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目が覚めた時、いつもと違うベッドに寝ていることに気付いて「またか」と思った。
いつも優希にしてやられる。
大抵次の日の朝は優希のうちのベッドに一緒に寝ている、はずが。
起き上がってみていつもと違うことに気が付いた。
「ここ、どこ?」
全く知らない部屋。まさかこれが噂に聞く合コンのお持ち帰りというやつなのだろうか。
でも相手の男の人はどこに?ベッドには私一人しか寝ていない。
しかも昨日のままの服装ですけど。
スカートが皺になっている。
コンコンとドアがノックされて誰かが部屋に入って来た。
「千江子さん、おはようございます」
入って来たのは黒うさぎのマスターだった。
「お、おはようございます。……って、なんで!?私、昨日……」
「覚えていらっしゃらないと思いますよ?だいぶ酔ってましたから」
私一体何をしたの!?
自分の記憶が当てにならない以上今日会社に行ったら優希を問い詰めないと。
その前にこの状況はどういうことなのか誰か説明して欲しい。
「昨日七深が千江子さんをここに連れて来たんですよ。大分酔っているようだったのでうちに泊めさせていただきました。二日酔いは大丈夫ですか?」
「え、あ、はい。大丈夫です。すみませんご迷惑おかけしました」
ベッドから立ち上がって深々と頭を下げた。
「いえ、昨日は驚きましたけど。千江子さん昨日のこと覚えてます?」
そう聞かれて言葉につまる。
「あの、実は全く覚えてないんです。たまたま飲み会で七深さんと一緒だったのはもちろん覚えてますよ? だけど友達に渡されたジュースを飲んだ後さっぱり記憶がないんです」
正直に覚えていることはすべて話した。
お世話になっておいて意地張っても仕方ない。
「そうなんですか。七深は千江子さんと家が同じ方面だからと同じタクシーに乗ったは良いけど千江子さんの家の場所知らないし困ってしまってうちに連れて来たみたいですよ」
「そう、なんですか。七深さんにお礼言わないと。マスターもほんとすみません、ありがとうございます」
お酒飲んで記憶なくて起きたら人のうちなんて本当に私何しているのだろう。
自分で招いた事態ではないにしてもマスターに迷惑をかけてしまったなんて、最悪。
優希のせいで!
とりあえず七深さんに謝りたい。
「七深は家に帰ったから今はいないんですよ。いつものように夕方来ていただければ会えますよ、今日は仕事で絶対来ますから」
「はあ」
「ほら、千江子さんも急がないと。会社に行く前に家に帰りますよね?」
マスターは言いながら壁にかかっている時計を見上げた。
私もつられて時計を仰ぎ見る。
ただいまの時刻、7時半。
大変だ、ここから家まで5分だけれどお風呂に入りたいし出勤時刻に間に合わせるためには8時10分には家を出ないと行けない。
「わわ、帰ります! マスター本当にお世話になりました! また夕方に来ますね」
それだけ言って私は黒うさぎを後にした。
「優希」
「あ、おっはよー! チエ。ねね、昨日どうだった?」
朝は時間がぎりぎりだったため捕まえることのできなかった優希を昼休みに捕まえた。
「他に言うことないの!?」
「え~? じゃあ、黒井くんどうだった? うまかった?」
「だからそうじゃなくて!しかも何の話よ!」
「ん? 昨日一緒に帰ったでしょ~? なんかチエは黒井くんのこと気になってるみたいだったしどうなったのかなぁ~って。彼氏欲しがってたしさ、行くとこまで行ったのかと……」
「そんな説明は求めてない!」
「じゃあ何なのよ」
「はぁ」
優希と話をしていたら、頭が痛くなってきた。
別に謝って欲しいわけじゃないけど、謝罪されるものだと思っていた。
だけど優希にとっては、私に酒を飲ませて七深さんと一緒に帰らせたことは、気を利かせただけのことで謝ることでもなんでもないらしい。
「せめてお酒飲んで記憶なくなることわかってるんだから保護してください」
「あはは~さすがにちょっとまずかったかな~って罪悪感はね、あったんだよ? だけどセイと抜けようってことになって……」
「セイって誰よ」
「結城誠也って言ったらわかるでしょ」
