第018話 奈落
レノックスは緩慢な動きで小型魔神機の左手を振り上げる。振り上げた左手から光の刃が生え伸びた。
レノックスは魔導溶断剣を鋏に突き立てる。しかし、星界の大厄蟲の甲殻に光の刃は刺さらない。激しい火花を上げて弾かれている。
「は……やく……げろ……。私が……ひきつ……ッ!」
通信機器が破損したのか切れ切れの音声が聞こえてきた。はやく逃げろと言いたいらしいが……、それは不可能だ。
クルトは頭上を見上げる。
降りてきた出口は星界の大厄蟲の巨体に押しつぶされて塞がっていた。辛うじて見える隙間からセーフティロープが伸びているが、辿って行ったところであの隙間を潜り抜けるのはリーネの細い体でも無理だ。
クルトだけならば孤影の嫉妬で移動できなくもないが……。
ちらりと背後に視線を向けた。
クルトの背中には、手に持った武器も忘れて、カタカタと震えながら星界の大厄蟲を見上げるリーネがいる。
いまはまだ見捨てるには早すぎる。
「……突破するしかないな」
クルトは魔導女神の大剣を革ベルトから外すと、腰だめに構えた。
「狂気よ、――憤怒の剣聖」
刀身に漆黒の魔力を這わせる。
シュッと息を吐き出して前のめりに飛び出した。星界の大厄蟲との距離を一息で詰める。
気合一閃。
漆黒の刃を横凪ぎに、腕の一本を両断した。
耳障りな悲鳴が管制室に響く。一抱えもある太さの節だった腕が回転しながら落下していった。
連撃で二本目の腕を斬り飛ばす。
巨大なだけに遅い。思ったより反応は良くないようだ。
だが、腕の切断面に異変が起きる。
滴り落ちる黄色の体液が止まり、切断面が盛り上がる。あっという間に真新しい腕が生え伸びて、表面が赤黒く染まる。
「再生か、……速いな」
高い再生能力を持つ魔物は、多頭竜、G・スラッグ、粘体生物、と戦ったことがある。あれらの魔物は自身の生命力で再生をしているため、連続で攻撃を与えていけばそのうちに再生することができなくなっていく。
龍神ナクラーダルのように魔法や特殊能力で再生している場合は注意の必要があるが、果たして星界の大厄蟲はどうなっているのか。
クルトは再生した腕を粉砕すべく、ふたたび稲妻の如く斬りかかった。
「クルト! ダメだよ、そのままじゃ――!」
後ろからリーネの声が聞こえてくる。
クルトは黒く染まった刀身を再生した腕に振り下ろす。硬質な金属音が響き渡る。魔導女神の大剣の一撃は星界の大厄蟲の腕を両断できずに受け止められてしまった。
「なんだと……ッ」
一度刃を引いて斬り上げの一閃をお見舞いするが、やはり刃は通らない。
急に硬くなったのは何故だ。
クルトの疑問に答える声が聞こえてきた。
「星界の大厄蟲は普通の攻撃は再生しちゃうし、一度受けたダメージへの抗体を持つから、効果がなくなっちゃう! 女神魔法を使わないと!」
リーネは魔法を唱える。クルトの魔導女神の大剣に狙いを定めて女神魔法を発動させた。
「光よ、不浄なる力を退けたまえ。――中庸の執行」
「……いらん」
リーネからもたらされた女神魔法を受け入れない。憤怒の剣聖の力を強めて払い落とした。
「ちょっ!? なんでよー!」
「お前のへなちょこな魔法でどうにかなると思ってるのか? 邪魔なんだよ、すっこんでろ!」
「ぅ……そ、そこまで、言わなくたって……」
リーネの瞳が潤む。
が、クルトはうっとおしいと言わんばかりに睨みつけるにとどまる。
事実は事実。
戦闘中なのだ。優しい言葉をかけている場合でもないし、そもそもクルトは誰に対しても優しくないのでいつも通りの対応と言える。
