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第三章

 アルディの太陽は強烈だった。地上にある立体物を全て影にして、地面に焼き付けてしまうかのようだった。旅を進めるごとに日差しが強まり、皆鍔の広い帽子を被るなどしてそれをしのいだ。アルディ王国領内の村人は皆心優しく、旅の途中の休息の場を与えてくれた。その見返りに、商人たちは北方の毛皮を無償で分け与えていた。

 アルディの首都は、半砂漠地帯を流れる川の畔に作られていた。巨大な城壁は焼き煉瓦で作られており、緑色の美しいタイルが貼られていた。だが、一部は崩れ落ちており、火が燃えたあともあった。

「……戦争。噂では聞いていたけれど、大分酷いことになっているわね」

 エリカが沈痛な面持ちで言った。

「ああ。ヒュターイが一方的にアルディを攻撃した戦い。半年前、宿に泊まったアルディの商人が嘆いていたけれど」

城壁の周りには、地面に突き刺さった矢や槍の一部が風で揺れていた。さすがに死体がゴロゴロと言うわけではないのは、埋葬が行われたからか。

「だが、戦争があっても、人々の生活は変わらない。商取引は行われている」

 馬に乗ったリーダーが側に寄ってきて、二人に告げた。

「もう、ヒュターイとの戦争は終わったのですね」

「の、はずだ。さて、あそこの城門から入るぞ」

 リーダーに率いられた隊商は、アーチ型の城門をくぐった。城門の内側には大きな建物が建っており、役人が待ちかまえていた。彼らは、隊商が運んできた商品を鑑定し、関税をかける。役人と商人たちの交渉にはかなりの時間を要した。アルケンたちは商人の脇でその様子を窺っていた。宝物は、エリカの手提げ鞄の中に移してあったが、その中身まで検閲されると少しやっかいだった。

 だが、それは危惧に終わった。主にアルディ語で交わされた交渉は終わり、商品価格の百分の三の関税を払わされる事になったようだ。リーダーは渋い顔をしていた。

「やれやれ、少し前はこんな厳しい査定はなかったのに……」 

 アルディが戦争に敗れ、高い貢納を支払わされているのだろう。だが、それにしては関税が安いのではないか、とアルケンは訊ねた。

「ああ……。アルディの為政者たちも分かっているんだろうよ。高い関税のせいで商人が来なくなってしまっては、都市が立ちゆかないと」

 商人たちは馬から下り、通りを真っ直ぐに歩き始めた。

「ああ……、アルケン、エリカ。取り敢えず、お前達との契約はこれで終わる。俺達は、アルディで商品を買ったら、ロールバルトに戻るが、どうするね」

 もちろん、戻ってしまっては意味がない。この先ずっと旅をして、ガルトノーシュにたどり着かねばならないのだから。だが、たった二人で旅をするのは、正直怖かった。

「ふむ、その顔では戻る気はないらしいな。なら、ここでお別れだ」

 商人は、アルケンに布袋を投げてよこした。

「これが、今までの分の給金だ。お前達なら、何とかやっていけるだろ。じゃあな」

 そう言って、商人たちは歩き始めた。アルケンたちは、ただ呆然と見送るしかなかった。 アルケンはアルディの言葉が分かったし、アルディでも共通語は通じる。頑張れば、次の国へ向かう隊商を見つけ、くっついていくことはできるだろう。だが、怖い。

「取り敢えず、わたし達に同行されてはいかがかな?」

 誰かが、アルケンの背中に手を置いた。修道士、ナットだった。

「わたし達の仲間が、この都市で細々と修道院を営んでいる」

「そうなんですか!」

 この、異教の国に修道院という言葉は異質だった。

「このように商取引が活発であれば、教会の教えを信じる商人たちもたくさん住んでいる。そんな彼らの心の支えさ」

 どうやら、修道士たちに同行するほかに、手だてはないようだった。

 アルディの街区は、複雑な小路が入り組んでいて、よそ者には入りがたい程だった。ここと、ロールバルトを何度も往復している修道士すら、なるべく太い道・太い道を行こうとしている。みな、馬から下り、徒で進んだ。町中を馬に乗れるのは、身分の高いものだけと決まっていた。

