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「ガラケーなんて使ってる女、恥ずかしくて紹介できないんだよね」と合コンで公開処刑された私ですが、亡き母との最後のメールを守り続けた理由を知っていたはずの元彼は後悔しても遅いです

作者: uta
掲載日:2026/03/11

【お知らせ】

この作品は生成aiを用いて執筆を行なっています

あらかじめご了承の上、お楽しみください

第一章 ガラケーの女


「ガラケーなんて使ってる女、恥ずかしくて紹介できないんだよね」


 合コンの個室に、拓也の声が響いた。


 彼の隣には知らない女がいた。派手なメイク、胸元の開いたワンピース、最新のスマートフォンを見せびらかすように握っている。拓也は当然のようにその肩を抱いていた。


 三年。私たちは三年、付き合っていたはずだった。


「ねー、まだガラケーとか存在するんだ」


「昭和じゃん、ウケる」


「っていうか拓也くん、なんでこんな地味な子と付き合ってたの?」


 女——美咲、と呼ばれていた——が甲高い声で笑う。周囲の男女もそれに同調するように、私を見て嘲笑った。


 手の中の折りたたみ式携帯電話が、じんわりと熱を持つ。


 違う。私の体温が上がっているだけだ。


(知ってたはずなのにね、拓也)


 八年前に亡くなった母の、最後のメール。『凛子は凛子のままでいいのよ』——たった一行の、けれど私のすべてだった言葉。データ移行ができない古い形式で、機種変更すれば消えてしまう。だからずっと、この携帯電話を使い続けてきた。


 拓也は知っていた。付き合って最初の年に、私は泣きながら話したのだから。


「ごめんね凛子。俺も出世したいしさ、取引先の前でガラケー出されると恥ずかしいっていうか」


 拓也は悪びれもせずに言った。その隣で美咲が勝ち誇ったように微笑んでいる。


 私は静かに立ち上がった。


 グラスを引っかけないように。椅子を蹴らないように。誰の視線も見返さないように。


「お幸せに」


 それだけ言って、私は個室を出た。


 背後で拓也が何か言っていた気がする。追いかけては来なかった。当然だ。三年分の思い出より、隣の女の機嫌の方が大事なのだから。


 居酒屋を出ると、十一月の夜風が頬を刺した。


 手の中のガラケーを開く。母のメールは変わらずそこにあった。


『凛子は凛子のままでいいのよ』


 ——お母さん、私、凛子のままだったよ。


 だから、捨てられたんだけどね。


 涙は出なかった。もう、枯れていたのかもしれない。


 駅までの道を歩きながら、私は考えていた。明日、会社に行ったら有給申請をしよう。それから——転職サイトに登録しようか。


 二十九歳、事務職、特技は「ついでに」何でもやること。


(誰にも評価されない特技だけど)


 夜の街を、折りたたみ式携帯電話を握りしめた女が一人、歩いていく。すれ違う人々は誰も振り返らない。


 それでいい。私はずっと、そういう存在だったのだから。



 第二章 ついでの仕事


「篠原さん、退職届……本気ですか?」


 総務部の村瀬香織が、信じられないという顔で私を見た。


「本気ですよ」


 私は淡々と答える。デスクの引き出しを整理しながら。十五年分の資料、私が「ついでに」作った業務マニュアル、誰にも引き継げないパスワードの一覧。


「でも、篠原さんがいなくなったら——」


 香織は言葉を詰まらせた。この会社で唯一、私の仕事を間近で見ていた後輩。だから分かるのだろう。私がいなくなったら何が起こるか。


 顧客データベース。十五年分、私が一人で構築したシステム。取引先担当者二百名の誕生日、家族構成、好みの飲み物、苦手な話題。すべて私の頭の中と、このパソコンの中にしかない。


