第5話 宿屋でひと休み
山を越え、アマルから次の町へ向かう途中で私は高熱を出した。
こんなふうに熱を出したのって、いつぶりだろう。頭はガンガンするし、体は鉛みたいに動かないし、ちょっと動くだけで目まいがする。異世界に来てから、牢屋に入れられたり、崖から落ちたり。いっぺんに色々なことがありすぎて、パンクしちゃったのかもしれない。途中で立ち寄った小さな町の宿屋で、久しぶりにちゃんとしたベッドで横になり、ぼーっとしていた。
(みんなにも迷惑かけちゃったな)
カード集めもまだ始まったばかりだし、ぐずぐずしてるわけにはいかないはず。それにしても。お腹もすいたし、久しぶりにお米が食べたい。ミミちゃんの顔やあの漁師さんのぼやきとか、とりとめなくいろんな考えが頭の中をまわって、珍しくマイナス思考になる。瞼が熱くなってきて、涙がこめかみを伝って枕元に落ちる。自分でもなんで泣いてるのかもよくわからない。そのままうとうと眠ろうとすると、目元にそっと触れる感触を感じた。うっすらと目を開けると紫色の美しい瞳が見下ろしていた。
「どうした。なぜ泣いている?」
アルシアスだった。頭の下に手を差し入れられて、少しだけ起こされる。
「脱水になる前に、水を飲め」
いつの間にか現れたネモに水が入った木の椀を持たされる。でも全然手に力が入らなくて、椀を持つ指先がぷるぷる震える。見かねたアルシアスが、子どもにするみたいに椀を口元まで運んでくれた。近くにいたネモは無言だけど、鋭く刺すような冷たい視線が恐ろしい。ただ、いつもみたいなお小言は一切飛んでこず、着替えを枕元に置いてくれた。
「疲れが出たんだろうな。まあゆっくり休め」
そのまま寝かされて、ぽんぽんと布団を叩かれる。離れていこうとするアルシアスの腕をはしっと掴む。
「……おかゆ……」
「……?かゆ、とはなんだ、粥のことか?」
おかゆが食べたい。いま猛烈に。あっさり塩味でもいい。少し出汁が入っててもいい。あれが懐かしくてたまらない。この世界にそんなものがあるかはわからないけど。
「梅干し……」
「半熟卵……」
「しゃけぇ……」
呪文のように次々となつかしい食材の名前をつぶやく私を、アルシアスは困惑した顔で見た。
「ネモ、コロは一体何を言っているんだ」
「さあ……でもどうせ食べ物のことじゃないでしょうか」
ネモは抑揚のない声で言いながら、てきぱきとした動きで薬草を仕分けしていた。アルシアスは「そうか、腹が減ってるのか」と独り言のように呟いた。
しばらくぐっすり寝たと思ったら、また少しして起こされた。
「ほら」
アルシアスがまた椀をもってベッド脇に立っていた。ネモが体を起こすのを手伝ってくれて、背中に枕を当ててくれる。手渡された椀には、なにか得体のしれないドロドロしたものが入っていた。とりあえず鼻を近づけてくんくんと匂いをかいでみる。ほんのりとパンのような香りがした。
「パン粥だ。もしかしてわざわざ作ってくれたの?」
「……宿屋の女主人に手伝ってもらったが、正直味は保証しない」
アルシアスはいっそ、清々しいほど堂々と宣言した。
「もし残したりしたら……おまえにはバチが当たる、いや当たらなくても俺が当てる」
すかさずネモがフォロー?する。嬉しい。私のために2人がきっと苦労してつくってくれたんだと思うと、ありきたりな言葉だけど、信じられなくてちょっと感動してしまった。
「いただきます」
ふぅふぅと息を吹きかけてから、少しだけ粥を口に含む。素朴だけれど、ホッとするような優しい味だった。というかかなりの薄味だったけど、不器用な優しさが伝わってきた。もう少し塩気があればとか、煮込みの時間とか細かいことは全部どうでもよかった。だって、気持ちだけでお腹も胸も満腹で幸せだったから。最後は椀から直接すべてを飲み干すようにして、器は空っぽになった。そして食べたら今度は眠くなってきた。次にパン粥つくるなら色んなアレンジができるかも……と考えながら、うとうとした。
「出汁とか」
「卵とか……」
「……ちーず……」
眠りに入る前、アルシアスとネモの声が夢うつつに聞こえてきた。
「病人とは思えんな」
「いつものことです」
翌朝、すっかり熱は引いていて、私は元気よく飛び起きた。大きく伸びをしてストレッチする。
「おはよう」
宿屋の食堂の入口へ行くと、なぜかアルシアスとネモが昨日作ったあまりのパン粥を黙々と食べていた。疑問に思っていると、ふくよかな宿の女主人に手招きされ、食堂の脇へ連れていかれた。
「ねぇ、あんたの連れ、いい男ねぇ」
アルシアスのことかな?確かに美形だもんね、花もあるしキラキラしてるし。でもネモだって寡黙な忍者みたいでかっこいいんだよな。
「あらやだ、違うわよ。顔はもちろんだけど。誰かのために夜中に何度も失敗しながら料理を作ってくれるなんて、素敵じゃない」
聞くところによると、いまアルシアスとネモが食べているのは大量に作った失敗作のなれの果て、らしい。多分料理なんてほぼしたことのないだろう2人が奮闘する姿が目に浮かんで、自然に頬がゆるんでしまう。
「具合は?もう体は大丈夫なのか?」
「うん、もう全然大丈夫。昨日はありがとう」
私に気づいたアルシアスが声を掛けてきた。
「なんでそんなにやにやしてるんだ?熱で頭がやられたんじゃないのか」
ネモはいつものネモだった。
「私もそれ食べたい」
狭い宿屋の小さな食堂に気持ちのいい朝日がゆっくり差し込んでくる。3人並んで、味のしないパン粥を一緒に食べた。




