カレーライスで勝負!
リビングには、現在七人の人間がいる。
だが、そのうちの一人として、現在の状況を把握できている者はいなかったのである。
つかの間の沈黙。
しかし――
「お前たちは誰であるか!?ここはどこであるか!?誰か答えるである!」
乱入してきた筋肉娘が、再び吠える。
ようやく、正義の頭が働き始めた。
「勝利!そこの筋肉娘を取り押さえろ!勇気と愛はソーニャをお前らの部屋に連れて行け!元気!何もしないでくれ!」
待ってました、とばかりに筋肉娘に襲いかかる(変な意味でなく)勝利。
勇気と愛はソーニャを連れ、女子の部屋に優しく誘導する。
元気は青白い顔で、テーブルの上にあるペットボトルの水をがぶ飲みする(ちなみに、覚醒剤をやると脱水症状になりやすいので、そういうのが好きな人は水をたくさん飲むよう心がけましょう。水道水でいいので一日に最低二リットルを数回に分けて、こまめに摂りましょう)。
凄まじい格闘が、正義と元気の前で始まった。
筋肉娘の早く鋭い左ジャブが、勝利の顔面に放たれる。
両腕で顔をガードする勝利。
筋肉娘は左ジャブを打ちながら――
身を沈め、両足タックルを喰らわす。
果敢に勝利の巨体に組み付き、両足を抱えて倒そうとする。
しかし、筋肉娘の首が勝利の脇に入った瞬間――
勝利の太い腕が巻きついた。
勝利はそのまま、ぐいと絞め上げる。
筋肉娘の意識は、一瞬のうちに飛んだ。
「おい勝利、とりあえず椅子にくくりつけとけ。オレはソーニャの様子を見てくる。元気、お前も縛るの手伝え」
正義はそう言うと、勇気と愛が使っている寝室に向かった。
正義と勇気と愛、三人の前でソーニャが語った話は――
ソーニャの母、ノリコ・シコルスカは日本人とロシア人のハーフであり、ロシアンマフィアの大物幹部であるアレクサンダー・ガーレンの愛人であった。
ところが、ガーレンはコワルスキーという別の幹部との権力闘争に敗れ、暗殺される。
このコワルスキーという男は、残虐な上に粘着質であり、敵に回した者は一族郎党みな殺すのが信条であった。
ノリコはコワルスキーの手から逃れるため、まだ赤ん坊の娘のソーニャを連れて日本に逃げ延びた。
しばらくは平和に暮らしていた母娘。
だが、いつの間にか周りにロシア人の影を感じるようになり――
ノリコは娘に言った。
「いい?この先ママに何があっても、あんたは一人で強く生きるのよ。ママは顔を覚えられてる。いつ殺されるかわからない。ママが死んでも、あんたは一人で誰にも頼らずに生きるの」
「あなたたちは、本当にマフィアじゃないんですか?だったらお願いです。ママもここに連れて来てください!私、ママと一緒に逃げなきゃいけないんです!だから、今日は早めに帰ろうとしてたのに……」
ソーニャは真剣な表情で、正義に訴えてきた。
「……なあ、お前のママは金持ちか?」
正義が尋ねる。
「え……お金は……たぶんあると思います……」
ソーニャは暗い表情で答えた。
勇気と愛も、若干顔をしかめている。
「よし、とりあえずお前のママも連れてこよう」
正義はそう言うと、勇気と愛に目を向けた。
「お前ら、ソーニャの面倒を頼む。オレはちょっと調べて、明日にでも行ってみるよ」
それが不可能だとわかったのは、リビングに行ってテレビから流れるニュースを聞いた時だった。
『えー、ただいま入ったニュースです〜』
勝利と元気に後のことを頼もうとして、偶然に聞いてしまったニュース。
そして画面。
アナウンサーは、爆発事故があったことを伝えていた。
画面には、一人の美しい女性の顔が写し出されていた。
アナウンサーは、はっきりこう言った。
『爆発があったのは、ノリコ・シコルスカさん宅です。ノリコ・シコルスカさんは現在行方不明――』
さらに、アナウンサーは何事かコメントしていたが、もう正義の耳には入らなかった。
正義は、この想定外すぎる事態を前に、ただただ困惑するばかりだった。
「おい正義……どうしたんだよ?」
勝利に話しかけられ、正義は我に返った。
あまりのことに混乱し、一時的にではあるが意識が明後日の方に行っていたのだ。
正義はまず、状況を頭の中で整理した。
そもそも、この話はとある情報通から聞いた噂を元に正義が絵図面を描いたのだ。
情報通は何と言っていただろう。
「この住所にな、どっかのお偉いさんの愛人とその隠し子がいて、表に出せない金を相当ためこんでいるらしいんだよ」
