寺子屋の日常
新しい着物に身を包んだ桜の寺子屋での生活は、あっという間に始まった。
子供たちの勉強の手伝い、食事の準備、洗濯、掃除。
一つ一つの作業は、彼女がいた現代のオフィスワークとは全く異なるものだったが、彼女の生来の真面目さと、仕事で培った要領の良さがすぐに発揮された。
「姉ちゃん、この漢字、書き順がわかんない!」
陽が困った顔で墨だらけの筆を握っている。
桜はそっと彼の隣に座り、紙と筆を取った。
「これはね、こうやって、ここから書き始めるんだよ。それから、ここをしっかり止めて……」
桜は、子供にも分かりやすいように、ゆっくりと、そして正確に筆を運んだ。現代ではPCでしか文字を打たなかったはずなのに、なぜか筆の持ち方も、字の書き方も、体が覚えているようだった。
「わあ、姉ちゃん字が綺麗! 先生より上手かも!」
陽の無邪気な言葉に、桜は苦笑し、縁側でそれを見ていた久我は「こら、陽」と優しく窘めた。
しかし、彼の表情には、微かな驚きの色が宿っていた。
昼餉の準備も桜の担当になった。
竈に火を起こし、米を炊き、野菜を刻む。初めての経験にもかかわらず、彼女は手際よく作業を進めていく。
「お米は、こうやって一回研いでから、少し浸しておくと、ふっくら炊けるんだよ」
「薪は、細いものから順にくべていくと、早く火が大きくなるの」
桜が何気なく口にする言葉や、行動の端々には、現代の知識や合理性が滲み出ていた。
煮物の灰汁取りを小さな布で効率的に行ったり、洗濯物を干す際に風通しが良い場所を選んだり。
ある日、久我は、桜が手早く雑巾を絞り、寺子屋の床を拭き上げていく様子を静かに見ていた。
彼女の動きには無駄がなく、流れるようだった。
「……サクラ君」
久我の声に、桜はぴたりと動きを止めた。
「君の手際は、驚くほど合理的だね。一つ一つの作業に無駄がない。まるで、長年この仕事を熟練してきた者のようだ」
桜はドキリとした。
久我の言葉は褒め言葉だったが、同時に彼女の「異質さ」を見抜いているようにも感じられたからだ。
「い、いえ……ただ、こうすれば早いかな、と思っただけで……」
桜は曖牲な笑みを浮かべるしかなかった。
久我は桜の戸惑いを察したのか、それ以上は追求せず、ただ穏やかに微笑んだ。
「それは素晴らしいことだよ。君のおかげで、寺子屋の仕事がずいぶん捗る。……ありがとう、サクラ君」
その言葉に、桜の胸の奥が温かくなった。
彼の役に立てること。それが、今、彼女にとって何よりも嬉しいことだった。
久我は再び書物に目を落としたが、その瞳の奥には、桜への変わらぬ好奇と、どこか深い思慮が宿っていた。
(彼女は一体、どこで、どのような「仕事」を学んできたのだろうか……)