「細い道は、大抵袋小路なんですよ」

 町は過密だった。ほとんどの建物が、三階以上ある高層建築で、壁面は質素なモルタルで塗り固められている。高い建物のせいで小路には太陽光線が届かないが、暑さをしのぐにはちょうどよかった。町ゆく人々は、男も女も、なるべく肌を露出しない格好を選んでいるようだった。

 所々、日干し煉瓦が崩れた建物や、焼けこげた建物があるのが、痛々しい。

 曲がり角から現われた少女が、エリカにぶつかった。エリカは尻餅をつき、少女はそのまま走り去る。

「わ、わたしの鞄が……! 泥棒!」

 エリカの鞄は、少女の腕の中に握られていた。

 アルケン・エリカは、馬を預け、走る。少女は、蝶のように身を翻し、蜂のように突進した。二人も負けていない。

 やがて、大通りに出た。歩く人々を交わしながら、三人は走る。少女の姿は少しずつ遠ざかっていく。敵の方が、慣れている。

「くそっ」

 道ばたに転がっている材木を飛び越える。少女は遠ざかる。エリカは転びそうになる。

「泥棒だ! 捕まえてくれ」

 アルケンは、アルディ語で叫んだ。

 少女が、転んだ。その拍子に、宝物が鞄の中からはみ出す。しまった……!

 

 少女は、転んだまま、帯剣した男たちに取り押さえられた。

 アルケンは、少女から鞄を引きはがす。何人の人間に、鞄の中身を見られた!?

「大丈夫だったかな、旅のお方」

 馬上から、ヒゲを蓄えた男が流暢な共通語で言った。毛皮を貼り付けたローブに、ビロードの頭巾。半月刀を腰からぶら下げている。騎士階級か。

 彼は三人の部下を引き連れていた。

 ようやく、ナットたちが追いついてきた。ヒゲの男は、それをじろりと見た。表情からは、鞄の中身に気がついたかどうか分からない。

「これは、異国の修道者殿達か。ご迷惑をおかけした。この娘は、これから役所に引っ立て、厳重に罰するゆえ、お許し願いたい」

 その後、彼は部下達に何かを命じた。少女の腕に、縄がかけられる。

「待って! 罰って、どんな罰?」

 エリカが叫んだ。

「むち打ちの刑だな。それが何か」

「待って、その人を罰しないで」

「何」

 どうやら、少女には共通語がよく分からないようで、呆然と会話を聞いている。

「……、結局、鞄は取り戻せたんだから、もういいわ」

 少女の格好は、みすぼらしいものだった。ボロボロになった衣服、靴を履いていない足は赤くすり切れていた。

「だが、わたしはこの町の法を遂行するものだ。見逃すことはできない」

「彼女は生活に困って、こんなことをしたんでしょう」

「おそらくな。裕福なものがかっぱらいなどすまい」

 男はあごひげを撫でた。

「なぜ、生活に困る人間が出てくるのかしら。それは、あなたのような身分ある人が、貧しい人でも衣食住にありつけるほどの政治を行わないから、ではないの」

「こいつは驚いたな。このわたしにここまで楯突くとは」

 ヒゲの下の男の表情はいまいちよく分からない。アルケンは、口を半開きにして、ほとんど思考停止状態に陥った。異国の町で、身分ある人間に逆らうなど自殺行為だ。

「はっはっは……。たしかにお嬢さんの言うとおりだ。このような貧しい少女を生み出してしまったのは、我らの責任だ……。ヒュターイ軍を打ち払えるだけの軍事力を持たなかった我らのな。だが、だからといって法の箍を外してしまっては、国が立ちゆくまい」

