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第五章

 アルケンとエリカは、国境を越え、大陸のもう一つの大国であるイーブンに入った。ロールバルト領事から発行された通行許可証があったため、国境を越えるのは比較的簡単だった。イーブン領内を国境沿いに南下して、いよいよ力の真空地帯に入る。ヒュターイからでもガルドノーシュに至る道はあるのだが、あの国の領内に留まるのは危険すぎた。

 ヒュターイの国境線近くにあるため、通過する宿場町では共通語が通じることも多かったが、ガルドノーシュについての情報を収集するためには、アルケンの語学力が役に立った。当初拙かったイーブン語も、すぐに上達していった。アルケンは、本当に天才なんだなとエリカは思ったが、もちろん口には出さない。道案内は、二人が盗んだ地形図を使った。

 宿屋の食事で、イーブンの人々はあまり肉を食べないことに気がついた。アルケン達と相部屋になった僧侶に聞くと、イーブンの人々は血を極端に嫌い、血を流すような料理は極力避けるのだという。動物の血を流すことが聖なる行為だと考えられているアルディなどとは対極に位置する考え方だった。

 もっとも、全く肉がないわけではなく、野生のイノシシや鹿の肉が椀にのって出されることもあり、そんな時アルケン達は嬉しくなるのだった。何せほとんどの料理が、あまりにも味を感じさせないものばかりで、結構しんどかったから、肉のように油がにじみ出てくるものは、砂漠にオアシスと言ったところだった。

 イーブンの気候は温暖湿潤で、何処を見ても砂漠などないのだけれど。

 パラパラと氷の粒が降り注ぐなか、彼らはガルドノーシュと接する村、セイにたどり着いた。村の周囲は濠で囲われ、さらに、鋭く尖った杭を外側に向かって並べた柵で囲われていた。その周囲は、稲の耕地のようだったが、冬の今は雑草が生えるままにされている。大人の姿はあまり見ず、子供達が耕地で鞠をけって遊んでいた。その彼らも、アルケン達の姿を見ると、何かを叫びながら村の中へと入っていった。

「警戒されているのか? まあ、当然だな」

「ヒュターイとの国境に近いのだから、防御を整えるのは当然よね」

 二人は、村の門の所までたどり着いた。門を左右から防御する楼閣には槍と弓矢を手に取った兵士が幾人かおり、何かおかしい動きを見せようものなら、すぐにでも射殺す構えのようだ。

「われわれは旅のものです。願わくば、慈愛深き御村の温情を賜りたく」

 アルケンは、イーブン語の標準的な挨拶をした。これで、向こうがどう出るか、警戒を解いてくれるまで一日中でも粘らなくてはならないのか。

「お前達は、何処の国のものだ。ヒュターイから来たのではないのか」

 頭の上から響いてくる声は、熟達した中年男性のものだった。

「われわれは、ロールバルト共和国から来ました」

 アルケンは迷っていた。こちらの正体を明かさないために、相手から問われた以上のことを答えないか、自分達の情報を極力提供し、彼らの警戒を解くべきか。それを小声でエリカにたずねる。彼女は、迷いなく後者だと言った。

「ロールバルト共和国だ? 何処にあるのだ、その国は」

「ヒュターイの南西、馬で数ヶ月の距離にあります」

「ああ……。知っている。ヒュターイに朝貢する属国ではないか」

 どうやら、ロールバルト共和国はヒュターイの属国ということになっているらしい。事実は違う、単なる貿易相手国だ。

「ヒュターイ人であれば、戦時以外はたまにこの村にも来る。商取引のためにな。だが、お前達は商人ではなさそうだ。しかも、ロールバルトなどと、そのように遠い場所から何しに来たのだ」

「われわれは、学究の徒です。世界中を旅し、知ったことを、研究書にまとめるのです」

「はぁ」

 兵士は、呆れたような、馬鹿にしたような声を出した。

「ならば、この国の首都に行けばよいだろうが。首都へ行くのなら……」

「もちろん、いずれは首都にも向かいたいと思っています。ただ……、村には村で、知識ある人が居るはずです。その方と会って、話しを窺いたいという思いもありまして」

「ほう?」

「例えば、村の長老の方。首都の頭でっかちの人間にはない知恵をお持ちのはずです。そうした知恵を収集し、まとめるのもわれわれの役割だと思っています。この村には、知恵ある長老がいらっしゃるとおうかがいしたので」

 アルケンは、それとなくセイ村をおだてるセリフを盛り込んだ。自分の村が褒められて、嫌な気分がするものではあるまい。

「そこで待っていろ。われわれ門番の一存で、よそ者を村に入れるわけにはいかないからな」

 男は、楼閣から姿を消した。相変わらず、他の兵士達は二人のことを見つめている。氷の結晶はいつの間にか空中から消えて、薄雲をすかして太陽が弱々しい光を二人に投げかけた。凍える思いをしていた二人には、そんな光でも有り難かった。

 門が開き、二人の前に灰色のヒゲを蓄えた男が歩み出でた。

「ようこそおいで下さいました。遠き国からの旅のお方よ。村内で、長旅の疲れを癒されよ」

「痛み入ります。僕の名前は、スーニュ・アルケンです。ロールバルト共和国からまいりました」

 アルケンは、自己紹介するようエリカに目配せした。

「わたしの名前は、エリカ・アストラ・ファビアーノ」

「そうですか。儂はこの村の長老、ダイ・イトークです。さ、宿屋を紹介するからついてきて下され」

 彼の後を付いて、村の真ん中を通る道を歩く。ほとんどの建物は茅葺き屋根で、高さも低く苔が生えていた。何かの果物を干したり、井戸から水を汲んでいた村人達が、奇異の目で二人を見る。

 村の北端に見える瓦葺きの建物が、村長の家なのだろうか。

「さて、こちらが宿屋です」

 他の住居の五倍の広さはあるかと思われる、平べったい建物だった。長老が声をかけると、中から中年の女が現われた。室内の清掃中だったのか、左手に箒を持っている。

「あら、随分若い方達だこと。外国からのお客さんね。中へ、どうぞ」

 外観から予想して、この広い建物の中に旅人みんなが雑魚寝なのかと思ったが、そうではなかった。広い建物は土壁で細かく区切られ、それが一部屋なのだ。

 女が扉を開けると、部屋はかなり狭い。土を踏み固めて作った床にござが敷かれ、藁布団が二枚おいてあるだけだ。故郷で経営する宿屋よりもかなり酷い。もっとも、ここに来るまで使った宿屋でこの程度のものは幾らもあったから、もういい加減慣れたのだけれど。