 新人教育マニュアル四十七冊。業務フロー図二百三十二枚。クレーム対応事例集十二年分。


「ついでに」やっていた仕事だ。誰にも頼まれていない。だから誰も、私がやっていることを知らない。


「香織さん、これ」


 私はUSBメモリを手渡した。


「できる限りの引き継ぎ資料は入れました。でも、データベースのアクセス権限は私にしかないので……上に相談してください」


「篠原さん」


 香織が泣きそうな顔をしている。私は少しだけ申し訳なく思った。


「高梨さんとのこと、聞きました。ひどいですよ、あの人」


 拓也は同じ会社の営業部だ。私たちの交際は社内でも知られていた。そして、私が振られたことも。


「お似合いじゃないですか。最新のスマートフォンを持った、キラキラした女性と」


 皮肉のつもりはなかった。本心だった。


「……篠原さんの方がずっと素敵なのに」


 香織の言葉に、私は曖昧に微笑んだ。


 素敵。そうだろうか。地味で、古臭くて、ガラケーを使っている二十九歳の事務員が?


(お母さんは「凛子のままでいい」って言ってくれたけど)


 凛子のままでいたら、こうなった。三年付き合った恋人に公開処刑され、同僚に陰口を叩かれ、誰にも評価されない仕事を十五年続けて。


 私は窓の外を見た。十一月の空は鉛色に曇っている。


「転職先、決まってるんですか?」


「いいえ。これから探します」


「え、それ大丈夫ですか……?」


 香織が心配そうに眉を寄せる。私は首を振った。


「大丈夫じゃないかもしれないけど、ここにいる方がもっと大丈夫じゃないから」


 そう言って、私は最後の段ボール箱を閉じた。


 ガラケーが震えた。メッセージの通知。


 ——拓也からだった。


『凛子、この前は悪かった。少し話せないか?』


 私は携帯電話を閉じた。既読はつかない。ガラケーだから。


 便利なものだ、と思った。この古い機械は、読みたくないメッセージを読まなくていい自由をくれる。



 第三章 思い出を直す店


「神崎通信機器修理店」


 古びた看板が、商店街の片隅で静かに佇んでいた。


 転職サイトで見つけた求人は、正直に言えば条件が良いとは言えなかった。小さな個人店、事務員募集、給与は前職の八割。それでも私の目が止まったのは、業務内容の一文だった。