 男の笑いは、酷く乾いたものだった。その顔は、全く笑顔とはほど遠いものだった。

「そこの少年、お前の同行者はこう言っているが、お前はどう思うのだ」

 アルケンは開いた口を閉じた。そしてまた、開いたときには、冷静になっていた。

「僕も、法は法だと思う。でも、法は人が生きるためにあるのであって、法が生きるために人があるんじゃない」

「成る程、面白い考えだな。さすが、異国の人間は違う。だが、我が国で法とはある意味で絶対的なものなのだ。法とは、神が預言者に伝えられたお言葉から論理的に帰結するものだからだ。聖典は絶対だ」

「でも」

 エリカが、また何か言おうとしたが、男はそれを遮った。

「だが、我が国の法にはこうも書かれている。『被害者側が加害者側を追求しないときは、必要な制裁を加えない』と。この法をどう解釈するか、難しいところだが……」

 そこで、男は初めて笑顔になった。

「お前達の慈悲に免じて、少女は釈放としよう」

 部下達は命じられるがままに、少女を釈放した。

 少女は、

「くそ忌々しい外国人め」

 と悪態をついて走り去ったが、アルディ語を中途半端にしか解さないアルケンには、それが真の意味の悪態なのか、お礼のニュアンスが含まれているのか分からなかった。

「知っての通り、我が国は戦争に敗れ、異教徒であるヒュターイに臣従を誓わされた。膨大な量の貢ぎ物をおさめねばならぬ。それが人々の生活を圧迫しているのだ」

 男は大空を睨みつけた。まるで、天球の外側から世界を見つめる監視者がいるかのように。

「俺の名前は、レン・ウィドー・カンと言う。君たちとはもう少し話しがしてみたい……。俺と、食事をせんか?」

 アルケン達は、取り敢えず修道士達と別れ、レンのあとについていった。馬を、宿屋の中庭につなぐと、彼らはレンの職場へと向かった。

 歩く途中、先ほどの少女のようなみすぼらしい子供達が、あてどもなく路上をうろついていた。彼らを見るとき、男は言いようのない複雑な表情をしていた。

 レンは、王家に使える騎士兼裁判官のような身分なのだという。日頃は事務処理を行い、緊急時には武器を取って闘うのだ。彼の執務室は王宮の内側にあるらしい。王宮は堅牢な建物だったらしいが、ヒュターイ軍の略奪があったのだろう、破壊の爪痕がまだ残っていた。

「貧しい屋敷だが、わたしの家に案内する。今夜はここに泊まられるのもよろしかろう」

 衛兵が立つ王宮の門をくぐると、視界が一気に開けた。左右シンメトリーとなるように、石造りの建物が配置されているが、街区と違い広々としたものだった。建物の壁面は、幾何学模様で飾られており美しかったが、そこにも戦禍の跡が見えた。

 美しく配置された木々を、幾人かの庭師が剪定している。噴水からの水が、運河のように張り巡らされ、王宮内部は涼しくなるように設計されているのが分かる。

 レンの執務室は多くある建物のうち、一番背の低い建物の二階にあった。彼は扉を開け、二人を中にはいるよう促した。

 部屋の内部は、質実剛健といった感じのするものだった。むき出しの土壁に装飾品は飾られていない。変わりに、槍や甲冑といった武具がきちんと並べられていた。すぐに闘える状態にあるわけだ。

「いま、妻に食事を持ってこさせる」

 どうやら、ここはレンの執務室でもあり、生活の場でもあるようだった。食器もあるし、小さな台所も備え付けのようだ。

 三人は、ニスの塗られたテーブルを囲うように座った。まもなく、全身をすっぽりと覆う衣服をまとった女の人が現われ、食卓の上に次々と皿を並べ、去っていった。そう、確かこの国の成人女性は、よそ者に素肌を見せてはならないのだった。街区で、ほとんど成人女性を見なかったのはそのためか。

「君たちも、食事の前には祈るだろう。君たちの行うべき方法で祈りたまえ」

 レンは、両手を掲げて、古いアルディ語で祈りはじめた。アルケンとエリカも、教会の教えに則って祈りを捧げた。

 細かく切られた羊の肉と野菜に、何かのソースがかかったもの。赤い色のついた、もっちりした感触の米、甘みの強い瓜のような食べ物が食事の内容だった。ロールバルトにはない香辛料が使われており、クセが強いが美味しかった。