「分かりました。しばらくご厄介になるかと思いますので、よろしくお願いします」

 二人は、イーブンの方式で、お内儀に頭を下げた。長老が二人に声をかける。

「儂は自分の屋敷に戻りますが、いつでもお尋ね下さい」

 あの狭い部屋にいてもすることがないので、お内儀が起こした焚火の前に座り、身体を温めていた。他にも何人か客が居る気配があったが、どこかに外出しているのか、それとも部屋に閉じこもっているのか、外に出てくることはなかった。

 お内儀は焚火の中に芋を放り込むと、井戸の水で食器を洗い始めた。芋は、あとで食卓に出されるのかも知れない。

「さて……、今後どうするか、だ。ガルトノーシュにどうやれば入れるのか、誰かに聞いてみないとな」

「それとなく聞かないと怪しまれるわよ」

「そうだなぁ。ここの人達って、一見人当たりはいいけれど、その実閉鎖的な気がする。よっぽど慎重に聞かないと……」

「ねえ、ねえ」

 突然誰かが肩を叩いたので、アルケンは飛び上がった。今の話を聞かれたか? ロールバルト語で話していたから、分からないとは思うが……。

「あなた達、外国から来たんでしょ。何しに、こんな辺鄙な村まで来たの?」

 振り向くと、同じ歳ぐらいの少女が、アルケンの顔をのぞき込んだ。大きく透き通った瞳に、アルケンの目は釘付けになった。田舎の少女とは思えないほど、白い肌だ。

「ああ、僕たちは学生なんだ。色々な地域の知恵ある人の話を聞いて、それを本にまとめようと思っている」

「酔狂な人達ね……、それ本当?」

 少女は、いいながら焚火の前に座った。

「はっはっは、他に何に見えるって言うんだ?」

「どこか大国の密偵であるとか……」

「そんな、それこそ、田舎の村に何の用事があるんだよ!」

「……、ここはガルドノーシュに接する村だわ。ガルドノーシュを手に入れるため、様子を見に来たとか、考えられないかしら?」

 なかなか鋭い少女だ。いや、表には出さないが、ここの村人達は全員そう思っているのかも知れない。もし、ガルトノーシュに踏み込もうなどという行動に出たら、袋だたきにされるのかも。

「いや、ガルトノーシュ自体に興味はあるが、まさか警備をかいくぐって入れるとは思っていないさ」

 二人の会話を聞いていたエリカが、アルケンの脇腹をつついた。

「ちょっと、早口で喋られても、全然会話について行けないわよ。何を話しているのよ?」

「ああ、悪い悪い。君、共通語はなせるか」

「大丈夫よ」

 イーブン語で問うたアルケンに対して、少女は共通語で返した。

「まだ、君の名前を聞いていなかったな。ちなみに僕は、スーニュ・アルケン。ロールバルト人さ」

「わたしは、エリカ・アストラ・ファビアーノ。エリカでいいわ」

「ふーん。やっぱり外国の人って変わった名前を付けるのね。わたしは、オオイリノミズハ。少し前まで、一百姓の娘だった」

「オオイリノミズハか。いい響きだね。君は、生まれた時からずっとこの村に?」

「ええ、そうよ。あなた達はずいぶん遠くから来たのね。よければ、旅の話しを聞かせてくれない?」

「そうだなぁ。旅といっても、面白い事なんてあんまりなかったけれどな……。子供の身でよくここまでたどり着けたなと思う。商人に騙されたり、大事な荷物を盗まれたり……」

 それから、二人はミズハに旅の合間に見た美しい景色や、笑い話を語った。ミズハは目を輝かせて二人の話を聞いてくれた。

「じゃあ、何の用か知らないけれど、終わったら二人ともロールバルトに帰るのね」

「ああ……、また長い旅をして、帰る」

「わ……」

 ミズハは何かを呟きかけて、すぐに口を閉ざした。

「わたしも、旅をしてみたいなぁ。でも、無理でしょうね」

「無理? そんなこと、分からないじゃないか」  

「あなたみたいに、言葉の才能があるわけでもないし、方向音痴だし」

「わたしも、はなせるのはロールバルト語と共通語だけよ。それだけできれば十分じゃない」

「例え、言葉が通じたとしても……」

「大丈夫よ。確かに、いきなり外つ(とつくに)に出るのは無理だとしても、イーブン国内を旅するぐらい、難しくないだろう」

 現に、街道を旅しているときも、イーブン人の旅人に出会った。彼らのほとんどは、巡礼の旅だったが、いわば巡礼を口実に旅行を楽しんでいる人達だった。一部の国には、隣村に行くだけで煩雑な儀式が必要というところもあるが、見たところイーブンはそうではあるまい。

「そうね、わたしも大人になったら、旅をしようかな……」

 大人になったらというところで、ミズハの声は奇妙に裏返った。何かを堪えているのではないかとミズハの顔をのぞき込むと、目がうっすらと湿っていた。それが、焚火の煙が染みているのか、もっと別の感情を表しているのか、アルケンに区別は付かなかった。

 三人の間に沈黙が流れ、それに我慢できなくなったエリカが口を開いた。

「そういえば、この村の執政官は村長さんなの?」

「村の代表は村長ね。でも、税金の取り立てやその他の政務を取り仕切っている官衙が別にある。軍もそこに駐屯しているわ」

「後学のために、そこを見せてもらってもいいかしら。ここから近いの?」

「それ程距離はないわ……。セイ村の近くからガルドノーシュに通じる唯一の道に蓋をするように、建物がある」

「ふむ……」

 これはやっかいなことになった。ガルドノーシュに向かうのであれば、何とか官衙をくぐり抜けねばなるまい。

「やっぱりあなたたち、何か不穏な目的があってここまで来たんじゃない? まあ、いいわ。わたしには関係ないこと。ついてきて」

 お内儀に、少し散歩に出ると伝えると、三人は立ち上がった。

* 

官衙は、巨大な山並みのちょうど付け根の所に存在していた。地形図によれば、あの山並みこそ目的地、ガルドノーシュ台地の一部分だ。

 官衙は、辺鄙な田舎にしては不釣り合いなほど巨大な、瓦屋根の建物だった。周囲を濠と石積みで囲われ、人工的な突出部が作られるなど、戦闘に有利になるような仕掛けがあちこちにされている。

