第9章 残されたもの
翌朝、蒼汰は柏崎が用意してくれたしっかりとした朝食を平らげ、微糖のコーヒー缶の蓋に指をかけながら、ようやく本題に口を開いた。
診察予約や車検、それに金銭関係の諸連絡について蒼汰から説明を受ける間、柏崎は表情を変えず、途中で口を挟むこともなく、冷静に耳を傾けていた。
「金銭のことは、相当驚かせてしまっただろう。迷惑をかけてすまない。恥ずかしい話だが、知り合いが勝手に実印を持ち出して契約書の連帯保証人欄に押印してしまってさ。初めて自分が連帯保証人になっていると知ったときは、正直頭が真っ白になったよ。数百万円だ。退職金も出たところでさっと用意できればよかったんだが、ちょっと立て続けに出費が重なっちまった。先方には事情を伝えないといけないな」
「いえ、僕は大丈夫です。逆に、連絡が遅くなってしまってごめんなさい。診察予約の方は、これから電話しますか?」
「ありがとう。うちのせがれが勝手に予約したんだ。こんなに元気なのに年寄り扱いしてくるんだぞ?嫌になっちまう」
「優しいじゃないですか。クリニック側の準備もあるかもしれないので、早めに電話した方が良いかもしれません」
その後すぐにクリニックとの電話を終えた柏崎は、ほっとした表情で蒼汰に告げた。
「当日の持ち物と開始時間の変更についての連絡だったよ!前日は禁酒だな!」
「ところで、柏崎さんはなぜ電話番号を変えたんですか?」
「俺はな、会社の携帯をずっと借りててさ、自分の電話を買ったことがないんだ。ちょうど去年の冬にせがれに任せっきりで格安スマホをこしらえてもらったってわけよ」
借金の話を受けた直後だったこともあり、蒼汰は社用携帯の私物化について、驚きはしなかった。
「僕がこの電話番号を使い始めたのは、今年の11月なので、一年足らずで捨てたんですね」
「ああ、不器用ながらも、使い始めて数か月でアプリを使いこなせるようになった。それに無料通話もあるし、そもそも退職してからは、電話をかける相手も頻度もめっきり減ったんでね」
蒼汰は、宿泊のお礼を何かの形で示そうと、朝食の食器洗いを申し出た。
加えて、古い電話番号で登録されているものがないか、柏崎の了解を得て、書類やアプリを一通り目を通した。
「古い番号だったところは、ご自宅の番号に変えています。基本的にはアプリ内やメールで完結するものなので、大丈夫でしょう」
「至れり尽くせりで申し訳ないね。せがれやチームの奴らには、なかなか話す機会もなかったし。まさかこんな形で解決するとは…出会いって、ほんとにおもしれえな」
柏崎は嬉しそうにそう告げると、外へ一服しに出て行った。
昨日出会ったばかりの赤の他人の家で、こうして話しているなんて。本当に不思議なものだ。
蒼汰は心の中でそう呟きながら、リビングのサイドボードに置かれた写真に目が吸い寄せられた。
自分より少し歳上くらいの男女と、まだ幼い子どもたちが写っている写真。男性は若いころの柏崎さんだろう。その隣で微笑む、ふくよかな女性。奥さんだろうか。
「それはカミさんと、子どもたちが3人」
蒼汰の考えを見透かしたかのように、一服から戻った柏崎が答える。ほのかにタバコの匂いが漂っていた。
「そうですか。うちも同じ5人家族だったので、なんだか見てしまいました」
「カミさんは、昨年事故で死んじまったんだ。朝の散歩中に、酒に酔ったトラックが突っ込んできてな……即死さ」
蒼汰が返事に迷っていると、柏崎は半ば自分自身に言い聞かせるように話を続けた。
「俺はいつもの手順でバイクをメンテナンスしていた。洗車のあと、タイヤ、ブレーキ、エンジン、チェーンの点検…。そして、自慢の車体を磨きだす頃には、いつもカミさんが帰ってくる。でも、その日は帰ってこなかった。当たり前なんて、実は何ひとつとして当たり前じゃないんだな…」
蒼汰は、ただ小さく頷くことしかできなかった。
「交通事故、ニュースで見ている限りは他人事だったのにな。まさか自分たちに降りかかるとは……だよな。
何だかしんみりな話になっちまった。ところで、蒼汰くんの家族はみんな元気かい?」
「本当に、本当に残念です。
僕の家族は、喧嘩とかはしますが、みんな元気にしています。ただ、先日、祖母が亡くなって…」
「そうか」
「父方の山形にいる祖母です。病気を患っていたので、心の準備はできていたつもりでした。でも、実際に直面すると……。兄弟の中では僕が一番おばあちゃんっ子だったし、山形の大学に通っていたこともあって、今思えば、随分とお世話になっていたんです。もっと会っておけばよかったのに、社会人になってからは、仕事を理由にほとんど顔を出せていませんでした」
「残念だな。ただ、俺は会った回数や時間、最期に会えるかどうかよりも、自分が大切な人と過ごしてきた事実や思い出の方が大切だと思うな。この世に残された俺たちが、墓参りしたり、思い出してあげたら、カミさんたちも忘れられてないって安心するだろうから」
駅まで柏崎の愛車で送ってもらった蒼汰は、帰りの電車の中、柏崎との会話を何度も思い巡らせていた――
帰り道で簡単に昼食を済ませ、そのまま自宅へと戻る。
部屋に荷物を置き、日常の空気に身を馴染ませながら、蒼汰はスマホに保存された忘年会の写真を開いた。
あれは本当に現実だったのだろうか――。
まるで異世界に足を踏み入れたかのような濃密な時間を思い返しつつ、蒼汰の心は、手元の写真とどこか浮き足立った感覚をゆらゆらと行き来していた。
「そうだ。雄也にも色々報告しておこう」
雄也にチャットを送ると、数分もせずに既読がつき、無料通話アプリから電話がかかってきた。
「いやぁ、まさかそんな冒険してくるとは思わなかったよ!俺もついて行けばよかったな」
「一日だけだったけど、濃い時間だったよ。行ってよかった」
「これで蒼汰、お前は俺の友達で初めて“見知らぬ人の忘年会に参加した勇者”になったわけだ。ほんと、期待を裏切らないな」
「大変だったんだからな。慰労会名目で美味しいもの期待してるよ」
「了解!ご馳走するよ!それにしても、柏崎コウさん、親切な人で良かったな。とりあえず、お前はよくやった!お疲れ様!」
「色々聞いてくれて助かったよ。ありがとう。また今度ね」
電話を切った瞬間、蒼汰の意識の奥で何かが引っかかった。
「あれ……柏崎コウさん…?」
妙だ。
今朝、見せてもらった諸々の書類やアプリでの名前は、すべて『柏崎哲朗』。
どこにも“コウ”という通称を示す痕跡などなかった。
「まだ明らかにすべきことがある」
依然として、蒼汰の前には3つの謎が残されていた。
・コウちゃん宛の留守番電話
・老人ホーム(熊本)からの電話
・不明②の電話
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