5
土日働いたから、月曜日の朝は正直きつかった。
特に、腰が。
立ち仕事は腰にくるってことを、すっかりオフィスワークで忘れていたみたい。
アルバイトしていたころは慣れもあったと思うけれど、こんな風に痛くならなかったのに……。
「やっぱり歳ってことかな……」
「だれが歳? チエ、言っておくけどあんた女子社員の大半を敵に回すよ?」
ちょっと呟いただけなのに、偶然通りかかった優希に咎められてしまった。優希は私より2歳年上だから、それを気にしているみたいで。
「でも実際優希のほうが年下に見られることもあるじゃない。実年齢じゃなくて、体年齢の話なの。今日腰が痛くて……医務室行って湿布もらってこようかな」
「うーーん? どう見てもチエは体年齢も若いわよ。何、そのほっそりなだらかな曲線を描く猫ののようなエロい足は!」
びしっと私の足を優希は指差した。
「そういう変な言いがかりは止めてください、先輩」
私よりよっぽどほっそりとした足をしてるくせに、優希は偶に私をからかうように美脚だと騒ぎ立てる。
「先輩って言うな! 同期なんだから! チエの足はいい感じに曲線を描いていてエロいんだよね~~、うらやま!」
「私の体をジロジロ眺めないでください先輩。パワハラで訴えますよ」
「だから同期でしょってば! もう!」
優希はプリプリ怒って行ってしまった。
「あっちから声かけてきたのに、全くなんなのよ」
* * *
「ってことがあったんですよ」
マスターに昼間のことを話しながらカフェオレを飲む。
週末は私も店員だけど、平日は純粋にお客さんとしてお店を訪れる。ここはやっぱり癒しの空間だ。
「ふーん。おじさんとしては千江子さんの足は確かにエロいと思うけど?」
「マスターまでそんなこと言う・・・」
私以外のお客さんがいないのでマスターは素だ。最早、私の前っていうだけではロマンスグレーになってくれない。
それはちょっと悲しい。だけど、身内として接してくれるのはすごく嬉しい。
「あれだよ。やっぱりこう綺麗に曲線を描いている方がただ細いよりエロいじゃない?」
「それって私の太ももとふくらはぎが太いって言いたいんですか」
「違うって。まあでも好みもあるよね。俺は、女の子はガリガリに痩せてるより少しぽっちゃりしてるぐらいのほうが抱き心地が良くて良いと思うけど。なあ、七深?」
「えーー、そういうものなの?」
二人して答えを七深に求める。
閉店時間が近いので七深は片付けを始めていた。でも、話は聞いていたはず。
まさか自分に話しがくると思っていなかったのか、急に振られた話に驚いている。
「俺に聞くな!」
「あー、あれだよ千江子さん、七深はむっつりだから」
「そういえばこないだ柔らかかったって言われたんだった。私って抱き心地よかったかな?」
じっと七深を見つめる。相手は答えない。見つめ続ける。
そのうち顔が赤くなって来る。困っているのか、少し挙動不審だ。
その様子を見るのが楽しい。なんか、すごく可愛い。
「ふうん……、七深のスケベ」
「な!」
「顔、赤いよ?」
そう言ったら怒って奥に入ってしまった。
「くくく……千江子さん、今のはちょっと意地悪すぎるんじゃない?」
マスターがお腹を抱えて、爆笑するのを耐えている。私はにやりと笑い返した。
「私自分がこんなにどSだったなんて初めて知りました。なんかもう、七深っていじめたくなっちゃうんだもん」
「あはは! あれですか、小学生の男の子。好きなほどいじめたい?」
「どうなのかな。なんか妙に可愛く見えちゃうんですけど、やっぱり好きなんですかねー?」
私はギャップがすごくツボなだけだと思っていたのだけど、優希に黒うさぎの手伝いをすることとか、七深の話をしたら「それって好きなんじゃないの?」と言われたのだ。
自分でよくわからないことなのに、こう身近な人に短期間の間に何度も言われるってことはそうなのかな? と思えてしまう。
「千江子さんは彼氏しばらくいないの?」
「私いたことないですもん。好きな人っていうのもいたことないし」
「へえ、今時珍しい」
「そうですか? だって短大は女子しかいなかったし、高校じゃ先輩と遊んでばかりだったので出会いも何もあったもんじゃなかったんですよ」
高校時代、田野倉先輩とは色々なところに一緒に行った。二人しかいない新聞部だったから、当然放課後は毎日二人きり。しかしもちろん、何もない。