「イーブン側からガルドノーシュに至る道は三つあるけれど、そのどれもにああいう建物が造られて、一般人が入ることは許されていない」

「成る程な」

 ヒュターイ、イーブン、そしてもう一つの大国シーディス……そして様々な小国の間で合従連衡を繰り返しながら行われたガルドノーシュ領有戦争は、決着が付かないまま終わった。十年前に行われた和約で、ガルドノーシュにはどの勢力も立ち入らないことが定められ、戦争は終わった。

 ガルドノーシュは住むには難い地域で、なぜ大国が血眼になって領有しようとしたのか、庶民にはほとんど推測できない。鉱物資源の鉱山があるとも言われたし、単に大国の威信をかけた争いに過ぎないとも囁かれた。

「ひょっとして、この辺りは最近イーブン領になったのかな?」

「タイージ王がこの地を制圧したのは三十年前。それまで、この地にはアラブルニシモノが跋扈していた」

「あらぶるにしもの?」

 共通語の中に、聞いたことのないイーブン語が混ざったので、アルケンは驚いた。

「蛮族という意味よ。戦争のあと、彼らは都に連行されたから、今この地に存在しない」

「そうか。道理で時々道ばたに、見たことのない模様の土器が転がっていると思った」

「それは、蛮族の使っていた土器よ」

「ということは、あなたのお父さんお母さんは、もとはこの地の人ではないのね」

 エリカはゆっくりと喋った。

「その通り。わたしの父母は、この土地の開拓を命じられてやってきた。村人たちはみんなそうよ」

「成る程ね……」

 アルケンの知る、ガルドノーシュ領有戦争の史実と、ミズハの話しはほぼ一致した。ガルドノーシュとその近隣には、国家を作らない小さな部族達が多く暮らしていた。そのほとんどは、伝統的な大国ヒュターイに朝貢し、形式上その従属下にあった。しかし、取るに足りないと思われたガルドノーシュの南からシーディスが、北東からイーブンが突如侵入、次々と領土を分割していった。その時に、この村のあった地域も制圧されたのだろう。

 当然、ガルドノーシュ一帯の宗主だったヒュターイは怒り、二つの国を討伐しようとした。結果、ヒュターイ対シーディス・イーブンの戦争が勃発、同盟と離反を繰り返し、十年以上におよぶ大乱となった。

 アルケンは、地面に落ちた鉄の鏃を拾った。使ったのはアラブルニシモノなのか、それとも正規軍なのか……、それは赤く錆びて、親指で強く押すとボロリと崩れた。

 三人は、国衙の周りをあてどなく歩き、やがて村へと戻った。

 ミズハと別れた二人は、宿屋に戻った。

 庭では、お内儀が焚火の前に座り、赤い皮に黄色の身の細長い芋を頬張っていた。二人の姿を見ると手招きし、芋を勧めてきた。

 手に取った芋は、熱く、何度も持つ手を変えなければならなかったほどだった。お内儀の真似をして、芋を半分に割り、赤い皮をむいたあと、かぶりついた。甘く、クリーミーな味が口の中一杯に広がった。おなかのすいていた二人は、思わずにっこりと笑った。

「あんた達、オオイリノミズハと何処へ行っていたんだい?」

 長年の肉体労働と、その大いなる食欲で、水牛のような肉体を持つお内儀は、笑いながら、たどたどしい共通語を話した。

「国衙を見に行きました」

「国衙か……。確かに、この辺りの村には過ぎた、立派な建物だとは思うが。あれがあるおかげで、この辺りの平和は保たれているからね」

「……」

 いつ、ヒュターイ軍が侵入してきても、徹底抗戦できるほどの兵力を待機させていると言うことだろう。やはり、正攻法でガルドノーシュに入る道は閉ざされている見るしかなさそうだ。「ミズハも、運がいい。あの子の家は、少し前まで村八分に近かったんだよ」

「村八分? 何でまた?」

「別の村人の家から、米を盗んだんだよ」

 お内儀の話を簡単にまとめると、こうだ。ミズハの家の両親は病気ということで、国衙から要求された労役――橋を架けたり、水路を開削したり――につかなかった。それはそれで認められたのだが、その分を補填するために、普通の倍の年貢米を要求されたのだ。

 役人は、ミズハ達を足蹴にし、無理矢理米を奪っていった。明日食べるものさえなくなってしまったミズハの父は、隣家から米を盗もうとした。

「村の掟で、米を盗んだものとは、一切関わりを立つというのがあったからね。事情があるだけに可哀想だとは思ったが、掟は掟、変えられない」

 程なくしてミズハの両親は死亡、彼女は一人で生きて行かなくてはならなかった。哀れに思った村人の幾人かが、こっそり食べ物を持っていくこともあって、それで何とか命をつないでいたようだ。このお内儀も、食べ物を運んだ一人だ。

「それで、運がいいとは」

「一年前、ミズハは『神の嫁』に選ばれたんだよ。それで、村八分は解かれた。思えば、ナカノミナカミ様の御慈悲かも知れないね。有り難いことだよ」

 ナカノミナカミ様とは、今まで聞いたことのない単語だが、おそらくこの村の守護神かなにななのだろう。

「神の嫁とは、何ですか」

 アルケンは慎重に言葉を選んで訊ねた。

「文字通り、神の嫁となることだわ。クテゥバ山の神の嫁にね」

「でも、普通に考えるなら、神はこの世界に姿を現さない。嫁になるというのは、何かの比喩でしょう」

「ああ、そうね。何て言ったらいいのか……共通語での言い回しが分からないけれど、わたし達の言葉ではイツクと呼んでいるわ。あんたが言うように、神がこちらに来ないのであれば、あたしたちの方から神の側に行くしかない」

