才能がないと捨てられた教え子を育てたら、数年後、世界最強の賢者になって私を迎えに来ました
辺境の町に流れ着いて三年になる。
朝は庭の薬草に水をやり、昼は町の診療所で魔術治療の補助をし、夜は読書。
誰も私を知らず、私も誰にも深く関わらない。それでいい。そうあるべきなのだ。
私、アリアンナは元魔術学院の講師だった。そう、過去形だ。
今はただの無職の女。三十二歳、独身。特技は初級魔術と教育だけ。
鏡に映る自分の顔は、昔と変わらない。でも…中身は違う。
私はもう、誰かを導く資格なんてない。
——あの時、私は選択を誤った。
どんなに考えても、その結論は変わらない。
だから私はここで、静かに生きていくしかないのだ。
診療所の帰り道、夕陽が長い影を作っていた。
誰も私に声をかけない。それが心地よくて…でも少しだけ寂しい。
異変は、その日の夕刻に訪れた。
「アリアンナ・エルフェルト様、お住まいはこちらですか」
玄関の扉を叩いたのは、王都の紋章を掲げた使者だった。
まさか、私を追ってきたのか——?
「彼が直接お話ししたいと」
「彼……?」
使者の背後から、足音がする。
その人影を見上げたその瞬間、息が止まった。
「お久しぶりです、先生」
低く、落ち着いた声。
だがその響きが、私の記憶にあるあの少年の声と重なる。
「……レイ?」
名前を呼んだ。昔の癖で、つい子供を呼ぶ口調になってしまう。
けれど目の前にいるのは、記憶の中の子供ではなかった。
黒い外套をまとい、長身で肩幅の広い青年。
かつて細く頼りなかった体は、今や私を完全に見下ろす高さにある。
濃紺の瞳は昔のままなのに、その視線の重さがまるで違う。
「ええ。先生…レイです」
彼は微笑んだ。
その笑みには、敬意と、何か別の——もっと深い感情が混じっていた。
「大きくなったわね」
私は努めて明るく言ったが、声は震えていた。
彼の周囲に渦巻く魔力の圧が、肌を刺す。この力量は、尋常ではない。
「先生は、変わりませんね」
彼は一歩近づいた。
玄関先に立つ私と、彼の距離が縮まる。緊張してしまって…なんだか息苦しい。
「何の用? もう私はあなたの教師じゃないのよ」
「それは承知しています」
レイは穏やかに言った。
「ですが…迎えに来ました」
レイ・アルセイドは、魔術学院で最も見放された生徒だった。
魔力量は膨大だが、制御ができない。
暴走し、破壊し、周囲を傷つける。
他の講師たちは彼を「欠陥品」と呼び、誰も教えようとしなかった。
私が担当になったのは、ただの偶然だった。
初めて会った日、彼は泣いていた。
十二歳の少年は、自分の手を見つめて言った。
「僕には才能がないんです」
「そんなことないわ」
私は答えた。
「あなたの魔力は欠陥じゃない。ただ、使い方が分からないだけ」
魔術は力ではなく、構造だ。
膨大な魔力を持つ者ほど、その流れを理解しなければならない。
私は彼に、魔術式を分解し、再構築する方法を教えた。
彼は驚くほど飲み込みが早かった。
半年後、彼の魔術は学院で最も美しいと称賛されるようになった。
だが——それが問題だった。
学院の上層部は、私が「異端の教育法」を用いたとして査問にかけた。
伝統を無視し、独自の理論で教えたことが罪だと。
私は辞職を迫られた。
それでも、私は後悔していない。レイを守れたのなら、それでいい。
彼が最後に言った言葉を、今も覚えている。
「先生、僕は必ず強くなります。だから——」
その先は、聞き取れなかった。
「迎えに来た、って……どういう意味?」
私は警戒しながら尋ねた。
レイは部屋の中に招き入れられ、私の淹れた茶を静かに飲んでいる。
「先生にまた、僕のそばにいてほしいんです」
「もう教えることなんてないでしょう? あなたはもう立派な魔術師なんだから」
「魔術師ではなく、賢者です」
彼は淡々と言った。
「世界魔術協会から『最高位賢者』の称号を授かりました」
言葉を失った。
賢者——それは数百年に一度現れるかどうかの、最高峰の存在だ。
「だからこそ、先生が必要なんです」
レイは立ち上がり、私に近づいた。
彼の影が私を覆う。心臓が、うるさい。
「レイ、あなたはもう一人で——」
「一人では、ダメなんです」
彼の手が、私の肩に触れた。でも、優しく、離さない強さで。
「先生は僕にとって、ただの恩人ではない」
その瞳が、私を映す。
かつて教え子だった少年の瞳ではない。一人の男性の、真剣な眼差し。
私は慌てて視線を逸らした。胸がざわつく。これは——まさか。
「私はあなたの先生よ。それ以上でも以下でもない」
「それは、先生が決めることですか?」
レイの声が、耳元で低く響いた。
翌日、町に王立教会の調査団が現れた。
彼らの目的は、私だった。
「アリアンナ・エルフェルト。あなたの魔力特性について、調査を命じられている」
冷たい声が告げる。
「レイ・アルセイド賢者の力の源泉が、あなたにあるという報告が上がっている。是非に協力していただきたい」
私の魔力が、レイの核?