「ほう、つまり私は結城くんとしけこむのに邪魔だったと……?」
「そ、ういうことになるの、かな?」
「しばらく優希とは口きかない! もう!」
会社に同期で入ってからずっと優希とは仲良くしてきたけれど今回のことはあまりにもひどい。
なんだか悔しくて目に涙が溜まってくる。
「チエ! ごめんってば! でもうまくいったでしょ?」
「何がよ! 起きたら知らない部屋で寝てて昨日のことなーんにも覚えてないのにそれのどこがうまくいったってことになるのよ! もう優希なんて知らない!」
「ちっ、思ったより駄目ね黒井くん」
「今なんか言った?」
「え? 別に。口きかないんじゃなかったの?」
「きかないもん」
私は意地になって今日は優希と一言も会話をしないことにし、一人で昼ご飯を食べ仕事に戻った。
今日は残業がなかったので就業時間過ぎたらすぐに黒うさぎに向う。
昨日の今日で七深さんにちょっと会いにくいけれど仕方ない。
とりあえず、謝ろう。
ご迷惑おかけして本当に申し訳ないわ……。
「こんばんは~」
言いながら黒うさぎの扉をくぐると、カウンターにはマスターではなく七深さんが立っていた。
いきなり気まずいけど表には出さないように声をかける。
「あれ? 今日はマスターいないんですか?」
「…出かけた」
それだけ言って七深さんはこちらも見ずに手元へと視線を落とした。
会社の帰りに寄ったので少し遅い時間になってしまい、店には私とカウンター内の七深さんしかいない。
ちょっと気まずい雰囲気の中私はいつものお決まりの席に座る。
「カフェオレください」
「いつものですね」
少し驚いた。
マスターにはいつもので通じるけれど、七深さんまで知っているなんて。
マスターに聞いたのだろうか?常連さん全員の好みを覚えているのだとしたら凄い。
ああ、K大生だっけ。頭良いんだ。
じっとカフェオレを入れる七深さんを観察する。
さっきの対応と言い、やっぱり何故か私には愛想もなくてそっけないように思える。
昨日の飲みの席では丁度斜め反対側に座っていた為あまり話す機会がなかったのだけれど、それでも見たところ普通に梅田さん達と話していたようだったのに。
マスターは嫌われているわけじゃないって言ってくれたけど、実際のところ嫌われているのじゃないだろうか?
もしかしたら昨日の夜迷惑をかけてしまって、私の顔なんて見たくもないと思われているかもしれない。
「お待たせしました」
声とともに七深さんがこちらを見た。
視線がぶつかる。急だったため内心ドキッとしてしまって慌てて目をそらしてしまった。
それも失礼だと思い直して七深さんの方をもう一度見なおす。
七深さんは気まずそうな、苦いものでも食べたような顔をしていた。
目が合っただけでこの反応。
(一体昨日の夜何したの!!?私!!)
温かい飲み物で心を落ち着かせようと、叫びだしたいのをなんとか堪えてカフェオレを一口飲んだ。
何も言っていないのに、いつもマスターが入れてくれるようなミルク多目の優しい味がする。
その味に勇気をもらって、カウンターの向こうに声をかけた。
「あの、昨日の夜は本当にご迷惑おかけしました」
(とにかく謝ろう。そして早く帰ろう)
そう思い、さっさと要件に入る。
「別に。俺はここまでタクシーで連れてきただけだし」
七深さんは話している間もこちらを見ない。やっぱり昨日相当迷惑をかけたに違いない。
「いや、もう本当にごめんなさい。タクシー代も払います」
「別にいいです。俺も帰る途中だったし」
「だって私がいなかったら七深さん電車で帰れたじゃないですか」
「それは、そうだけど……」
「連れて帰って来てくれて、しかもここに泊まれるようにしてくれただけでも本当にお世話になってるのにタクシー代まで払ってもらっちゃったら悪すぎる! しかも昨日なんて初対面みたいなもんだったのにどうせ女の子達に押し付けられたんでしょう? 私が七深さんのこと知ってる、みたいな反応しちゃったせいで。本当にごめんなさい!」
謝っていると改めて、ホント昨日の自分があまりにも常識外なことをしていたのだと認識してしまい、涙が出てきた。
これもすべて優希のせいだ。
こうなると分かっていたのにお酒飲ませたうえに放置するから!