「神の側に行く? どうやって」

「魂を肉体から解き放って、神のいます場まで送るのさ」

「そ、それはつまり、死ぬということでは」

「こちら側から見れば、死んだのと変わらないわね」

 生け贄ということではないか! ロールバルトやアルディでは決して考えられない習慣だ。ロールバルトでは神はただ唯一で、しかも人間には想像も付かない存在だから、嫁を取ることもなく、ましてや生け贄を必要とはしない。生け贄などナンセンスだ。

「つまり、ミズハさんが生け贄になるってことじゃない! 彼女を殺して、それで何になるっていうの。そんな野蛮な習慣が、何で残っているの!」

「野蛮? 言っている意味が分からないわ」

 お内儀は鋭い目でエリカを睨みつけた。並の人間ならそれだけですくみ上がるだろうが、エリカは怯まなかった。

「何のために、彼女を殺すのよ。人が死ぬことで、あなた達が何かを得られるとでもいうの?」

「殺すのではない、神に嫁ぐのよ。ミズハは、死んで地の底に眠るのではない、常春の神の国へ行けるの」

「なにを、馬鹿なことを!」

「あたしらは、山で動物を狩り、木の実を採り、山から流れる川で稲を育てている。山から得るものだけを得て、お返ししないなどということの方が、理屈に反している。五年に一度、山の神との婚礼がないとしたなら、クテゥバ山の神はお怒りになり、大災厄をもたらすだろう。これは、あたしたちがこの地に来る前から行っていた習慣、よそ者に咎め立てされる筋合いはない!」

 お内儀の大声で、鼓膜が破れるかと思った。

「生け贄を捧げるから、神が恵みをもたらしてくれるというの?」

「そうよ」

「そこに、どんな因果があるというの。原因と結果が全く結びつかないわ!」

 エリカは叫んだ。お内儀はそれに無言で答えた。

「もう、やめろ。エリカ」

 アルケンは、エリカの肩に手を置き、そして思う。

 確かにエリカの言うとおり、生け贄を捧げることと、この村周辺の自然現象の因果関係など証明できないし、おそらくないのだろう。

 だが、冷静に考えるならば、空中で手を放した石ころが地面に落ちるという当たり前の現象すら、そこに誰も確固とした法則を証明した者はいない。手を放すと、いつも石は落ちるから、今後も、この地上がある限り未来永劫石は地面に落ちるだろうと、根拠なく推測しているだけだ。

 なら、ここの村人達の習慣を、根拠がないからといってどうしてあざ笑うことができるだろうか。

「ミズハの所へ……!」

 エリカは小声で叫ぶと、走り出した。

「おい! 待てよ!」

 アルケンは慌てて追いかけた。

 ミズハは、村の北西にある神殿の敷地の一角に、屋敷を与えられて暮らしているらしかった。二人が敷地に入ると巫女が驚いた声を上げた。

「あなた! ミズハに会いたいんだけれど、何処にいるのよ。会うことはできる?」

「明日から潔斎に入りますが、今はまだ会うことができますが……」

 巫女はミズハがいると思われる建物の方を指さした。

「ありがとう!」

 エリカは綺麗に整えられた玉砂利を踏んで走る。アルケンは必死でそれを追いかける。その気になったときのエリカの行動力には着いていけないものがある。

「ま、待って下さい! 何のご用ですか」

 背後で巫女が叫ぶ。誰か上役を呼ばれたら結構やっかいだと思うのだが、エリカを止めることはできない。

 彼女は、切妻屋根の小さな建物の扉を、蹴破るようにして開けた。中には、草で作られたシート(タタミというらしい)が敷き詰められ、天井から垂らされた白い布で部屋の中が仕切られていた。エリカが布を振りどけ、さらに奥へはいると、ミズハが座っていた。

「エリカ、アルケン……! 何しに来たの」

「あなたに聞きたいことがあるの」

 エリカは、ミズハと向かい合うようにして静坐した。アルケンはその脇に、立て膝をついた。 突然のことに、ミズハは目を丸くしている。

「あなたが生け贄になるって、本当?」

「生け贄?」

「神の嫁になるって」

「ああ、もちろん本当よ」

「それって、死ぬってことでしょう」

「常春の神の国にいくということだわ」

「同じことよ。ねえ、何であなたが選ばれたわけ?」

 村人からさんざん差別されたあと、生け贄にされる。こんな悲惨な話しがあるだろうか。エリカは眉をひそめ、ミズハに心底同情しているような顔をした。

「そんな顔をしないで。山の神がお決めになったことよ」

「でも、決めるのは人間でしょう?」

「この村の巫女が、占うの。鹿の骨盤の骨に、村の娘の名前を書いて、熱した焼きごてを当てるの。そのヒビの入り具合で、誰が神の嫁になるかが決まる」

「おかしいよ、そんなの。ただの偶然じゃない」

「それはそうよ、偶然でないなら人間の意志が反映されてしまう。そんなのは、占いじゃないわ」

 ロールバルトの学者なら、あるいはこう言うかも知れない。もし、同じ現象の原因を説明するのに、煩雑な理論と簡潔な理論の二つがあるのなら、簡潔な理論を真として採用すべきである、と。村人が山の神とよぶ超自然的な力を介在させなくとも、説明が付くのなら、そんな力は初めから必要ないのだ……。

 だが、ここの人達にそんな理屈は通じないだろう。ここに村が築かれる前からの、彼らの習慣なのだから。

「怖くはないの。死んでしまうのよ」

「怖くないといえば、嘘になるわね」

「なら、逃げることはできないの?」

「できないわ。お父さんお母さんの名誉回復のためには、これ以外に道がないの。村の人々は、死ぬと皆墓に入って祀られるけれど、わたしの父母は、村の外の地面に埋められて、誰も祀る者がいないわ。そう言う人達は、ずっとくらい地底で苦しみ続けなければならないのよ」

「そんなの……」

 そんなのデタラメだ、という言葉をエリカは飲み込んだ。ミズハの目に涙が浮かんでいるのに気がついてしまったから。

「わたしが神の嫁になれば、父母にも立派な墓を作り、末代まで祭祀を絶やさないだろうと村長は約束してくれたわ。だから、今更やめるわけにはいかない。それに……、儀式は夜行われるんだけれど、神官達が去ったあと、神の嫁の身体が祭壇からなくなっているというのは本当だわ」