それを聞き、計画をたてた。
ところが、今聞かされた話は違っていた。
そして爆発事故――
ロシアンマフィアの仕業であることは間違いない。
現在、身代金を払うはずの相手は行方不明である。
この計画はもうおしまいだ。
「もがががー!」
その時、意識を取り戻した筋肉娘が、猿ぐつわを噛まされた状態で吠えた。
正義は、この筋肉娘をどうするかも決めなくてはならないことを思い出した。
「おい勝利、猿ぐつわを外してくれ。話を聞きたい」
言われた通り、勝利は猿ぐつわを外す。
その瞬間――
「お前らは誰であるか?!縄をほどくである――」
「駄目だこりゃ。勝利、ちょっと口ふさげ」
そのとたん、勝利の太い腕が娘の顔に巻きつく。
「いいか、黙って聞け。お前は誰だ?まず名前を言うんだ。でないと、飲まず食わずでここにずっと縛られたままだぞ。それでいいのか?」
飲まず食わず、という言葉を聞いた瞬間、娘の表情が変化したのを正義は見逃さなかった。
「オレたちの言うことを聞いて、大人しくしていれば飯は食わせる。カレーは好きか?」
娘は何か言いたげな表情を見せる。
「勝利、腕を離してやれ」
正義が言うと、勝利はゆっくり慎重に腕を離した。すると――
「か、かれえとは何であるか?」
娘は目を輝かせて聞いてきた。
「カレーライス知らんのか、お前?」
正義が尋ねると、
「ううう……食べたことがないである。マリアはお腹が空いて力が出なかったである。食べさせてほしいである」
娘は真剣な顔で訴えてくる。
元気が正義の耳元に顔を近づけ、ささやいた。
「こいつ、勝利以上のバカだな」
「じゃあ、食べさせてやるから質問に答えろ。お前、名前はマリアか?」
正義は困った顔をしながら尋ねた。
「そうである。マリアである。早く食べたいである。食べさせてほしいである」
マリアは求め、訴える。
だが、正義の質問は終わらない。
「待て、お前どこから入り込んだ?」
「洋服ダンスである」
しばらく沈黙する正義。
ややあって、口を開く。
「洋服ダンスか……ところでマリア、お前は普段どこに住んでいるんだ?」
「ジュドーの家である」
「……そのジュドーの家はどこにある?」
「ネバーランドにあるエメラルドシティである」
「……」
正義は疲れた顔で、元気を見る。
「元気……念のため聞く。ネバーランドとエメラルドシティという地名に聞き覚えは?」
「エメラルドシティはオズの魔法使い、ネバーランドはピーターパンに登場するな。どちらも架空の場所だが」
元気は何やら難しい顔をしながら答える。
「……勝利、縄をほどいてくれ」
正義は勝利の方を向いて言った。
「あ、ああ……」
いつになく無口な勝利は言われた通りに縄をほどいた。
「ふうー、動けないのはキツかったである。早く食べさせてほしいである」
マリアは腕をぐるぐる回す。
そして、勝利を見る。
「お前、凄く強いである。あいぽんに負けないくらい強いである。明日また闘うである」
「いや、お前はさっさと精神病院に帰れ。そうとう重症だぜ」
精一杯の優しげな笑顔を作り、マリアの肩をたたく正義。
しかし――
「セイシンビョウイン?違うである。帰るのはジュドーの家である」
マリアはキョトンとした顔で返す。
その時、それまで黙っていた勝利が口を開いた。
「正義……オレは難しいことはわからんが……このマリアという娘、普通じゃないぞ。少なくとも、オレの知る限り、この体重で、こんなキチガイじみたパワーの女は、この世に存在しないはずだ」
「……いや、だからキチガイなんだって……」
小声で呟く正義。
だが、勝利の勢いは止まらない。
「いいか、マリアのこの筋肉はな、普通の鍛え方をしていたんじゃ手に入らん。見ろ、この広背筋。見ろ、この三角筋とそれに連なる上腕三頭筋のライン――」
「もういい。どうせ病院でやることないから鍛えてたんだろ」
吐き捨てるように言う正義。
そのとたん、勝利の目付きが変わる。
「お前……筋肉なめんなよ……病院で暇潰しに鍛えたくらいの甘いトレーニングで、この筋肉作れると思ってるのか!マリアくらいまでの筋肉つけるのに、どれだけのものを犠牲にしなきゃいけないか、お前わかってんのか?!マリア、お前の肉体を見せてやれ!そのタンクトップを脱いで、お前の鋼のごとく鍛えあげられた肉体を、この二人に見せてやれ!」
「あ、あのな……」
正義はどうにか勝利をなだめようとする。