そもそも合コンなんて行かなければ良かった。
「やっぱり昨日のこと覚えてないみたいですね」
七深さんは盛大にため息をついた。
「はい。さっぱり覚えてないんですけど……、私何かしました? 酔ってる時どうなってるのか何故か誰も教えてくれないからわかんないんだけど」
「それは……遊ばれてんですよ」
「やっぱりそう思います?」
酷い。酷すぎる。本当に、私が酔うとどうなるというのか。
絶対優希は酔っ払った私を見て楽しんでいる。
そしてそれを同期の人たちも、諌めたりはしない。
いっつも同期会のときは酒を飲まされて意識がなくなるのだから。
悔しくて悲しくて涙が流れた。
「え、ちょ、急にどうしたんですか!?」
「なんでもないですぅ」
そう返したもの涙が止まらない。
前から不信に思っていたのが今回のことで耐えられなくなったという感じ。
目の前で七深さんがおろおろしている。
「どこか痛いんですか? 何かあったんですか? 俺何かしました?」
「そういうわけじゃないんです。七深さんのせいじゃないから気にしないで。すいません、止まらなくなっちゃって」
「良かったらこれ」
差し出されたのはお店のペーパーナフキンだった。
「ありがとうございます」
少し硬い紙のそれで涙をぬぐう。もう少し気の利いたものはなかったのか、と少し思った。
まだ暖かいカフェオレを飲んで心を落ち着かせる。なんとか涙が止まった。
泣いたのなんて何年ぶりか。
目の前で泣かれて困っただろう、昨日から七深さんには迷惑かけっぱなしだ。
「良かった、涙止まったみたいで」
七深さんが安心したようにふと笑う。
「ごめんなさい急に泣いたりして。昨日から迷惑かけっぱなし」
「迷惑なんかじゃないから別に、気にしないでください」
「ありがとう」
まともに話してくれて嬉しい。しかも七深さん優しい。
嬉しくて笑いながら見上げると、七深さんの顔が真っ赤になった。
手で口を隠しながらカウンターの仕事に取り掛かろうとしているみたいだけど、振り向いては棚に足をぶつけていた。
何、急に。どうしたの?
首をかしげて不思議がる私を見て、さらに挙動不審差に磨きがかかる七海さん。
この人七深さんだよね?
なんだか……照れているのかな?
顔は真っ赤になっている。それでも一生懸命そのことを隠すかのように仕事に励もうとしていた。
実際は、あまりうまくいっていないけど。
一体何に照れているのかさっぱりわからないのですが。
でも、さっき泣いていたのなんて気にならないくらい胸がときめいた。
「あの、それで昨日の私どんなだったか教えてもらえませんか?」
ガシャン
大きな音がした。七深さんがお皿を落としたようだ。
「大丈夫ですか!?」
「へ、平気です。千江子さんは座っててください」
立ち上がり片付けを手伝おうとしていたら止められてしまい、言われるままに席に戻る。
「手は? 切りませんでした? 大丈夫?」
「大丈夫ですから」
赤くなっていた顔がますます赤くなり、今は後ろを向いてしまっていて顔はみえないのだけれど耳が真っ赤なのできっとまだ顔も赤いのだと思う。
これで分かった。七海さんが動揺して赤くなって、お皿まで割ってしまうようなことを昨日の私はしでかしたのだ。
された方が赤面して動揺するようなことって何なのだろうか。
聞きたいような、聞きたくないような。
でも知っていた方が、今後の私の人生のためかもしれない。
同期はみんな教えてくれないけど、七海さんなら聞けば教えてくれるような気がする。
あらかた片付けが終わったころに、私は七海さんに聞いてみることにした。
「で、結局のところ私昨日どんなことしたんですか」
「……それはその、可愛かったというか」
赤くなって言いながら眉を寄せる七深さん。
一方、可愛かったなんて言われて少し嬉しかったにも関わらず眉を寄せるのを見て更に不安になる私。
「それは具体的に一体何をしでかしたんでしょうか」
ここが重要でしょう。
「立ってられなくなったり水こぼしたり」
「うんうん」
自分的にはかなりそれも恥ずかしいが、一般的な酔っ払いの行動だ。
「おじさんに抱きついたり」
「マスターに抱きついた?!」
やっぱりマスターにも謝らないと。今朝も昨日も迷惑かけすぎ。
でも覚えてないなんてもったいない! マスターに抱きついたなんて!