「つまり、儀式のあと、誰も見ていないところで死体がなくなっているということ?」

 アルケンの質問に、ミズハは頷いた。

 野犬、熊……、遺体を持ち去りそうな動物は幾らでもいる。しかし、その場合引きちぎったあとなどその痕跡が残されていそうなものだし、毎回遺体が消えるのは、偶然にしてはおかしい。だから、山の神が迎えに来たのだと、村人達は考えているらしい。

「でも、でも……」

 何かを言おうとあがくエリカを制止し、アルケンはため息をついた。

「分かった。その土地には土地の習慣がある。これ以上、とやかく言うのはやめよう」

「でも、みすみす人が殺されるのを見過ごそうって言うの?」

 アルケンは、目に力を込めた。自分に考えがある、ここはこれ以上騒ぎ立てない方がいい、と。

「ところで、聞きたいのだけれど。山に分け入るのは、国衙の人間から禁じられているんじゃないのか? 山を越えれば、ガルドノーシュ高原なのだから」

「普通は禁じられている。でも、儀式の時だけは許される。第一、クテゥバ山からガルドノーシュなんか、険しすぎて行くことはできない」

「成る程。その儀式は、皆に公開されているのかな。それとも、神官だけが執り行う秘儀なのか」

「二人の神官が行う。村人が見ることはできない」

「ふーむ……」

 その時、建物の床を力強く踏みしめる音が響き、屈強な男が一人、現われた。

「わたしは、この神殿の神官だ。即刻、この神聖な場から出ていってもらおう」

 立ち上がるアルケン達に、神官は拳を突きつけた。

「申し訳ありません。興味本位で愚かなことをいたしました……」

 イーブンの方法で、謝罪を意味する動作を繰り返し、二人はすごすごと建物から退場した。*

 宿屋に戻った二人。暗い部屋の中で、ひそひそと話しをする。

「何か、ミズハさんを助け出す手だてがあるようなことを言っていたけれど」

「ああ……、まず、この本を見てくれ」

 今や膨れあがった背嚢から、アルケンは一冊の古代文明の本を取り出した。

「これは、古代文明の時代に薬理学者が書いた本だ。タイトルは……「薬・毒になる植物」という意味だ」

 ヒュターイの地下で見つけた本だ。旅行中病気になったとき役に立つと思い、持ってきたのだ。

「何、これ。これは絵なの?」

「ああ……。昔は、本物そっくりに絵を作る技術があったらしい。載っているのは、薬になる色々な草花さ。いま、寒いけれど、ちょうど寒いときに花を付ける植物を探して欲しいんだ。これ。桃色の小さい花が咲くと書いてある。それと、酢が必要か。これは、ロールバルトから持ってきた酢に変化した葡萄酒が役に立つな! あと、エリカ、確か香料を持っていただろ」

「ええ、アルディに生える木から作った樹脂があるわ。眠れない夜に使うといいって、勧められて……」

「丁度いい。それも使おう。儀式まであと五日しかないから、急いで花を探すぞ!」

 できれば、儀式の現場を見ておきたかった。だが、地形図を見るだけでもクテゥバ山の様相は予想が付く。

 神殿では、ナカノミナカミ神に捧げる奇妙な仮面劇が舞われていた。ナカノミナカミとは、この地のアラブルニシモノ――蛮族――を討伐した将軍で、大戦の傷がもとで亡くなった人物だそうだ。死後、この村に暮らす人々の鎮守として祀られている。仮面劇は、ナカノミナカミが敵の将軍を苦労して伐つ物語をあらわしている。

 その祭の最中、ミズハの姿は見えなかった。おそらく、建物内にこもり潔斎をしているのだろう。彼女が嫁ぐという神は、仮面劇の中に登場しないのだ。重苦しい雰囲気の仮面劇が終わると、みな、誰に指示されるでもなく、自分の家の中に帰って行った。そして、扉の前に赤い布をぶら下げ、扉を固く閉ざした。

 この夜、村の内も外も、幽けき姿をした様々な神が行き交い、それに出くわすと祟りに会うのだという。村を出歩けるのは、神に近い存在……すなわち神官達だけだった。

 天空高くに満月が輝く中、全身、白装束をまとった神官が、輿を担いで神殿を立った。そのまま、開け放たれた村の門をくぐり、霜柱の立った地面を踏みしめ、枯れた草原を歩いていく。月光に照らされて、吐く息が青白い。

 やがて、草原は背の高い針葉樹に代わり、それと共に上り坂がきつくなり、もはや道はなくなった。神官達の息が荒くなる。

 輿の上に乗った人間は、布で覆いが掛けられ、眠るように横たわって、ほとんど動かなかった。おそらく、意識を失っているのだろう。

 やがて、巨石が二つ互いにもたれ合うように組み合わさり、三角形の空洞ができた場所にたどり着いた。神官達は、そこで輿を下ろし、輿の上に乗った人間を、二人の方で支えながら、まな板のように平らな石の上にまで運んだ。

 そこには土器の欠片などが落ちており、儀式に使われることは間違いがなかった。神官が布を剥ぐと、まぶたを閉じたミズハが現われた。彼らの一人は、ミズハに静坐してお辞儀するような体勢を取らせ、もう一人は腰布に結びつけられた大きな斧を手に取った。

 神官は斧を振り上げる。

 灰色の煙と、焦げたような臭いが山奥から降りてきたので、神官たちは動作をやめ、辺りを見回した。

「山火事か」

「いや、この甘い臭いは……」

 神官の手から、斧が落ち、石に当たり大きな音を立てて、斜面をずり落ちた。

「……」

 神官達は何か言おうと口を開いたが、言葉にならず崩れ落ちた。彼らは完全に意識を失った。 やがて、煙が晴れると風上から二人が歩いてきた。一人は松明をもっている。アルケンとエリカだ。