「いま、この王宮に主はおられない。知っているかな」

 噂では聞いていた。アルディの首都は、一ヶ月包囲された後、降伏を余儀なくされた。ヒュターイ軍は統率のとれた軍隊だったが、長期戦の代償として、将軍は略奪を許した。彼らは、王宮から珍しい文物を奪い、アルディ国王を連れ去った。

「その通りだ。アルディ王宮に古代から伝わる遺産を根こそぎ奪われ、さらに、人質として国王まで……」

 今は、第一王子が執政を行っているが、それも何処まで保つか分からない。いずれ、全面的に併合される可能性もあるのだ。

「まあ、いい。こんな話しを君たちにしてもしょうがない。食事を楽しまれよ。俺は、この国存続のために最善を尽くすつもりだ」

「この国では、国王は選挙で選んでいるの?」

 エリカが、突然口を開いた。

「いいや。基本的には前王の子が、王位を継ぐな。ここ二百年、王朝の交代はなかった」

「二百年も世襲制が続いているの? わたし達の国では考えられないわ」

 ロールバルトでは、国家元首が世襲する事を法律で禁じていた。さもなくば、国は上層部から腐敗し、立ちゆかなくなる、それがエリカ達の習い覚えた考えだった。

「何が言いたい。我が国の王制を廃止しろと言いたいのか。確かに、かつて、そのような国体を取っていたこともある。だが、俺達は現国王に忠誠を誓っている。王なくして臣民はない」

「だけれど、ヒュターイに打ち勝つためには、改革が必要よ。王制を廃止しないまでも、万民は同権であるべきよ。わたし達の国が領土的に狭くても、大敗したことがないのは、広くたくさんの人々の意見を取り入れているからだわ」

「おい、エリカ、そのぐらいにしろ。この国には、この国のやり方がある……」

 エリカは、自分が正しいと思った考えを誰彼構わず押しつけるクセがあった。それが、彼女の馬力を生み出す要因でもあり、欠点でもあった。

「なぜ、王制よりも共和制の方が優っていると言える? 大陸一の強国ヒュターイには唯一の皇帝が君臨しているではないか」

「それは、ヒュターイは元々広大な領土を支配しているから、力も強いだけよ」

「いや、力もない、能力もない大衆が国の運命を左右してはならない。優れた血筋の人間が優れた政治を行うのは当然だ」

「本当に、大衆に考える力がないと思う? あなたは、アルディに暮らす人々を愛しているのではないの?」

「愛しているさ。だから毎日、彼らのために、政務にいそしみ、武芸の訓練を怠らぬのだ」

「なら、みんなに政治に参加する権利を持つべきだと思うわ」

「ふむ……。だが、それは王制と矛盾する体制だ。俺は、王家の人々に恩義をうけ、ここまでやってきたのだ。これ以上、愚かなことを口にするとお前達を切り捨てなければならないぞ」

「何で? 何でそこまで……」

「やめろ、エリカ。ロールバルトの常識は、アルディでは非常識なんだよ!」

 さすがのアルケンも、声を荒げた。ここで、レンと対立しても何の意味もないのだ。

「いや、いいのだ。俺も、外国の書物を読み、お前達のような考え方があるのは知っている。小国の場合、共和制の方が上手くいくという学者もいる」

 そこで、彼は険しい顔で天井を見つめた。

「だが、かつて賤しい身分だった父祖を取り立てて、代々の官位を与えてくれたのは、王家なのだ。裏切ることはできない。特に今の国王は、俺に親友のように接してくれている」