「やっぱりタク代払います! 本当にどんだけ迷惑かけてんですか、私」
「いいってお金は俺が帰ってくるためでもあったんだし。それに迷惑なんてかかってないから。だって空いてた部屋に一晩泊めただけでしょう」
「でも何かお礼がしたいし」
「……じゃあ店手伝ってください。ケーキの試食またして欲しいんで。クリスマスまで。それでどうですか」
「そんなの私にとっては良いこと尽くしで謝罪になりません!」
「謝罪なんかいらないから」
「それじゃ私が嫌なの!」
じっと七深さんを見つめた。何かさせてくれるまでは引き下がらないつもりで。
先に顔を逸らしたのは七深さんだった。
「……じゃあケーキの試食だけじゃなくて、おじさんの手伝いも頼んでいいですか? 俺が来れないときに。クリスマスまででいいんで」
「わかりました。まかせてください」
私はにっこり笑った。
七深さんはこっちを見ないでため息をつく。
納得できないとはいえちょっと強引すぎたかも。
「でも何でクリスマスまで? 七深さん来れなくなっちゃうんですか?」
「短期でバイトするんで。ケーキは朝来て作るけど、クリスマス前はテイクアウトでケーキも結構出るし、土日はおじさん1人で回すのきつそうだから断ろうと思ってた……けど欲しいものあるから引き受けようかと」
学生は大学行っても給料でるわけじゃないもんなぁ。当然だけど。
学校行ってバイト行って。時間は自由になるけどそれはそれで結構大変そう。
私も短大行ってたときは、レポート終わらないのにバイト行かなきゃいけなくて徹夜したことがあったなぁ。
ここは自分ちの手伝いみたいなものなのだろう。お金のことだしあんまり聞けないけどおじさんの手伝いだからバイトのようにはお金をもらってないのかもしれない。
「じゃあ土日に手伝いに来ます! ケーキの試食もすごく楽しみにしてるので七深さん美味しいの作ってくださいね」
「はい。……あと、敬語やめませんか、同じ歳だし」
「あ、そうですね。……じゃない、そうだね」
「じゃあそういうことで。これからよろしく、千江子さん」
「よろしく、七深さん」
お互い挨拶を笑顔でしたけど、その後固まってお互いの出方を探った。
敬語をやめるなら、この呼び方も是非やめて欲しい。
そう思っていたのはどうやら私だけではなかったようで。
「……呼び方も変えましょうか」
そう言った七深さんの声がちょっと引きつっていた。
それで七海さんも私と同じように感じているのだと分かった。
「七深さん、じゃやっぱり嫌だよね。七深君、かなぁ?」
「俺は何でも。むしろ呼び捨てでいい」
「ん~……、七深? 七深って呼ぶよ?」
「うん……じゃ、それで」
「私も呼び捨てがいいかなぁ。チエとか」
「それは……、なんか照れるからちょっと」
「……私だって呼び捨てなんて照れるけどすることにしたんだから七深もしてよ! はい、言ってみよう!」
じっと七深を見つめる。チラチラと下を見たりこっちを見たりしているから偶に目が合う。段々顔が赤くなって来た。だけど私は視線を逸らさない。
すると、七深は手で顔を覆って私から顔を隠してしまった。
「そんなに照れなくてもいいじゃない。学校にだって女の子ぐらいいるでしょ?」
「いるけど」
「まさか女の子の友達1人もいないの?」
「……いるけど」
二回目の声は少し怒りが含まれていて心外だと伝える声音だった。
「だったらなんでそんなに照れるのよ。そんなに私の名前、呼びたくない?」
「そんなんじゃ!」
七深は手をどかしてこっちを見た。私と目が合う。
私からは絶対目を逸らしてやらない。名前を呼ばないと許さないぞって見つめ続けた。
「…チエ」
顔を逸らしながら言う。七深の耳は真っ赤だった。
その姿がすごく可愛い。
この人は本当に照れ屋なんだと思う。
背が高くて骨もしっかりした体格で、きりっとした顔をもつメガネの似合う好青年な七深。
だけど顔を真っ赤にして、照れて目を潤ませている姿は小動物みたいだと思った。
「なあに?」
「あー本当に照れるから千江子さんじゃダメ?」
「メ。同年代の人に名前プラスさん呼びされるのってちょっと居心地わるいじゃない?」
「そうだけど」
「ということで決定。七深のバイトっていつから?」
「再来週から、かな」
「じゃあ今週と来週の土日に来るから仕事教えて欲しいです」
「わかった。それまでにケーキの試作品も作っとくからお願いします」
「はい! ものすごく楽しみ」
私はチーズケーキの改良版に思いをはせて、少しぬるくなったカフェオレを飲み干した。