第20章 帰路
蒼汰が搭乗ロビーに足を踏み入れると、窓際の席に、すでに見知った女性の姿があった。
「佳澄さん、早いですね。そうだ、これ」
蒼汰は手にしていた紙袋を差し出した。
「手前のお土産屋さんに売っていて、つい美味しそうだったので買ってしまって。おひとつ、どうですか?黒糖揚げまんじゅうです」
「え?黒糖揚げまんじゅう?」
小平は目を丸くして笑った。
「私、大好きなの。言ってたっけ?ありがとう」
「そうだったんですね。出来たてで、熱いので気をつけてください」
二人はしばし言葉もなく、甘さの余韻を味わった。
その後、蒼汰は少し間を置いてから、意を決したように口を開いた。
「あの、今回の旅費なんですが……。僕にも払わせてもらえないか、アツ子さんに掛け合っていただけませんか?」
「あ、それね。もう私のほうで解決してるから、大丈夫だよ」
「解決、というのは……どうされたんですか?」
「んー、大丈夫」
「大丈夫じゃないです。ちゃんと教えてください」
少し語気を強めた蒼汰に、小平は観念したように肩をすくめた。
「アツ子さんには一泊目の宿泊費をお願いして、残りは私が払うの」
「そうだったんですね。では、アツ子さんにお願いした分は、お言葉に甘えさせていただきます。ただ――」
蒼汰は一度言葉を切り、まっすぐ小平を見た。
「残りを佳澄さんが全額負担、というのは却下です。少なくとも、僕と妹の分は、僕が負担させてください」
「いやいや。私が誘ったんだから、負担して当然でしょ。有休も取ってもらったし。それに、私のほうが年上だしね」
「年は関係ないです。とにかく、自分の分は自分で。いいですね?」
頑なに一歩も引こうとしない蒼汰の様子を見て、小平は内心で息をつきながら、即座に次の言葉を探した。
「……じゃあさ、雪乃ちゃんの分を折半するっていうのは?それなら、どう?」
頑固な人だな、と思いつつも、蒼汰もそれが落としどころだと判断した。
「分かりました。では、帰宅後に全額を見せてください。その半分、僕が支払います」
「うん、ありがとう」
搭乗ロビーには、いつの間にか人が増え始め、空いていた席も次第に埋まっていった。
小平も、ふと思いついたように言った。
「ねえ。今の時代、アプリで繋がっていれば十分だけど、私たちが出会ったきっかけは電話番号だったでしょ?せっかくだから、電話番号も交換しない?」
「確かに。面白いし、いかにも僕たちらしいですね。まあ、僕の番号はもうご存じだと思いますが」
蒼汰はそう言って笑い、自分のスマホ画面に表示された番号を小平のほうへ向けた。
「その番号、三つ前の番号でうろ覚えだった……人間って、忘れる生き物だってつくづく思うわ。じゃあ、今かけるね」
そう言った直後、蒼汰のスマホに着信が入った。
「え……?」
「え?どうしたの?」
蒼汰の反応の意味がわからず、小平は戸惑う。
ひと呼吸おいて、蒼汰が答えた。
「――これ、僕の前の番号です」
「え!?嘘でしょ?そんなこと、ある?」
「僕も驚いてます。番号なんて、世の中にいくらでもあるのに」
ふたりは顔を見合わせ、目の前で起きている出来事を理解しようと、必死に冷静さを保った。
「えっと、僕が電話番号を変更したのは昨年の11月頃です。佳澄さんは?」
「いつだっけ。年末だったかな。たぶんそのくらい。電話番号って、そんなにすぐ次の人に割り当てられるものなの…?」
「どうなんでしょう。通常は3か月とか、6か月とか聞きますけど……」
答えの出ない問いだと分かりつつ、やり取りを重ねるうちに、ふたりの表情は次第にほころび、やがて戸惑いは笑いへと変わっていった。
「僕宛てに、何か怪しい電話とか、来てなかったですか?」
蒼汰が、冗談めかして口にする。
「大丈夫。今のところ、特に何も来てないよ。今後来たら、ちゃんと伝えるから」