しかし――
「え……ぬ、脱ぐであるか……恥ずかしいである……女の子は人前で脱いじゃだめだって、めんちんが言ってたである」
「めんちん?誰だそれ?そんな奴の言うこと聞かなくていい。お前の筋肉は全女性の希望の星だ!恥じらいを捨て、お前の奇跡の筋肉を披露するんだ!」
演説するキング牧師のように、熱く語る勝利。
「ううう……わかったである!マリアは女性の星である!脱ぐである!」
そう言って、タンクトップに手をかけるマリア。
「……落ち着こうか、みんな。とりあえず、脱ぐのはやめよう。それよりカレー食べよう。マリア、カレーはおいしいぞ」
正義がマリアの腕をつかみ、ストップさせる。
「おおお……わかったである!早く食べたいである!かれえとやらを早く食べたいである!」
瞳を輝かせ、正義を見つめるマリア。
正義はなぜか、心に痛みを感じた。
「……女たちを連れてくるから待ってろ」
とりあえず、女たちはソファーに座らせ、男たちは床の上であぐらをかき、愛の持ってきたレトルトカレーを食べ始めた。
ほぼ全員、妙な雰囲気を感じつつ食べている。
しかし――
「ふんぎゃあああ!」
一口食べると同時に、吠えるマリア。
マリアはカレーライスを食べたことがなかったため、周りの人の食べ方などをじっくり観察していた。
自分なりに、白い粒のようなものと黄色いものをスプーンで混ぜ、口に運んだとたん――
「ふんぎゃあああ!」
皆、一斉に食べるのをやめた。
全員の視線が、マリアに集中する。
「これは……おいしいであるうううう!」
マリアは吠えると同時に、餓えた狼のようにカレーライスに食らいつく。
ほんの二、三分で食べ終えてしまった。
「おいしかったである!もうないであるか?」
マリアは顔をカレーまみれにしながら、周りを見回す。
唖然とする一同。
だが、ソーニャが肩を震わせ、口を覆いながらクスクス笑いだした。
笑いながら、ハンカチを差し出すソーニャ。
「マ、マリアさん……く、口の周りに……カレーが……」
マリアは目を丸くし、口の周りを手で拭う。
その手をハンカチで拭くが、そのとたん――
「ふんぎゃあああ!ハンカチが汚れてしまったであるうううう!」
さっきまでの幸せそうな顔が一変し、泣きそうな顔でオロオロし始めた。
全員、手を止めてその様子を見守っている。
見守る表情が、完璧に緩んでいる。
だが、マリアはそんなことにおかまいなしだった。
いきなりソーニャの手を両手でガシッとつかむ。
「ごめんである!綺麗なハンカチが汚れてしまったである!マリアが今から洗って綺麗にするである!洗濯をするである!」
そう言うなり、マリアは立ち上がった。
その時、マリアの隣にいて、なおかつ一番修行の足りない愛が、こらえきれすに笑いだした。
マリアは素早い反応を見せる。
愛の方を向き、肩を両手でつかむ。
「洗濯機はどこである?笑ってないで教えてほしいである!」
「わ、わかったんだけど……今案内するかもしれないんだけど。マリア、凄く面白いんだけど」
そう言って、愛は食べかけの皿を置き、立ち上がった。
「いや……いいです。そのハンカチ、マリアさんにあげます」
ソーニャは満面の笑みを浮かべている。
ここに来た直後の不安な表情が嘘のように、可愛らしい顔に笑みを浮かべてマリアを見ている。
マリアの顔がパッと明るくなる。
「そ、そうであるか……じゃあ、もらうである……ありがとうである」
「ねえ愛、カレーまだあるかな?」
不意に勇気が口を開く。
「え……まだたくさんあるけど……」
「じゃあマリアちゃん、あたしがカレー作ってあげる。おかわりするでしょ」
勇気の言葉に、マリアが目を輝かせる。
「いいのであるか!?食べたいである!」
「じゃ、作るね。ま、作るってほどのものじゃないけど」
立ち上がる勇気。
「じゃ、あたしはご飯をチンするんだけど」
愛も立ち上がる。
正義は微笑みながら見ていたが――
今の光景のおかしさに、ふと気づいた。
あの人見知りの勇気が、自分から話しかけていたのだ。
普通ならありえないことだ。
だが、普通じゃないことが、今この場所で立て続けに起きているのだ。
この状況は……。
そこまで考えて、やらねばならないことを先伸ばしにしていたことを思い出してしまった。
ソーニャに何と言えばいいのだろう。
ソーニャの母親は死んだのか?生きているのか?
オレはこれから、どうしたらいい?