第1話 牢獄のとんでもスープ
「うぅ、お腹が空いたよー」
固くて冷たい石に囲まれた牢屋の中で、私は空腹に泣きそうになっていた。異世界だろうが牢屋だろうが、私のお腹はきっちりと空くらしい。
「あのー、すみません。とってもお腹が空きました。差し支えなければ、何か食べるものをいただけませんか?」
錆び付いた鉄格子にしがみついて、すぐそばで直立している見張りの兵士に声をかける。だが、兵士は無言のままピクリとも動かない。絶対に私の声は聞こえているはず。だって、この人がさっき私を牢屋にぶち込んだんだから。そう、少し前まで私は、こんな場所にいるはずじゃなかった。
爆発に巻き込まれた次の瞬間、私は見知らぬ場所にぽつんと座っていた。手にはなぜか、銀のマイスプーンをしっかり握ったまま。
「うわぁ……」
見上げるほど高い天井に、思わず声が出た。規則正しく並ぶ巨大な白い石柱。細長い窓には色鮮やかなステンドグラスがはめ込まれ、やわらかな光が深紅の絨毯に落ちている。お城みたい、と思った次の瞬間、私はもっと大事なことを思い出した。
「ラム!私のアイスランド・ラムは!?」
スプーン片手に、洋服のポケットを叩き、自分の周りをグルグルと見回す。でも、あれだけ楽しみにしていた最高のひとくちが、一欠けらもない。
「うそだといってよ」
あまりのショックに、その場で真っ赤なカーペットに突っ伏していると、遠くから金属のぶつかる音とともに、複数の足音が一気に近づいてきた。
「不審者め、動くなっ」
「なんだこの子供はっどこから侵入した!」
「逃がすなよ!非常事態だ、一刻も早くアルシアス様に報告しろ」
なぜか言葉は聞き取れるけど、そんな早口でいっぺんに言われても……。
顔を上げた瞬間、鎧の集団にぐるりと囲まれ、何本もの槍を突きつけられていた。怖い。怖いけど、それより混乱が勝って、無意識に身じろぎしてしまう。槍の穂先が腕をかすめ、じんわりと血がにじんだ。あ、これ本物だ。
「答えろ! 貴様はいったい何者だ!」
どうしよう、このままじゃ本当に殺されるかもしれない。でも、体は金縛りのように動かず、喉の奥が張り付いて言葉が出てこない。
「あ……」
なにか、何か言わないと。私は反射的に、持っていたスプーンを天高く掲げた。
「あ、アイスランド・ラムを食べようと思ったら、ここにいました!」
我ながら意味がわからないけど、結果、私は牢屋にぶち込まれることになった。
――そしていまに至る。
「ここって一体どこなんだろう」
狭い空間をウロウロしながら、牢獄の小さな窓を見上げる。外の様子を確かめたいのに、背伸びしても全然届かない。その時だった。ふわり、といい匂いが遠くから漂ってきた。目を閉じて鼻をくんくんする。間違いない。食べ物だ。待ちに待った匂いと足音が近づき、やがて牢の前でピタリと止まった。
「……お前が噂の侵入者か。黒い髪に黒い瞳。この辺りではあまり見ない顔立ちだな。それにまだ子供じゃないか」
――いえ、先月19歳になりました。と心の中で突っ込みを入れる。よく童顔に見られちゃうけど、ほんとです。
目の前に現れたのは、恐ろしいほど顔立ちが整った青年だった。暗い牢でも輝くようなプラチナブロンドの髪に、陶器のように滑らかな白い肌。美しく澄んだ紫色の瞳に長い手足。私、今までこんなきれいな人間に出会ったことはないかもしれない。神様が気まぐれに作った最高傑作みたいだった。
「まずは名だ」
「小露です。小さいに露で、こつゆ」
「……変わった名だな」
「日本……えっと、私の国でもちょっと珍しい名前です。みんなにはコロって呼ばれることの方が多いです」
「コロか……」
青年がきれいすぎて一瞬だけ見とれて、ドキドキしてしまった。でも次の瞬間、私の意識はその手元に全部持っていかれた。
「あのっそれスープですか!?私のですか?絶対に私のですよね?」
青年が持つ木のトレー、その上の湯気立つ器に目が釘づけになる。思わず鉄格子の間から顔を突き出した私を、突然横から伸びた腕が、容赦なく押し戻した。
「無礼な!アルシアス様に気安く触れるなど許さない。騎士団長だぞ」
「ネモ、下がれ。一応これでも女性だぞ。無体な扱いをするな」
青年の後ろには、もう一人、黒ずくめの少年がいた。黒髪に薄い緑の瞳。音もなく立つ姿は、まるで忍者か暗殺者みたいだ。そう思っていたんだけど、今の私には、スープの匂いの方が気になってしまい。
「アルシアス様、何なんですかこの女。さっきからよだれを垂らしていますが」
あ、ごめんなさい。つい。無意識でした。
アルシアスはあきれたように息をつくと、私の顔を一度じっと見た。次いで、扉の中央にある小さな配膳口を開け、トレーごとスープを差し入れてくる。カチャリ、と金属音が響き渡る。
「腹が減ってるだろう。話はそれからだ。といっても取り調べだがな」
彼の話はほとんど耳に届いていなかった。なぜなら熱々のスープが目の前にあるから。冷めてしまったら、せっかくのスープに申し訳ない。器に顔を近づけると数種類の野菜の匂いがした。ほんの少しだけ肉の匂いもする。出汁は弱いけれど、素材で勝負する料理なのかもしれない。私はさっそく手を合わせた。
「いただきます」
木のスプーンでひと口すくい、そっとスープを口へ運ぶ。
「!!!!!」
衝撃だった。私はスプーンを咥えたまま体が固まってしまった。これは――野菜が、全部、死んでしまっている。煮込みすぎて食感が何一つ残ってない。塩味も薄く、ほとんどお湯を飲んでいるみたいだった。せっかくの食材の持ち味が、何一つ生きていない。
こんなのダメ。つらい。悲しい。これはとっても悲しい。
「食材が全部死んじゃってます!こんな。こんなことって、ひどい。食材がかわいそうです!」
思わず大声で叫んでしまったその瞬間。
シャキン!
薄い金属音とともに、短剣の切っ先が目の前に突きつけられていた。ネモだ。薄緑だった瞳は、いつの間にか怒りに燃えるような朱色に変わっていた。
「貴様、フラヴィーア王国をバカにしたな。不敬だ!絶対に許さん。アルシアス様。いま、俺がすぐこいつを処分します、許可を」
あ、と思った。言ってしまってから反省した。さっきの言葉は、まるで食文化をバカにしてしまうような発言だったかもしれない。
「ネモ、下がれ。命令だ」
アルシアスの抑揚のない低い声に、ネモは即座に短剣を収め、すっと一歩後ろに下がった。真っ赤に染まっていた瞳も、いつの間にか元の色へ戻っている。
「さて」
アルシアスが鉄格子越しに私の顎をつかむ。細くきれいな指なのに、骨ばっていて力強い。
「今のはどういう意味だ?教えてもらおうか。返答次第では、おまえは一生ここから出られないぞ」
――多分、めちゃくちゃ怒ってる、この人。
わかってる。私の言い方が悪かった。でも、絶対にこれだけは譲れない。私はアルシアスの目をまっすぐに見返した。
「この料理は、もっともっと美味しくできます。絶対に」
「ほう……」
「食材の良さを活かすには、ちゃんとした調理法が必要なんです」
ここまで来たら、もう後には引けない。
「お願いします。このスープ、私に作り直させてください」