「やれやれ、いつ見つかるかと冷や冷やしていたが、何とか上手くいったようだな」

 物忌みのさなか、二人は宿屋を抜け出し、神殿の前で待ち伏せし、やがて現われた輿のあとを追いかけて、この場所にたどり着いた。そして、風上に回り込んだのだ。

「それにしても、アルケンの作った眠り薬、効果抜群だったわね!」

「ああ……、この辺りに自生する、眠り薬の原料になる草の根が見つかってよかったよ。効果は古代文明の本に書かれていたとおりだな」

 二人で、一日中草原を探し、その花の根を五本ほど見つけることができた。それだけでは眠り薬としての効果はほとんどなく、酢などの酸性の物質と混ぜなければならなかった。それに、エリカがもっていた鎮静効果のある樹脂を混ぜることで、アルケン独自の調合が出来上がった。

 懐に隠していた種火から松明に火をおこし、陶器の小瓶に入れたそれを焼べると、煙は風に乗って神官達の所へと流れ込んだのだった。

 エリカは、岩の中に力なく倒れ伏したミズハを揺すった。だが、目を覚ます気配はない。

「起きないわね。わたし達の薬が効きすぎたのかしら」

「いや、最初から眠っているようにも見えた。もしかすると、神官達も眠り薬の製法を知っていて、ミズハに飲ませていたのかも」

「成る程ね。昔からこの辺りに自生する草なら、ここに住んでいる人達が使い道を知っていてもおかしくはないわけけか」

「だけれど、困ったな。どうやって麓まで下ろそうか」

 早いところこの場から逃げないと、神官達の目が覚めたら事だ。

「二人で担いで下ろすしかないでしょうね」

 予定では、夜のうちにミズハを宿屋まで運び、すぐにエリカの馬の後ろに乗せて、この村をでる事になっていた。別の村に着いてしまえば、もう追っ手は来ないだろうという楽観的な見方もそこにはあった。

 二人で話し合っているとき、大人数が落ち葉を踏んで坂を下りてくる音がした。もう、国衙の人間が気がついてやってきたのか。だが、音は山の上からする。

 現われたのは、村の人間とは全く違った服装をした男達数人だった。皆、手に松明を持っている。

「な、何だ! あんたらは!」

 アルケンは共通(ヒユターイ)語で話してみた。この地の旧宗主はヒュターイだったから、その言葉なら、ある程度通じると踏んだのだ。

 男達は、互いに聞いたことのない言葉で話していたが、やがてその中で一番威厳ある男が、流暢な共通語で言った。

「それは、こちらのセリフだ。いつも、お前達の儀式が終わったあと、すぐにお前達はこの場を立ち去るではないか。なぜいつまでも残っている?」

「僕たちは、この村の人間ではない。ロールバルト共和国から来た、外国人だ」

「ほう、外国人が、なぜこの場にいるのか」

 男は、倒れた神官達を横目で見た。

「神官達は、昏倒しているようだな。お前達がやったのか」

「……そうだ」

「何のために?」

「ミズハを、生け贄の少女を助けるために!」

 アルケンは、全てを洗いざらい話すつもりだった。正体不明の奴らに少しでも自分達を信用させるためには、こちらの正体を限りなく明かすことが大切だった。

 男は大声で笑った。何がおかしいのだろうか。男達は、また自分達の言葉で何事かを喋り出した。一人が、槍を掲げてこちらを指さすのを、共通語を喋った男が制止する。多分、彼がリーダー格なのだろう。

「お前の目の色……まさか……いや、暗くてよく分からないが」

 男は、アルケンの目の色が変わったものであることに気がついたらしいが、そう言う男の目の色も普通と違っていた。それは、松明の炎がそうさせるのか、区別が付かなかった。

「我らの姿を見られたからには、このまま村に返すわけにはいけない。悪いが、我らと来てもらうぞ」

 包囲され、鋭い槍を突きつけられてしまっては、命令に従う以外選択肢はなかった。眠っているミズハは、男達の一人が背負い、運んでいくことになった。

 集団は、道なき山道を、黙々と登っていく。アルケン達にとって、彼らに着いていくのは容易なことではなかった。

 空が白みはじめる頃、ようやく開けた場所に出た。そこは、低い建物が三十ばかり立ち並んだ集落だった。

 集落を囲う柵に設けられた扉を開くと、松明をもった男女数人が出迎えた。女達は皆、髪の毛を複雑に結い上げ、大きな粘土製の耳飾りを付けている者もいた。アルケンは思い切って男達の一人に話しかけてみた。

「あなた達は、イーブンがこの地に派兵してくる前の先住民か?」

 だが、その男はアルケンを黙って一睨み下だけだった。もしかすると、共通語が分からないのかも知れなかった。

 東からの強い太陽光線が、村の中を照らしはじめた。明るい鳥の鳴き声が、響き渡る。集落の建物の平面形も円形のものが多く、四角い平面形が多い麓の村とは様式が異なることが分かった。

 アルケン達三人は、槍を突きつけられたまま、集落の端にある地面にへばりつくように背の低い建物の中に放り込まれた。建物は半地下式のもので、中は意外に広く、直立しても頭が天井にぶつかるようなことはなかった。

 入り口の戸を下ろされ、建物の中は暗闇に包まれた。

「ここは、どこ?」

 目が覚めたミズハが、声を上げた。

「気がついた? 僕たちが分かるかい?」

「その声は、まさかアルケン」

「わたしもいるわよ」

「エリカ……、と言うことは、ここは常春の国ではないのね。それとも、あなた達も神の御許に……」

「まさか、あなたは生きているわよ!」

「ど、どういうこと。何があったの」

 二人はミズハに、事の顛末を説明した。

「そんな! わ、わたしはクテゥバ山の神の嫁に」

「そうはならなかったの。わたし達が助けたのよ」

「そ、そんな。これじゃあ、お父さんお母さんの名誉は回復できない。い、今更生きて村に戻ることもできない。わたしに居場所はない、わたしはどうすれば」

 暗闇の中で、ミズハのうめく声が響いた。アルケンの中に後悔の念がわき起こった。彼女にとって最善の道はあの場で生け贄に捧げられることだったのだろうか。だが、生き延びることよりも死の方がましなどということがあるだろうか。