『ガラケー、ポケベル、古い通信機器の修理を行う店舗です』


 ——ガラケーを直す店が、まだあるのか。


 そう思って、私は面接に来た。


 店内は狭かった。でも、不思議と落ち着く空間だった。棚には古い携帯電話やカメラが並び、作業台には分解途中の機械たち。どれも「時代遅れ」と呼ばれるものばかり。


「篠原凛子さん、ですね」


 奥から現れた男性は、想像と違った。


 三十八歳と聞いていたが、もっと落ち着いて見える。穏やかな目元に刻まれた深い皺。作業で荒れた、大きな手。背は高くないけれど、佇まいに職人特有の静けさがあった。


「神崎誠一です。今日はありがとうございます」


 深く頭を下げる姿に、私は少し戸惑った。面接官がこんなに丁寧に挨拶するものだろうか。


「あの、こちらこそ……」


 私も頭を下げる。顔を上げると、神崎さんの視線は私の手元にあった。


 ——ガラケーを、見ている。


 反射的に隠そうとした。また笑われる、と思ったから。


「大切にされてますね」


 神崎さんは、静かにそう言った。


「……え?」


「その携帯電話。塗装が剥げているのに、画面には傷一つない。大切に使われているんだと思いました」


 私は言葉を失った。


 今まで何度、このガラケーを見られてきただろう。「まだそんなの使ってるの?」「恥ずかしくないの?」「機種変更すればいいのに」——そんな言葉ばかりだった。


 大切にしている、と言われたのは初めてだった。


「あ、の……」


 喉が詰まる。


「すみません、面接なのに変なこと言って」


 神崎さんは困ったように頭を掻いた。


「いえ、違うんです。この携帯には……亡くなった母の最後のメールが入っていて」


 気づいたら、話していた。


 八年前に母が亡くなったこと。データ移行ができない形式で、機種変更すれば消えてしまうこと。だからずっと使い続けていること。そのせいで恋人に振られたこと。


 ——面接で話すことじゃないのに。


「すみません、こんな話……」


「いえ」


 神崎さんは静かに首を振った。


「分かります。古いものには、新しいものでは替えられない価値がある」


 彼は棚の古い携帯電話を手に取った。


「ここに修理に来る方は皆そうです。データを移したいんじゃない。この機械と過ごした時間ごと、残したいんです」


 ——この人は、分かってくれる。


 その瞬間、何かが決壊した。


 涙が、止まらなかった。


 面接なのに。初対面なのに。私は声を殺して泣いた。十年分の、誰にも分かってもらえなかった想いが溢れ出すように。


 神崎さんは何も言わなかった。ただ静かに、ティッシュの箱を差し出してくれた。


「……採用、ということでいいですか」


 泣き止んだ私に、神崎さんは穏やかに言った。


「え、でも、面接もまともに……」


「履歴書は拝見しました。前職で十五年、事務をされていたんですね」


「はい。でも、特別なスキルは……」


「顧客管理はできますか?」


「……できます」


 十五年分のデータベースを一人で構築した実績を、私は「できます」としか言えなかった。自己評価の低さは、簡単には直らない。


「では、お願いします」


 神崎さんが手を差し出した。


 私はその手を握った。作業で荒れた、温かい手だった。


「よろしくお願いします」


 窓から差し込む夕日が、古い機械たちを琥珀色に染めていた。



 第四章 三ヶ月の奇跡


「神崎さん、今月の売上、まとまりました」


 私はタブレット——転職を機に購入した——を神崎さんに見せた。


「四百二十三万円。先月比百十二パーセント、去年同月比四百十八パーセントです」


 神崎さんは目を丸くした。


「四倍……?」


「正確には四・一八倍ですね」


 三ヶ月前、私がこの店に来たとき、月の売上は八十万円程度だった。家賃と光熱費を払えばほとんど残らない。神崎さんは「好きでやってるから」と笑っていたけれど、このままでは店を続けられなくなるのは明らかだった。


 私がやったことは、シンプルだ。


「ついでに」やっていた仕事を、ここでもやっただけ。


 まず、顧客データベースを構築した。過去十年分の修理記録を整理し、顧客の連絡先、修理した機種、思い出の品を預けた理由まで記録した。総数千二百四十七件。


 次に、SNSアカウントを開設した。『思い出を直す店』——そのコンセプトを打ち出し、修理のビフォーアフターを投稿した。お客様の許可を得て、機械にまつわるエピソードも添えて。