何を言っているのか、理解できなかった。
だが彼らの視線は真剣で、そして貪欲だった。
「もしあなたが協力を拒むなら、強制的な手段を——」
「それには及ばない」
冷ややかな声が、空気を切り裂いた。
レイが、そこに立っていた。
「彼女には指一本触れさせない」
その魔力の圧に、調査団の全員が膝をついた。
——レイ視点——
彼らが彼女を「調査対象」と呼んだ瞬間、僕は理性を失いかけた。
先生は、僕にとってこの世界で最も尊い存在だ。
彼女がいなければ、僕は今もただの欠陥品だった。
いや、それどころか、とっくに自分を壊して消えていたかもしれない。
彼女は僕に、生きる意味を教えてくれた。
だから——彼女を誰にも渡さない。
「僕が世界を救うのは、彼女がそこにいる世界だからだ。
彼女を失うくらいなら、この世界を滅ぼす方を選ぶ」
脅しではない。本心だ。
先生は僕を「教え子」だと思っている。
それは十分に分かっている。でも、僕はもう子供じゃない。
僕は一人の男として、彼女を選んだ。それだけだ。
「レイ、あなた……」
私は震える声で言った。
調査団が去った後、部屋には私たち二人だけが残された。
「あなたが世界を滅ぼすだなんて、そんなこと——」
「冗談ではありません」
レイは真っ直ぐに私を見た。
「先生、あなたの魔力特性は『安定化』です。僕の暴走しやすい魔力を、あなたは無意識に整えていた」
「それは……」
「あなたがいなくなってから、僕の魔力は何度も暴走しかけた。
抑えられたのは、あなたが教えてくれた『構造理論』があったからです」
彼は一歩近づく。
「でも、それだけでは足りない。僕には、あなた自身が必要なんです」
「……私がいないと、あなたは——」
「ええ。いずれ自壊します」
その言葉が、胸に刺さった。
「だから、先生。もう『教師と生徒』ではいられません」
レイの手が、私の頬に触れた。
「あなたを守るのは、今度は僕です」
世界魔術協会からの提案は、驚くべきものだった。
「賢者レイ・アルセイドと、安定化魔術師アリアンナ・エルフェルトの、生涯魔術契約」
形式上は、魔力の安定化のための術式連結。
だが実質的には——婚姻に等しい契約だった。
「私が、レイの足枷になるなんて……」
「足枷ではありません」
レイは即座に否定した。
「あなたは僕の核です。あなたがいなければ、僕は賢者でいられない」
「でも——」
「先生、あなたは僕を『守った』。今度は僕が、あなたを守る番です」
彼の手が、私の手を包む。
「選んでください。僕と共に生きるか、それとも——」
それとも、の先は言わなかった。
でもその瞳には、絶対に離さないという意志が宿っていた。
私は、もう逃げられない。
「……分かったわ」
震える声で、私は答えた。
「あなたが、それでいいなら」
契約の儀式は、静かに執り行われた。
魔術式が私たちの手を繋ぎ、光が二人を包む。
これで私たちは、生涯を共にする。
儀式が終わった後、レイは私を抱き寄せた。
「もう…先生扱いは通用しませんよ」
彼の声が、耳元で囁く。
「…これからは、対等ですから」
「……ずるいわよ、レイ」
私は彼の胸に顔を埋めた。
「私、まだあなたを子供だと思ってたのに」
「それはもう、無理ですね」
彼は笑った。優しく、でも確信に満ちた笑みで。
私は気づいてしまった。
彼はもう、私の教え子ではない。私を守る、一人の男性なのだと。
そしてそれが——怖くないことに、驚いていた。
彼の腕の中で、私は初めて安心した。
守られているのではなく、離されないという安心感。
静かで、確定的な未来が、そこにあった。
—完—