攻撃の手を緩めた瞬間を星界の大厄蟲を見逃さない。
最後まで抵抗をしていた小型魔神機をぐしゃりと握りつぶした。
レノックスの声は途絶え、左手が力なく垂れさがる。
星界の大厄蟲は、小型魔神機の残骸を振りかぶると、クルトに目掛けて投げつけてきた。
クルトは壁を蹴って回避する。
いましがた踏んでいた床が破裂したように弾けた。叩きつけられた小型魔神機はバラバラに砕け散って、遥か下の巨大モニターへと落ちていった。
憤怒か焦燥か。
――ギチ、ギチッギチッギチッギチッ、と顎がかみ合わされる異音が聞こえてくる。
星界の大厄蟲は次なる獲物をクルトに見定めた。床の亀裂を六腕で押し広げると、体を割り込ませる。巨大な鋏を振り回してクルトに殴りかかってきた。
操作卓がひしゃげて吹き飛んでいく。
液晶の破片が空を流れる。
床の強化プラスチックパネルが粉塵の如く舞い上がる。
クルトは魔導女神の大剣を盾にしながら、傾いた管制室内を滑るように逃げ続けた。
さて、どう攻めるか。
リーネの言う通り星界の大厄蟲が攻撃に対する抗体を持つとなると、不用意な攻撃は星界の大厄蟲に有利となる。一撃で仕留められる方法は何かないだろうか。
攻撃に対する抗体、は魔物の特性として珍しいものではない。
先に例に挙げた粘体生物は斬撃や打撃に対する抗体を持っているから、剣で切り付けると体を縮めて硬くして、食い込んだ武器を引き抜けないように抵抗してくることがある。
一撃で仕留めるセオリーとしては、頭を潰すか、心臓を破壊するか、このふたつに絞られる。
心臓を狙うには胴体が見えなければいけない。
この案は没だ。
簡単なのは頭だろう。何せ目の前に出ているし、管制室に挟まって身動きができない状態なので、狙いやすい。
方針は決まった、頭を潰す。
「おい! どこかに掴まってろ!」
リーネは小さく頷くと傍にあった操作卓の椅子にしがみつく。
クルトは魔法の詠唱をはじめた。
「狂気よ、我が恨みと憎しみを糧とせよ、我が悲しみと嘆きを粮とせよ。苦痛と怨嗟に満ち満ちた、地獄の刃と成れ。――憤怒の剣聖」
いつもの簡略ではなく完全文言詠唱による魔法は、クルトの魔力を大量に吸い上げて発動する。
魔導女神の大剣から強烈な黒の波動が迸る。まるで刀身が倍以上になったかのように黒の粒子が刀身を包み込んでいく。
やがて、刀身は一五メナル、剣刃から剣刃までの幅は一メナルはあろうかという漆黒の剣が顕現する。
「龍神ほど硬くないはずだからな……!」
クルトは魔導女神の大剣を両手で握りしめると、正面から星界の大厄蟲に斬りこんでいった。
星界の大厄蟲は鋏の腕を振り上げて迎え撃つ。
魔導女神の大剣を大上段に構えて、袈裟懸けに斬り下ろす。漆黒の刃は管制室の天井を易々と斬り裂いて、振りかぶられた左の鋏を滅砕し、星界の大厄蟲の頭に叩きつけられた。
耳を塞ぎたくなるような絶叫が空気を震わせる。
魔導女神の大剣は星界の大厄蟲の左複眼を抉り取り、管制室の床を半分ほど両断して止まった。
憤怒の剣聖の効果が消えて黒の粒子がハラハラと散っていく。
床に隠れて見えないが星界の大厄蟲の胴体か脚の一部も破壊したはずだ。
しかし、星界の大厄蟲は死んでいない。
回避された。
頭を完全に叩き潰すはずだったのに、星界の大厄蟲は頭を少しだけ横に逸らすことで直撃を避けたのだ。
抗体をつける前にもう一撃を叩き込もうとさらに一歩踏み込む。だが、星界の大厄蟲は許さない。
「……ッ! 障壁!」
