月下の独白
言い渡された通り、桜はあてがわれた部屋から一歩も出ずに夜を迎えた。
行灯の小さな火だけが頼りの、暗い室内。
(……はぁ。やっぱり、そう簡単に信じてもらえないよね……)
やり場のない寂しさに耐えかねて、桜はそっと縁側の障子を開けた。
空には、冷たく澄んだ大きな月が浮かんでいる。あまりに美しい景色が、逆にここが自分の居場所ではないのだと突きつけてくるようだった。
桜は膝を抱え、小さくぽつりと呟いた。
「……会えたのは、嬉しいんだけどな。……だって、本物の先生なんだもん」
自分の手を見る。命(有給)を分け与えたところで、彼との心の距離が縮まるわけではない。今の自分は、彼にとって「警戒すべき素性不明の客」でしかないのだ。
「……頑張らなきゃ。先生のために……私はここに来たんだから」
月明かりの下、桜は自分の影を見つめながら、耐えきれずにポツリと涙を零した。
――その姿を、少し離れた廊下の影から、久我宗介が見つめているとは知らずに。
「監視」という名目ではあったが、彼は夜の静寂の中で、今日一日の出来事を静かに整理していた。
あのような凄惨な場所に、護身の術も持たぬ女性がなぜ現れたのか。そして、なぜ自分の命を救い、こうして涙を流しているのか。
(……私のため……?)
久我は暗闇の中で己の手を見つめた。
利害も、血縁も、仕える主従の関係さえない。そんな見ず知らずの他人が、ただ「自分のため」だけに、すべてを投げ打つような顔をして泣いている。
合理的に考えれば、何らかの意図があるはずだ。しかし、彼女の零した涙は、月光を反射してあまりに清らかに光っていた。
その無防備で、打算を感じさせない悲しみに、久我は胸の奥を静かに突かれたような、名状しがたい戸惑いを覚える。
(やはり、理解できないな。君は……一体、何者なんだ)
久我は足音を立てず、静かにその場を去った。
思慮深い軍師の心に、正体不明の「揺らぎ」が生まれた夜だった。




