表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

プロローグ

今までで、一番努力した作品であります。少しでも楽しんでいただければ、光栄です。

 かがり火も、採光窓もないのに、その広大な広間は明るかった。壁自体が輝いているのだと男が知るのに、それ程時間はかからなかった。だから、この部屋には影がない。

 男は、両膝と頭を、綺麗に磨かれた床に押しつけ、完全に平伏している。ウルシが塗られた甲冑、金糸が織り込まれた絹の衣服などは、彼の地位がそれなりに高いことを示していた。

 彼が平伏しているのは、奇妙な装飾が施された祭壇に向かってだった。祭壇と男の距離はかなり離れているが、これ以上近づくのは許されていない。

 祭壇の前には、女が一人いた。帯から蔽膝をたらした、古い時代の衣装を身につけており、彼女が巫女であることを示していた。どちらかと言えばやせ形の、背筋の伸びた美しい後ろ姿だった。

 巫女は、両手を振り上げては跪き、また立ち上がって両手を振り上げる、その祈りの動作を十回繰り返した後、うずくまったまましばらく動かなくなった。祈念を終えた後、上帝が巫女にささやきかけてくれることがあった。王族たちが崇める偽物の神ではなく、本当に世界を統べるお方が、彼女にだけ……。

 しばらく待っても声は聞こえなかった。だが、上帝は彼女の間近におわすという気配……暖かさを感じた。この暖かさがあるからこそ、彼女は生きてこれた。

 彼女は立ち上がると、左側の台に置かれていた刀子を、厳かな動作で右手に持つ。刀子は固い玉石から作られた透き通るほど鋭利なものだ。

 巫女の目の前には、漆喰で白く塗り固められた腰の高さ程度の台があり、その上に裸の少女が仰向けに乗せられていた。少女の身体には、呼吸するときの胸が上下する動きすらなく、それが死体であることが分かる。ただし、まだ幼い美しさは微塵も壊れてはおらず、数刻前に死んだばかりであった。

 巫女は、若葉の持つみずみずしさに激しい嫉妬を覚えた。この少女と大して年齢は変わらないはずだが、紆余曲折を経てきた彼女の肉体には、顔には、もう老いの影が表われているような気分になる。少女は、自分とは違い、幸福だったのだろう。擦り傷一つ、身体にはないではないか。

 少女の鳩尾に、刀子を突き立てる。内蔵を傷つけないようなほどほどの深さで。それから、慎重にへその上から下腹部まで、刃を進める。黄色い体液が、傷口からにじみ出る。少女にはそれ程筋肉がついていなかったらしく、あまり力を込めなくともすんだ。

 今度は、左脇腹から右脇腹にかけて切り裂いていく。今度は、筋繊維と平行に刃を進めるため、さらに抵抗がない。刀子の切れ味もいいのだろう。

 十文字に切られた皮膚や筋肉を、手慣れた動作で捌いていく。まるで、豚から食べられる部分だけを切開していくようだ。食糧に使うのではなく、必要なのはその奥にあるものだ。

 おなかの部分に詰まっている内臓がむき出しになった。異様な臭いが、広間中に満ちた。祭壇の上は血液や何かで、赤黒くなっている。人形のような外見でも、中に詰まっているものは皆同じ、穢らわしい臓物だ。

 巫女は、少しだけ肩の力を抜いた。肉体を捌くのは、かなり体力を要する。

 何か、呪文のようなものを呟くと、ごわごわした布を内臓の上に被せ、一瞬のち、引きはがした。そうすると、体液で布にシミが幾つもできる。上帝からのメッセージだ。

 シミは、この国で使われる表意文字によく似ていた。少なくとも、彼女にはそう見えた。一つ一つ、丹念に解読していく。読む力があるものからすれば、どんなところにも上帝の言葉を見いだすことができた。水をまいたときの飛沫の飛び方、農民の子が地面に残した落書きにすら、明日の吉凶が現われる。ただ、本当に重要なことが知りたければ、きちんとした手順を踏む必要があった。

 巫女は振り返り、男のいる方を見た。それから上帝の詔を意訳し、意外に優しい声で読み上げた。

「ロールバルト共和国の地方都市ティアルバルトの女学院に、支配の玉壁はある。それを他のものに渡してはならぬ、必ず我のもとにもたらすのだ」

 男の肩が震えた。ロールバルトのどこかにあることは予想していたが、ここまで詳細な情報が分かるとは……。この巫女の卜占はほとんど当たる。恐ろしくもあり、頼もしくもあった。

「承知いたしました。直ちに密偵を派遣します」

 男は立て膝をついて、巫女の顔を見あげた。口元には、自信の笑みが浮かんでいる。

「支配の玉壁は、その名のとおり、適切に使用するものに、この世界の支配権を与えるとされるもの。もし、下卑た輩の手にそれが渡ってしまえば、世界は滅びる。それだけは何としても避けねばならぬ。そなたのように、それにふさわしい器のものが手にすれば、楽土がおとずれるであろう。必ず、我らの手に、もたらすのだ。行け!」

 男は、立ち上がり、深々と頭を下げた後、堂々とした足取りで去っていった。場所さえ特定できれば、手に入れるのは時間の問題のはずだった。上帝も味方して下さっている。

 巫女は、男の姿が見えなくなると、小さく笑った。操りやすい男だ。

 彼女が支配の玉壁を手にしなければならないのには、男とは別の理由があった。

 かつて巫女に救われた男は、巫女の手駒に過ぎなかったが、それと同じように、かつて上帝に魂を救われた巫女は、上帝の忠実な手駒だった。少なくとも、そうあらんとしていた。

 かつて、世界への復讐だけを目的としてきた彼女に、別の役割――人類を存続させるという――を与えて下さったのは、上帝なのだから。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