「亡くなったおばあちゃんが使っていたガラケーを直していただきました。電源が入った瞬間、家族みんなで泣きました」


「父の形見のポケベル。三十年ぶりにメッセージが表示されて、声が出ませんでした」


 そんな投稿が、静かに広がっていった。


 フォロワーは三ヶ月で二万人を超えた。全国から問い合わせが来るようになった。北海道から沖縄まで、「思い出」を送ってくる人たち。


「篠原さん」


 神崎さんが、困ったように笑った。


「僕は修理しかできない人間なので、正直、こういうことは苦手で……」


「だから私がやるんです」


 私は当然のように答えた。


「神崎さんは直す人。私は届ける人。それでいいじゃないですか」


 言ってから、少し恥ずかしくなった。偉そうだっただろうか。


 でも神崎さんは、穏やかに頷いた。


「……ありがとう」


 彼がそう言うたびに、私は少し泣きそうになる。前の会社では、十五年間で一度も言われなかった言葉だ。


「あ、それと」


 神崎さんが思い出したように言った。


「篠原さんのガラケー、見せていただけますか」


「え?」


「修理……というか、ちょっと試したいことがあって」


 私は躊躇った。このガラケーを手放すのは、母を手放すような気がして。


「大丈夫です。必ずお返しします」


 神崎さんの目は、真剣だった。


「……お願いします」


 私は、八年間握りしめてきた携帯電話を、彼の手に委ねた。


 その日から、神崎さんは毎晩遅くまで作業場に籠もるようになった。何をしているのか聞いても、「もう少し待ってください」と言うだけ。


 ——何を、しているんだろう。


 不安と、少しの期待。


 私は母のいないガラケーのない夜を、初めて過ごした。



 第五章 崩壊の足音


 その頃、私の元いた会社では——


「篠原さんの連絡先、誰か知らない!?」


 営業部のフロアに、悲鳴のような声が響いていた。


 高梨拓也は、冷や汗を流しながらパソコンの画面を睨んでいた。取引先のリストが開かない。顧客データベースにアクセスできない。パスワードが分からない。


「あのデータベース、篠原さんしかアクセス権限持ってなかったんですよ」


 村瀬香織が冷たく言った。


「は? なんでそんなことになってんの?」


「篠原さんが個人的に構築したシステムだからです。会社の業務じゃなくて、『ついでに』やってくれてたんです」


 香織の声には、隠しきれない怒りが滲んでいた。


 取引先からの電話が鳴り止まない。「篠原さんに繋いでくれ」「篠原さんはどうした」「篠原さんがいないと話にならない」——


 十五年間、凛子が「ついでに」積み上げてきた信頼。それが今、会社に牙を剥いていた。


「田中部長の誕生日、来週だぞ」


「え、何送ればいいんですか」


「知らねえよ! 篠原がいつもやってただろ!」


 毎年、取引先のキーパーソンには誕生日プレゼントを贈っていた。好みのブランド、家族構成、趣味——すべて凛子が把握し、最適な贈り物を選んでいた。そのデータは、凛子の頭の中にしかなかった。