「ミズハ、苦しまないで。今後どうやって生きていくか、考えましょう。わたし達と共に、旅をすることもできるわ」

「で、でも、いま蛮族に捕まっている。どうせ、殺されてしまうのだわ。そうしたら、二度と魂の救いはない」

 重い沈黙が流れた。その沈黙を破ったのは、戸が開く音と、そこから入る斜めの光だった。「建物から出ろ! 三人共だっ」

 共通語で男の声がした。項垂れた三人が外に出ると、武器を持った護衛と思われる男数人に囲われた、アルケン達と同年代の少女が立っていた。鋭角の顎、ほっそりした手足には、全く肉体労働のあとが見られなかった。何より驚いたのは、その瞳の色だ。

「わたしが、この村の巫女だ。そなた達は何者だ」

 彼女もまた、流暢な共通語で話した。

「そこの男性にも話したとおりです」

 アルケンは、そう言ったあと、もう一度自分達の自己紹介をした。巫女は、訝しそうに眉をひそめた。

「そなたの瞳、紫色をしている。わたしと同じだ。紫の瞳をもつのは、この辺りでは巫女の祖とその子孫だけだ。それが、なぜ?」

「僕にも分かりません。ただ、母が紫の瞳をもっていました」

「母上が……、ほう」

 それから、巫女は目を逸らし、木々の間に見える青い空を睨みつけた。男が何かを耳打ちするまで、ほとんどアルケン達のことなど見えていないかのようだった。

「お前達は、そのような遠い外つ国から、何しにこの場に来たのだ。正直に答えぬ時は、命を取るぞ」

 アルケンは項垂れた。古代文明の遺産を探しに来たなどとは、口が裂けても言えない。言ってしまったら、宝物を奪われたあとで、皆殺しにされるのがオチだろう。黙っているアルケンの代わりに、エリカが口を開いた。

「さっきから、高圧的な態度ね! こちらのことばかり聞いて、あなた達の正体を明かさないなんて、卑怯だと思わない」

 アルケンは、縮み上がった。エリカに喋らせたら確実に殺されるぞ……。

「貴様! 自分の立場をわきまえろ!」

 案の定、男が吠える。意外にも、巫女はそれをたしなめた。

「いや……、この方達は貴重な客人かも知れぬ。無礼を働くな」

 男は不服そうだったが、押し黙った。

「さあ、我らの何が聞きたい」

「まず、あなた達は何者なの。麓の村人達と、どういう関係?」

「我らは、イーブン人がやってくるまで、ずっとこの地に暮らしていた。今奴らが住んでいる所に、我らの村はあった」

「戦争に負けたのね」

「そうだ。我らの父祖のほとんどは、奴隷として連行されて、もはやどうなったのか知る術もない」

「村人達は、あと、イーブン国の役人は、あなた達がここにいるのを知っているの?」

 この山はガルドノーシュ高原に繋がっている。というより、感覚的にはすでにガルドノーシュの一部だろう。三大国の協定で、真空地帯になっているはずだが……。

「知らない。この地に暮らしていた、様々な部族――我らの敵も味方もいたわけだが――は皆、三つの国のどこかに連行されるか、逆らえば皆殺しにされただろう。我らは、分散し高原の奥深くに逃れた……、発見されずに残ったのがこの村に暮らすものなのだ」

 聞いてはいけないことを聞いてしまったのではなかろうか。ここまで秘密を知って、彼らは大人しく解放してくれるだろうか。

「それで、あなた達は何で、麓の神官達が生け贄の儀式をやっているところにやってきたの」「神官達が去ったあとで、いつも残されている死体を回収するためだ」

「なぜ、そんなことを。自分達の存在が気づかれる危険性が高まるだけなのに」

「この山は、我らの遙か祖の代から聖なる山とされている。その山を、人間の死体で穢すわけにはいかない。我らの山では、人間の死体は我らの方式で葬られねばならないのだ」

「だから、生け贄にされた死体を持ち去ろうとしたのね?」

 これで、翌朝になると死体がなくなっていると言うことの理由が分かった。常春の国に行ったのではない、自分達が駆逐した異民族達に持ち去られていたのだ。

「さて、我らの正体を明かしたぞ。次は、そなた達の番だ。何をしにこの地に来た」

「それは……」

 エリカとアルケンは苦々しい表情で顔を見合わせた。自分達が圧倒的に不利な立場、選択肢は一つしかないのは分かっているのだけれど。

「神々の時代の遺跡を探しに来たのではないか」

 二人は絶句した。こうも簡単に、目的を言い当てられるとは。

「図星だな。我が祖よりの言い伝えに、お前が来ることは予言されていた。『天空の王の力が強まり、神々の末裔が危機に瀕するとき、紫の瞳をもつ少年が現われ、約束を果たすであろう』と。そして、わたしが最近行った占いでも、予言された時は近いという結果が出た」

「その、紫の瞳をもつ少年というのが、僕のことだと言うのですか? 僕は予言などというものを安易に信じません。言い伝えの、たまたま現実に合致する部分を抜き出してきて『予言は当たった』と言っているだけなのでは?」

「明日も太陽が昇るということをそなたは信じているのではないか。わたしも信じている。だが、それも言い伝えと同じレベルの根拠なき予言と同じだとは思わんか」

 アルケンはそれに反論しなかった。おそらく、太陽が毎朝昇るという現象は、解明されていないが背後に必然的な法則があるはずだ。だが、人間の予言に法則はない、ないはずだ。

「分かりました。予言が正しいとしましょう。すると、あなた方が神の末裔なのですか」

「紫の瞳を持つ者こそ、いにしえの神々の末裔であると伝えられている」

「すると、この僕も……ははは、そんな馬鹿な」

 アルケンは力なく笑った。神の末裔にふさわしい何かが、自分にあるとは思えない。多分、神々の末裔とは、アルケンの言葉に直せば、古代文明人の末裔となるのだろうが……。

「もしかすると、そなたは神代文字が読めるのではないか? 母上から手ほどきを受けなかったか?」

 アルケンは黙って頷いた。

「そなたが目指すのは、ガルドノーシュにあるという、神々の遺跡ではないのか」

「そうです」

「我らなら、ガルドノーシュの中心部へと至る道を案内することもできる。何処に遺跡があるのかは分からないが」

 アルケンとエリカは目を丸くした。いつ自分達を殺しにかかるのかと恐れていた相手が、協力を申し出てきたのだ。自分を捕らえた人間が、親切にも餌を与えてくれたときの小動物がこんな気分だろうか。

