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友人の夢 ―ある偉人との対話―

作者: 久世 樹

 私の友人のなかに、一人の学者がいる。


 一人の人間について言葉だけで語りつくすことは難しい。

 だから読者には、ひとまず「学者らしい学者」を想起してもらえば十分だろう。

 寡黙で考えが読めず、語るのが苦手なくせに語りたいことは多い。

 つまり話の長い男。


 彼はいわゆる理系脳というやつで、幽霊やらUFOやらには関心がない。

 論証できないことは考慮せず、語りえぬ問いの前には沈黙する。

 昨晩の夢の話をするくらいならば、人類の明日に資することを夢見る。

 つまり一人で勝手に熱くなる男。


 そんな彼が、昨日なんと自分の見た夢について語ってくれた。

 彼は学者らしく読書好きで、いわゆる古典文学と呼ばれる本に明るい。

 そしてその夢も、愛読書の主人公である偉人と対話するというものだった。

 あいにく文学に関心のない私は、その人物の名を忘れてしまったが。


 しかし彼の夢語りなどあまりにも珍しく滑稽だ。

 しかも、彼がよりによって死者と対話する夢の話に夢中になるなんて。

 そういうわけで、その対話の内容を取り急ぎまとめておくことにする。

 急がないと槍が降るかもしれないから。


―――――――――――――


 話の大筋は以下に記す通りである。



 まず、偉人が尋ねた。


「友よ。君の生きる世界が、私達の生きた世界からどれほど進歩したかぜひ教えてほしい。」


「喜んでお話ししましょう。私達の世界では――。」


 彼は、現代文明について細やかに語った。例えば、自分たちは鉄の翼で空を飛ぶこと。生物の微細な材料である遺伝子から生命の謎に迫っていること。そして偉人の雄弁を伝える書物が今日まで伝えられていること。


 彼の長い説明が終わると、偉人は言った。


「素晴らしい。実に素晴らしい。我々は空を飛ぶことは夢見ても、鉄を使って空を飛ぼうなどとは思いもしなかった。生命のもつ謎を問うても、そのために遺伝子などというものが見出されようとは、考えもしなかった。それで、そのような離れ業をやってのけた君たちは、一体いかほどの進歩を成し遂げたのか。」


 たったいま人類の進歩について連綿と語った友人は、当惑して言った。


「ですから今述べたとおりですよ。私達は、あなた方が思いもしなかった数々の進歩を成し遂げました。」


「いや、そうではないのだ。

 私が聞きたいのは、建築や機織といったような技術のことではないのだ。」


 偉人は続けた。


「私の愛した故郷はその文武を誉れとされながらも、人々は蓄財と名声を気にかけるばかりで、善く生きることを気にかける者は稀だった。私の生もまた君の知る通り、善く生きることの模索に費やされながら、ついにはそれを見出すことなく終わってしまった。

 

 しかし君達、我々が思いつきさえしなかった数多の驚くべきことをやってのけた君達ならば、我々の時代に既に問われていた善き生への問いに答えを出すことなどは造作もなかったはずだ。さあ、聞かせてくれ。人はいかにすれば善く生きることができるのか。」


「・・・。」


 友人は、現代文明が生み出した技術についてさらに深く説明するつもりだったらしい。しかし全く見当違いなことを問われ、思わず言葉を失ってしまった。


「どうしたのだ、友よ。君達は我々が思いつきもしなかったことを成し遂げながら、まさか私達が既に持っていた疑問には未だに答えられずにいるのか。」


 それが挑発に聞こえたのだろう。友人はすかさず返した。


「そんなことは考えても仕方がありませんよ。生の価値など主観に基づく相対的なものです。つまり正しい生き方などというものは幻想で、存在しないのです。」


「なるほど。そうだとすれば、私は全く出鱈目なことを尋ねていることになる。

 しかし、おかしくはないかね。君に少し尋ねるが、進歩とは善いものであるはずだ。」


「当然です。」


「もう一つ尋ねよう。善いものは、正しく用いられるが故に善いのではないか。例えば、私の時代に伝わるかの英雄にも劣らぬほど速く駆ける者も、その速き足で盗みを働けば、矢のごとき俊足も善いものとはならないように思われるのだが。」