「クレーム対応のマニュアルどこ!?」


「篠原さんが作ったやつ、引き継ぎ資料に入ってますけど……」


「これ、全部で四十七冊あるんだけど!? 読めってこと!?」


 拓也は頭を抱えた。


 凛子がいた頃は、何も考えなくてよかった。困ったら「篠原さん」と呼べば解決した。それが当たり前だと思っていた。


「高梨さん」


 香織が近づいてきた。


「何」


「篠原さん、なんで辞めたか知ってます?」


 拓也は目を逸らした。


「……知らねえよ」


「合コンで公開処刑されたんですよね。三年付き合った彼氏に、『ガラケーなんて恥ずかしい』って」


 香織の声は静かだったが、刃のように鋭かった。


「篠原さんがガラケー使ってた理由、高梨さんは知ってたはずですよね」


 拓也は答えられなかった。


 知っていた。八年前に亡くなった母親の、最後のメール。凛子が泣きながら話してくれた夜のことを、拓也は覚えていた。覚えていたのに、忘れたふりをした。


 美咲の派手な笑顔の方が、自分をよく見せてくれると思ったから。


「……香織、篠原の連絡先——」


「知りません」


 香織は背を向けた。


「知ってても教えません」


 拓也のスマートフォンが震えた。美咲からのメッセージ。


『ねえ、今週末どこ連れてってくれるの?』


 ——また金がかかる。


 美咲との交際は、想像以上に出費が嵩んだ。ブランドバッグ、高級レストラン、インスタ映えする旅行。凛子は何も求めなかったのに。


「高梨、ちょっと来い」


 上司の怒声が響いた。また取引先からクレームだ。篠原凛子という堤防が消えた会社は、静かに浸水を始めていた。



 第六章 永久保存


 一ヶ月後の夜。神崎さんが作業場から出てきた。


「篠原さん、できました」


 手には、私のガラケーがあった。そして、一枚のSDカード。


「これは……?」


「お母様のメールです。新しい形式に変換して、このSDカードに保存しました。どんな機種でも読み込めます。クラウドにもバックアップを取りました」


 私は言葉を失った。


「でも、このガラケーのデータは移行できないって……」


「普通のやり方では無理でした。だから、特別なやり方を考えました」


 神崎さんは淡々と説明してくれた。専門的なことは分からなかったけれど、彼が一ヶ月間、夜遅くまで何をしていたのかは分かった。


 私のために、不可能を可能にしてくれていた。


「これで安心して、新しい携帯も持てますよ」


 神崎さんは笑った。穏やかで、少し照れたような笑顔。


「……なんで」


 声が震えた。


「なんで、そこまでしてくれるんですか」


 神崎さんは少し考えてから、言った。


「篠原さんが、僕の店を救ってくれたから」


「それは仕事で……」


「違います」


 珍しく、強い声だった。


「篠原さんは、僕が大切にしてきたものを『届けて』くれた。この店に来るお客さんの想いを、世界中に届けてくれた。それは、仕事じゃない」


 神崎さんは窓の外を見た。商店街はもう暗くなっている。


「僕は修理しかできない人間です。でも篠原さんのおかげで、修理の向こう側にある『想い』を、たくさんの人に知ってもらえた」


 彼は私に向き直った。


「だから、篠原さんの大切なものも、僕が守りたかった」


 ——ああ。


 私は、泣いていた。


 三ヶ月前、この店に来たときも泣いた。でもあのときは、長年の孤独が溢れ出した涙だった。


 今は違う。


「ありがとう、ございます」


 言葉にならなかった。十五年間、誰にも言われなかった「ありがとう」。それを今、私が言っている。


 神崎さんは黙ってティッシュを差し出してくれた。三ヶ月前と同じように。


「……新しいスマートフォン、買いに行きませんか」


 泣き止んだ私に、神崎さんが言った。


「今から?」


「今からです。十五年ぶりの機種変更、一人じゃ寂しいでしょう」


 私は笑った。泣きながら、笑った。


 夜の商店街を、二人で歩いた。


 携帯ショップで、私は生まれて初めてスマートフォンを手にした。設定の仕方も、アプリの使い方も分からない。神崎さんが隣で、一つ一つ教えてくれた。


 その夜、新しいスマートフォンに二つの通知が並んだ。