「私の高校時代は暗黒です……。今度兄になる人に奴隷のように使われ……」
「兄になる?」
「はい、先輩と姉が結婚するんです」
「そうなんだ、おめでとう。自分の知り合い二人が結婚するって、そりゃまた嬉しいね」
「はい」
嬉しくなって知らず頬が緩む。先輩もお姉も幸せそうだから、私も幸せだ。おめでとうと言われれば私も嬉しくなる。
「付き合ったことないのかあ……。あれでいて七深は高校生の頃3人……4人かな、まあそれぐらい彼女いたみたいだよ? 結構モテるんだってさ」
「へえ、マスターが知ってるってことは連れてくるんですか?」
伯父さんに毎回紹介していたのだろうか。私にはよくわからない感覚だ。
「いいや? 七深の友達が教えてくれるんだよ。この店によく来るから」
「そうなんだ! いいなあ、恋人のいる高校生活って青春っぽいですよね~、きっとクリスマスとかイベントも彼氏がいたら楽しいんだろうなあ」
恋人がいたら、私みたいにクリスマスのイルミネーションを避けて通ることはまずないだろうなと思う。もしかして私がクリスマス苦手なのは、寂しいからなのか。
自分で思っていたよりも結構私ってセンチメンタルなのかもしれない。
「今年のクリスマスはどうするの?」
何故かマスターはにやにやしている。
「どうするも何もここのお手伝いですよ~」
「え、そうなの!?」
「ええ? そうですよね?」
本気で驚いている様子に私も驚いた。だって、クリスマスまでっていう約束だったはず。
「いや、デートとかないの?」
「今彼氏いないって言いませんでしたっけ?」
「これを機に誘われたりとかさー」
「そういうのはないですよ。あ、去年は同期の飲み会に誘われたんですよ! 結局断ったんですけど。やっぱり寂しい者どうし集まろうってことだったのかな」
「同期の飲み会?」
「はい。同期の男の子に飲みに行かない? って言われて。でもクリスマスイブにわざわざ飲みに行かなくても……って思って断ったんです」
テレビの特番見る方がいいやって思って断ったような気がする。
「それってお誘いだったんじゃ……」
「まあ一種のお誘いですけど、マスターが思ってるようなことじゃないと思いますよ? 新年会のとき彼女の話してましたし」
本当に不思議だった。
クリスマスに彼女がいなかったのに、新年会ではいるってことは年末年始に出会いでもあったってことだろうか。
年末年始って家で紅白見てお餅食べてすごすものなのに……、どこに出会いがあるのだろうか。
「七深、千江子さんクリスマスはフリーだって! 二人でどこかディナーでも行ってくれば?」
七深が片付けを再会するために、店内に戻ってきた。
急に何を言うんだとマスターを見るが、とくにからかっている様子もない。
七深とディナーか……なんだかとても楽しそうな気がする。
黒うさぎじゃない場所で七深と過ごすっていうのが面白そう。
「俺クリスマス、バイトだから」
「あ、そうなんだ。当日までバイトって大変だね。って言っても私も昼間は会社だけど」
そう喋りながら、がっかりした気持ちを誤魔化した。
そう、がっかりした。
七海が断った瞬間、ひどく落ち込んだ自分に驚いた。
まるで……、誘ってくれると期待をしていたみたいで。
マスターが言い出したことだけど、七深はそれに便乗して誘ってくれるんじゃないかって思っていたみたい。
なんだか恥かしい。
まるで私は好かれていると、七海にとってクリスマスを一緒に過ごしたいと思える相手だと、……好かれているのだと勝手に勘違いしてたみたいじゃない。
まるで、というか、そのまんま。
一人で勝手に期待して、誘ってもらえなくてがっかりして。
「私、帰りますね! そろそろ閉店時間だし」
なんだか居た堪れなくて、急いで会計して帰路についた。
寒空のもと、足早に家を目指して歩いた。
特に二人に怪しまれたりはしなかったと思う。いや、思いたい。
少し胸が痛い。なんだかもやもやして、嫌な気分だった。
走り出したいような、叫びたいような。
それでいて、恥ずかしくて恥ずかしくて、もう消えてしまいたい。
ふと、分かった。
嫌な気分なのは、勝手に期待したくせに、誘ってもらえなくて裏切られた気分だから。
それでいて、消えてしまいたいのは、どうしようもなく自分が恥ずかしいからだ。
「これが恋だって言うなら、良いものじゃないのね」
そう呟いた息は白くなって、消えた。