「俊足ではあるかもしれませんが、無条件に『善いもの』とは言えないかもしれませんね。」


「では他のものはどうだろう。『正しく用いる』ということを含まずに、善いと断言できるものがあるだろうか。例えば、鉄の翼で空を飛べたとして、それを用いて罪なき人を理不尽に傷つけたら、それは善いものと言えるだろうか。また、生命の謎を解く遺伝子というものを見つけたとして、それを人の生命を不正に扱う目的で用いても、それは善いものといえるだろうか。答えてみてくれ。」


「もちろん言えません。どんな技術も、正しく用いることができて初めて善いものと言えるのです。」


「つまり君達の編み出した技術は、それらを正しく扱うことを前提としている。」


「言われるまでもありません。」


ここまできて、偉人は首をかしげた。


「それだ。それが問題なのだよ。君は今しがた、『正しい生き方などというものはありもしない幻想だ。』と言っていた。そして今度は、自分達の成した進歩が善いものであると断言するためには、それを『正しく用いなくてはならない。』と言っているね。」


「はい。」


「そして、ものを正しく用いることができるということは、正しさを弁えているということだ。」


「ええ。」


「それが分からないのだよ。『正しさを弁えて生きる人間の存在』を技術のために前提しているのに、君は『正しい生き方などない』と言う。ということは君は、『正しさを弁えて生きること』は『正しく生きること』ではないと考えているのかね?」


「・・・。」


 返答に窮した友人は沈黙した。そんな彼に偉人はもう一度尋ねる。


「どうだろうか。『正しさを弁えて生きること』と『正しく生きること』は違うことかね?」


「同じことでしょうね。」


「すると君たちは『何が正しいのか。』という問いには『正しさなどない。』と答えながら、当の正しさを持たなければ善いものとはならない技術の発展にいそしんでいることになる。

 

 これは、子供に刃物を持たせて、しかもその刃を限りなく研ぎ澄ますことに心血をそそぎながら、その子供が刃物を正しく扱うよう教育を施すのは放棄している、という状態と変わらないのではないだろうか。」


「ええ。」


「その無知なる子供は大いなる益とともに、大いなる害もまた与えるだろうね。君はこれを善いことと呼ぶだろうか。」


「とても呼べませんよ。」


「確認するが、進歩とは善いものだったね。」


「はい。」


「では改めて聞こう。君達は私達の時代からどれほど進歩したのか。」


「認めたくはありませんが、何も進歩してはいません。」


 友人は諦めたように答えた。


「正しさを弁えなくてはどんな技術も善いものにはならない。故に世の人すべてが正しく生きられるように努めることがはるか昔からの急務だった。しかし今、私達はそれを忘れて、絶対的な正しさなど存在しないと考えている。しかも確実な論証を経てそう結論しているわけではなく、ただそう割り切る方が楽だからそうしている。」


 彼は力なく続けた。


「それによって、自分達が持つ進歩の可能性を絶っていることにも気づかずに。」


 それを聞くと、偉人は言った。


「なるほど、たしかにこれはとても残念なことのようだ。しかし望みが絶たれたわけではない。」

 

 そう言って続けた。


「君たちは、私達が思いもしなかった仕方で問いを解決する力を持っている。飛ぶことに鉄を用いるようにね。


 故に、私達が答えられなかった正しさへの問いにも、君や君達の子らであればたどり着けるかもしれない。そしてそこに至ることができれば、君達は研ぎ澄ませてきた刃を正しい思慮に基づいて振るい、どのような乱麻も断つことができるだろう。その時が来れば、君達の努力は初めて人の世に資するものになる。


 諦めず問い続けたまえ、その刃が君自身を殺さぬように。」


 そして、彼は目が覚めた。


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