 一つは、母のメールのバックアップ完了通知。


『凛子は凛子のままでいいのよ』


 もう一つは、神崎さんからのメッセージ。


『今日もありがとう。おやすみなさい』


 私は画面を見つめながら、また少し泣いた。


 ——お母さん。私、凛子のままで良かったみたい。



 第七章 因果応報


「は? 別れる?」


 拓也は、美咲の言葉が理解できなかった。


 季節は春になっていた。付き合って半年。高級レストランのテーブルで、美咲は平然と告げた。


「うん。他に好きな人できたから」


「ちょっと待てよ、俺たち——」


「拓也くんさ、最近お金ないでしょ」


 美咲は爪を見ながら言った。最新のネイルアート。拓也が払った金だ。


「仕事がうまくいってないんでしょ? 聞いたよ、前の彼女が辞めてから会社ガタガタなんだって」


「それは——」


「あと、最新のスマホも持ってないよね、拓也くん。一年前のモデルとかダサくない?」


 拓也は言葉を失った。自分が凛子に言った言葉が、そのまま返ってきている。


「古いものを大切にできない人は、新しいものも大切にできないってね」


 美咲は席を立った。


「バイバイ、拓也くん。次の彼氏、IT企業の社長なんだ。フォロワー十万人いるの」


 去っていく美咲の背中を、拓也は呆然と見送った。


 ——古いものを大切にできない人。


 凛子のガラケー。八年間、母の形見を守り続けた携帯電話。それを「恥ずかしい」と笑った自分。


 拓也はスマートフォンを取り出した。SNSを開く。検索窓に「神崎通信機器修理」と打ち込んだ。


 ——凛子の転職先。香織から聞き出した情報だ。


 アカウントはすぐに見つかった。フォロワー三万人。『思い出を直す店』。


 最新の投稿を開いた。


 写真には、店の前で笑う女性が映っていた。


 ——凛子だ。


 髪を少し切っていた。眼鏡は同じだけれど、表情が違う。あんなに柔らかく笑う凛子を、三年間で一度も見たことがなかった。


 隣には男がいた。穏やかな目をした、職人らしい男。二人の距離は近くて、自然で、幸せそうだった。


 投稿のコメント欄には、温かい言葉が並んでいた。


「篠原さんのおかげで、祖母の携帯が直りました」


「『思い出を直す店』に出会えて良かった」


「凛子さん、いつも素敵な投稿をありがとう」


 ——凛子さん。


 知らない人たちが、凛子を名前で呼んでいる。凛子を必要としている。凛子を大切にしている。


 拓也は連絡先を探した。でも、見つからなかった。


 古いガラケーの番号は、もう使われていない。


 当たり前だ。凛子はもう、新しい携帯電話を持っている。新しい場所で、新しい人と、新しい人生を歩いている。


 拓也が捨てた場所に、別の誰かが価値を見出した。それだけのことだった。


「……くそ」


 拓也はスマートフォンを握りしめた。最新モデルの、美咲に「ダサい」と言われた機種。


 高級レストランの窓の外、春の夜風が吹いていた。


 凛子が「お幸せに」と言って去った、あの夜と同じ季節だった。



 第八章 凛子のままで


「凛子さん」


 桜が散り始めた四月の夕暮れ。神崎さんが、私の名前を呼んだ。


 ——凛子さん、と呼ばれるようになったのは、いつからだろう。


 店が閉まった後の、静かな時間。私たちは作業台の椅子に並んで座っていた。窓から差し込む夕陽が、修理を待つ古い機械たちを照らしている。


「僕は、口下手なので」


 神崎さんは少し困ったように笑った。


「うまく言えないかもしれないけど」


 彼は懐から何かを取り出した。


 ——小さな箱。


「僕と、結婚してくれませんか」


 心臓が、止まったような気がした。


「凛子さんは、僕の店を救ってくれました。僕の仕事を、『届けて』くれました。でも、それだけじゃなくて」


 神崎さんは私を見た。穏やかで、真剣な目。


「凛子さんと一緒にいると、僕は自分のことが好きになれるんです」


 言葉が、出てこなかった。


「古いものを大切にする凛子さんが、好きです。誰にも評価されなくても『ついでに』仕事をする凛子さんが、好きです。ガラケーを握りしめて泣いていた凛子さんが、好きです」