「そんなびっくりしたような顔をするな。予言に従うなら、アルケンとやら、そなたが目的を達すれば、我らにも利があるのだ」

「どのような利があるというのですか?」

「天空の王の悪しき呪いから解放される。我らの受難は、天空の王から受けたものなのだ」

「天空の王とは、何ですか?」

「そなた達は、感じないのか! 運命を背後から操ろうとする力を。見えざる手によって全てを支配しようとする力を! わたしは感じるぞ。その力の持ち主こそが、天空の王なのだ」

 アルケンとエリカはお互いに顔を見合わせた。旅立ちの時、アルケンから宝物を奪おうとした商人と貴族、アルディでは宝物を浮浪者の少女に奪われそうになり……。ヒュターイでは、宝物を手に入れようとする巫女と騎士に遭遇した。その背後全てに見えざる力が働いているとしたなら、そんな思いが、旅の間中アルケンの頭をよぎった。

「多分、その力の目的は、僕たちを遺跡に近づけないようにすることでしょうね」

「……」

「ですが、だとすれば、別の力が働いている可能性もある。天空の王の力を妨害し、僕らをこの地まで運んだ力……」

「別の力だと? はっはっは、こいつは驚いたな。そんなことなど、わたしは考えもしなかった。だが、言われてみれば……」 

 巫女は、いかにも愉快そうな面持ちで、隣りに立つ男と話した。この男の瞳も、紫色をしている。彼らの言葉だから、何を話しているのか分からないが。

「この男に、案内させる。わたしの兄だ。名前をリュオーと言う。ただ、リュオーは村の重責を担っているものゆえ、最後まで着いていくことはできない」

「大丈夫です。地形図上で場所は把握していますから、あとは人がいける道が分かればいい」「ほう……そうか」

 巫女は何かの呪文を口ずさんだ。アルケンの推測では、彼らの神を讃える言葉だろうが、意味までは分からなかった。

 リュオーは、不満そうな顔をして、巫女となにやら会話していたが、やがて観念したようだった。彼は、二人の顔を見て、

「お前達のような子供では心許ないが、他に道はないのだから仕方あるまい。俺に着いてきてくれ」

 と、ため息をつくように言った。

 アルケンは、リュオーにほほえみかけ、ありがとうと、彼らの言葉で言った。いつの間に言葉を覚えたのかとリュオーは少し驚いたようだったが、それを口には出さなかった。

「じゃあミズハ、あなたも一緒に行きましょう」

 エリカは振り返り、二人の後ろでずっと黙っていたミズハの手を取ろうとした。だが、巫女が突然一喝した。

「その者を連れていくことはまかりならん!」

「なんで?」

 エリカはぽかんと口を開けたまま、巫女の顔を窺った。

「その者は、イーブン人ではないか。奴らの村に戻り、我らがこの地にあることをきっと喋るだろう。その者を野放しにすることはできない」

「それでは、どうするの!」

「イーブン人が、我らの祖をどうしたか知っているだろう! 雲霞のごとく押し寄せ、集落を焼き払い、逃げまどう子供達に矢を射かけ、女を槍の餌食とし、生き残ったものを連れ去った。そいつらの子孫を、我らが許すと思うか!」

「まさか、殺すというの?」

 巫女とリュオーは、ためらいなく頷いた。

 それでは、二人が必死になってミズハを助けた意味がないではないか。

「ミズハが、直接あなた達の祖先を殺したわけじゃないでしょう。彼女に罪はないわ!」

「罪? 彼女はイーブン人だ。イーブン人は田畑も集落も祖から受け継いでいるではないか。財産だけ相続し、罪を相続しないなどと都合のよい話しがあるか」

 彼らが優位の立場に立っていることは間違いない。言っていることも筋が通っている。だが、エリカは引かなかった。

「彼女は生け贄にされかけていたのよ。彼女は被害者だわ! 弱いものをさらになぶるのが、あなた達の価値観なの? 違うはずよ」

「もう、いいわ! やめて!」

 ミズハが、涙声を上げた。

「わたしを殺して! それで全てが治まるのでしょう。どうせ、生き残っても、今更居場所なんてないわ! 村に生きて戻ったとして、わたしがどんな扱いを受けるか、想像もつかない。なら、いっそ死んでしまったほうがましだわ」

 少女は髪の毛を振り乱し、嘆きの女神のように歯を剥いた。

「ばかやろう!」

 誰かが、ミズハの頬をはたいた。それが自分だと気がつくのに、アルケンは刹那の時間を要した。

「……、簡単に殺してなんて言うな! どんなに八方ふさがりの状況と思えても、生きる道を探すんだよ! でなければ、僕たちがミズハを助けた意味がないじゃないか!」

 ミズハが堪えていたものが堰を切った。彼女は、その場にへたり込んで、ずっと昔から溜めてきたであろう涙を流した。

 初めて見るアルケンの怒りに、エリカは目を丸くした。

 実は、アルケンにはミズハを助ける奥の手を考えていた。それを使おうとしたとき、巫女が手を叩いた。

「ふん。きわめて人間らしい反応だな、お前達。だが、ほっとしたぞ。ここで、その少女を見捨てていこうとしたなら、絶対に遺跡には行かせなかった。人間性を失っている人間は、例え神々の末裔でも、力を使う資格はないからな!」 

 アルケンは肩の力を抜いた。大声を出すのは、思った以上に気力のいることだった。

 アルケンの秘策とは、巫女を恐喝することであった。もしも、ミズハを殺すのならば、アルケンは遺跡に眠る力を行使し、巫女を罰するだろうと。そして、巫女達にはアルケンを殺すことは出来ないだろうことは、予想がついていた。

 だが、そんな危険な手を使う必要はなかった。人間の心は、当の人間自身が考えているよりもずっと健全なのかも知れない。

「娘。もしそなたが望むのならば、我らの村で暮らさんか? 当初は慣れぬ事もあると思うが、みな歓迎するぞ」

 巫女は、地面にへたり込んでいたミズハを掻き抱いた。それが、歓待の態度であることは、異邦人のアルケン達にもはっきり分かった。


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