平和のために
エフセイが銃口をイリーナに向けても、引き金が引かれる前に彼の腕を払い、射線を反らす。
彼も同じように、イリーナの腕を払い、射線に自分が入らないようにする。
エフセイがイリーナの足を引っ掛け、転ばそうとする。
空転する視界。
イリーナはバク転の要領で両手をついて、再び立とうとする。
エフセイはこの状況を見逃さない。
両手を就いたその瞬間を狙って、彼女の右手を撃った。
利き手を潰せば、銃をまともに撃つことは困難だ。
しかし彼女はそれをわかっている。
手をついた瞬間に右手だけ上げて、銃弾を避けた。
左手だけで体を支え、バク転を成功させた。
だがバク転中は他の動作ができない。
すかさずエフセイは再び距離を詰めた。
着地の瞬間にはゼロ距離。
イリーナは銃を撃とうとするが、先にエフセイの引き金が引かれた。
撃ちぬかれる右手。
零れ落ちる拳銃。
腰にぶら下げているナイフを左手で取ろうとする。
しかし左手をはたかれ阻止される。
とどめとばかりに、彼女の胸に銃口が向けられる。
引き金が引かれる瞬間、彼女はしゃがんで狙いを外す。
エフセイは銃撃だけにとどまらず、膝で彼女を蹴り上げた。
倒れるイリーナ。
すぐ起き上がろうとするが、すでに距離は詰められている。
イリーナは覚悟をぐっと決めた。
彼女は血を流す右手を彼に向け、素早く袖をまくる仕草をした。
痛烈一閃。
イリーナの袖口から、エフセイの喉笛めがけて、柄にワイヤーの付いたナイフが高速で飛び出した。
完全なる不意打ち。
エフセイは避けるまもなく、ナイフで喉を貫かれた。
力なく落ちる拳銃。
見開かれた眼。
口元を伝う鮮血。
壁に手をつき、息も絶え絶えになりながら、彼はイリーナを見た。
「やってくれるじゃないか……。自分の手で平和に導けなくて……残念……だな」
エフセイはがくりと崩れ落ちた。
「反動分子を支援ばかりして、何が平和なの? 自分に迷いがあったから、何か明確な行動目標が欲しかった。それだけなんじゃないの?」
「そうかもな……」
疑念を覚えて彼女の前から消えたエフセイは、最後まで疑念に囚われていたのだった。
エフセイは目を閉じ、動かなくなった。
それを見たイリーナは、何かから解放されたかのように、力が抜けて膝をついた。
勝利と想い人の喪失。
彼女の心を複雑な感情が去来した。
「これでよかったのかな」
******
ニブルヘイム艦隊の反撃が始まり、アルバートは押し込まれ始めた。
さらにフォルセティ突入部隊からの連絡も途絶し、エイブラムは突入部隊の敗北を悟った。
そして三つ目の要塞小球体が陥落し、稼働している小球体は一つだけだ。
「閣下、ホーガン将軍が戦死しました」
通信使が悲痛な面持ちで報告した。
「トゥアハ・デ・ダナーンが撃破されたのか」
頑丈な装甲を有する巨大なトゥアハ・デ・ダナーンが撃破されるということは、地上軍はかなり押し込まれている。
巨体への接近を許すほどなのだから。
もはや打つ手はない。
これではブルーノの弔い合戦にもなりやしない。
ここで逆転するには、賭けに出るしか無い。
エイブラムは指揮官席を立ち上がり、フォモールの砲手の肩を叩いた。
「席を代わってもらいますか?」
砲手は驚いた様子を見せたが、指揮官の命令に従い席を譲った。
「ニブルヘイム軍に、イシュケ山脈以北、タラニスを中心とした地域をイルダーナ帝国として独立させること。ニブルヘイムが占拠しているホルス中部と南部を、ホルスに返還すること。オストラントからの即時撤退を要求します。イルダーナへの軍の駐留や同盟、軍縮は受け入れます。もし受け入れられない場合は、フォモールを発射し、敵味方もろとも消し去ります」
ブリッジにいる人達は、エイブラムの最終手段に息を呑んだ。
条件が受け入れられなければ、自分たちの命はない。
エイブラムはモニターを砲手席に回し、回線をフォルセティに繋げた。
画面に映るアルフレートに先程の「最後通牒」は伝えられた。
通牒を受け取ったアルフレートはモニターを切り、思案する。
ようやくつかもうとしていた勝利が、完全な平和が零れ落ちようとしている。
最後通牒を拒絶してここでアルフレートがここで戦死すると、後継者のいないニブルヘイムは一気に瓦解する。
しかし要求を飲まなくてはいけないのだろうか。
イレーネが望んだ世界が実現できなくなる。
「陛下、ここはブルーメンタール将軍に相談しませんか?」
アイラが心配そうな眼差しでアルフレートを見ている。
「それは出来ない相談だ」
彼女が言いづらそうな表情をしている。
「どうした?」
アイラが重い口を開いた。
「実はもう将軍に報告したのです」
アルフレートは椅子の肘掛けを叩き、にわかに立ち上がった。
「なぜ伝えた! 古参のアロネンといえど、この行為は見過ごせんぞ!」
まなじりを上げて彼女を睨みつけた。
「それは……それは陛下が何もかも背負い込んで、潰れそうだからです!」
アルフレートは予想外な返答にたじろいだ。
「即位の頃から徴候はありましたが、イレーネ姫を自ら手を下した日から、何かに追われているような、そんな感じが悪化しています」
「ど、どういうことだ」
アルフレートの声が震える。
自分の核心を突こうとしている。
何か暴かれる気がして、彼は恐怖した。
「急な即位で地位を固めようとしたこと、そこに姫を撃ったことへの罪悪感が加わり、だから姫が残した言葉を実現じようと無茶をなさった、そうではないのですか?」
「アロネンに何がわかる!」
「わかります。陛下がまだ一人の兵士だった頃に、私は命を救われました。そのとき助けてくれた兵隊さんに会いたくて、トゥオネラ軍に入隊して、陛下にお会いできました。それから副官としてずっと陛下のそばに控えさせていただきました」
アイラは静かに、そして力強くアルフレートの目を見据え語りかける。
「トゥオネラに来た理由、ニブルヘイムに復帰した理由、即位した理由、姫が亡くなってからの軍事行動。すべて誰かに翻弄されてきたことじゃないですか! もう何者かに縛られなくていいのです。ご自分の本当の気持ちに、どうか向き合ってください。陛下のことは、初めて合ったときから、今までずっとヒーローで、憧れのお方です、好きです。僭越なことを申し上げて申し訳ありません」
とうとう感情をむき出しにし、そして謝意を示すために膝を折った。
本当にしたいこと。
それはもうわかっている。
時代に翻弄されることのない、平和な世界。
何もかも焼き尽くさなくても手に入る、そんな平和が欲しい。
「そんなことをしないで欲しい。心配をかけてすまない」
アルフレートは跪いたアイラに手を差し出した。
「君の言う通りだ。大事なことをずっと忘れていた」
アイラは差し出された手を取り、すっと立ち上がった。
「私のヒーローのご帰還ですね」
ニコッと可愛らしい笑顔を見せた。
アルフレートも釣られて思わず笑みを浮かべた。
彼はモニターをエイブラムに繋げた。
「そちらの提示した要求を受諾しよう」
そして停戦が成立した。