「分からないわ」

「何が分からないのだ?」

「そんなに、大事に思っている人なら、なぜ助けに行こうとしないの?」

「助けに行く? 馬鹿な。ヒュターイとアルディの兵力差は、百倍以上ある。どうしろというのだ」

「もちろん真っ向勝負は無理でしょうね。第一王様が人質に取られているんじゃ、闘いようがないわ」

「では、どうしろと?」

「潜入するのよ、王様がとらわれている牢獄なりに。そして、助けるの」

「馬鹿な。不可能だ」

 エリカは不敵な笑みを浮かべた。

「足がかりがないわけじゃない。わたしの親友のご両親が、ヒュターイに領事として派遣されている。そこを足がかりにして、潜入するの」

「まて」

 まさか、他人の国の王様を救出するのを手助けするというのか。危険だ。

「つまり、お前達が協力すると? なぜだ。危険を冒す合理的な理由がないぞ」

「わたし達、ロールバルト共和国は、ヒュターイの強大化を望んでいない。あなた方との同盟は、わたし達にとっても利益になる」

 エリカのような子供が、国家間の同盟を口にしても、何の実行力もないことは明白だ。それどころか、貢納することで、何とか保っている平和を、子供の戯れ言が原因で壊す可能性が高い。とらわれの王が逃げ出したとあらば、条約違反だとしてヒュターイの侵攻を招くことになるだろう。

 ただ、アルケン達にとって、ヒュターイ帝国に潜入することは、決して間違いではない。 レンは、アルディに古代から伝わる遺産を根こそぎ持って行かれたと言った。アルディがたくさんの遺産を所有していたのは有名な話しで、そこに、目的を達成する何らかの手がかりがあるかも知れないのだ。ヒュターイのどこかにあるそれを、見つけ出すことができれば……。

「お前達の真の狙いは何だ。それを正直に言えば、お前達と共に行動することを考えてもよい」

 額に刻まれた皺の数の分、レンの方が上手だった。

「そ、それは……」

 エリカは言葉に詰まった。彼女が、アルケンと同じ事を考えているのは明白だった。アルケンが言葉を継いだ。

「僕たちが欲しいのは、ヒュターイに持ち去られた古代の遺産です。この国には、古代文明滅亡の時を、現代に近い言葉で綴った写本もあると聞いています。僕たちはそれを見たい」

「それが、真の目的か」 

 レンは、二人を射貫くように見つめた。

「それもあるわ。でも、あなた達の国を助けたいという思いも、ある。でなければ、わたし達だけでヒュターイを目指すこともできなくはないのだから」

「ふん、お前達のような子供が、なぜ、古代の遺産を狙う? 読み方の分からない文献や、使い方の分からない道具ばかりなのに」

「申し訳ないが、その理由まではお答えできない」

 レンに、全てを話すほどアルケンもエリカも愚かではなかった。だが、レンの信頼を得るためには、ある程度、腹を割って話す必要があった。

「ぼかして言うなら、僕たちの恩師から、古代文明の謎を解く研究を受け継いでくれと頼まれているんだ。そのための資料が少しでも欲しくて、こうして旅をしている」

「成る程な。知識を求める旅は、預言者も推奨している」

 そして、レンは大きなため息をついた。

「このまま、ヒュターイの従属下で我慢して暮らすというのも悪くはない道だと思っていた。だが、どうやら彼らは、アルディの持つ言葉・習俗を消滅させようとしている。他の征服した国に行ったように……」

 レンは立ち上がり、壁に掲げられている美しい刀の鞘を撫でた。

「我ら固有の文字や言葉を禁じ、預言者の教えを形骸化し……、放っておいてもいずれそうなるだろう。それは……」

 レンは、その刀を手に取り、刀身を引き抜いて、アルケンに突きつけた。まさか、と尻の穴が縮み上がったが、二人を殺す気ではないようだった。 

「この刀身にある、波紋が見えるか」

 確かに刀身には、白っぽく輝く部分と、黒っぽく輝く部分が交互になって、波紋を描いていた。ロールバルトにはない様式の刀だ。

「これほど美しく、鋭い刀は、他のどんな国家でも作れまい……。だが、俺達の子孫がヒュターイ化してしまえば、この美しいものも失われてしまうのだろうな」

 それに対して、アルケンは返す言葉もなかった。レンは、葛藤しているのだ。平和を守り、次第に自分が自分である根拠を奪われて生きていくのと、死を覚悟して戦いを挑み、俺はここにいるのだと神に存在を訴えるのと……。