小平も、同じ調子で笑いながら応じた。
『ただいまより、羽田空港行き111便の搭乗を開始いたします。
まずは、小さなお子さまをお連れのお客さま、ならびにお手伝いが必要なお客さまからご案内いたします。
そのほかのお客さまは、もうしばらくお待ちください』
そのアナウンスと同時に、搭乗ロビーのカウンターに立つ係員が、乗客を誘導し始めた。
「そろそろですね」
蒼汰の声に、小平も小さく頷き、手荷物に忘れ物がないか最終確認をする。
ちょうどそのとき、優先搭乗と思われる親子が、搭乗ゲートへと歩みを進めながら、ふたりの前を通り過ぎていった。
「ねえママ、『おたんじょうびかい』には誰が来るの?」
「みなちゃんのパパとママと、おねえちゃん。あとは、みなちゃんのおともだちのゆう君や、りほちゃんも来るよ。楽しみだね」
「やったー!おっきいケーキ、分けっこして食べようね!」
その会話を耳にした瞬間、小平は思わず「あっ」と声を漏らした。
「ごめん!今、思い出した。先月ね、一件だけ電話がかかってきてたの。
『ハッピーバースデー、そうちゃん』って」
「え?ハッピーバースデー?」
蒼汰は思わず聞き返した。
「確かに、先月誕生日でしたけど……」
「履歴、残ってるはず。ちょっと待って」
そう言うと、小平は慌ててスマホを操作し、留守番電話の履歴を辿っていく。
「……ほら、これ」
蒼汰は画面をのぞき込み、次の瞬間、表情を強ばらせた。
「……こんなの、あり得ない。あり得ないですよ」
「え?どうして?」
「だって、この番号――
昨年亡くなった祖母の、自宅の電話番号なんです。祖父はもっと前に他界していて、この番号を使う人はもう…」
小平は、言葉を失った。
画面を見つめたまま、次に何を言えばいいのか分からず、ただ息を詰める。
「音声も、聞いたんですよね?」
「うん。先月聞いたときは……それこそ、高齢の女性の声だったと思うけど」
「もしかしたら、聞き間違いとか、表示エラーかもしれません。
とりあえず、もう一度聞いてみませんか」
戸惑う小平の手元で、蒼汰はそっと再生ボタンを押した。
――だが、流れてきたのは声ではなかった。
そこに記録されていたのは、無音のまま過ぎていく、10秒間だけだった。
「嘘じゃないよ。本当に、一度だけかかってきた電話だったから、印象に残ってて――」
「佳澄さんのことは疑っていません」
蒼汰はそう前置きしてから、言葉を探すように続けた。
「『そうちゃん』って呼び方をするのは、母と祖母だけでしたし……。
ただ、僕はどちらかというと現実主義で、そういうことを信じるたちじゃなかったので――少なくとも、今の今までは――、どう受け止めたらいいのか……」
「私が口出しすることでもないのかもしれないけど」
小平は、慎重に言葉を選びながら続けた。
「蒼汰さんのおばあちゃん、蒼汰さんのことが大好きだったんだね。
天国に行っても、忘れてないよ、見守ってるよって……そう伝えたかったのかもしれないね」
蒼汰は小さく頷いた。
間もなく、ふたりの搭乗の時間となり、列に並んで機内へと進んでいく。
シートに身を沈めた蒼汰は、柏崎との会話を思い返していた。
『俺は会った回数や時間、最期に会えるかどうかよりも、自分が大切な人と過ごしてきた事実や思い出の方が大切だと思うな。この世に残された俺たちが、墓参りしたり、思い出してあげたら、カミさんたちも忘れられてないって安心するだろうから』
――僕のほうが、心配されてどうするんだ。
おばあちゃん、心配かけてごめんね。
それから……ありがとう。
帰りの機内で、蒼汰は祖母との思い出を、ひとつひとつ辿るように懐かしんでいた。
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