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君に一生分の休みを。  作者: 桜庭つむぎ


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15/17

西日に溶ける名もなき熱

ある日の穏やかな午後。

陽と凪が近所の子供たちと遊びに出かけ、寺子屋には久我と桜の二人だけが残されていた。

久我は縁側で古い兵法書の写しを作り、桜はその少し横で、ほつれた子供たちの衣をつくろっていた。

カリカリと筆が紙を撫でる音と、衣が擦れる柔らかな音。

時折、遠くで鳥の声が聞こえるだけの、贅沢なほどの静寂。

「……あ」

不意に、桜が小さく声を上げた。

見れば、彼女は指先に針を刺してしまったようで、ぷくりと赤い血の玉が浮いている。

「大丈夫かい?」

久我が思わず手を止め、彼女の側に寄る。

「ええ、大したことありません」と桜は小さく笑い、指を口元へ運ぼうとした。

だが、それより先に、久我が彼女の手首をそっと取っていた。

「見せてごらん。……少し深いようだ」

久我は懐から清潔な手ぬぐいを取り出し、彼女の指先を丁寧に拭った。

節くれだった、けれど温かくて大きな彼の手が、自分の小さな手を包み込んでいる。

桜は、自分の内側が不意に騒がしくなるのを感じ、思わず息を止めた。

久我もまた、無言のまま作業を続けていたが、指先に触れる彼女の肌のあまりの柔らかさに、不意に筆を動かすのとは違う緊張を覚えた。

(……この者は、これほどまでに脆い存在だったか)

戦場で握る刀の柄とも、教え子たちの小さな手とも違う、熱を孕んだ柔らかな感触。

ふわりと漂う、お日様と石鹸が混ざったような彼女特有の匂い。

何百という敵に囲まれた時でさえ味わったことのない、説明のつかない「危うさ」を孕んだ沈黙が、二人の間に流れる。

「……よし。もう大丈夫だ」

久我が顔を上げた瞬間、二人の視線が至近距離でぶつかった。

夕暮れ近い西日が、桜の瞳を琥珀色に染めている。その瞳には、彼への偽りのない、深い敬愛が真っ直ぐに宿っていた。

久我は、その視線から逃げるように、けれどどこか名残惜しそうに手を離した。

胸の奥に、名前の付けられない重たい熱が沈殿していくような感覚。

これまで、身寄りのない彼女を預かる保護者のような、あるいは気さくな同居人のようなつもりで接してきたはずだった。

だが、今この瞬間だけ、彼女が全く「別の何か」として自分の内側に踏み込んできたような気がして、彼は激しく狼狽した。

「……少し、陽に当たってのぼせたようだ。中に入って茶でも淹れてくるよ」

久我はそれだけ言うと、逃げるように立ち上がり、部屋の奥へ向かった。

桜は、自分の指先に残る彼の体温をそっと反対の手で包み込み、遠ざかっていく彼の背中をただ静かに見つめていた。


夕闇が迫る部屋。

久我は台所で冷たい水を一口飲み、自分の内側に生まれた微かな「揺らぎ」を鎮めようとしていた。

知略を尽くす軍師の頭脳を以てしても、今の彼にはまだ、この言いようのない動揺の正体を導き出すことができない。

ただ、明日もその次も、この穏やかな静寂を壊したくないという願いだけが、切実な形を持って彼の中に居座り始めていた。

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