日陰
1
確かに日陰は好きだ。|冷しい≪すずしい≫し、うるさくないし、落ち着くし。だから私はこうして、昼休みも日陰で読書に|耽って≪ふけって≫いる。誤解されないために一つ言っておくが、いじめられているからとか、友達がいないからここに毎日足を運んでいるわけじゃない。ちゃんと友達だっている。…だけど…私のあだ名は「だんご虫」だ。最初にも言ったように、日陰が好きってことは認めよう。あと、私猫背だから、何となく暗い印象でまるまって見えてしまうところも認めようじゃない。でも何で「だんご虫」なんだか…。「黒猫」でも良かったんじゃないのかな。一体誰が、虫なのか何なのかわかんない変なのを私のあだ名にしたんだか…。って、そんなこと考えていたってしょうがない。私は意識を本の中へと戻す。何人かの生徒が日向から、私に憐みの目を向けてくるのが気配で何となくわかる。私は気にせず物語の世界へと入り込んだ。
なぜだろう。その時、はやく次のページをめくらなくちゃと思った。まるで、本が私をせかしているみたいに…。その一瞬、本から手を離したその瞬間、強い風が吹いた。ページがぱらぱらと音を立てて、物語を進ませてしまう。しおりは持っていたけれど、挿むひまなんてなかった。私の髪も風に踊らされる。その風は良い匂いがした。「若葉」、「森」、「木漏れ日」なんて言葉が連想ゲームのように私の脳裏を埋めつくす。たしか、薫風といったか。じめじめした場所を好むだんご虫には、あまりに不似合いな風だった。
2
「きみさ…だんご虫のこと、どう思う?」
風の音で気づくのがおくれてしまった。最近、「だんご虫」というワードには随分敏感になったのに…。まあ、それだけ陰口に慣れたということか。
「なあ、きみ、だんご虫のことどう思う?」
あれ…私に話しかけているのか?この人は。
「聞こえてる?だんご虫にも耳らしき器官はあるはずだけど…」
本を読む手は、まだ止まったまま。心臓の音がやけに大きく聞こえる。私はまさに凝視していたのだ。だんご虫にはあまりに遠い存在の彼を。
紺とグレーのスラックス、エンブレムのついた紺のブレザー。他の生徒と格好は何一つ変わらないのに、何故か、彼だけは違う。前項の女子をきゃあきゃあいわせているところを、私も何度か見た。
ただ眼鏡を押し上げるだけなのに、ただネクタイを緩めるだけなのに、その整った目鼻立ちは、にくいほどに人をひきつける。その彼が、なぜ私に声をかけているんだろう?
「あの…先輩。なんか用ですか?」
覗きこむようにして私の顔を見る彼に、私はムッとして答える。
彼は全く動じず、むしろ私をからかうようにフフフフッと笑った。
「用というか、まあね、ここ、空いてる?」
私の座るベンチを指さし笑う彼。こんなにさわやかな笑顔をみせられると、NOなんていえないよ…。私はしかたなく、
「どうぞ…」
と許可をだし、置いてあった通学カバンや本をどかす。
彼は「ありがと。」と白い歯をのぞかせ隣に座る。ふわっと、さっきの薫風のにおいがした。
「なあ、さっきの答え、聞かせてよ。だんご虫ってどう思う?」
「え…えと…。」
なんて答えたらいいのだろうか。わからない。というか、なぜ彼は私にこんなことを聞くのか?からかっているつもりだろうか?
「…私は嫌いです。プランターの下とか、じめじめした日陰とかにしかいれなくて、すぐにまるまっちゃう臆病者で。…私みたいで嫌いです。」
しまった、いらぬことまで言ってしまった。私が縮こまってうつむいていると、彼はまた笑った。
「フフフ、うん、確かにきみにそっくりだね。」
やっぱりコイツ、からかいにきたのか…。私があきれていると、
「でも、ぼくは好きだよ?だんご虫。」
あっけらかんと彼はそう言った。
「だんご虫は実は虫じゃないんだ。甲殻類だから…カニやエビと同じ仲間だね。むしろ、ぼくはだんご虫をすごいと思うよ?」
彼はそこで一度言葉を切り、私の方に向きなおった。私はなんだかドギマギしてしまって、彼の目をしっかりと見ていられない。
「だってさ、カニとかエビってすごくごつい体してて、全然かわいくないじゃん?なのにだんご虫は…かわいいじゃん?」
はにかんで語る彼を、私は少し、ほんのちょっぴりかっこいいなと思った。黄色い悲鳴をあげながら彼についていく女子たちの気持ちも、ほんのちょっぴりわかった気がする。
「だからさ、きみも笑ったりするときは、顔を上げた方がいいと思うよ。……かわいいと…ぼくは思うから。」
自分の頬が赤くなるのがわかった。私はさらに身を縮こませる。
「それだけ言いたかっただけだから。読書邪魔してゴメン。」
彼は頭を掻きながら、私に背を向け立ち上がった。
「あの…先輩…。」
言わなきゃ…と思った。なのに言葉はちゃんと出てこない。
「どうかした?」
彼は不思議そうに振り返る。
「あの…『だんご虫』ってどう思いますか?」
口をついて出た言葉は、さっきの彼とまったく同じだった。
「好きだけど、なんで?」
その答えが返ってくるのはわかっている。ききたいのは……。
「先輩、鈍感です。」
つい、またムッとしてしまった。
「人間の『だんご虫』も、好きだけど?」
私の胸に、うれしさと恥ずかしさとが一緒になってつきあげてきた。でも、なんだか素直になれなくて、私は口をとがらせた。
「先輩、変わってます。」
「そうだね、でもきみもいくらか変わってるよ?」
あっさりと返されてしまった。けれど、彼の頬もピンク色に染まっている。
日陰のだんご虫が恋に落ちるには、もうそれだけで十分だった。
<終>
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