クルトは咄嗟に防護魔法を張る。
星界の大厄蟲はギパッと口腔を開くと得体のしれない液体を吐き出した。
クルトは喉と肺を守るため鼻と口を抑える。
暴食の障壁が液体を弾く。強烈な刺激臭があたりに立ち込めて白い煙を上げた。
酸だ。
クルトの周りにあった物がグズグズに溶けて爛れていく。
その隙をついて星界の大厄蟲は頭を引っ込めた。巨体の姿が管制室から消えて、あっという間に離れていく。
「逃げたか……、いや、……生き埋めにする気か」
クルトの全力の一撃に加えて星界の大厄蟲が暴れたおかげで、壁や床や天井に細かな亀裂が次々と刻まれていく。次の瞬間、管制室の底にあった巨大モニターが轟音を立てて崩れ落ちていった。
真上からブロック片が降り注ぐ。管制室の壁が剥がれ落ちて、部屋全体が滑り始める。
いまなら崩れた壁から脱出することができそうだ。
「急げ! こっちへ来い!」
「来いって言われてもー! ロープが邪魔で……」
「はやく切れ! 上の廊下が崩れたら一緒に引きずり落とされるぞ!」
リーネがわたわたと腰のジャックに取り付けられたセーフティロープを外し始める。
クルトは切れと言ったのだが、……外すのでは時間がかかる。
情報集約艦の上層にて破砕音が轟いた。いままでにない強烈な振動に管制室の照明が激しく点滅する。
「――リーネ!」
とうとう管制室の入口が崩壊した。
通路の瓦礫と塵が一挙になだれ落ちる。クルトは孤影の嫉妬で、瓦礫の雨を回避すると近場の手摺に掴まる。
リーネはどうなったのか。
慌てて首を巡らせると、だらんと下がったセーフティロープの先に気絶したリーネがぶら下がっているのが見えた。
そして、壊れた金属の手摺が視界の端を流れていく。手摺にはセーフティロープの末端がしっかりと固定されている。
手摺といっしょにリーネの体が落ちていく。
管制室の底は見えない。どこまでも暗い闇が広がっている。
落ちれば死ぬだろう、間違いなく、確実に。
暗黒魔法は他人にかけることはできない。
孤影の嫉妬で誰かを影の中に隠したり、暴食の障壁を使って誰かをかばうことはできない。
誰も守れない、誰も助けられない魔法だ。
クルトは己に言い聞かせるように、落ちていくリーネを見つめながら呟く。
「オレは神を殺さなければいけない……」
――だから、死ぬわけにはいかない。
「オレは、過去に戻らなければいけない……」
――だから、死ぬわけにはいかない。
――死ぬわけにはいかない。
胸元がズキリと痛んだ。
胸を見ると血が滲んでいる。首から下げていたひび割れた女神の証が胸板に擦り傷をつけていた。
誰かの言葉が記憶の片隅から蘇る。
――心の導きのままに。それがいちばん、■■■ですわ。
「オレは……ッ」
クルトは走り出していた。
手摺を蹴って、管制室の底へと飛び込んでいた。
……死ぬわけにはいかない、はずなのに。
何故、こんな真似をしているのか。
「……闇よ。我が魂を不死へ誘いたまえ。貪欲な闘志を与えたまえ。……死を越えよ。死者の強欲」
思考と行動が解離したまま、セーフティロープを捕まえる。
リーネを手繰り寄せた。
魔導女神の大剣でロープを切断すると細い体を抱き寄せた。
クルトは大剣を背負う。
せめてもの防御だ。途中で何かに引っかかれば落下が止まるかもしれない。背中を強打しても背骨がへし折れないかもしれない。……生き残れる確率は無いに等しいが。
クルトはリーネをしっかりと胸元に抱えると、ぐんぐんと加速しながら底の見えない闇の彼方へと落ちていった。