 神崎さんは箱を開けた。


 中には、シンプルな銀の指輪があった。


「これ、僕が直した古い指輪を溶かして作りました。技術的にはめちゃくちゃですけど……」


「——はい」


 私は、気づいたら答えていた。


「え?」


「はい。結婚してください」


 涙が流れた。また泣いている。この人の前で、私は何度泣いたんだろう。


「凛子さん……」


「私も、神崎さんのことが好きです。古い機械を大切に直す神崎さんが。『大切にされてますね』って言ってくれた神崎さんが。私の母を、守ってくれた神崎さんが」


 神崎さんが、私の左手を取った。少し不器用な手つきで、指輪をはめてくれた。


「ぴったりだ」


「……サイズ、いつ測ったんですか」


「寝てるとき」


「え、犯罪では」


 二人で笑った。


 窓の外で、桜の花びらが舞っていた。


 私のスマートフォンが震えた。通知を見ると、香織からのメッセージだった。


『篠原さん!!! SNS見ました!!! おめでとうございます!!!!!』


 ——あ、神崎さんが投稿したんだ。


『思い出を直す店』のアカウントには、私たちの写真がアップされていた。指輪をはめた左手と、照れくさそうに笑う二人。


 コメント欄が、祝福の言葉で埋まっていく。


「古い」と言われ続けた私を、こんなにたくさんの人が祝ってくれている。


 母のメールを開いた。


『凛子は凛子のままでいいのよ』


 ——お母さん。私、凛子のままで幸せになれたよ。


 隣で神崎さんが、私の肩にそっと手を置いた。


「泣かないでください。幸せなときは、笑うものですよ」


「泣いてません。花粉症です」


「四月に?」


「四月にもあるんです」


 神崎さんが笑った。私も笑った。


 夕陽が沈んでいく。古い機械たちが、静かに私たちを見守っていた。



 最終章 繋ぐもの


 結婚式は、小さなものにした。


 会場は、神崎さんの実家の庭。古い日本家屋の、手入れされた庭園。桜と新緑が混じる、五月の午後。


 参列者は二十人ほど。神崎さんの親戚と、私の数少ない友人と、店の常連さんたち。香織も来てくれた。朝から泣いている。


「篠原さん、綺麗……」


「村瀬さん、式が始まる前に泣かないでください」


 ウェディングドレスは、レトロなデザインを選んだ。神崎さんの提案だった。「凛子さんに似合うと思う」と言われて、試着したら本当に似合った。


 式が始まる。


 神崎さんが、緊張した顔で待っている。普段は穏やかな彼が、珍しく落ち着かない様子で。それが少しおかしくて、私は笑ってしまった。


「誠一さん」


 名前で呼ぶのは、まだ慣れない。でも、今日からは夫婦だ。


「凛子さん」


 誓いの言葉を交わす。指輪を交換する。古い指輪を溶かして作った、私たちだけのリング。


「新郎新婦、誓いのキスを」


 誠一さんが、少し照れくさそうに私に近づいた。


 ——幸せだ。


 単純で、当たり前の感想。でも、私はずっとこれを知らなかった。


 披露宴も、ささやかなものだった。手作りの料理と、古いレコードから流れる音楽。「思い出を直す店」らしい、温かい空間。


 引き出物を配るとき、参列者の一人が首を傾げた。


「これは……携帯ストラップ?」


 小さな箱の中には、レトロなデザインのストラップが入っていた。古い携帯電話の形をした、小さなチャーム。


「なぜこれを?」


 私は笑って答えた。


「私たちの出会いを繋いでくれたものだから」


 ガラケー。母の形見。「時代遅れ」と笑われた、私の宝物。それがなかったら、私はこの店に来なかった。誠一さんに出会わなかった。


「古いものには、新しいものでは替えられない価値がある」


 誠一さんがそう言って、私の手を握った。


 参列者たちが、ストラップを手に取って微笑んでいる。きっと皆、それぞれの「古いもの」を思い出しているのだろう。


 香織が近づいてきた。目が真っ赤だ。


「篠原さん……ううん、神崎さん。本当におめでとうございます」


「ありがとう、村瀬さん」


「あの、これ……」


 香織が差し出したのは、古いガラケーだった。見覚えがある。私が会社に残していった、予備の機種。


「元の会社、もうめちゃくちゃで。高梨さんも異動になって、データベースは外注で作り直して……でも、篠原さんのマニュアルだけは、みんなまだ使ってます」


 香織は泣きながら笑った。


「『ついでに』作ったって言ってたけど、あれがなかったら会社潰れてましたよ」


「……そう」


 私は少しだけ、胸が痛んだ。十五年間を過ごした場所だ。嫌な思い出ばかりじゃなかった。


「このガラケー、直してもらえませんか。中に、篠原さんからのメールが入ってて」


「私からの?」


「入社したとき、『困ったらいつでも聞いてね』って送ってくれたでしょ。私の宝物なんです」


 私は香織を抱きしめた。


「直すよ。『ついでに』ね」


 披露宴が終わる頃、夕陽が庭を照らしていた。


 ポケットのスマートフォンが震えた。母のメールのバックアップアプリからの通知。


『凛子は凛子のままでいいのよ』


 ——お母さん。


 私は凛子のまま、幸せになれたよ。


 古いものを大切にする人と、出会えたよ。


 隣で誠一さんが、私の肩を抱いた。


「何見てるんですか?」


「お母さんからのメール」


「……見せてください」


 画面を見せると、誠一さんは静かに頷いた。


「いいお母さんですね」


「うん。最高のお母さんだった」


 私たちは、沈む夕陽を見つめた。


 古い機械たちが繋いだ縁。時代遅れと笑われたものが、私たちを結びつけた。


 ——これからも、古いものを大切にしよう。


 新しいものばかりを追いかける世界で、私たちは「思い出を直す店」を続けていく。


 誰かの宝物を、守り続けていく。


 それが、私たちの生き方だから。



【完】

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