。
「ちょっと、待ってよ」
小太りの女が息を弾ませながらよたよたと歩き、先にいる二人を追いかけた。
「もう少しってどのくらいなのよ。ずっと同じ道に見えるわ」
二人は互いの顔を見て笑い、彼女を待つことにした。
はるかは親友に向かって叫んだ。
「本当にもう少しよ。角さん頑張って」
本名は丸山 桃子だが、本人が肥えていてかつ大らかな性格のため、逆に尖った要素が欲しいからと角さんと渾名されている。
角さんはやっとのことで追いつき、リュックにあるペットボトルのお茶を豪快に飲んだ。
「やっと追いついた。本当にはるかってマニアックな趣味してるのね」
はるかは円らな目を輝かせて角さんに言った。
「あと少し歩けばメンテロイドの住む街に着くのよ」
「メンテ・・何よそれ」
「メンテロイド。人間の心を持つロボットなんて神秘的じゃない?前から気になっていたの」
「へぇ、それよりも名物の山菜ラーメンのほうが気になるけどね。早く食べたいな」
貴志は二人に地図を見せて指差した。
「この道をまっすぐ進めば神社があるから、その西隣に目当ての定食屋さんがあるよ。角さんは先にいってなよ」
「え?それを早く言ってよ」
角さんは彼の言葉を聴くなりすぐに元気になって身軽に先を進んだ。
それを見た彼はくすくすと笑った。はるかもつられて笑った。
「そうだ、貴志君も角さんと先に行ってて。角さんったら方向音痴だから誰かついて行かないと迷うわ」
「はるかはひとりで大丈夫か?」
「大丈夫よ。一通り見たらすぐに追いかけるから」
「わかった。すぐ行くのだよ」
貴志も角さんの後を歩いて行った。
一人になったはるかは地元にはない森林の新鮮な空気が堪らなく気持ちよくて大きく深呼吸をした。
すると道の脇できらりと光るものをふと目にした。
(なんだろう・・珍しい生き物かな?)
鞄からカメラを取出し、すぐさまそれを撮ろうと近づこうした途端、足を滑らせそのまま斜面を滑った。
悲鳴をあげて、思う以上に高く急な斜面を滑り落ちた。
草叢が緩衝の役目をしてくれたので怪我はなかったが、持っていたカメラがどこかに飛んで行ってしまった。
「まずい、カメラなくしちゃった・・高かったのに」
暫く辺りを探したが背の高い草叢だったので見つからず、あきらめて貴志のところに帰ることにした。
こんなところで電波が繋がるわけもなく圏外になっている携帯電話の画面を見た後、覚悟を決めて果てしなく続く背の高い芒の群生を掻き分けながら獣道をずっと歩き続けた。
(本格的に迷ったわね・・とりあえず地元の人を探そう)
すると運が悪いことに俄雨が降ってきた。
急いで雨宿りできるところを探したが、やはり田舎の獣道。
どこを探しても人家などなく、見知らぬ山の中で途方に暮れた。
(早く貴志君のところに行っておけばよかった)
はるかは腹の虫を抑えるためポケットにあったチョコレートを口に入れまた歩き続けた。
暫くして遠くに建物らしいものを見つけたので一目散に走った。
(よかった、やっと雨宿りができる)
そこは真白なコンクリート壁が崩れ去った、建物とは到底言えそうにない廃墟だった。
(まぁ、ないよりはましか)
少し肩を落とした彼女は僅かにある屋根の下で雨が止むのを待った。
まだ寒さが残る春先の雨に全身を濡らし、凍てつく寒さに身が震えた。
(駅から降りたときはそんなに寒くなかったのに、もう少し厚着すればよかった)
するとひとつ壁の向こうで人の気配を感じたのでそっと壁の影に隠れた。
(おかしいな、こんな獣道にある廃墟なんて誰も立ち寄らない筈なのに、地元の人かな?)
暫くじっとしていたが、どこかに行く気配がないのでそっと顔を出し目を凝らしてみるとそれは雨に曝され呆然と佇むはるかと同い年くらいの青年だった。
濡れた黒革のコートが細身のシルエットをなぞりまるで人影のようになっている。
そして鼻筋が通った蒼白の顔に映える黒髪、宙を眺めるメランコリックの眼は寂しげだ。
はるかは凍りついてしまいそうな彼の冷たい美しさに言葉を失った。