 彼は、アルディの言葉で神に祈りを捧げた。その声は、自信に満ちたものだった。

「同僚達や、王子に今回の件、打診してみる。王が帰還すれば、我らは……」

 お前達と出会えたのは、神の采配かも知れない、そう言ってレンは部屋から出て行った。*

 王宮の外にある宿舎で、アルケンとエリカは布団に入っていた。二段ベッドの上側にアルケンが入り、すでに下側のエリカは寝息を立てていた。

 アルケンはつかれていたが、神経が高ぶって眠ることができなかった。熱を遮る木々の少ないアルディは、夜になるとかなり寒いことが分かった。幸いにも、羽毛の柔らかい布団は、寒さを大分緩和してくれた。外では、何か虫の鳴き声が聞こえる。

 ロールバルトでも、秋、虫がよく鳴いていた。アルディの虫の鳴き声と違いがあるかどうか思案してみたが、故郷の虫の鳴き声がどんなものだったか今や思い出せなかった。

 そうこうしているうちに、意識が……。

 眠りにつくのを遮ったのは、部屋の入り口の扉がゆっくりと開く音だった。

 アルケンは、目を見開いた。手に、ごく暗いランタンを持った男が一人は行ってきた。続いて、もう一人。レンと、その部下の一人のように見えた。腰から剣をつり下げているのが分かり、アルケンは件名にも声を上げなかった。殺しに来たのか? アルケンは、腰巻きに括り付けたナイフを手に取り、彼の様子を窺った。

 二人のうち、ランタンを持った一人はアルケン達のいるベッドの方を見ている。アルケンは、布団に顔を隠し、隙間から彼らの様子を窺った。どうやら、アルケンが起きているとは悟られていない。

 もう一人の男――多分、レン――は、アルケン達の手荷物をあさりはじめた。そして、アルケンの背嚢の奥深くから、古代文明の遺物の入った巾着袋を取り出した。レンは小声で部下に声をかけた。ランタンが、袋の中身を照らす。

 光にかざし、つぶさに見つめ、息を飲んでいるのが分かる。

 二人は、巾着袋を背嚢に押し込め、荷物を元通りにすると、部屋から出て行った。

 アルケンは、静かにベッドから飛び出し、二人の後をつけた。

 二人は、宿舎の馬小屋の前で、小声で話している。アルケンは、扉の内側から声だけを盗んだ。アルディ語だが、ある程度その内容は分かった。

「やはり、彼らの持っているのは古代文明の遺産のようだ」

「何と!」

「我が王宮にも似たものがあったが。もちろん何に使うのか全く分からない」

「なぜ、彼らがそんなものを?」

「分からん、だが、あの少年の瞳の色」

「紫色でしたな」

「かつて、王の許可を得て、宝物殿の書物を読んだことがある。古代には、紫の瞳を持つ種族がいて、彼らが支配者だったという。ヒュターイよりもずっと強大な帝国……」

「おお、では……」

「紫の瞳の種族など、荒唐無稽だと思っていた。だが、本当にいるとはな」

「彼は、支配者の末裔なのでしょうか」

 部下は、恐る恐る喋った。

「さあな。だが……、いま、ヒュターイは強引に周囲の国々から古代の遺物を集めている。その動きと、関連があるのかも知れない。何か、大きな絵を描いている奴がいる。少年達も、その駒の一つなのかも知れない」

「やはり、彼らと関わるのは危険なのでは?」

「いや、彼らには利用価値がある。いざというとき、彼らの持つ宝物と引き替えに、王を救出することもできるかも知れん。それに……」

「それに」

「俺は、彼らが嫌いではない。彼らには何か力がある。しばらく、共にいるのも悪くはないさ」

 レン達は、馬小屋から離れ、足音は次第に遠ざかっていった。


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